絆〜don't forget〜 第二章 「絆の審判」 第一節
どこまでも続く孤独という名の迷宮。
そこに朔夜の意識はあった。
なんだ……? 今日はやけに暗いな……まだ夜中なのか……?
混沌に漂う意識の中、不安と安らぎ、相反するものを感じていた。
「……ちゃ……」
闇を裂いて届くかすかな声。
誰だ?
「……朔夜お兄ちゃん……」
……優奈?
朔夜は依然自分をそう呼んでいた、たった一人の妹のことを思い出した。
「助けて……朔夜お兄ちゃん……」
どうしたんだ優奈! まってろ、今そっちへ行くからな!
朔夜は必死になってもがくが、どんなに力をふりしぼってもその声に近づくことはできなかった。
それどころか、動かしている手足の感覚や先ほどから叫んでいるはずの声さえも感じることができないでいた。
なんなんだよ、これは! 俺はいったいどうなっちまったんだ?
「朔夜お兄ちゃぁぁぁん……」
くそっ! 優奈ぁ!
何度目かの叫び声をあげたあと、朔夜はようやく思い出す。
自分の存在が消えてしまったことに。
そうだ……そうだったな……俺はいなくなってしまったんだ……何も……できなくなってしまったんだ……
深い絶望と悔しさを感じながら、朔夜の意識は再び闇へと沈んでいった。
同じ大きさの石が規則正しく並べて作られた天井。
それが、朔夜が目覚めて最初に見たものだった。
「ここは……?」
朔夜は身を起こし、自分の手を見る。
朔夜の手は確かにそこに存在しており、感覚もあった。
「俺は消えたはずじゃあ……」
「消えたってわけじゃないんだ」
誰もいないと思っていた朔夜は驚いてその声のした方を向いた。
そこには、質素な木の椅子にに座った一人の青年がいた。
その青年に、朔夜は見覚えがあった。
「住井……良か?」
「そうだよ」
かつて同じ世界の、同じクラスにいた人物の名を呼んだ朔夜に、青年は笑顔とともに明るい声で言った。
「久しぶりだね、朔夜」
「まて、お前は俺たちよりも先に消えたはずじゃあ……」
桜水学園の消えた六十七人の生徒。
その中には、今朔夜の目の前にいる住井良も含まれていた。
「だから、消えたわけじゃないんだって。灰依慧だってほら、ちゃんと隣りで眠ってるよ」
良が目で指した方に目を向けると、朔夜と同じように、灰依慧がベッドに横たわっていた。
「雛姫と悠は?」
「隣りの部屋。あっちは結が看ているよ」
「結……って、二組の委員長の天野結か?」
「そう、よく覚えていたね。ま、ともかく今は身体を休めておきなよ。浅倉さんたちが目を覚ましたら結が呼びに来るから」
「あ、ああ……」
天野も、消えてしまっていたはず……だよな……
存在が消えてしまったはずの自分たちが存在し続けていることに疑問を抱きながらも、まだあまり自由に動かすことのできない身体を休ませるため、おとなしくベッドに横になる。
それからしばらくして、誰かが部屋のドアをノックする音がした。
「あなたぁ、雛姫さんたちが目を覚ましたわよ」
ドアを開けて部屋に入ってきたのは、確かに朔夜の知っている天野結だった。
しかし、その顔は朔夜の記憶よりも微妙に大人っぽく、腕には二、三歳ぐらいの子供を抱いていた。
「……天野?」
「久しぶりね、朔夜君」
「……俺の耳がたしかなら、今、良のことをあなたと呼んだよな?」
「ええ、そう呼んだけど?」
さも当然だと言わんばかりにこたえる結に、朔夜はしばらく考えこみ、
「その腕に抱いているモノはなんだ?」
「モノとは失礼ね。子供に決まってるじゃない。あたしと良の」
「ちょっとまてぃ! そこまで成長するのには仕込から三年はかかるぞ!」
「ああ」
混乱する朔夜に対し、二人はおちついた態度で、ポンっ、と手をうち、
「そっか、朔夜たちは知らないんだったね。こっちの世界とテラの時間の進み方が違うって」
「こっちの世界? テラ? 話がまったく読めないんだが……
「詳しくは四人がそろってから話すよ。さてと、あとは灰依慧だけか……」
「いや、今起こす」
「へ?」
間の抜けた声を無視して、多くの謎を早く知りたくて我慢ができなくなった朔夜が動いた。
一呼吸ののち、肘を前に突きだしてそのまま灰依慧にむかって倒れこむ。
「起きろぉぉぉっ!」
「ぐげふぅっ?」
みぞおちに受けた鈍い痛みに、体をくの字に曲げて灰依慧が飛び起きる。
「……? ……っ!」
「おはよう、灰依慧」
苦痛に呻く灰依慧に、朔夜はにこやかな笑顔で言った。
「……ひでぇ……」
良がつぶやいた言葉はもちろん無視。
「さあ、サクサクいこうぜ」
「わ、わかったわ。みんなの分のお昼ご飯も用意したから、食べながらゆっくりと話しましょう」
ぐぅぅぅ……
「ごはーん」
ご飯の一言に朔夜と灰依慧の腹が鳴り、結の抱いている子供はばんざいをして喜ぶ。
「……」
腹を鳴らしてしまったてまえ何も言えず、朔夜は先に部屋を出た良たちのあとを無言でついていく。
途中で雛姫と悠も加わり、一行は食卓につく。
「ちょっと狭いけど、まぁ、がまんしてくれ。その分料理はうまいからからさ」
「はぐはぐはうっ」
よほどお腹が減っていたのか、それともただ単に食い意地がはっているだけなのか、雛姫は言われるまでもなく、テーブルの上にところ狭しと並べられた料理にかぶりついていた。
それをチョップなどで適当に制止しながら、朔夜が本題に入る一言を言う。
「さあ、おちついたところで話してもらおうか。俺たちが、なぜこんなわけのわからない場所にいるのか」
「先に言っておくけど、僕たちも全部わかっているわけじゃないからね。元の世界――テラからこっちにきてまだ四年だから――そう、四年前、先に僕が、少し遅れて結がこっちの世界にやってきたんだ。最初は僕たちもわけがわからなくてね。でも、お互いに助け合っていくうちに……」
しゅっ
「お前と結の馴れ初めはいいから、真面目に話そう。な?」
朔夜にナイフをのど元に突きつけられながら睨まれ、良はコホンと咳払いをしてその話を始めた。
「僕たちや朔夜たちがこのアナザー・テラと呼ばれている世界に来た理由。それは人と人との繋がりが切れてしまったからなんだ」
「人との繋がりが切れる?」
その曖昧な言葉の意味がわからず、オウム返しに問いかける。
「人との繋がりっていうのは、例えるとね、登山ロープのようなものなの。誰かが支えてくれているからこそそこにいることができるけど、切れてしまえば……」
と、結が手で落ちるという意味のジェスチャーをする。
「心当たりはない? 自分たちがこっちの世界に来る前、まわりの人たちが自分の存在を忘れていかなかった? 自分の存在を否定しなかった?」
言われて、全員が、そうであったと気がついた。
「つまり、自分を否定するってことが、そのまんま存在の否定になって、本当に消えてしまうってことか?」
「そういうことだろうね」
朔夜の答えに、良がこくりとうなずく。
「神羅の考えていたことは間違いではなかったんですね……でも、それだとほとんどの人が消えてしまうことになりませんか? 人は誰しも不安を抱えて生きています。特に、僕たちのような人間は。受験や将来、それに恋愛。人生に対する不安でいっぱいのはずです」
「……絆……」
結がぽつりとつぶやくように言った。
「絆?」
「絆が強ければ繋がりも強い。簡単に切れたりしないの。でも、その分切れたときの反動も大きいわ。あなたたちみたいに連鎖的に消えてしまったり……あたしの場合は……勉強ばかりしていて、友達って言える人、いなかったから大丈夫だったみたいだけど……」
「そうか……」
そこまで話を聞いたあと、朔夜はようやく一口、料理に口をつけたが、腹が減っているはずなのに食欲が出ず、あとが続かない。
「……そういえば神羅がこなかったか? こっちの時間の流れではどのくらい前になるわからないが、そう前のことじゃないと思うんだが」
「仙岳寺神羅? 彼なら二ヶ月ほど前に来たけど……すぐに旅立ったわ。元の世界に戻るために」
「元の世界に戻る方法があるのか!」
おもわず声を大きくしてしまい、結の隣りに座っていた子供がびっくりして泣きだしそうになる。
それをなだめようとする結と雛姫を視界のはしで見ながら、朔夜はバツが悪そうに声を抑えてもう一度良に訊いた。
「……言い伝えでは、この世界の果てにあるといわれている塔だかお城だかにいけば神様が現れて元の世界に戻してくれるって話だけど……あくまで言い伝えだからね」
「他には?」
「……元の世界にいる人たちが自分たちの存在を思い出し、絆を回復させてくれればあるいは……」
「望み薄な話だな……」
結局、朔夜はほとんど料理に手をつけないまま、食事の時間は終わってしまった。
「なあ朔夜、別にもとの世界に戻らなくてもいいんじゃないか? 旅に出ようが出まいが、しばらく生活できるだけの援助が受けられるんだからさ。僕たちも今ではこうやって幸せに暮らすことができているわけだし……」
二人っきりになったあと、良が朔夜に言った。
しかし、朔夜は、
「戻らなきゃいけないんだ、神羅を連れて。元の世界で俺たちの帰りを待っているやつがいるんだ」
苦笑して、神羅の妹、栞の事を話す。
「そうか、なら止めはしないよ。朔夜の思う通りに進めばいい。がんばれよ」
「ああ。それと……悪いんだが、俺たちが倒れていたっていう場所。元の世界とこちらの世界を繋ぐゲートがある場所へ案内してくれないか」
「わかった、案内するよ」
良は笑って席を立った。
まるで、自分ができなかったことを朔夜に託すかのような笑顔だった。
「ほら、ここがそうだよ」
「うーん……」
朔夜は唸りながら公園の中を見回した。
いくつかのベンチと中央に雄々しく立った巨大な樹。
特に変わったところのない普通の自然公園だった。
「何か秘密があるとすればこの樹だとおもうんだけどな……」
雛姫たちが公園の中を散歩し始めるなか、朔夜は生い茂った芝生の中に入り込み、大樹を調べ始める。
「無駄だと思うよ。今まで何人もの学者や魔道士たちが調査、研究したけど、何かわかったっていう報告の記録はないから……」
「なにぃ! 魔道士! この世界では魔術が使えるのか?」
目をキュピーンッと光らせて、朔夜が良の方を見る。
「簡単な火を出したり水を出したりする術ならたいていの人は使えるけど、ゲームみたいな術は修行しないと使えないよ。ま、町の外に出ない限り、そんな魔術を使う機会なんてないけどね」
「ということは、町の外では魔物なんかが出ると?」
「あと、盗賊とかね」
ふむ……こっちの世界はかなり物騒みたいだな。
魔術は戦いだけじゃなくて、野宿のときに飲み水や焚き火の火種を用意するのにも役立ちそうだな……よし、あとで教えてもらうとするか。
オカルト好きの朔夜にとって、魔術が使えるという事実は、まさに夢のようなことであった。
「あ……」
「なんだ? 何か見つかったのか?」
「いや……ゲートが開く」
「は?」
キュィィィィィィッ
奇妙な音とともに、朔夜のはるか頭の上、大樹の枝の辺りの空間が歪んだ。
「うにゃあああっ?」
「う、うわっ」
空間の歪みから放り出された少女は朔夜に向かってまっすぐに落ちてくる。
朔夜は受け止めようか逃げようか、一瞬ためらった。
その一瞬が命取りになり、朔夜は少女に押しつぶされてしまった。
「ぐぇ……」
「はわわっ、ご、ごめんなさいっ」
少女はあわてて朔夜から降りる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……あ……朔夜さん?」
「……栞?」
「えっ? 栞ちゃん?」
朔夜の声を聞きつけて、公園の中を散歩していた雛姫たちが大樹の前に集まってくる。
その場所に現れていた少女は、まぎれもなく、仙岳寺栞だった。
「う……」
「う?」
「う……うぁぁぁん、ざぐやざぁぁぁん!」
「うっ!」
栞の細い腕が朔夜の首に食い込む。
「一週間もどこに行っていたんですか? 雛姫さんや悠さんや灰依慧さんもいなくなって……」
「……」
「何か言ってください、朔夜さん!」
「栞ちゃん栞ちゃん」
朔夜の代わりに栞に呼びかけた雛姫に、栞は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を向ける。
「雛姫さん……」
「朔夜が白目むいてるよ?」
「にゃ……? にゃあああっ?」
ようやく自分が朔夜を殺しかけていることに気がつき、栞が叫ぶ。
「はわ、はわわ」
「大丈夫、朔夜はあの程度じゃ死なないよ」
「……うっ」
雛姫の言葉通り、悠に気付けの一撃をくらわされ、気絶していた朔夜が目を覚ます。
「よ、よう、栞、元気か?」
「は、はいっ、元気ですっ。朔夜さんは元気じゃないみたいですけどっ」
「ははは、誰かさんに想いっきり首を絞められたからな」
「はぅぅ……ごめんなさいです……」
酸素不足で混乱する朔夜とそれ以上に混乱している栞の奇妙な会話。
「気にするな、ぜんっぜん大丈夫だからな」
そう言ったあと、朔夜は栞の体を引きよせ抱きしめる。
「謝らなきゃいけないのは俺のほうだ。神羅を助けてやるなんて大口たたいて……今度は俺たちまで消えてしまって、栞をまた一人ぼっちにさせてしまったんだからな……」
「すごく……心配したんですよ……?」
「悪ぃ……」
朔夜は静かに泣く栞の頭を、なだめるようになでる。
「……朔夜ってやっぱりロリコン?」
二人から少し離れた場所で、その光景を見た悠が雛姫に耳打ちして訊いていた。
「違うよ……栞ちゃんは朔夜にとっても妹なんだよ……」
「は? どういうこと?」
重ねて問いかけるが、雛姫はそれ以上答えず、ただ黙って二人を見守るだけだった。
「栞……気づいているとは思うが、ここは地球じゃない。異世界だ。そして、神羅もこの世界にいる」
「はい」
朔夜の話に応えた栞の声からは、不安の色は消えていた。
「俺たちは神羅を探しに旅に出るつもりだ。栞も……一緒に行くか?」
「……もう待っているだけなのは嫌です。私も行きます」
「――と、いうわけだ。みんなも異存ないよな?」
「あったりまえだよ。勉強しなくてもいいのは嬉しいけど、濱屋のザッハトルテのない世界なんて嫌だよ! ね、灰依慧」
「僕は悠さんについていきますよ。どこまでもね」
「……」
朔夜の問いかけに、旅立つ意思をはっきりと表す悠と灰依慧。
「雛姫は?」
「……一人だけ残っても意味がないよ。それに、朔夜にはデラックス・イチゴヨーグルトパフェ奢ってもらわなきゃいけないもん」
「ぐぁっ……覚えてたのか……」
小悪魔的な笑顔に、朔夜が小さく呻く。
かくして、五人全員が元の世界目指して旅立つことを決めたのだった。
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