絆〜don't forget〜 第一章 「鎖」 第二節
次の日の放課後、朔夜はいつものメンバーを連れて、学校近くの公園にやってきていた。
結局、昨日の夜、そして今日になっても神羅の行方はわからないままだった。
「朔夜ぁ、こんなところにつれてきて何するの?」
「いいから――おーい、栞、来てるかー?」
朔夜が名前を呼ぶと、遠くのベンチに座っていた少女が、朔夜たちに気づき、駆け足でかけよってくる。
「あの……綾部朔夜さん……ですか?」
栞は大きなポニーテールを上下に揺らしながら、昨日と同じ声とセリフで訊いてきた。
思えば、電話越しなどでは話したことはあったが、面と向かって会うのはこれが初めてだったと朔夜は思った。
「ああ、俺が朔夜だ」
「……朔夜さぁん!
「う、うわっ、ちょっとまて栞っ!」
朔夜がうなずくと同時に、栞はおもいっきり朔夜に抱きついた。
「さ、朔夜……そういう趣味があったの?」
「ちがう!」
「じゃあこの娘だれ?」
「神羅だ! 神羅の妹だ!」
「なんだ、神羅の妹か。ちぇっ、おもしろくないの」
「うぇっ……お姉ちゃんたちもお兄ちゃんのこと覚えているの……?」
ん……?
灰依慧はその栞の言葉に、かすかな違和感をおぼえた。
栞はなぜか『知っているの……?』ではなく、『覚えているの……?』と訊いたのだ。
「どういうことですか?」
今度は灰依慧が訊きかえした。
「栞……辛いかもしれないけど、もう一度話してくれないか」
「はい……」
言われて、栞は昨日、朔夜に話した話をもう一度話し始めた。
「三日前……お兄ちゃんが突然行方不明になったんです。最初はバイトが忙しくて帰りが遅くなっただけかと思ったのですが……でもそんなときは必ず遅くなるって連絡してくれたから……変だなって思ってバイト先に連絡してみたんです。そうしたら……そんな人はウチでは働いていない、見たことも聞いたこともない、って……」
「なにそれ? なんだか神羅がはじめっからいなかったような言い方だね」
まだ事態が飲み込めていないのか、それともただ朔夜の悪戯だと思っているのか、悠はいまだマイペースのままだった。
「そうだよね、辞めたのなら辞めたって言うだろうし……まさかっ、ヤのつく自営業の人たちに拉致られて、コンクリ詰めにされて……」
ガンっ。
「うにゅう……」
余計な一言で栞が泣き出しそうになるのを見て、朔夜が雛姫をどつき倒す。
「お、俺も不思議に思ってな、昨日と今日、神羅を探してみたんだ」
「それで昼休みに教室にいなかったんですね」
「ああ……で、わかったことなんだが」
朔夜は話をやめ、栞の方を見た。
覚悟はできています。
声に出しこそしなかったが、栞の目はそういっていた。
「学校の名簿から仙岳寺神羅の名前が消えていた。先生やクラスメイトの記憶からも一緒にな」
「それって、神羅の存在そのものがこの世から消えたって言っているみたいね」
「みたい、じゃなくて、そう言っているんだ」
「バッカじゃないの? そんなことあるわけ……」
「なら、神羅のことを思い出してみろ」
「神羅のことを……?」
言われて悠は神羅のことを思い出そうとする。が――
「……あれ?」
「おかしいだろ? 確かに、悠たちは神羅のことを詳しく知っていたわけじゃない。けど、クラスメイトであった以上、ともに過ごした時間があって、ともに築いた想い出だってあったはずだ。なのに、それがところどころ抜け落ちて空白になっている。記憶の失い方には個人差があるみたいだが……もしかしたら……神羅のことを覚えているのは俺たちだけかもしれない」
「っ……」
やはり幼い少女にとってその事実は重すぎたのか、栞はまた泣き出しそうになって、それを必死に堪えようと朔夜の腕に顔をうずめるように抱きついた。
朔夜は身をかがめて、悲しみに耐えようとしている栞を抱きしめ返し、そっと頭を撫でる。
かつて、彼女の兄が、彼女が泣いているときにしていたように。
「話はまだ終わりじゃない。続きがある」
「続き…・・・ですか?」
「今、俺たちの学校は何人くらいいるか知っているか?」
「えっと……全校生徒で五百六十四人。殺しって語呂がよかったから覚えてるもん」
「ヤな覚え方だな……それはともかく、俺の記憶でも五百六十四人のはずだ。だけどな、今日俺が調べた結果、桜水学園の生徒は四百九十七人。神羅の分抜いても、少なくとも六十六人の人間が消えていることになる」
「でも……でも……」
「雛姫、昨日自分で言っていたこと忘れたか?」
「私が昨日言っていたこと……? あっ」
しばらく考えたあと、雛姫はようやく自分の感じた異変を思い出す。
「そう、雛姫はこう言ったんだ。『このクラスってこんなに人数少なかったっけ?』ってな。そりゃそうだ、うちのクラスは特に多く、八人が消えていたんだからな。へたすりゃ桜水学園だけじゃなく、世界中から人間が消えてしまっているのかもしれないのかもな……」
「ねぇ……私たちも消えちゃう、なんてことはないよね?」
ようやく事態が飲み込めてきたのか、悠はおそるおそる訊いてみた。
「……その可能性は否定できない」
きっぱりと言い放った朔夜の言葉に、その場にいた全員が言葉を失った。
さらに、考えることが多すぎて、雛姫が混乱し始めた。
「なんで……いや……いやだよっ! 私は消えたくなんかない!」
「おちつけ雛姫。まだ消えてしまうと決まったわけじゃない。俺たちにはやるべきことがあるんだ!」
「やるべきこと……?」
冷静な朔夜の言葉で我に返った雛姫だったが、それでもまだ、小さな体は見えない恐怖に震えていた。
「なぜ人が消えてゆくのか、なぜ俺たちだけが神羅のことを覚えているのか。俺たちが調べなければならないんだ。ほかにはまだ、誰も気がついていないみたいだからな」
「でも朔夜、具体的には何をすればいいんですか?」
「そうだあああ……まずは神羅のことを調べてみようと思う。消えてしまった人間の中で、俺たちに一番近しい人間だからな」
朔夜は抱きしめたままの栞の頭をもう一度撫でる。
「栞、神羅の部屋を見せてくれないか。何か手がかりになるものがあるかもしれない」
「……はい」
栞は朔夜の制服の袖で涙と鼻水を拭き、ゆっくりと体を離した。が、
「あの……手、つないでいてくれますか?」
「……わかった」
朔夜は、栞が離さなかった小さな手を力強く握り返した。
そして、五人は栞を先頭にして、神羅の住んでいた家に向かう。
「――ここが私たちの家です」
歩くこと約十分。
朔夜たちは一軒の家の前にたどり着いた。
あれ? 表札が仙岳寺じゃなくて上神になっているぞ?
「どうぞ、上がってください」
しかし、その疑問は栞に声をかけられたことによって打ち消され、少しではあるが神羅の家庭の事情を知っている朔夜はその疑問についてそれ以上追求する気にはなれなかった。
「お、おじゃまします……」
五人は靴を脱いで家の中に上がりこむ。
そこは少し薄暗く、誰かが生活しているという気配が希薄な世界だった。
「静かだな……」
「あ、はい。夏樹さんはまだ寝ていると思いますから」
「夏樹さん?」
「なんや栞、帰ってきとったんかいな」
朔夜の問いかけに栞が答えるよりも早く、すぐ隣の部屋から一人の女性が顔を出した。
「お……」
その女性が身に着けていたのは下着とパジャマ代わりであろうだぼだぼのワイシャツだけで、朔夜の視線はおもわずその姿に釘付けになってしまう。
「おー、なんや、栞の男かいな?」
夏樹は栞が朔夜と手をつないでいるのをめざとくみつけ、からかう。
「ち、違いますよ。朔夜さんたちはお兄ちゃんの友達で……」
「へぇ、珍しいな。神羅のダチが家にくるなんて初めてやないか?」
「そ、そうですか」
夏樹の口から神羅の名が出たことで、朔夜は少し戸惑ってしまう。
そんな朔夜を獲物を見定めるように観察し、
「あんた、なかなかええ男やないか。どや? ウチとええことせぇへんか?」
「あ……いや、俺は……」
「ん? ああ、彼女がおるんか」
「私は別に彼女ってわけじゃないですけど……」
慌てて否定する雛姫だったが、その顔は真っ赤になってしまっている。
「よう見たらもう一組おるやないの。ウチはべつに気にせぇへんで、3Pでも5Pでも。栞はまだ小学生やからな、手ぇだしたら犯罪やでぇ。まだ下の毛も……」
「み、みなさん、お兄ちゃんの部屋に案内しますので!」
「お、おう」
「あ、栞、ウチそろそろ出勤するさかい。神羅がみつかったら店のほうでかまわんから連絡してやー。ほな」
栞が朔夜たちを二階に連れていこうとすると夏樹はそういって、着替えるためドアを閉めた。
「……あの人も神羅のことを覚えているんだな」
「ええ、一応は……」
「ずいぶん若いみたいだけど、姉ちゃんか?」
「叔母です。私たちの両親は昨年亡くなってしまって……今は夏樹さんが保護者なんです」
「悪ぃ……」
「いえ、いいんです。もともと、両親はほとんど家にいませんでしたから……正直、あんまり亡くなったっていう気がしないんです。それに、夏樹さんっておもしろいひとですから。叔母さんって呼ぶと怒りますけど」
笑顔でいう栞。
だがやはり、その声には隠しきれない寂しさが現れていた。
そうだよな……親失って、今度は神羅まで……寂しくないはずなんかないのに……
朔夜はその寂しさを少しでも紛らわせようと、栞の頭をぽんぽんと叩いた。
「朔夜って何かをかわいがるとき、いつも頭なでたりするね」
「朔夜はいっぱい猫を飼っているから。かわいがるっていったら、まず頭をなでる癖があるんだよ。私もずいぶんやられて頭が……」
雛姫はなでられすぎて少し薄くなった頭に手を当てる。
「――ここが兄の部屋です」
階段を上がりきり、短い廊下の一番奥、そこが神羅の部屋だった。
栞はそっとドアノブに手をかけ、一呼吸おいてからドアを開ける。
部屋はそれほど広くもなく、五人が中に入ると狭いと感じるほどだった。
「……あいつ、音楽なんてやってたんだな」
朔夜はベッドの上に置きっぱなしになっていたギターを手にとり、もう一度部屋の中を見回した。
部屋の中にあるものは机と本棚、ベッド、そして朔夜が今手に持っているギターだけだった。
「これじゃあ手がかりになるものはないかも……」
「そうだな……栞、神羅がいなくなると同時に何か変わったことはなかったか?」
「誰かの記憶の中からお兄ちゃんの存在がなくなっていったこと以外は特に……」
「じゃあ、神羅はいなくなる前に何か言ってなかったか?」
「えっと……」
栞は神羅がいなくなる前のことを思い出そうとするが、記憶にはもやがかかり、神羅の大きな手や、笑顔は思い出されるものの、細かな言動ともなるとはっきりと思い出せないでいた。
「うぇ・・・」
兄との思い出が消えてゆくことに恐怖を覚えた栞が、また泣き出しそうになる。
「栞、大丈夫だ。神羅との記憶はまだ消えていない。救えるんだ! だから泣くな、落ち着いて思い出すんだ」
「はい……」
朔夜に励まされ、栞はもう一度、神羅のことを思い出そうとする。
その後ろで。
「ギター背負った間抜けな格好でなにかっこつけたこと言ってるんだろうねぇ」
「間抜けな格好でわるかったなぁ……!」
悠のつぶやきを聞き逃さず、朔夜がギターを振りかぶる。
「ノー! ノー凶器! ひ、卑怯だよ! ギターを武器に使うなんて!」
「黙れ……」
「ギター……音楽……そうだ!」
何かを思い出したのか、栞は本棚に向かい、中から一冊のバインダーを取り出した。
「それは……?」
「お兄ちゃんが作った楽譜をためているバインダーです。お兄ちゃん、いつも言っていたんです。何かつらいことがあったらオレの歌を思い出せって……それに、お兄ちゃんはいつも思いついたこととか、このノートに書きとめる癖がありましたから」
そういって栞はバインダーを開き、
ぱらぱらとページをめくってゆく。
はらり。
と、そのうちに一枚がバインダーからはずれ、床に落ちた。
それはほかのルーズリーフとは違い、間に挟んであった便箋のようだった。
朔夜はそれを手にとって見る。
「……栞。これ……」
便箋に目を通した朔夜は、今度はそれを栞に渡した。
「朔夜さん……」
それは、神羅が栞にあてた手紙だった。
「栞ちゃん、なんて書いてあるの?」
「い……今読みます……」
――この手紙を誰かが読んでいるということはおそらくオレはもうこの世に存在していないのだろう。読んでくれているのは栞か夏樹か、そうでなければ俺にとって、唯一の友といえる朔夜だろう。もっとも無効はそうは思ってくれていないかもしれないが。最近、オレは何かがおかしい。自分の存在が希薄にしか感じられないのだ。このご時世だから、自分自身を見失うということもあるかもしれないが、そんな生やさしいものじゃない。だが、ここに書き記すには言葉が足りない。どう表現していいかわからない。とにかく、今言える事はオレ自身が存在しなくなってしまうのではないかと思えてしょうがないのだ。もしオレの存在が消えてしまったら、栞はどうなってしまうのだろうか? きっと泣いてしまうに違いない。栞、もしお前がこれを読んでいるのなら、いつも話していた綾部朔夜という男を訪ねろ。そして朔夜、オレのわがままな頼みを聞いてほしい。おせっかいなお前なら頼まれてくれると信じている。栞を助けてやってほしい――今感じている不安がオレの気のせいであることを願ってここに記す。六月二十三日、仙岳寺神羅。
「朔夜さん……」
栞の目からは、神羅の残した手紙を読み終えると同時に、それまで堪えていた涙がこぼれ落ちてしまっていた。
「神羅は……自分が消えてしまうことがわかっていたみたいだね……」
「日付は六月二十八日。神羅さんが学校に来なくなったのがそのころだから、消えてしまう直前に書いたみたいだな……」
朔夜はしゃがんで、栞と目の高さをあわせる。
そして、その目を真正面からみつめて言った。
「安心しろ栞。神羅は俺たちが必ず助ける。だから、もう泣くな」
栞は朔夜の目をみつめ返し、無言でうなずいた。
「はぁ……」
「どうしたの悠?」
悠のため息に、雛姫は不思議そうに顔を覗き込む。
「朔夜の言う『俺たち』の『たち』には、やっぱりボクたちも入っているんだろうな〜……って思っただけだよ」
「しょうがないよ。朔夜を手伝おう」
「それに、栞さんのためですからね」
「そうだね、栞ちゃんのためだもんね。朔夜、バイト代はちゃんと出してもらうからね」
次の瞬間、朔夜のツッコミチョップが悠の頭に直撃したのは言うまでもないことだった。
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