バッハ : 「インヴェンションとシンフォニー」 2010年2月21日(日)

ヘルムート・ヴァルヒャ(チェンバロ)

録音:1961年

 昔、FM−77というパソコンにFM音源セットというオプションがあって、そのデモ曲の中にチェンバロの曲があって、かなり気に入っていた。前奏曲とフーガ○短調という曲だと記憶していて、いろいろ探したが見つからなかった。有名な曲のはずなのにどうしてないのかと思っていたが、ネットでバッハの短調のチェンバロ曲をしらみつぶしに視聴していたら見つかった。「2声のインヴェンション第13番イ短調」だった。ピアノを習う人なら必ず弾くそうだからすぐにわかっただろうが。そこはかとなく悲壮感が漂い、わずか1分30秒の短い曲だが強く印象に残る。
 第1番ハ長調も、実はFM−7というパソコンのデモ曲だった。これも印象的な曲。パソコンからの連想のせいか、理知的な雰囲気のする曲だ。富士通のパソコン開発技術者の中に、バッハマニアがいたのかもしれない。通勤の車で通して聴いていると、他にもこれいいなと思う曲が見つかる。たとえば、「3声のシンフォニア第11曲ト短調」とか。

フォーレ : 「夢のあとに」 2008年9月28日(土)

ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
ヨゼフ・ハーラ(ピアノ)

録音:1990年

 長いこと気になっていたメロディー。銀座の山野楽器へ立ち寄った時たまたま流れていて、女子大生風の二人が「これは誰?」「フォーレよ」と会話していた。そうか、フォーレだったかと探してもなかなか見つからず、ならば小品集かとあたってみたら見つかった。
 悲しい夢で目覚めた、午後のまどろみの後のような物憂いメロディー。この曲も、秋の曇り空にふさわしい一曲。演奏はもう少し地味なほうがいいが、収録されているCDがあまりなかったので。

ドビュッシー : ベルガマスク組曲 第3曲「月の光」 2008年7月11日(金)

ミシェル・ペロフ(ピアノ)

録音:1979年-1980年

 久し振りの「music」更新。軽い鬱症なのか、いつも頭が晴れず、音楽を聴く気になれなかった。夏の定番は、ピアノ曲。弦の音は暑苦しい。
 ドビュッシーの音楽は、フランスの詩人マラルメのように無機質で聴きづらいものが多いが、この組曲は詩的な雰囲気があって親しみやすい。「月の光」はその中でも、最もポピュラーな曲。いろいろな楽想が流れるが、夢へ誘うような冒頭部分から、降り注ぐ月の光、揺れる光の波紋といったイメージで続いていく。
 曲想を得たとされるヴェルレーヌの「Clair de lune」は、「おりしも彼らの歌声は月の光に溶け、消える、 /枝の小鳥を夢へといざない、/ 大理石の水盤に姿よく立ちあがる/噴水の滴の露を歓びの極みに悶え泣きさせる/かなしくも身にしみる月の光に溶け、消える。」(堀口大學訳)

ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第2番ハ短調
 2007年12月18日(火)

第1楽章 モデラート
第2楽章 アダージョ・ソステヌート
第3楽章 アレグロ・スケルツァンド

ウラディミール・アシュケナージ(ピアノ)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮:ベルナルト・ハイティンク

録音:1984年

 絵でも音楽でも型と輪郭のはっきりしたものが好きで、ロマン派以降の始まりも終わりもはっきりしないクラシック音楽はどちらかといえば苦手だ。この曲も、エリック・カルメンの「All By Myself」の原曲はどんな曲だろうという興味から聴いてみたのだった。
 「ノダメカンタービレ」でよく聴いた第1楽章の雄大な主題は 、北国の地吹雪を連想させる。オーケストラと一緒に響くピアノの超低音は大地を揺さぶるようだ。第二主題は 対照的にロマンチックで、第2楽章と同じ雰囲気でつながっている。引用された第2楽章は、 ピアノのアルペジオに乗って木管の美しいメロディーが流れる。ミニマル・ミュージック的な展開で、ここからあのサビへつないだエリック・カルメンもすごい。スラブ的な雰囲気の第3楽章は、フィナーレが曲全体を統合する感じだ。全体通して、聴きやすくてやはりいい曲だ。
 第1楽章の出だしのビョーン、ビョーンという感じのピアノの音、力強さはないけど、アシュケナージらしい。リヒテルのCDだとうるさいと感じる。

ショパン : 12の練習曲第3番ホ長調「別れの曲」
 2007年8月15日(水)
  ウラディミール・アシュケナージ(ピアノ)
録音:1972年
 自分自身の生活のことや母の死で、このところ音楽を聴く余裕もなければ、何か聴きたいという気持ちも起こらなかったが、ふとこの曲が聴いてみたくなった。実際聞いてみると、静かで穏やかなメロディが、寂しくもあり優しくもあるように響いてくる。中間部の弾むようなところとか盛り上がるところは、ショパンのエッセンスを感じさせる。
 「別れの曲」というタイトルは、日本でつけられたもので、曲自体にはまったく関係ないそうだ。しかし、美しくもどこか虚ろな響きが、疲れた心に浸み込んで温かく包んでくれるような気がする。

モーツァルト :  ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 K.452
 2007年5月27日(日)
第1楽章 ラルゴ−アレグロ・モデラート
第2楽章 ラルゲット
第3楽章 アレグレット
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
ハインツ・ホリガー(オーボエ)
エドゥアルト・ブルンナー(クラリネット)
ヘルマン・バウマン(ホルン)
クラウス・トゥーネマン(バスーン)
録音:1986年
 ピアノ五重奏曲といっても、管楽器との五重奏というユニークな曲。モーツァルトの管楽器の曲というと、「13管楽器のためのセレナード(グラン・パルティータ)」や「管楽器のための協奏交響曲」などが有名だが、この曲は小規模で、華やかというよりは室内楽らしい可憐な印象がある。
 これらの管楽器の曲に共通して魅力的なのは、メロディーが各管楽器にリレーされて流れていくところ。この曲でも、第1楽章の序奏部と第2楽章の短調の部分なんかにあり、どれもたまらなくうっとりとしてしまう。ピアノがソナタ風に演奏する時は管楽器が支え、管楽器がメロディーを奏でる時はピアノがアルペジオの伴奏にまわる。第3楽章は一転して、協奏曲風の壮大な極となる。そうした変化と調和がさりげなく実現していて、モーツァルト自身にとっても自信作だったそうだ。

モーツァルト : 弦楽四重奏曲 第14番 ト 長調 K.387 《春》
 2007年4月2日(月)
第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ
第2楽章 メヌエット
第3楽章 アンダンテ・カンタービレ
第4楽章 モルト・アレグロ
アルバン・ベルク弦楽四重奏団
録音:1977年
 ハイドン・セットの第1作目。「春」というタイトルがつけられるようになったのは近年のことらしい。
 第1楽章は、穏やかだけど知的な雰囲気の第1主題と温かみがあって田園的な第2主題が、春にふさわしい調和をもたらしている。展開部は一転して情熱的に訴える。第2楽章は、軽やかなタイプのメヌエットだが、半音階進行が多いのが特徴的。この楽章も、中間部は情熱的なトーン。第3楽章は、思索的な流れるような楽章で、小さな変化が次々と繰り返されて、いつの間にか夢の中に落ちていく感じ。第4楽章は、フーガで始まる交響曲的なスケール感を感じさせる楽章。ヴァイオリンの奏でるメロディーは、どこか「春への憧れ」を思わせる。
 全体的に、春の陽光を思わせる温かみと、宵闇の肌寒さが同居したような感じや、低音部の対位法的な動きがクラリネット五重奏曲を思わせ、やはり自分の中では春の1曲だ。そして、どこか知的な感じがするのも気に入っている。

グリーグ : ピアノ協奏曲 イ短調
 2007年2月25日(日)
第1楽章 アレグロ・モルト・モデラート
第2楽章 アダージョ
第3楽章 アレグロ・モデラート・モルト・エ・マルカート
ラドゥ・ルプー(ピアノ)
指揮:アンドレ・プレヴィン
ロンドン交響楽団
録音:1973年
 ティンパニーの連打の後、ピアノが冬の冷気を切り裂くように激しく下降する第1楽章の冒頭部分はあまりに有名だが、それに続く憂鬱な主題はなぜか懐かしく感じる。何かのFMの番組のテーマにでもなっていたのだろうか。この楽章の第2主題と、弦楽器や管楽器の音が美しい第2楽章はロマンティックだ。ただ、この第2楽章の最初の部分、何かの曲にそっくりなような気もするのだが。第3楽章は民族舞踏風のリズミカルで魅力的な出だしだが、この楽章も第1楽章、第2楽章を受けて、陰鬱な部分、ロマンティックな部分から成っている。
 極寒の一日、行ったこともないのに、フィヨルドとか氷山とか白夜とかをイメージしながら、聴いてみるのだった。ピアニストのラドゥ・ルプーとこの演奏は、学生の頃話題になっていたもの。

チャイコフスキー : ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
 2007年1月17日(水)
第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・アエストーソ−アレグロ・コン・スピリート
第2楽章 アンダンティーノ・センプリーチェ
第3楽章 アレグロ・コン・フオーコ
スヴャストラフ・リヒテル(ピアノ)
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ウィーン交響楽団
録音:1962年
 苦い思い出のある曲。高校生の時、街の映画館でカラヤンの映画が上映された。オーケストラの演奏なんて見たことがなかったから、土曜日学校の帰りに見ようと思って、前の晩いつもより遅くまで勉強して、楽しみに見に行った。その映画で演奏していたのがこの曲。ピアノは、ワイセンベルクだったと思う。ところが、見ているうちに寝不足がたたってうつらうつらし始めて、どうにも我慢できなくて寝てしまった。
 今思うに、この曲は寝ていても起きて聴いていてもたいして変わらない。金管楽器のファンファーレ、力強く上昇するピアノ、流麗に広がるオーケストラ。この華やかな序奏部に続く主題部はどうも要領を得ず、気がつくと大音響で終わっている。ただ、第2楽章、第3楽章にしてもロシアを感じさせる哀愁に満ちたメロディーと情熱的なピアノは魅力的。やはり、ロマンティックで素晴らしい曲だ。

 

フォーレ  : ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調
 2006年12月15日(金)
第1楽章 アレグロ・モルト
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 アレグロ・ヴィヴォ
第4楽章 アレグロ・クァジ・プレスト
アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)
ポール・クロスリー(ピアノ)
録音:1977年
 フォーレの曲はどの曲も同じような感じで、何を聴いているのか分からなくなる。基本的に、センチメンタルで幻想的。
 第1楽章はじめのピアノは夢の中から湧き出てくるような感じ。その夢から覚めるようにヴァイオリンのメロディーが流れると、短調の世界へ迷い込んでいくようなイメージ。第2楽章は、これぞフォーレという感じのセンチメンタルなメロディが魅力的。第3楽章は、リズミカルで、聴いていて何となく演奏者の姿を想像してしまう。第4楽章は、シンコペーションの軽やかな楽章だが、やはりいつの間にか短調の世界へ盛り上がっていく。
 曖昧模糊とした長調とも短調ともつかないような感じが、フォーレの音楽の特徴かもしれない。優しい眼差しのような、冷たい雨のような、不思議な印象。

 

モーツァルト :  セレナード12番 ハ短調 K.388「ナハトムジーク」
 2006年11月30日(木)
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 メヌエット
第4楽章 アレグロ
ホリガー、ペッレリン(オーボエ)
ブルンナー、シュミット(クラリネット)
トゥーネマン、ウィルキー(バスーン)
バウマン、ヴラトヴィッチ(ホルン)
録音:1986年
 どこかで聴いたなと思うことがよくある曲。それもそのはずで、弦楽五重奏曲K.406はこの曲を編曲したものだし、さらにそれをオーボエ五重奏曲にした演奏もある。
 解説によればモーツァルトのセレナードの中で唯一短調の曲だそうだが、それ以上に異色なのは弦楽五重奏にそのまま編曲できるような4楽章の構成になっていることだろう。「ナハトムジーク」(夜の音楽)という名前の由来もよくわからない。しかし、第1楽章のバロック風の暗い短調の響きが、漆黒の夜を感じさせることは確かだ。
 第2楽章はクラリネットの柔らかい響きと木管のアンサンブルがやさしい。第3楽章、第4楽章は、古風なメロディーが心をさざめかせる。
 懐かしくてさびしい、追憶の世界に浸ってしまうような一曲。

 

バッハ : 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調
 2006年11月17日(金)
第1楽章 ヴィヴァーチェ
第2楽章 ラルゴ・マ・ノン・タント
第3楽章 アレグロ
ヘンリック・シェリング(ヴァイオリン)
モーリス・アッソン(ヴァイオリン)
指揮:サー・ネヴィル・マリナー
アカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズ
録音:1976年
 バッハの曲には繊細でセンチメンタルなメロディーがけっこう多いが、この曲もその一つ。
 独奏ヴァイオリンが2つ、オーケストラも2つ分かれていて、第1楽章は力強い主題の応酬の後ヴァイオリンが感傷的なメロディーを競うように奏でる。第2楽章は全曲通してヴァイオリンの独奏で、穏やかで抒情的なメロディーがえんえんと続く。2つのヴァイオリンが、一方がメロディーを奏でる時は一方がアルペジオで支えるといった感じで、寄り添うように思いを交わすように演奏する。一瞬短調に変わる部分ではキュンとしてしまい、演奏が終わると心洗われるような思いがする。バッハの数多くの曲の中でも、最も美しい楽章の一つかもしれない。
 この曲も、秋の暖かい日差しの中で聴きたい一曲。
 バッハのオーソリティ、シェリングだが、学生時代に聴いていたのは1965年録音のシェリング演奏・指揮のもの。こちらのほうが穏やかで品のある演奏だ。

 

ブラームス : ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調
 2006年10月6日(金)
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アダージョ
第3楽章 ウン・ポコ・プレスト・エ・コン・センティメント
第4楽章 プレスト・アジタート
ヴァイオリン:イツァーク・パールマン
ピアノ:ウラディミール・アシュケナージ
録音:1983年
 秋の冷たい雨の日は、ピアノと弦楽器の室内楽を聴きたくなる。
 第1楽章、ヴァイオリンの暗いメロディーに、ピアノが破滅的に応える。ブラームスの室内楽は、どこかオーケストラのように激しく響く。この響きが、僕にとってのchanson d'automne(秋の歌)。第2楽章は一転して、追憶を誘うような穏やかな、歌うように流れる魅力的なメロディー。第3楽章はリズムに緊張感があふれ、第4楽章は隠れた情熱が激しく燃え上がる。
 ブラームスは、人生の秋と斜陽を思いながら作曲したのだろうか。

 

モーツァルト : ディヴェルティメント第10番ヘ長調K.247
 2006年9月24日(日)
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ・グラツィオーソ
第3楽章 メヌエット
第4楽章 アダージョ
第5楽章 メヌエット
第6楽章 アンダンテ−アレグロ・アッサイ
アカデミー室内アンサンブル
録音:1985年
 有名な曲ではないけれど、弦楽四重奏プラスホルン2本という室内楽的な編成は、秋の暖かい日差しにふさわしい。
 第1楽章は、颯爽とした立ち上がりに流れるような旋律が交互して、ほんとうにモーツァルトという感じ。第2楽章と第4楽章は穏やかな曲で、特にアダージョは三連譜にのって思索的なメロディーが流れて、深く引き込まれてしまう。2つあるメヌエットのうち、第5楽章のほうは弾むようなメロディーをピチカートで締めているのがおもしろい。
 モーツァルトの曲を聴いていると、あれこの部分、他の曲で聞いたことがある、ということがよくある。きっとほんとうにそうなんだろう。この曲では第1楽章の出だしの部分。1つの曲を別の曲に作り変えたと言うような話はよく聞くが、このメロディー、どこかで聴いているけどわからない、というのは歯がゆいし、そんな研究をしてもおもしろいかもしれない。
 なお、この演奏ではチェロの替わりにコントラバスを使用しているそうだ。だから、通常の演奏より音がやや荒くなっているかもしれない。流麗な(はず)ウィーンの演奏でも聴いてみたい。

 

モーツァルト : ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
 2006年8月29日(火)
第1楽章 アレグロ・マエストーソ
第2楽章 アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレッシオーネ
第3楽章 プレスト
ピアノ:イングリット・ヘブラー
録音:1963年
 モーツァルトの短調の曲は少ないし、そのわりに印象的な曲が多いので、モーツァルトの孤独とか悲哀とかに思いを寄せて聴く人も多いかもしれない。この演奏は、感情に走ることなく抑制された演奏で、理由もなくふと心にきざす感傷のようなものを感じさせる。
 第1楽章は、物悲しげでそれでいて軽く弾むような短調の主題。重く悲劇的に流れていくのではなくて、どこか明るくて軽い印象さえ与える。 長調の転がるような第二主題もより美しく響く。これがモーツァルトの短調の魅力だと思う。
 第2楽章は、歌うような揺れるような美しい長調の主題とパセティックな短調の展開部の対比が美しい。
 第3楽章は、モーツァルトには珍しいほとんど単一のメロディーで、走り去るように展開していく。
 学生ならそろそろ夏休みも終りの時期。夏の思い出の感傷に浸ったり、秋への焦燥感にとらわれたりしながら聴いていたのかもしれない。

ラヴェル : 前奏曲
 2006年6月28日(水)
  ピアノ:パスカル・ロジェ
録音:1974年
 フォーレのようなセンチメンタルなメロディーが流れ出すと、いつの間にかラヴェルらしい無調性の音楽に変化している。
 窓辺でそよぐ白いカーテン、夕闇に揺れる葉陰、水銀灯を映してさざめく池の波紋…。ふと我に帰ると、いつの間にか外は闇に包まれている。一瞬というには長く、時の流れを感じるには短い、束の間のノクターン。夏はやはりラヴェルのピアノだ。
 初見で引くための練習曲だそうだから、練習すれば短いし弾けるようになるかもしれないが、音楽を表現しようとすれば、自分がどこにいるか分からなくなりそう。

ベートーヴェン : ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 作品97「大公」
  2006年6月15日(木)
第1楽章 アレグロ・モデラート
第2楽章 スケルツォ(アレグロ)&トリオ
第3楽章 アンダンテ・カンタービレ
第4楽章 アレグロ・モデラート
ピアノ:ウラディミール・アシュケナージ
ヴァイオリン:イツァーク・パールマン
チェロ:リン・ハレル
録音:1982年
 ベートーヴェンというと、短調で暗鬱で激しいというイメージがあるが、ある種の曲は心が空高く舞い上るような気高さに満ちている。この曲もそんな一つ。
 そんな雰囲気が最も感じられるのが第1楽章の最初のテーマ。どこかシューベルトの「鱒」を思わせるメロディーだが、より穏やかで気品がある。それに続く部分は、よりベートーヴェン的な荘重さ を漂わせている。第3楽章もヴァイオリン、チェロのユニゾンの息の長い歌が緩やかに流れていく清浄な曲。第2楽章と第4楽章は、どこかモーツァルト的なユーモア が感じられる楽章。
 ピアノと弦楽器が出会うと激しい曲になることもあるが、この曲では互いを引き立てあっているようで、明るく澄みきった青空を感じさせる。梅雨入りして、このところ毎日曇り空か雨。せめて、からっとした音楽を聴いて過ごしたい。

モーツァルト : セレナード第7番ニ長調K.249「ハフナー」
 2006年3月20日(月)
 マリナー/アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(1984年)
 「ポストホルン」と同じように規模の大きい曲だが、「ポストホルン」が南仏的な明るさに満ちているのに対して、「ハフナー」にはドイツ的な崇高さが感じられる。それが特に強く感じられるのは第6楽章「アンダンテ」。たった2小節の可憐なメロディーが心を高みまで連れて行き、中間部のたった一度しか現れない短調のメロディーも魅力的だ。密かに「 穏やかな行進曲」と呼んでいる。第1楽章とフィナーレの第8楽章は荘重で華麗な楽章で、時々現れるちょっと変わったコードからは宇宙的な響きが感じられる。第3楽章、第5楽章、第7楽章はメヌエット。最初のは短調で交響曲第40番風、2番目は堂々としたタイプで、3番目は軽やかなタイプ。第4楽章はヴァイオリン・ソロの華やかな曲。第2楽章もヴァイオリンが奏でる繊細で甘美な楽章だ。
 どの楽章1つ1つ聴いても素晴らしいし、すべての楽章に共通した統一感もあって、まさにモーツァルトの小宇宙だ。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503
 2006年1月29日(日)
 ブレンデル/マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(1978年)
 一昨日1月27日はモーツァルトの生誕250年の誕生日で、何か聴こうかなと思い、ザルツブルクでの記念コンサートで演奏されたこの曲にした。
 ハ長調で、また「フィガロの結婚」と同時期に作曲されたせいか、力強くそして祝典的な雰囲気を持っている曲だ。第1楽章のインパクトと躍動感のある主題に続いて、ベートーヴェンの「運命」のリズムを持つモチーフが現れて、これがこの楽章を支配していく。第2楽章は、春を感じさせる牧歌的な楽章。消えるように終わることの多いフィナーレもダイナミックだ。
 曲者ブレンデル、マリナーのコンビだが、他の曲では繊細な演奏をしているのにこの曲はずいぶんと迫力のある演奏だなと思って聴いていたら、ライブ録音だった。おそらくモーツァルト全集の最後の収録曲ということでそんな企画にしたのだろうが、この曲には合っているかなと思う。

モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
 2006年1月15日(日)
 ワルター/コロンビア交響楽団(1960年)
 今年はモーツァルト生誕250年だそうだ。というわけで、新年にふさわしい響きのこの曲。
 高校の音楽の授業で、先生がレコードを2枚持ってきて聴かせてくれた。同じモーツァルトの交響曲で、1枚はワルター指揮のもの、もう1枚はベーム指揮のもの。木管楽器が生き生きと響くワルター盤に対して、平板な感じのベーム盤。音楽は一様ではないということを教えようとしていたのだが、すぐワルターのレコードに飛びついてしまった。
 力強く沸き起こり、そして高く舞うような第1楽章の主題は、まさにギリシャ神話の最高神の名にふさわしいかもしれない。第2楽章は甘美なまさしくアンダンテ・カンタービレ、第3楽章は力強いメヌエット。そして終楽章は壮大なフーガ。晩年のモーツァルトがフーガにこだわったのは、バッハの音楽の完璧さに衝撃を受けたからと何かで読んだことがある。それはともかく、心が充実し、勇気のわく一曲だ。

チャイコフスキー:弦楽セレナードハ長調
 2005年12月14日(水)
 マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザフィールズ(1968年)
 石田衣良の「池袋ウエストゲートパーク」は街の若者たちが登場する一種のハードボイルド・ミステリーで、テレビドラマ化もされていて青春小説とも読めるおもしろい作品だ。短編集になっていて、各編にクラシックの曲が引用されている。この曲は最初の作品で、登場人物が嫌いな曲と言っていて、主人公がクラシックを聴くようになるきっかけとなったもの。
 第1楽章は弦の響きが荘重な曲。第2楽章はどこかで聴いたような気のする心浮き立つワルツ。映画音楽だろうか、運動会だろうか、スケートリンクだろうか。第3楽章のエレジーは決して悲劇的ではないが、弦楽器が交響曲「悲愴」のような感じで使われている。第4楽章はどことなくモーツァルト的な雰囲気で、最後に第1楽章の主題が再現する。
 感じのいい曲なのだが、人材派遣会社のCMに使われていて、幼稚園児や小学生に聴かせたら大爆笑になるかもしれない。くだらないCMはいい加減にしてもらいたい。

ヴィヴァルディ:マンドリン協奏曲ニ長調
 2005年12月8日(木)
 オルランディ/シモーネ/イ・ソリスティ・ヴェネティ
 20年以上前、映画を輸入している会社のオフィスで新着のビデオがかかっていて、かわいらしいメロディーが聞こえてきた。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番とホルン協奏曲第3番の第1楽章に共通して出てくるパッセージに似ている。何の映画かわからないし、曲もオリジナルかどうかもわからず、長い間頭に残っていたが、この前たまたまこのメロディーに再会した。イエペスの「アランフェス協奏曲」のCDに入っているヴィヴァルディのギター協奏曲だった。原曲はマンドリン協奏曲だというので、早速探して聴いてみた。この曲自体、元々はリュート協奏曲だそうだ。
 第1楽章は、バロックらしいコード進行でマンドリンの独奏が中心の、「四季」に似た雰囲気の曲。第2楽章がそのメロディーで、波に揺れる小舟のようなゆったりとしたリズムで、マンドリンの可憐なメロディが流れる。第3楽章も、典型的なバロックのコード進行の曲。
 この第2楽章のメロディーは、映画「イルカの日」のテーマと並んで、胸キュンメロディーになりそうだ。

ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界より」
 2005年12月1日(木)
 ノイマン/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1994年)
 晩秋の夕暮れというと、やはりこの曲、「家路」、「遠き山に日は落ちて」と歌われている第2楽章のイングリッシュ・ホルンのメロディー。聴いただけで、どことなく家に帰りたい気分にさせられるのは、小学校以来の刷り込みだろうか。
 第1楽章は、ブラームスの第1風の主題と新大陸風の部分で構成されているが、この曲全体がそういった構造になっている。第2楽章は、荘厳なファンファーレ(?)の後、あの有名なメロディーが流れ出す。木管楽器のもう一つのテーマも魅力的だ。第3楽章は、これもベートーヴェンの第9風のテーマと新大陸風のテーマの組み合わせ。こちらはどこか演歌風で笑えるかも。第4楽章は金管楽器が鳴り響く、あちこちのCMでおなじみの超有名なメロディーに、それ以前の楽章のメロディーが形を変えて繰り返される。これは、それほど意味があるとは思えないのだが。
 魅力的な楽章で構成されているのだが、全体通して聴くとちぐはぐな印象を受けてしまう。この曲は、第2楽章だけ聴いてもいいのかもしれない。

ロドリーゴ:ギター協奏曲「アランフェス協奏曲」
 2005年11月27日(日)
 イエペス/アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団(1958年?)
 中学生の頃ギターをかじりかけて、結局歯があまり丈夫じゃなかったのだが、「禁じられた遊び」程度は弾けていた。今ではギターを手にすることもたまにしかない、掃除の時にどけるため。それにしてもギターのレコードは1枚しか持っていなかったのが不思議で、この曲を聴きたくなって探したら、意外と新譜がほとんどなかった。
 第1楽章は軽快なフラメンコのリズムで、どこか異国情緒を感じさせる明るい曲。そして有名な第2楽章。ギターのコードに乗ってイングリッシュホルンが真っ赤に染まった秋の夕暮れを思わせるメロディーを奏でる。ギターがメロディーをとると、激しいトリルが情熱的だ。
 こういう曲を聴いていると、スペインも一度行ってみたいなという気になる。その前に、時間を作ってまたギターいじりをしたいものだ。

フォーレ:ピアノ三重奏曲ニ短調
 2005年10月23日(日)
 ボザール・トリオ(1988年)
 すっきりしない日が続いている。こんな寒くて暗い秋の日々にはフォーレが似合う。
 第1楽章は、チェロが枯れた深い哀愁に満ちたメロディーを奏でる。これぞフォーレという感じかもしれない。第2楽章は、叙情的で幻想的なメロディーが十二音階風に展開される魅力的な楽章だ。第3楽章は、前2楽章とは異なり、ヴァイオリンとチェロがユニゾンで激しく緊張感に満ちた音を出す。フォーレ最晩年の傑作だそうだ。三楽章構成で各章の性格がまったく異なるので、比較的聴きやすい1曲かもしれない。

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調K.304
 2005年10月10日(月)
 グリュミオー/ハスキル(1958年)
 単純な思い込みかもしれないが、秋になると室内楽が聴きたくなる。それも、今日みたいな冷たい雨の一日は短調の曲がいい。
 暗い情念を感じさせるテーマと、流れる悲しみのようなメロディーが交錯する第1楽章。古風で典雅なたたずまいを見せる第2楽章。その中間部はどこか懐かしく優しい思いを抱かせる。
 2楽章だけの小さな作品だが、数少ない短調のヴァイオリン・ソナタということもあって、印象深い一曲。今度、録音状態のいい演奏で聴いてみようかなと思ったりもするのだが。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番ハ短調「月光」
 2005年9月19日(月)
 ウラディミール・ホロヴィッツ(1956年)
 中秋の名月だから「月光」というのは安易だが、何となくこの1曲。第1楽章の三連譜にのった幻想的なメロディーはあまりにも有名。軽い第2楽章に続いて、激しい第3楽章。決して標題性や物語性を持たせた作品ではないのだが、思いを寄せる女性に捧げた作品だけに、秘めた思い、そして抑えられない激情といった心の流れを感じさせる構成で、ロマン派へ続く作品となっているのかもしれない。
 ピアニストにこだわるようなマニアではないが、この演奏はどこか妖気漂う雰囲気があって、第1楽章のメロディーもロマンチックというよりは、どこか執拗な思いを感じさせ、第3楽章もまるで爆発のように激しい。学生の頃、こだわって聴いていた1枚。

モーツァルト:ピアノソナタ第10番ハ長調K.330
 2005年8月14日(日)
 マリア・ジョアオ・ピリス(1974年)
 猛暑、夏休みの季節になると、ほとんどボサノバかモーツァルトのピアノソナタしか聴かない。
 この曲は、特にモーツァルトのベーシックという感じがする。第1楽章の高いところから転がり弾むような溌剌とした第1主題と、低いところから滑らかに上昇する可憐な第2主題の対比。展開部のごく一瞬の短調部分のセンチメント。第2楽章アンダンテ・カンタービレも、品の良さが漂う主題と、中間部の短調の対比が魅力的だ。
 マリア・ジョアオ・ピリスは、学生の頃、見た目だけで憧れていた女性ピアニスト。この演奏では、第2楽章、短調のメロディーを長調に変えたエンディングの和音の響きが印象的。

ラヴェル:水の戯れ
 2005年6月27日(月)
 パスカル・ロジェ(1974年)
 ラヴェルのピアノ曲は、どこか水滴とか水溜りの漣をイメージさせる。それは実際この曲の表題が有名なせいかもしれないし、無調性的な高音の水滴が転がるような音使いがそう感じさせるのかもしれない。秋や冬に聞いたら寒々としているかもしれないが、今頃の季節は雨の滴と晴れた日の水遊びを連想させてふさわしいように思える。というか、この季節、弦や管楽器はうっとうしくて聴く気になれない。
 最初のテーマはギターのフィンガーピッキング風のリズムで、水滴そのものを思わせる印象的なメロディー。感傷的な短調、無調性風、オリエンタル、と響きが変化していくのがラヴェルの特徴だろうか。「印象派」という名前だが、時代的にも、より繊細な作風的にも後期印象派のほうが近いかもしれない。

シューベルト:ピアノ五重奏曲イ長調「ます」
 2005年5月22日(日)
 ブレンデル/ツェートマイヤー/ツィンマーマン/ドゥヴェン/リーゲルバウアー
 (1994年)
 やっと初夏らしい陽気になってきた。この曲はレコードも持っていないし、コンサートや何かで特に聴いたこともないが、なぜかあの「ます」のメロディーが頭の中に鳴り響いて、ついCDを買ってしまった。
 第1楽章はモーツァルトの中期のピアノ協奏曲のようなさわやかな雰囲気。第2楽章のメロディーはどこか「ます」に通じるところがある。途中ビオラとチェロで演奏される短調のメロディーは、ボヘミアンな感じでいい。第4楽章が「ます」の主題による変奏曲。第5楽章は、チャイコフスキーを思わせるような華麗な楽章。シューベルトの音楽って、過渡期の音楽なんだなと感じてしまう。
 ブレンデルのピアノは透明な響きが明るくさわやかで、5月の澄んだ青空と清流の輝きを感じさせてくれる。

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調K.454
 2005年5月14日(土)
 グリュミオー/ハスキル(1956年)
 春は長調、秋は短調といえば単純すぎるが、いつも今の季節に合った音楽を聴きたいと思っている。そういうわけで最近聴いているのがこの曲。女性ヴァイオリニストのために作曲した曲なので、こった作りになっている。第1楽章はソナタでは珍しく序奏部で始まり、ヴァイオリンを聴かせる。テーマは弾むような明るい曲で、アイネクライネを思わせるようなリズムとマリアッチを思わせるようなピアノとヴァイオリンのハモリが魅力的。第2楽章は、多くのディヴェルティメントの緩徐楽章に見られるような思索的な音楽で、中間部の短調部分は特にメランコリックな雰囲気をかもし出している。終楽章も明るく華やかで、ヴァイオリントピアノが絡み合うように流れて行く。
 ヴァイオリンに注目して聴いているとヴァイオリン協奏曲のようだし、ピアノに注目しているとピアノ協奏曲のようで、チャーミングで若葉の季節にふさわしい一曲だ。

ドヴォルザーク:4つのロマンティックな小品
 2005年3月29日(火)
 ヨゼフ・スーク/アルフレート・ホレチェク(1971年)
 第1番アレグロ・モデラートは、最近JR東日本の企業CMに使われている曲。ギャロップのようなピアノ伴奏の上をヴァイオリンのシンプルなメロディーが穏やかに流れ、すっと短調に転じる。この落差がドヴォルザークらしさだろうか。そのトリップ感覚とボヘミアンな雰囲気が旅情をかきたてる。どこかへ行きたい、どこかへ帰りたい。窓の外を緑の森が流れて行く。毎日の単調な繰り返しの中で、心は 遠い空をを駆け巡っている。
 このCDはドヴォルザークのヴァイオリンとピアノのための作品全集、2枚組み1500円という大変なお買い得。最後の曲は、あれ「ユモレスク」ってドヴォルザークの曲だったんだ。こういう曲って、いつどこで聴いて覚えているものなんだろう。

シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」
 2005年3月13日(日)
 アルバン・ベルク弦楽四重奏団(1984年)
 この曲を初めて聴いたのは、たぶん御茶ノ水にあった「丘」という名曲喫茶だったと思う。その後FMでもう一度聴いて曲名を確かめたんだった。
 衝撃的な出だしと、「イルカライブ」でも使われていた優しそうな旋律。第2楽章は葬送行進曲風の変奏曲。フィナーレのようなスケルツォに続く終楽章は、雪融けの奔流を思わせるようなドライブ感。
 シューベルトというと、さわやかな青春をイメージさせるが、実際は陰鬱な曲が多いような気がする。この曲も、ブラームスのクラリネット5重奏曲と部分的に共通性を感じてしまう。学生時代よく聴いていて、その後しばらく聴いていなかったのは、何かそれなりの理由があるのかもしれない。最初に聴いたのはウィーン・コンツェルトハウス四重奏団だが、さすがに音質が悪くて今は聴けない。ただ、ベートーヴェンでもブラームスでもない、シューベルトの音楽にはその柔らかさがふさわしいような気がする。(アルバン・ベルクは乱暴に聴こえる)

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
 2005年2月27日(日)
 グルダ/アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1975年)
 これがおそらく、学生の時初めて買ったモーツァルトのピアノ協奏曲のレコード。それまでは、有名な21番の第2楽章ぐらいしか知らなかった。当時、週刊FMなんかの名曲100選とかの特集でモーツァルトのピアノ協奏曲から第20番と第23番が選ばれているのを見て、聴いてみようと思ったんだろう。
 第1楽章は、暗鬱なオーケストラとセンチメンタルなピアノが対照的。第2楽章は、幼児還りしたようなシンプルな楽章。第3楽章は、破壊と調和が交錯する。17番から19番のバロック的というか、ハイドン的な雰囲気の曲からこんな曲風に変化したのは永遠の謎という感じもするが、第2楽章にそのハイドン風が残っているのがまた奇妙な感じだ。年表を見ると、モーツァルトがなくなった後、ハイドンの代表的な作品が発表されたりもしている。歴史というのはやはり不思議なものだ。

モーツァルト:フルート四重奏曲第1番ニ長調K.285
 2005年2月19日(土)
 ルーカス・グラーフ/ラウアー/ヒルシュフェルト/ニッフェネッガー(
 春のさわやかな陽光こそがふさわしい曲だが、フライング気味に最近よく聴いている。大学に入って周りの影響でクラシックをよく聴くようになる前から、モーツァルトってこんな音楽というような、一種のシンボルのようになっていた曲だ。
 実際、第1楽章の明るい出だしはクラリネット協奏曲のようだし、第2楽章ピアノ協奏曲23番を思わせるし、第3楽章はザルツブルクシンフォニーみたいに軽快だ。モーツァルトの音楽のエッセンスと言えるかもしれない。 と思えるのも実は・・・。モーツァルトの嫌いな楽器というとトランペットあたりが思い浮かぶが、実際は当時音程の不安定なフルートだったそうだ。というわけで、注文に応じていやいやあちこちから寄せ集めで作ったのかもしれない。でも、作品の順番からするとそうではないようだ。第3番の第2楽章なんかは、グランパルティータの元になっているくらいだから。
 この曲は協奏曲の形式になっていて聴きやすいし、弦の響きはいかにも室内楽風で魅力的な一曲だ。

モーツァルト:交響曲第38番ニ長調K.504<プラハ>
 2005年2月5日(土)
 ベーム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1960年)
 学生時代、<リンツ>とともに好きだった曲。演奏もLPと同じく、ベームとベルリンフィル。
 この曲も<リンツ>と同じように第1楽章はフランス風序曲から始まるが、<ジュピター>を思わせるような勇壮な出だしが短調に転じて緊張感と期待感を高める。主題も流麗な長調部とバロック風の短調の部分からなり、圧倒的な盛り上がりでフィナーレへ向かう。第2楽章も、穏やかな長調部と 悲愴的な短調部が繰り返される。第3楽章は、あっさりとしたフィナーレが多いモーツァルトの中では珍しく力強い曲で、この楽章もやはり長調と短調の入れ替わりが著しく、ドラマチックに思える。
 ティンパニーが派手に鳴ったりして、どことなく大向こう受けを狙っているような感じもするところが、若い時には思いっきり壮快で良かったのかもしれない。今聴くと、ちょっと疲れる。

バッハ:パッサカリアとフーガ ハ短調
 2004年12月23日(木)
 ヘルムート・ヴァルヒャ(1970-1971年)
 荘重なバスの音階がゆっくり流れ、そのあと問いかけるような激しいメロディーが現れる。「パッサカリア」というのは、バスが同じ音階を繰り返し、その上に 変奏をかぶせていく古い形式の曲だそうだ。そういえば、パッヘルベルの「カノン」もそんな感じだ。
 「トッカータとフーガ ニ短調」ほどドラマティックでもないし、「小フーガ ト短調」ほど親しみやすいわけでもないこの曲の魅力は、光が無限に生まれ、うねり、広がっていくような、荘厳さにあるようだ。
 去年の今頃もバッハのオルガン曲を聴いていた。毎年この時期は仕事の準備で忙しいし、来年の仕事を進め方とか考えると気がせいてしょうがない。というわけで、こういう曲を聴いて心を静めているわけだ。

バッハ:音楽の捧げもの
 2004年12月6日(月)
 ミュンヒンガー/シュトゥットガルト室内管弦楽団(1977年)
 高校生の頃FMで聴いていたバロックの番組があって、そのタイトル曲だったのがこの曲。自分の部屋で着替えをしながら聴いていたような気がするが、朝だったのかそれとも夕方だったのか、毎日だったのか特定の曜日だったのかまったく記憶がない。ただ、この半音階の不思議なメロディーを聴くと、受験を目前にした季節の冷たい空気と、今より硬質だった自分がよみがえってくるような気がする。
 この曲は、バッハの息子が仕えていたプロシアのフリードリッヒ王から提示された主題をもとに作曲したカノン集で、言ってみれば半音階風の無理に作ったモチーフによる変奏曲集。やはりバッハって偏執狂なのだろうかと思ってしまうのだが。 FMの番組で流れていたのは、「反行による2声のカノン」か「上5度におけるカノン風フーガ」じゃないかと思う。そして、フルート、ヴァイオリン、チェンバロによる「3声のトリオ・ソナタ」はフルートのメロディーが美しくて、これこそバロック音楽という雰囲気の曲。第1楽章「ラルゴ」は 特にお気に入り。「6声のリチェルカーレ」は、バッハの音楽の至高と深遠の極み、壮絶なまでに美しい。魂をわしづかみにされ揺さぶられる。
 そういえば、大阪万博で鍵盤でメロディーを入れるとコンピューターが編曲してくれるというコーナーがあって、思い切り前衛的なメロディーを入れたら陽気なワルツになってがっかりしたことを思い出した。

モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421
 2004年12月5日(日)
 アルバン・ベルク四重奏団(1977年)
 今日はモーツァルトの命日。モーツァルトの室内楽で短調の曲というと弦楽五重奏曲が有名だが、こちらもなかなかお気に入り。学生時代1枚だけ持っていた「狩」とのカップリングで、それほど聴きこんだ記憶はないのだが、曲が流れると懐かしい気持ちになる。
 第1楽章は、シンコペーションのリズムに乗って高いヴァイオリンの音がオクターブ下がってメロディーを奏でると悲痛な相貌が漂ってくる。第2主題は対照的に優美な雰囲気。第2楽章は、長調の思索的なアンダンテだが、中間部の短調の部分も印象的。第3楽章は悲壮感あふれるメヌエットで、どこか交響曲40番をイメージさせる。第4楽章はシチリアーノ風の変奏曲だが、モーツァルトの変奏曲は長い。
 今年の秋は室内楽を聴こうと思っていたのだが、いつの間にか冬になってしまった。

J.S.バッハ:フルートとハープシコードのためのソナタ変ホ長調
 2004年11月21日(日)
 マクサンス・ラリュー/ラファエル・プヤーナ(1967年)
 並木道を走ると紅葉と落葉の中間ぐらいで、晩秋の趣が深くなってきた。晴れていても2時を過ぎると、光に憂色が差してくる。こんな季節はバロック、それもこじんまりとしたチェンバロやフルートの曲が似つかわしい。
 バッハという人は、バルザック的な創造力の爆発によるのか、偏執狂的なのか、一つの楽器でおびただしい曲を作っているが、フルート・ソナタも8曲あり、この曲はその中でも一番ポピュラーなもの。ただ、バッハの真作ではないという説もあるそうだ。でも、第1楽章はどこかブランデンブルク協奏曲第5番と曲想に共通したものがあり、典雅で可憐な曲だ。第2楽章のシチリアーノは、有名なセンチメンタルなメロディー。

ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番ト短調
 2004年10月26日(火)
 タマーシュ・ヴァーシャリ(p)他(1982年)
 映画「仕立屋の恋」で使われていた曲。原作はジョルジュ・シムノンのミステリー。仕立屋で変人の中年男は、近所の嫌われ者。そんな彼の唯一の楽しみは、向かいのアパートの若い女性の部屋を覗くことだった。そんなある日、殺人事件が起こり、彼が容疑をかけられる。覗かれていることに気づいた女性は、彼が何か知っているのか探るために近づき、彼は自分の恋心を成就 させようとする。こうして、情念と打算のゲームが始まり、最後は裏切りの応酬。
 映画で使われていたのは弦楽による編曲版で、第4楽章だそうだ。その第4楽章は、ジプシー風ロンド。有名なハンガリー舞曲のようなもので、逃走と追跡にはふさわしい音楽かもしれない。冷え冷えとした雨の秋の一日のための一曲。

モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番変ロ長調 K.458 《狩》
 2004年9月23日(木)
 アルバン・ベルク四重奏団(1978年)
 学生の頃モーツァルトを聴き始めてしばらくは、主に交響曲、協奏曲を聴いていて、セレナード、ディヴェルティメント、室内楽はあまり聴いていなかった。LPラックを見たら、弦楽四重奏曲と弦楽五重奏曲が1枚ずつあった。あまり聴かなかったのは、派手さがなかったり単調に感じられて、じっくり聴きこむだけの懐の深さがなかったということもあるし、当時カリスマ的な人気のあった(と思っていた)スメタナ四重奏団の演奏になじめなかったということもあるかもしれない。
 心の浮き立つような第一楽章の冒頭の有名なメロディーから「狩」というタイトルが付いているそうだが、ロンドのような軽快なリズムはどちらかというと踊りを連想させる。第2楽章のメヌエットも軽いタイプ。第3楽章がアダージョという形式で、交響曲とは逆になっているのはどうしてだろう。聴いている印象は、ディヴェルティメントと同じような感じ。これからしばらくは、室内楽を聴いていこうと思う。

フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
 2004年9月13日(月)
 アルチュール・グリュミオー/ジェルギー・シェベック(1977年)
 毎朝、会社のはす向かいにあるサブウェイのアイスコーヒーで頭を覚ましているが、この店ではよくモーツァルトのピアノ曲がかかっていて、たまに室内楽やジャズも流れている。最近は室内楽が多くて、この秋は室内楽を聴こうと思っていたら、聞き覚えのあるヴァイオリン・ソナタのメロディーが流れてきた。当たりをつけてCDを聴いてみたら、やはりこの曲だった。
 落ち葉が池の水面に触れて波紋が広がるような、印象的なメロディーの第1楽章。ピアノが情熱的に演奏される短調の第2楽章。第3楽章は、第1楽章のメロディーの形を変えながら、ヴァイオリンの激しい演奏が流れる。中間の穏やかな部分で繰り返される転調が美しい。店で聴いたのは第4楽章。ベートーヴェン風の正統的で明晰な響きが心を高いところへ持ち上げてくれそう。
 第1楽章の印象派的なテーマとチャイコフスキーのような華麗なピアノ、第2楽章のショパンのような情熱的なピアノ、第3楽章のバッハのように孤高のヴァイオリン独奏と、1つの曲の中にこれだけ多彩な曲想があふれている作品も珍しい。

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調K.333
 2004年7月25日(日)
 クリストフ・エッシェンバッハ(1964年)
 こうも暑いと、エアコンをつけていてもベランダの照り返しで暑い。そこでレースのカーテンだけ閉めて、ソファーに横になる。そんな夏のけだるい午後は、モーツァルトのピアノ・ソナタを聴いて過ごすのがいちばん。
 この曲は、第一楽章の最初のメロディーがベートーベンの「春」のように遠い憧れを感じさせる。下降する音階とサスペンドする部分が共通しているのだろうか。展開部の短調の部分がちょっとだけセンチメンタル。第2楽章はどこかピアノ協奏曲第12番の2楽章を思わせる。ロマンチックできれいにまとまっている感じ。第3楽章はモーツァルトの終楽章らしい曲想で、ラストの盛り上がりやカデンツァはいかにも協奏曲風だ。結構お気に入りの曲。
 学生の頃最初聴いた時は、エッシェンバッハってずいぶん速く弾くんだなと思ったが、テンポはこんなものかもしれない。スクラッチノイズが結構ひどいのだが、CDが手に入らないのが残念。

ラヴェル:「亡き王女のためのパヴァーヌ」
 2004年6月9日(水)
 パスカル・ロジェ(1974年)
 最初この曲のオーケストラ版を聴いたときは、豊穣で不思議な音色の響きと音階に驚かされた。それ以来、オーディオを新しくするたびに最初に聴くのはこの曲だ。オーケストラ版もそういうわけでいいのだが、この曲を聴いているとなぜかギリシャの白い神殿とアルカイックスマイルを連想してしまう。そういうわけで、原曲であるピアノ演奏も魅力的。実は、アシュケナージのCDもあって、こちらは繊細でリリカルでニュアンスに富む演奏なのだが、どうも求めているイメージと違う。パスカル・ロジェはどうかというと、こちらはまず音程が低いのではないかと思うくらい音色が違うし、低音部を強調して機械的に弾いている。このそっけなさがギリシャ的なイメージに近いのだが、もう少し音色がきれいでもいいような気もする。
 ピアノを習って、1曲だけ弾けるようになりたいとしたらこの曲だ。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271「ジュノム」
 2004年6月2日(水)
 シフ/ヴェーグ/モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ(1988年)
 テレビで内田光子がこの曲の第2楽章を演奏しているのを聴いて、初めて知った曲。そして、モーツァルトの20番より前のピアノ協奏曲や、他にも聞いたことのなかった曲を探して聴くようになったきっかけとなった曲だ。
 モーツァルトのピアノ協奏曲は、だいたいオーケストラが主題を一通り演奏した後ピアノが入ってくるのだが、この曲では冒頭にオーケストラとピアノのかけあいがある。ジュノムという女流ピアニストのために書いた曲だそうで、そのためピアニストが際立つような仕掛けが施してあるのだろうか。
 第1楽章は、冒頭のかけあいの後に、モーツァルト特有のドレミファソの主題と、可憐な主題が続く。第2楽章は、短調の楽章で、第23番は淡いセンチメンタルを感じさせるが、こちらはより悲しみの情感が高まったような感じだ。第3楽章はフィナーレらしい速く弾むような楽章だが、中間部がカンタービレになっていて、ピアノがロマンチックに歌いだす。特にその最後の部分は、澄み切った夏空を思わせるように高貴に響く。この曲も夏のお気に入り。

モーツァルト:ドイツ舞曲 K.586・K.600・K.602・K.605
 2004年5月25日(火)
 ヴィルトナー/カペラ・イストロポリターナ(1989年)
 中山可穂の「猫背の王子」で、「牧歌的な春の一日のはじまりのような曲」と紹介されていた曲。CDショップをのぞいてもなかなか見つからず、アマゾンに注文したものの2ヶ月待って手に入らず、もう一度 別のCDを注文して手に入れたものだ。
 ドイツ舞曲というのは、基本的にはメヌエット、 わかりやすく言えばワルツのようなもの。K.586は12曲、K.600は6曲、K.602は4曲、K.605は3曲からなるが、他にもまだたくさんあるようだ。しかし、ほとんど廃盤になっていて手に入らないようだ。ティンパニーが響く重々しい曲もあれば、弦を軽やかに奏でる曲もあれば、タンバリンを派手に打ち鳴らす曲もある。さて、レズビアンの目覚めにふさわしいのはどの曲だろうか。この中で「3つのドイツ舞曲」K.605の第3番「そり遊び」は、確かに聴いたことがある。聴いたことがあるどころではない、よく知っている曲だ。なぜだろう。

モーツァルト:セレナード第13番ト長調K.525
        「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」

 2004年4月20日(火)
 イ・ムジチ合奏団(1982年)
 学生の頃、家庭教師で教えていた女の子が、オーケストラの合宿かなんかで時間が余って、夜中新宿中央公園で演奏したら浮浪者のおじさんが拍手してくれたと言っていた。映画「アマデウス」で、サリエリが自分の曲を演奏しても知らないと言われ、じゃこれならどうだと演奏したら「あ、これは聴いたことがある。パン、パパン、パ、パパパパパン」と答えられたモーツァルトの象徴的な作品。
 「小夜曲」という名前はついているが、真昼の明晰なイメージで、構成も交響曲と同じ4楽章構成で、モーツァルトのエッセンスの詰まった小宇宙という感じ。モーツァルト晩年の曲なのだが、ピアノソナタ第15番と同じように、シンプルだけど結晶のような存在だ。
 第3楽章メヌエットは、パソコンのFM音源のデモンストレーションで、オーボエ、クラリネットなどの木管楽器での演奏があったが、なかなか良かった。実際、管楽器による演奏はないものかなと思っている。

モーツァルト:交響曲第36番ハ長調K..425<リンツ>
 2004年4月7日(水)
 ベーム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1966年)
 4月だ、元気を出していこうということで聴いてみたくなったのだが、モーツァルトのいわゆる後期交響曲を聴くのはずいぶんと久し振りだ。それというのも、CDを買う時、いつもLPとは違う演奏家を選んでいるのだが、これらの曲の場合どれを選んでいいかわからなかったのだ。結局LPと同じ、ベーム/ベルリンフィルのお徳用セットを選んでしまった。
 荘重な序奏で始まる第1楽章は、オペラの序曲のように爽快で躍動感にあふれていて生きる活力が湧いてくる。第2楽章は、モーツァルトの交響曲の中でも、聴いている限りではもっとも優美な楽章。第3楽章はポストホルン風のメヌエット。第4楽章は、明るく力強く盛り上がるフィナーレだ。眠い週明けだったけど、やっぱり聴いて元気になった。

ブラームス:チェロソナタ第2番へ長調
 2004年3月31日(水)
 ロストロポーヴィチ/ゼルキン(1982年)
 ブラームスといえば秋のイメージだが、この曲は明るく華やかで伸びやかな感じで、春めいてきた季節に心地よく聴いてしまう曲だ。
 第1楽章、ピアノの連打(?)にチェロのメロディーが重なっていくのだが、なんとなくピアノコンチェルトを聴いているような気分になるのは、チェロとピアノの音域のバランスがいいせいかもしれない。中間部は本当にピアノコンチェルトのように華々しく響きあう。第2楽章は、チェロを指でベース風に爪弾くゆったりした楽章。第3楽章は、ブラームスらしい情熱的な雰囲気がする。終楽章は、スタイリッシュでスマート。聴いていてかっこいいと思う。
 ルドルフ・ゼルキン、79歳のピアノは力強く、華麗だ。

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216
 2004年3月8日(月)
 パールマン/レヴァイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1982年)
 最近、シリーズ的な感覚で聴く曲を選んでいるような気がする。このところまた冷え込んできて、暖かくなるような曲が聴きたいし、ヴァイオリンの音というのは、ある時は陰鬱だけれど曲によっては大空を駆けのぼるような高揚感を与えてくれるのだ。
 この曲は、モーツァルトのギャラント様式と呼ばれる華やかな曲の代表的なもののようで、旋回しながら上昇していくような第1楽章のメロディーは、まさにスプリングだ。第2楽章は 、どこかピアノ協奏曲第21番のロマンティックな楽章を思い出させる高雅な雰囲気に満ちている。第3楽章は軽やかに踊りだすようなロンドで、クラリネット協奏曲の 終楽章のメロディーが現れるのだが、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を初めて聴いて驚いたのは、この唐突なフィナーレ。クラシックというのは、ジャン、ジャン、ジャーンで終わるものと思っていたから。
 演奏家で選ぶと、ついアシュケナージとかパールマンとかを選んでしまうが、この演奏はLPで持っているグリュミオーに比べると線が細いし、テンポも揺らぎがち。

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番K.378
 2004年2月29日(日)
 ハスキル/グリュミオー(1958年)
 クラシックで一番聴いているのはモーツァルトで、マニアというほどではないが、モーツァルトファンのつもりなのだが、ヴァイオリン・ソナタというジャンルは最近聴くようになったもの。数が多いし、ピアノ・ソナタの「トルコ行進曲付き」みたいなポピュラーな曲もないので、とっかかりがなかったのだ。
 聴いてみると、すごく懐かしくて暖かい感じがしてくる。この曲も、どこがどうとはいえないが、モーツァルトの音楽のエッセンスがあちらこちらに散りばめられているように思える。同時に、すがすがしく心が浮き立つような曲想は春らしくも感じられる。
 モーツァルトの時代はピアノがメインでヴァイオリンは伴奏という位置づけだったそうだが、ピアノとヴァイオリンが交互にメロディーを演奏していて、ピアノとヴァイオリンの二重奏という感じだ。

ブラームス:交響曲第2番二長調
 2004年2月20日(金)
 ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団(1983年)
 数年前、車の中でラジオつけたらNHK−FMでオーケストラの演奏をやっていた。春めいた雰囲気に惹きつけられてそのまま聴いていたら、フィナーレがすばらしい熱演だった。数日後、新聞の文化面にこの演奏のことが書かれていて、やはりすごい演奏だったんだと思ったことを覚えている。
 田園の夜明けを思わせるような牧歌的な雰囲気で始まり、それがやがてロマンティックに高まっていくと、そこからブラームス特有の哀愁に満ちたメロディーが流れ出し、力強く盛り上がっていく、というのが第1楽章の主要部。第2楽章は、不安と祈りが交錯するような弦の美しいメロディーがゆっくり流れる。第3楽章は、第2楽章の流れをもう少しテンポ良く木管楽器が歌っていき、中間部にはフィナーレを予感させる力強さがある。終楽章は、第1楽章のような雰囲気で始まるが、フィナーレへ向けて一気に高まる。この曲なら、どんな演奏でも熱演だと思ってしまうだろう。
 「ブラームスはお好き?」と問われたら、「よろしく哀愁」ということ?と言いたくなるが、サガンの小説ではただのデート(コンサート)への誘い文句でしかないそうだ。

バッハ:平均律クラヴィア曲集
 2004年2月6日(金)
 ヘルムート・ヴァルハ(1961年)
 学生の頃住んでいた下宿は、大家さんの庭に離れとして建てられていて、その大家さんのお子さんが時々弾いていたのが、バッハの平均律クラヴィア曲集第1巻の第1番ハ長調。これならギターでも弾けるんじゃないかと、記憶できた範囲でなぞってみたりしていた。グノーの「アヴェ・マリア」のピアノ伴奏で有名な曲である。この曲集に限らず、バッハの鍵盤楽曲はピアノで聴く人も多いかもしれないが、チェンバロの雅びで繊細な響きには捨てがたいものがある。近代的な和声がアルペジオに乗って展開され、時間が止まったような透明な響きに心が洗われるようだ。単純なアルペジオなのだが、よくよく聴くと最初の2音と次の音が微妙に違っている。楽譜を見たら、最初の2音は左手の低音部なのだった。
 他に、第4番嬰ハ短調も有名な曲で、チェンバロならではの可憐な味わいが心を震わせる。第8番変ホ短調は、ショパンの前奏曲第20番ハ短調を連想させる。
 音楽が専門ではないので、平均律とか楽器とかについては、特に触れるつもりはない。半音ずつ上がる長短24の調性による前奏曲とフーガからなる曲集で、第1巻と第2巻とがある。うかつにも、第1巻と第2巻の2枚のCDと思っていたが、よく見たら1巻が2枚のCD入りだった。そこでまた、聞き逃していたそれぞれの後半の曲を聴く。

モーツァルト:交響曲第29番イ長調K.203
 2004年1月27日(火)
 レヴァイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1985年)
 この前の第25番ト短調と双子のような作品だ。構成や感じがどこか似ていて、短調を長調にひっくり返したような感じ。あちらが青春の激情を表現しているとすれば、こちらは伸びやかな青春の麗らかさが感じられる。ベートーベンの「運命」と「田園」のような感じ。
 第1楽章は、25番のシンコペーションに対して2拍目が抜けた感じの4連譜。弦のグリッサンドやトゥッティで音階が上下する感じが、25番との共通性を感じさせる。第2楽章はともにロマンティックな序奏で始まるが、その後現れる軽やかなメロディーはほとんど区別がつかない。 第3楽章は、モーツァルトのメヌエットの中では珍しい躍動的なリズム。最終楽章は、第1楽章の雰囲気が戻ってきて、青春のすがすがしさを感じさせる。
 風はまだ冷たいが、日差しが眩しくてもうそろそろ光の春という季節。旧暦では今が正月松の内。旧暦では1月から春なので、昔の感覚ではもう春。昔の人は、季節を先取りして感じていたのだろう。

モーツァルト:交響曲第25番ト短調K.183
 2004年1月20日(火)
 マリナー/アカデミー室内管弦楽団(1971年)
 モーツァルトの交響曲というと、41番「ジュピター」、40番ト短調を聴いて、その次に、35番「ハフナー」、36番「リンツ」、38番「プラハ」ときて、そこまでで終わっていた。この曲を初めて聴いたのは、映画「アマデウス」。こんな曲もあったんだと新鮮な驚きだった。
 40番ト短調と同じ調性なので「小ト短調」と呼ばれているそうだが、青春の「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」と呼ぶにふさわしい、モーツァルト18歳の作品だ。第1楽章は、不安を予感させるシンコペーションのメロディーに続いて、激情がはらわたをえぐるような上昇と下降が繰り返される。第2楽章は、まったく別の曲を聴いているような穏やか でロマンティックなアンダンテ。第3楽章は40番を思わせるようなメヌエット。第4楽章は、悲劇的な情感が一気に流れていく感じ。
 このCDはなぜか音質が悪いのだが、速めのテンポが青春の切なさを思い出させる。

バッハ:トッカータとフーガニ短調
 2003年12月22日(月)
 ヘルムート・ヴァルヒャ(1956年)
 年の瀬が迫ってくるとなんとなく今年一年を振り返ったり、さらには人生そのものを悔いたりして、何か敬虔な気持ちになってしまう。この曲はバッハのオルガン曲でもっとも有名なもの、というか有名すぎて、ベートーベンの「運命」やホルストの「惑星」みたいに、気恥ずかしい思いさえする。
 しかし改めて聴いてみると、天上から差し込む光のような高音部、大地を揺さぶるような低音部、最後の圧倒的な衝撃で転調していく展開は、魂を洗い流して純化してくれるようだ。当時の人々なら、神の現前を体験したのではないだろうか。
 「トッカータ」というのは「触れる」というイタリア語から来ている言葉だそうだが、未知なるもの、聖なるものとの遭遇を思わせる。

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ
 2003年12月21日(日)
 ヘンリック・シェリング(1952年)
 学生の頃、日曜の朝よく聴いていた曲である。そのせいか、コーヒーの香りと静寂さが思い出される。聴いていても、曲を聴いているというよりは、時間が止まった空間を、とめどな くヴァイオリンの音が流れていく感覚を味わっているようだ。
 ソナタというのは教会ソナタ(緩-急-緩-急の4楽章構成)、パルティータとは室内ソナタ(4つの舞曲を組み合わせたもの)のことだそうである。真っ先に聴くせいかソナタの第1番がお気に入り。そして、パルティータ第2番の第5楽章が有名な「シャコンヌ」である。バッハというと厳格なイメージがあるが、実際は繊細でセンチメンタルなメロディーもずいぶんと多いのだが、この曲は情熱的な響きを持っている。ヴァイオリン1台で永遠の時間や空間を感じさせるのだから、バッハはとてつもなく前衛的な音楽家だ。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番へ長調「アメリカ」
 2003年12月4日(木)
 ジュリアード弦楽四重奏団(1967年)
 このコーナーは、愛聴盤の中からその日の気分や気候に応じて選んだ曲を紹介しているのだが、この曲は聴いてみたくなって今度買ったもの。ラジオで聴いたわけでも誰かに教えられたわけでもなく、なぜか聴きたくなったのだ。聴いてみたら、やはり初めてだった。
 低音の弦が豊かな響きで、ほっとするような温もりが感じられる。当時はこういう曲調が新大陸アメリカを感じさせたのかもしれないが、今聴くと中国と言われてもわからない。それでも、平原や峡谷の雄大な自然を感じさせる。この曲は、アメリカを表現したというよりは、遠い地から故郷のボヘミアへの思いを託したものではないだろうか。 第2楽章の、ピチカート、アルペジオ、シンコペーションのリズムの中から流れてくる穏やかで暗い情熱を秘めたメロディーは素晴らしくて、ひたすら聴き惚れている。

ブラームス:クラリネット五重奏曲
 2003年11月18日(火)
 プリンツ/ウィーン室内合奏団(1980年)
 本郷3丁目の駅を出てすぐのビルの、階段を下りていったところに「麦」という喫茶店があった。そこで友人とコーヒーを飲んでいた時この曲がかかって、最初の盛り上がりの部分で友人が「あっこの曲は何?」と思わず声を出してしまって、たまたまモーツァルトとのカップリングで聴いていたので「ブラームス」と答えられた。それぐらい、この曲の第1楽章には悲劇的なインパクトがある。第2楽章は長調で穏やかに始まるが、次第に陰鬱なメロディーに変わっていく。第3楽章は、比較的軽やかで交響曲1番の終楽章のような高揚する雰囲気をかもし出している。終楽章はまた短調に戻って、ブラームス特有の哀愁に満ちた音楽が流れる。
 ブラームスという人は反ロマン派と言われているが、やはりロマン派の時代の音楽家であって、曲名や形式は古典主義を守っているが、中身はかなり浪漫的である。この曲からは、秋の夕暮れ、赤く染まる街並み、そしてヨーロッパ・ロマンのたそがれが感じられる。

バッハ:管弦楽組曲
 2003年11月14日(金)
 ミュンヒンガー/シュトゥットガルト室内管弦楽団(1985年)
 高校生の頃バロック音楽を聴き出したのは、ジャック・ルーシェ・トリオの「プレイ・バッハ」のヒットの影響もあるが、クールで知的で、それでいて温かい手触りが感じられるところに惹かれたのかもしれない。
 この曲集は、第3番の第2曲「エア」が「G線上のアリア」として有名だが、この第3番と第4番は金管楽器が華やかに鳴って、ヘンデル的な明るさと多少の凡庸さが感じられる。素晴らしいのは第2番ロ短調で、独奏フルートのメロディーが時にクールに、時に叙情的に全編流れていく。最終楽章は、モダンジャズのようなスイング感にあふれている。
 この演奏は、というか録音というか、音色はきれいだがどちらかというと手触り感が感じられず、チェンバロの音もほとんど聞こえない。だから余計に、シンバルのリズムが聞こえてきそうなくらいスマートな印象だ。

バッハ:イタリア協奏曲
 2003年11月6日(木)
 ユゲット・ドレフュス(1976年)
バッハのチェンバロ曲で探している曲が2曲あって、1つは前奏曲とフーガ?短調、もう1つがこの曲の第2楽章?昔聴いたのは、チェンバロとは別の大正琴のような響きの楽器だったので、この曲のような、違う曲のような、どうもよくわからない。
 チェンバロ1台の曲なのに協奏曲という名前がついているのは、ヴィヴァルディに代表されるイタリアの協奏曲形式を取っているから。実際、聴いているとピアノソナタというようりは、協奏曲のような雰囲気がする。この曲の第2楽章は、チェンバロ協奏曲5番へ短調の有名な第2楽章ラルゴを、短調にしたような雰囲気の曲だ。可憐なメロディーが印象的。低音部がオーケストラ、メロディーが独奏楽器という感じだ。第3楽章には、モーツァルトを思わせるようなフレーズが現れる。

バッハ:ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲ニ短調
 2003年11月1日(土)
 ピエルロ/クルト・レーデル/ミュンヘン・プロアルテ室内管弦楽団(1975年)
 樹林公園の木の葉も色づき始めてきた。こんな季節には、やはりバロック音楽を聴きたくなる。
 この曲は、「2台のチェンバロのための協奏曲ハ短調」が原曲だが、実際はバイオリン協奏曲と同じようにこちらが原曲で、チェンバロのほうはその後でアレンジされたものだそうだ。バイオリンの場合もそうだが、こちらを聴くと、チェンバロのほうは味気なく感じられる。
 第1楽章は、短調のいかにもバロック音楽という感じの古色蒼然とした曲。第2楽章は、弦のピチカートの上を、オーボエとバイオリンが絡み合いながら永遠に続くようなメロディーを奏でる。
 カップリングの「オーボエ協奏曲ヘ長調」は「チェンバロ協奏曲ホ長調」の原曲。ドレミ・ミファソ・ソラシ・ドと上昇していく第1楽章の音階は、オーボエにぴったりだ。

ショパン:練習曲集
 2003年10月20日(月)
 ウラジミール・アシュケナージ(1971年)
 クラシックの世界には疎いのにアシュケナージの名前を知っていたのは、ソ連からの亡命がジャーナリスティックな話題になったからだろう。東京へ出てきて、夜調布の姉のところから帰る途中、電車に乗ってきた学生が持っているLPのジャケットを見て、あっアシュケナージだと思った記憶がある。
 この中で一番のお気に入りは作品25の9番「パピヨン」。昔使っていた富士通のFM−77というパソコンにFM音源をつけた時、デモ用のソフトに入っていたのがこの曲。コミック調の猫の絵を描きながら、ジャズギター風に演奏しているのが可愛くて心地良かった。
 ところで、こういう曲集は、通して聴くものだろうか、それとも好きな曲だけ選んで聴いていいのだろうか。LP時代は、片面だけ聴くとかできたのだが。

フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調
 2003年10月15日(水)
 ボザール・トリオ/カシュカシアン(1988年)
 秋の雨というとこんな感じかな。「仕立て屋の恋」という映画ではブラームスが使われていたが、この曲もそんな感じ。ピアノと弦が出会うと、なぜか破滅的な感情が生まれる。
 銀座の山野楽器でCDを物色していた時、バイオリンのセンチメンタルなメロディーが流れ出し、近くにいた女子大生らしい女の子がこの曲は?と聞いたら、もう一人の子がフォーレと答えていた。その時から、フォーレ探索が始まった。フランス文学をやっているとフォーレという名前は常識のように頭に入っているのだが、実際は曲は全然知らなかったのだ。この曲は、第1楽章のシンコペーションと、第3楽章のユニゾンのメロディーが衝撃的で印象に残る。探していた曲は、ソナタでもなければ室内楽でもなければ、なんだあれかということで見つかった。やはり、秋はセンチメンタル。

モーツァルト:ディヴェルティメント変ホ長調K.563
 2003年9月24日(水)
 クレメール/カシュカシアン/ヨーヨー・マ(1984年)
 涼しくなってきたし、そろそろクラシックでも聴くかと思って、久し振りに取り出してみた。通勤電車の中でCDウォークマンのスイッチを入れて、音が流れた瞬間、暖かくて懐かしい感情で満たされた。聴き進むうち、あちこちでふっと曖昧な記憶がよみがえる。音のdeja vueだ。どこがどの曲に似ているというわけではない。あ、モーツァルトだという感覚が刺激されるのだ。
 この曲はジュピターの後に書かれているので、晩年の曲と言っていいのだろう。全体から受ける印象は、ディベルティメント15番と同じく、秋の色や温度が感じられる。モーツァルトのディヴェルティメントのアダージョは瞑想的な魅力を持っているが、この曲の場合は感情の揺れ動きを感じる。秋の雰囲気を感じさせる曲だが、最終楽章はピアノ協奏曲27番を連想させる。「春への憧れ」だ。

モーツァルト:ピアノソナタ11番K.331、15番K.545、8番K.310、10番K.330
 2003年8月24日(日)
 イングリット・ヘブラー(1974年)
 モーツァルトのピアノ・ソナタで、この組み合わせ、この演奏がお気に入り。実は、学生の頃暑い夏の午後、このレコードを聴きながら昼寝していたのだ。今日も夕方本を読みながら聴いていたら、いつの間にか寝ていた。条件反射というのだろうか。
 8番イ短調は短調の曲だから別として、どの曲も短調に転じると軽いセンチメンタルが感じられるところがいい。
 好みの問題かもしれないが、思い入れたっぷりの演奏や、どこか引っかかるような演奏よりは、単純で簡単な曲だと思わせる演奏のほうがこれらの曲には合っているように思う。心が揺れ動くような情感ではなくて、遠い日の思い出がふとよみがえるような、そんなセンチメンタルだから。

サティ:「ジムノペディ」「グノシエンヌ」「ジュ・トゥ・ヴゥ」
 2003年7月30日(水)
 パスカル・ロジェ(1983年)
 気分だけでも夏休みという感じで聴いてみた。どういう意味だろう。久し振りにpetit ROBERTを出してみたが、gymnoは裸の、pedieuxは足に関する、ということぐらいしかわからない。ネットで調べても、古代ギリシャの祭典とか、裸のスポーツとか、裸足の踊りとか、いろいろ。曲を解説しているサイトはほとんどないし、人気がある割りにきちんと研究している人は少ないようだ。
 それはともかく、「GYMNOPEDIE」は窓の外の梢のささやきが涼しい風となって部屋の中を通っていくような感じ、それとも揺れるハンモックのような、遠い子供の頃の夏休みの午後を思い出させてくれる。もちろん、そんな避暑地のような体験はないが。
 「JE TE VEUX」は、英語で言えば「I WANT YOU」なので、そう思って聴けば「VOUS」のほうがふさわしい高雅で上品な曲だ。

ビゼー:組曲「アルルの女」
 2003年7月18日(金)
 クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団(1964年)
 昨日帰り、駅の改札を出た瞬間、第2組曲「メヌエット」のフルートのメロディーが頭の中で聴こえてきた。それで、今日はこれを聴いてみた。
 フランスの作家アルフォンス・ドーデの「風車小屋だより」の中の一篇を戯曲化したもの。中学生か高校生の頃読んで、漠然と南仏、プロヴァンス地方というものに憧れていた。
 第1組曲の「前奏曲」と第2組曲の「ファランドール」の有名なメロディーは、プロヴァンス地方の民謡なのだそうだ。第1組曲の「アダージェット」は、マーラーの5番を思わせるような美しい楽章。第2組曲のハープとフルートの爽やかな演奏で有名な「メヌエット」は、実は「アルルの女」の曲ではないそうだ。
 映画「天井桟敷」の劇中劇では恋愛の斬った張ったが展開されていたが、その音楽もこんな感じだったような気がする。血や情念とか、どこか猥雑な人間臭さを感じさせる。

ヴィヴァルディ:四季
 2003年7月17日(木)
 ブラウン/マリナー/アカデミー室内管(1979年)
 さすがに有名すぎて、「春」の第1楽章なんかはうんざりしてしまう。「冬」の第2楽章も結構人気あるけど。「春」の第2楽章を独奏バイオリンがどう演奏しているかが楽しみな程度。
 しかし、好きなのは「夏」。現代の日本では、風鈴とか水の音に涼を求めるとか、逆にロックのホットなサウンドが夏の感覚だと思うが、この曲では、夏というのは暑さにあえぐ憂鬱と、雷鳴に対する恐怖でしかないのだ。この時代には、バカンスとか、海水浴とかなかったのだろう。この曲の劇的なところが気に入っている。
 このCDは、ユニークな演奏として評判になったものとは違うようだ。学生時代にそんな評価を読んだような気がするから、もっと前の録音のものだろう。こうして探しているときりがなくなる。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第13番K.415
 2003年7月2日(水)
 シフ/ヴェーグ/カメラータ・アカデミカ(1988年)
 テレビで内田光子が演奏する第9番「ジュノム」の第2楽章を聴いて、こんな曲もあったんだと思い(当時は20番以降しか知らなかった)、買ったCDのカップリング曲。
 最初あまり気に入っていなかったこの曲をよく聴くようになったのは、ある夏の午後、渋滞の車の中で聴いた時以来。ロマンチックで透明な響きが、サンルーフから夏の青空へ響き渡っていくような、至福の時が持てたのだった。第1楽章はハ長調らしいシンプルな力強さの中に、ピアノの可憐なメロディーが顔をのぞかせる。大胆にも、「ドレミファソラシド」をそのままメロディーにしたりしている。第2楽章は、うっとりするようなロマンチックな楽章。長調から短調に移る時の、変化の仕方が美しい。
 この曲は、ウィーンでの演奏会用に、ウィーン趣味に聴きやすく作ったのだそうだ。そう言われればそうかなという気もする。今日のように、夏空が見えると聴きたくなる曲。もしかしたら、モーツァルトのピアノ協奏曲の中で、一番のお気に入りかもしれない。

ヘンデル:水上の音楽(ハレ版)
 2003年6月16日(月)
 カメラータ・ベルン(1986年)
 爽やかで快適な音楽を、と思ったらこのCDを選んでいた。実は、中学生の頃初めてかそこらで買ったクラシックのレコードが、カラヤンの「水上の音楽」だった。何故なのか、理由は全く覚えていない。もしかしたら、プレゼントしてもらったのかもしれない。
 バッハをして「俺の音楽は古いのか」と言わしめたとかいう、明るい和声。短調の楽章は、バロック音楽というよりは、メンデルスゾーンのメランコリーも感じさせる。この曲は楽章構成が明らかではないそうだし、構成も全然変なので、好きな曲だけ抜き出して聴いても差し支えないのかもしれない。というか、序曲からフィナーレまで自分で再構成して聴いたらおもしろいかもしれない。ちなみに、第1組曲の「エア(アリア)」が、小舟が流れに揺れるような感じで一番のお気に入り。
 この演奏は、少しきびきびしすぎている印象がある。カラヤンのがうっとりと聴ける。

モーツァルト:セレナード第9番K.320「ポストホルン」
 2003年6月9日(月)
 マリナー/アカデミー室内管(1984年)
 モーツァルトのセレナードの中でも特に好きな曲。どこか南フランスの明るい太陽を感じさせる。(行ったことはないが)金管楽器が派手に鳴るので、ビゼーと聴き比べたりするがそこまで下卑てはいない。
 期待感を抱かせる第1楽章、第2楽章のモーツァルトらしいメヌエット、穏やかな第3楽章、フルートとオーボエがアイネクライネ風のメロディーをさえずるさわやかな第4楽章、短調に転じる第5楽章、ポストホルンが登場する第6楽章、そして華やかなフィナーレ。この録音には前後に行進曲が入っている。第1曲は独特のリズムが始まりへの期待感を高め、第2曲は映画が終わった後のタイトルバックに流れる音楽のように満足感を与えてくれる。
 昔、女性を車で送ることになって、その時たまたまこのカセットが入っていて、車でこんな曲聴くような人間だと思われたら嫌だなとあせったことがあった。事実その通りなのだが。

モーツァルト:セレナード第10番K.361(グラン・パルティータ)
 2003年5月31日(土)
 ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル(1980年)
 映画「アマデウス」の始めのほうで、サリエリを嫉妬させたのがこの曲の第3楽章アダージョ。「導入部は単純でこっけいなほど。ファゴットとバセットホルンの低い調子、まるでさびた手風琴。そこに突然遥かな高みからオーボエの音色、ゆるぎない旋律。それをクラリネットが受け継ぐ。心が和らぎ喜びに満たされる。初めて聴く音楽だった。限りない憧れに満たされた。神の声かと思った。」(字幕から引用)
 一度聴くと頭から離れない魅力の秘密は、シンコペーションのリズムにもあるようだ。

モーツァルト:ピアノ協奏曲14番K.449、12番K.414
 2003年5月8日(木)
 シフ/ヴェーグ/モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ(1986年)
 14番は風変わりな曲。第1楽章は、子供が適当に並べた音符をモチーフに作ったのではないかと思われるような、不自然な感じの曲。第2楽章は、モーツァルトのピアノ協奏曲の第2楽章の中で、最も美しい曲の一つ。弦の主旋律と副旋律が高雅に絡み合い、ピアノがショパンのようにロマンティックに上りつめる。第3楽章は、東洋的な雰囲気もするリズミカルな楽章で、ピアノが休むまもなくスケールを弾きまくる。ピアニストが際立つように作ってあるようだ。
 12番は、端正で可憐な印象のする曲。破綻も不自然さもなく、聴きやすく好感の持てる1曲だ。
 シフはかつてのハンガリー若手3羽ガラスの一人だが、音色、演奏とも自然で素直な感じがする。ヴェーグの指揮によるオーケストラは、風と空間の広がりを感じさせる演奏だ。シフ、ヴェーグともに、豊かでかつ乾いた印象の音色。

モーツァルト:ディヴェルティメントK.136,K.137,K.138
 2003年4月21日(月)
 イ・ムジチ合奏団(1983年)
 ザルツブルク・シンフォニーと呼ばれている3曲。モーツァルト16歳の作品!なぜか、ゴールデンウィークのあたりになると聴きたくなる。明るく、歓びの感情がほとばしる曲想がそうさせるのかもしれない。
 1番は、大阪国際女子マラソンをダイエーが後援していた頃、グループ企業CMのバックに流れていた曲。TVドラマ「101回目のプロポーズ」で浅野温子がコンサートを投げ出して武田鉄也のもとに駆けつける時演奏していた曲でもある。一番好きなのは、3番の第2楽章。
 このCDに入っている、セレナードK.239「セレナータ・ノットゥルナ」も、ティンパニーのリズムが楽しい曲。でも、「ガッテンだ、ガッテンだ、ガッテン、ガッテン、ガッテンだ」と聴こえてしまうのだ。

モーツァルト:クラリネット五重奏曲KV.581
 2003年4月11日(金)
 プリンツ/ウィーン室内合奏団(1979年)
 学生の頃、オーケストラでバイオリンを弾いている女の子に「クラリネット五重奏曲もいいよね」と言ったら、「いや、クラリネット協奏曲がいいよ」と冷たく言い放された。
 第1楽章の最初の2音は協奏曲と一緒。協奏曲のほうが弾むように展開していくのに対して、こちらは穏やかに流れていく。ピチカートに乗って流れる第2主題は、どこかモダンな憂鬱を漂わせている。第2楽章も最初の2音が協奏曲と一緒。一度しか演奏されない中間部は心が漂泊するよう。第3楽章はメヌエット。モーツァルトのメヌエットには、力強いタイプと物寂しいタイプとがあるが、この曲は後者のほう。
 ブラームスの曲は音が水平に広がって5台の楽器によるオーケストラ曲のようだが、モーツァルトのほうは1台1台の音が立っていて、いかにも室内楽的である。

プロコフィエフ:バイオリン・ソナタ第2番
 2003年3月30日(日)
 シゲティ/バルサム(1963年?)
 学生の時、卒論の研究をしていてそのまま寝込んでしまい、明け方FMから流れてきたのがこの曲。夢うつつで出会ったせいか、この曲には春のおぼろげなメルヘンの世界を感じる。第1楽章は魔法の国へのいざない、第2楽章では魔法使いや精霊が次々と現れ、第3楽章は森の中の湖の水面が虹色にきらめく。終楽章は、力強いが同時に叙情的な響きもある。
 改めて聴いてみて、第1楽章のピアノのコードがおもしろいので、ギターにコピーしてみようかなと思った。

モーツァルト:ディベルティメント17番K.334
 2003年3月29日(土)
 アカデミー室内アンサンブル(1982年)
 誰かの小説に、春休みというとこの曲を連想するというようなことが書いてあった。確かにこの曲は、特に第3楽章のメヌエットや、終楽章のロンドは、春爛漫というほんわかとした雰囲気を漂わせている。ただ、一番好きな第4楽章アダージョは、花冷えの頃の夜桜の公園を感じさせる。暖かくて幸せだけど、少し淋しい春。
 この録音には、行進曲k.455が序曲として入っている。第1楽章の始まり方が唐突なので、何となくこれでしっくり来る。

ベートーベン:ピアノソナタ31番変イ長調
 2003年3月23日(日)
 アシュケナージ(1972年)
 たいていのことは記憶しているが、この曲を聴くようになったきっかけは思い出せない。ベートーベンにしては(というほど聴いてはいないが)、自由奔放で小さな曲。第一楽章は、指のおもむくままに弾いているような感じ。細やかで、心が透明になっていき、音階が上昇と下降を繰り返す部分は、空を翔るようだ。第二楽章はもっと奔放で、ブラームス風のスケルツオの後の中間部はショパンのプレリュードのどこかにあるような転がるメロディー。終楽章は、嘆きのメロディーと呼ばれる部分の後のフーガが、なぜか宗教的な救いを感じさせる。そして、コーダの盛り上がりは、ピアノの限界を超えているような気がする。どんな音を聴きたかったのだろうか。この曲は、1821年12月25日が完成日という。孤独なノエル、それとも救いのノエル?

モーツァルト:ピアノ協奏曲15番K.450
 
2003年3月20日(木)
 ブレンデル/マリナー/アカデミー室内管(1981年)
 たまたま今日聴きたくなって聴いてみた。第2楽章は、モーツァルトの数あるピアノ協奏曲の第2楽章(緩徐楽章)の中でも、非常に美しい楽章。派手さはないが、聴いていると心が高く高く透き通っていきそうに思える。この曲を聴いて武器の引き金を引く人間は、狂人以外にありえない。(いろんな人に聴いて欲しいと思った。)
 この曲は、どちらかというと、第1楽章がおとなしくて、終楽章が勇壮な感じがする。通常のパターン(第1楽章は勇壮、終楽章は軽やか)とはちょっと違うようだ。

モーツァルト:バイオリンとビオラのための協奏交響曲K.364
 2003年3月16日(日)
 グリュミオー/ベリッチャ/デイビス/ロンドンSo.(1964年)
 派手な一曲。モーツァルトで華やかな曲というと「フルートとハープのための協奏曲」あたりが思いつくが、最もエモーショナルな曲といえばこちら。第1楽章は、バイオリンとビオラがテンポをはずして情感たっぷりに演奏すれば、オーケストラは交響曲のようにダイナミックに盛り上がり、第2楽章はたっぷり泣きが入る。
 どことなくモーツァルトにしては、という感じがつきまとうが、元気の出る曲だ。

モーツァルト:オーボエ四重奏曲K.370
 2003年2月21日(金)
 ゴリツキ/ベルン弦楽四重奏団(1983年)
 早春を思わせる、今日のような光の春にふさわしい曲。明るく華やかというよりは、どこか風の冷たさも感じさせる。第1楽章はアレグロだが、穏やかな曲想で、オーボエと弦の絡み合い、特にチェロのメロディーラインが美しい。第2楽章は、束の間静謐な時間が流れる。第3楽章は軽快だが、演奏したら一汗かきそう。この曲には、小編成で小規模なせいか、花びらのような可愛い印象を持っている。
 カップリングのオーボエ五重奏曲は、管楽器のためのセレナード(K.388)、弦楽五重奏曲(K.406)の編曲版。第4楽章のシンコペーションで半音階が続くところが、ブラームスのクラリネット五重奏曲の第4楽章に似ていることに気がついた。

モーツァルト:ピアノ協奏曲27番K.595
 2003年2月8日(土)
 カサドゥシュ/セル/コロンビア交響楽団(1962年)
 春への憧れといえば、この曲の第3楽章が歌曲「春への憧れ」のメロディーそのものだが、第1楽章の最初のメロディーも春を待ち望む心を感じさせる。第2楽章は幼児を思わせるようなシンプルさ。この曲は、低音部を書き忘れたのではないかと思うほど、平板で響きが薄い。でも、豊かな音色で演奏したら、この曲の春霞のような淡くはかない印象が消えてしまうだろう。
 カサドゥシュの演奏は、軽やかで可憐な感じがする。オーケストラをバックに、一人楽しくピアノソナタを演奏しているように聴こえる。

ベートーベン:バイオリンソナタ5番「春」
 2003年1月30日(木)
 パールマン/アシュケナージ(1974年)
 寒の真っ盛り。これからしばらくは、「春への憧れ」を感じさせる曲を聴くことにする。
 第1楽章の第1主題は、凍えた心を暖めて高いところまで連れて行ってくれるような、祈りと懐かしさにあふれたメロディー。ただし、この曲は春をテーマにした曲ではないし、「春」というタイトルも勝手につけられたもので、全編春めいているというわけではない。第2楽章はロマンティック、第4楽章はモーツァルトのピアノソナタのような可愛い雰囲気がある。
 カップリングの「クロイツェル」もやっぱり素晴らしい曲だったが、今は純粋に音楽に浸って聴くような時間も心のゆとりもない。

モーツァルト:ピアノ協奏曲21番K.467
 2003年1月13日(月)
 ブレンデル/マリナー/アカデミー室内管(1981年)
 第1楽章は、同じハ長調の「ジュピター」のように男性的な主題で始まるが、この楽章は、主題とは関係なく、次々と美しいメロディーがピアノから紡ぎ出されるのが魅力だ。交響曲40番の主題を思わせるメロディー、ホルン協奏曲3番にも使われているかわいいメロディー。そして短調の展開部は、ガラス玉を散りばめたように美しい。第2楽章は、モーツァルトとしては珍しく大人っぽい雰囲気の曲。管楽器が穏やかにリズムを刻み、弦楽器がピチカートでベースラインを描く中、霧が漂うようにメロディーが流れてくる。第1楽章のようにめまぐるしくメロディーが変化することはなく、ほとんどモノトーンと言っていい、流れるような楽章。短調の展開部でピアノが盛り上がっていくところに、ブレンデルの即興が入っている。
 昔聞いていたグルダ/アバド/ウィーンフィルも聴いてみたが、グルダもバロック的な装飾を加えているようだ。即興の部分は、ブレンデルは感情の高ぶりが指の間からこぼれる感じなのに対して、グルダのほうは感情が一気に高まりはじける感じ。映画「みじかくも美しく燃え」に使われた・・・と紹介されることが多いが、この映画といい「テス」といい、どうしてここまで追い詰められなければならないのだろう、とぼんやり思った記憶がある。

モーツァルト:クラリネット協奏曲
 2002年12月27日(金)
 ライスター/マリナー/アカデミー室内管弦楽団(1989年)
 白鳥は死ぬ間際に美しい声で鳴くという言い伝えがあるそうだ。それで作曲家の最後の曲は「白鳥の歌」と呼ばれている。モーツァルトの場合交響曲39番がそう呼ばれているが、この曲は死の2ヶ月前に作曲されているので、こちらも白鳥の歌と呼ばれているそうだ。
 この曲を聴いていると薄い夕暮色がさして感じられるのは、曲想がしばしば短調に流れていくせいかもしれない。展開部で次第に短調に流れていった後で、力強い行進曲のリズムが現れて、テーマの再現部につないでいくところがドラマチックだ。白鳥の歌といえば、第2楽章がそれにふさわしい。寂寥感に満ちたクラリネットの柔らかい音色が天から下りてくると、オーケストラがそれを深く包み込む。それほどのことでもないのさと軽く踊りだすのが第3楽章。
 LP盤のランスロ/パイヤールも久し振りに聴いてみた。ライスターはドイツ管で、第2楽章の高音部が美しく響く。ランスロはフランス管で、中低音部が柔らかくて温かく響くし、オーケストラも厚みがある。プリンツ/ベームはテンポが遅すぎる。
 同じイ長調のこの曲と、クラリネット5重奏曲とピアノ協奏曲23番は、みな「ソーミー」で始まるのが興味深い。カップリングのファゴットソナタとファゴット協奏曲も猫に小判の名曲だと思う。

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626
 2002年12月5日(木)
 カール・ベーム/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1971年)
 今日12月5日はウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの命日。久々にレクイエムを取り出して聴いてみた。冒頭のファゴットとバセットホルンが優しくて悲しいメロディーをつぐむ。ファゴットがこんなに美しく響く曲はないかもしれない。この曲では、木管楽器の優しいメロディーがところどころ現れ、2拍目を強調したリズムが波のように情感を揺さぶる。今回聴いて驚いたのは、「Confutatis majedicts」で、重いメロディーがどこへ行くのだろうと思うくらい思いもかけない転調をしながら続いていく。「ラクリモサ」の第8小節がモーツァルトの絶筆と言われている。やはり2拍目を強調したため息のようなメロディーに女声の合唱が重なり、ティンパニーが加わって盛り上がっていく。つい涙ぐんでしまう。この曲は実質的にここで終わり。

マルチェロ:オーボエ協奏曲ニ短調
 2002年11月28日(水)
 ホリガー/イ・ムジチ合奏団(1986年)
 バロック・オボーエ協奏曲といえばこの曲。第1楽章は、低音の弦が不安げに上下にリズムを刻む冒頭が印象的。第二楽章のアダージョは、弦が和声を静かに刻む中から、オーボエの哀愁に満ちたメロディーが上昇していく。秋の夕暮れ、何となくメランコリックな雰囲気に浸ってしまう一曲。
 ホリガーの演奏は元のメロディーの原型をとどめていないので、初めて聴く人には向かないと思う。アルビノーニも含めて、これはというCDに出会えない。

アルビノーニ:オーボエ協奏曲ニ短調作品9の2
 2002年11月25日(月)
 ピエルロ/シモーネ/イ・ソリスティ・ヴェネティ(1970年)
 第1楽章、第3楽章はいかにもバロックらしいコード進行で、晩秋にふさわしい哀愁に満ちたメロディーが足早に進んでいく。第2楽章は、上昇と下降を繰り返す穏やかなアルペジオの中からオーボエの音が立ち上がって梢の彼方に消えていくような出だしから、中間部は次第に愁いを帯びた色合いに変化しながら展開していく。この世で最も美しい曲の一つ。
 演奏的には、いまひとつ気に入ってはいない。バロック音楽は細部の再現は演奏家任せなので、好みの違いが出てしまう。

モーツァルト:ディヴェルティメント15番K.287
 2002年11月18日(月)
 アカデミー室内アンサンブル(1984年)
 唐突に始まる第1楽章は暖かい響き、第2楽章は長すぎる変奏曲、第3楽章は揺れるようなメヌエット、第4楽章は黄色く色づいた田園を穏やかなメロディーがどこまでも流れ続けるアダージョ、第5楽章はしっかりしたメヌエット、序奏に始まる最終楽章は駆け抜けるように終わる。
 晩秋の小春日和のように暖かい響きと、メロディーとリズムの唐突さがこの曲の特徴。なぜか秋に聴きたくなる。カラヤンの演奏も聞いてみたい。

モーツァルト:ピアノ協奏曲23番K.488
 
2002年11月11日(月)
 ブレンデル/マリナー/アカデミー室内管(1971年)
 学生時代よく聴いた曲。夕方井の頭公園へ散歩に行く途中の家から、第1楽章のさわりの部分を練習しているのが聴こえたものだった。ハートウォーミングな第1楽章に続いて、深く沈みこむような第2楽章、そして第3楽章は再び勇気づけるように躍動的。文学部は、どうしても物語的に鑑賞してしまう。第2楽章の終盤にブレンデルの即興が入る。

バッハ:バイオリン協奏曲
 2002年11月5日(火)
 シェリング/マリナー/アカデミー室内管(1976年)
 第2番は明るく躍動感のある中に、短調の叙情的なメロディーが流れる名曲。特に、2つのバイオリンのための協奏曲がお気に入りで、センチメンタルな第1楽章の後の第2楽章は、可憐なメロディーが長調・短調で繰り返し流れてきて、時間が短く感じられる。
 まじめ人間シェリングなので、マリナーもこの録音では悪ふざけはしていないようだ。

バッハ:ブランデンブルグ協奏曲
 2002年10月28日(月)
 イ・ムジチ合奏団(1965年)
 秋になると、なぜかバロック音楽を聴きたくなる。バロックというのは「ゆがんだ真珠」、しかし室内楽の端正な雰囲気がしっとりして、秋の気分に合うみたいだ。
 この曲は、6つの協奏曲で構成されているが、ドライブ感のある3番、フルート・バイオリン・チェンバロのかけあいが華やかな5番、典雅な音色の6番が好み。2番や4番のリコーダーの生音のニュアンスのある響きも気に入っている。学生のときドイツ製のアルト・リコーダーを買って練習したことがある。
 この演奏は、チェンバロが派手すぎるかもしれない。