絆〜don't forget〜 プロローグ

 「あれ?」

  最初に異変に気がついたのは一人の少女だった。

  いや、おそらくは、少女よりも早くその異変に気がついたものもいただろう。

  だが、その者たちはもうこの世界にいない。

 「このクラスってこんなに人数少なかったっけ?」

 「あ?」
  あまりにもボケた雛姫ひなきの疑問に、朔夜さくやは間抜けな声を出してしまった。

 「雛姫……前々からボケているとは思っていたが……天然じゃなくて痴呆だったのか?」

 「うあ、何気にひどいこといってるよ……そうじゃなくて、、いつもより静かだからそう思っただけだもん」

 「まあ、確かに静かだな]

  朔夜は一度辺りを見回し、そう言った。

  いつものこの時間なら、購買の焼きそばパンを求めて走る音や、叫び声が聞こえてくるはず。

  だが、その日はそのような喧騒が聞こえてこない。

  ただ蝉の合唱が初夏の熱気に乗って聞こえてくるだけ。

  教室にも廊下にもまばらにしか人はおらず、昼休みにしてはあまりにも静かだった。

 「今日はたまたま食堂に行っているやつが多いだけだろ」

 「でも、最近日直の仕事が回ってくるのが早いような気がするし……」

 「嫌な仕事ってのはそう感じるものだ。現に今俺がそう感じている」

  日誌に適当にシャープペンを走らせながら朔夜が言う。

 「そういうものかなぁ……? あ。そうだ。朔夜、今夜ねぇ……」

 「わりぃ、後にしてくれ。今はこいつを片付けたいんだ。気持ちよく飯が食いたいからな」

 「うぅ……朔夜がいぢわるだよぅ……」

 「ちょっとくらい話を聞いてあげなよ。わざわざこのボクが代わりにジュースを買いに行ってあげてるんだから]

 「そうですよ、少しくらいは……」

  と、そこに髪をショートカットにしたボーイッシュな女子生徒と、フレームのない、薄手の眼鏡をかけた細身で長身の男子生徒がやってきた。

 「じゃあ、俺の代わりに日誌書いてくれるか?」

 「で、何の話なの、雛姫」

  くそっ、ゆう灰依慧かいえのやつ、思いっきり逃げやがったな。

  朔夜はそう思ったが、つっこむのも面倒くさく、そのまま日誌の続きを書くことに専念する。

 「今夜何かあるんですか?」

 「えっとね、今日の夜、特番あるんだよ」

 「あ〜、あの番組ね。超能力とか心霊とか……」

 「なにっ!? お前達もあの番組見る予定なのかっ?」

  日誌を書いていたはずの朔夜が、シャープペンの芯を激しく折りながら、強引に話に割り込んでくる。

 「そ、そうだけど……」

 「はっはっはっ、俺はあの手の番組はかかさず見ているぞ!ついでに標準で録画!!」

  たいした意味もなく、拳を天井にむかって突き上げながら叫ぶ朔夜。

 「そういえば朔夜ってオカルトとか好きだもんね]

 「おう、俺の脳みその中には陰陽術から天使まで、古今東西のオカルトの知識が詰まっているぜ!」

 「やな知識ね]

  テンション高まりっぱなしの朔夜から目をそらし、さっさと弁当箱を広げた悠がぼそりとつぶやく。

  その小さな声を、朔夜は聞き逃さなかった。

 「なにおぅ!! 考えても見ろよ。もし魔法が使えたら。いきなり異世界に召喚されて勇者様扱いなんかされたら――楽しいじゃないか」

 「そんなの考えている暇があったら勉強したら?」

  悠のもっともな意見に、しかし朔夜は余裕の表情で、

 「ふっ、俺の記憶が正しければ……勉強が必要なのは悠の方じゃなかったか?」

 「うっ」

  悠が小さくうめいて箸を止める。

  悠の成績は決して悪い方ではないのだが、定期テストでいつも順位一桁の朔夜と比べるとどうしようもなかった。

 「朔夜は頭がいいですからね。仕方ありませんよ」

  ちなみに、雛姫と灰依慧も成績は三十位以内をキープしている。

 「そうだよね〜、朔夜って何気に賢いぐぅぇっ!?」

 「ひ〜な〜き〜!『何気に』とはなんだ、『何気に』とは」

  雛姫の一言に過剰に反応し、朔夜は雛姫の首を締め上げる。

 「朔夜、ほどほどにしておかないと雛姫さんが死んじゃいますよ?」

  いつものほがらかな笑顔のまま、灰依慧が悠の席に自分の机をくっつけ、弁当箱を広げる。

  さして慌てた様子もない灰依慧と悠から、朔夜が雛姫の首を絞めるというその光景が日常的なものだとわかる。

 「うにゅう……」

 「さてと、飯でも食うか」

 「うぅ……朔夜がいぢわるだよぅ……」

 「エビフライやるから許せ」

 「ふぇっ? 本当? じゃあ許す」

  ……あいかわらず単純な奴。

  幼馴染である朔夜にとって、雛姫の機嫌をとるのは、難しいことではなかった。

 「よかったね〜、雛姫」

   「うん」

  悠に頭を撫でられながら、まるで子供のようにはしゃぐ。

   「エビフライ〜、エビフライ〜♪」

    雛姫はわけのわからない歌を歌いながら、自分の弁当箱と朔夜の鞄の中から取り出した弁当箱を机の上に並べる。

 「人の鞄を勝手にあさるなよ……」

 「……朔夜」

 「なんだ? 新しいボケでも思いついたのか?」

 「ち、違うよ〜。ただ……」

  雛姫が何かを言いづらそうにしているのを見て、朔夜はあることに気がついた。

  雛姫の弁当箱に潜む緑色の物体。

 「俺にそのピーマンを食えと?」

  上目づかいに朔夜をみつめながら、雛姫は無言でうなずく。

 「ったく、いつまでたってもお子様なやつだな、お前は」

 「うー、嫌いなんだからしょうがないでしょ……それに、私はお子様じゃないもん。ちゃんと成長してるもん」

 「六十八のAがか?」

 「……?」

  しばらく、何のことかわからず、タコウインナーを頬張る雛姫。

 「……うにゅうぁあっ! それ私のバストサイズ!? 何で朔夜が知ってるの!」

 「うわっ! 汚っ!」

  雛姫の叫び声とともに、タコウインナーの肉片を顔面に浴びてしまう朔夜。

  悠と灰依慧はまるでそうなることがわかっていたかのように、一時的に机を遠ざけて避難していた。

 「雛姫、落ち着きなさい」

 「でも……」

 「大丈夫、雛姫の胸が小さいことくらいみんな知ってるから」

 「はみゅううぅんっ!?」

  悠から痛恨の一言をくらい、雛姫が泣き叫ぶ。

 「でも、朔夜はどうして雛姫さんのバストサイズを知っていたんですか?」

 「見れば大体どのくらいかはわかるさ。そうだな……悠、お前は――七十九のCってところか」

 「ほう、正解です」

 「ははっ、中学の時は一部から『人間メジャー』とかヘンなあだ名で呼ばれていたぐらいだからな」

  半ば自嘲気味に、半ば得意気に話す朔夜。と、

 「……なんで灰依慧は悠のバストサイズを知ってるの……?」

  いまだダメージが回復していない雛姫が、机に突っ伏したままうめくように訊いた。

 「あ……」

  灰依慧が初めてしまったという顔をして一声漏らし、悠はうつむいて黙ってしまう。

  そのあとを長いようで短い沈黙が辺りを支配した。


  ピンポンパンポーン。


  その沈黙の終わりを告げたのは、無機質なデジタル音のチャイムだった。

 『二年四組、仙岳寺。仙岳寺神羅せんがくじかぐら。至急生活指導部魔で来なさい。繰り返します――』

 「ちっ」

  小さく舌打ちをして、朔夜たちの近くに座っていた一人の男子生徒が立ち上がり、そっと教室を出て行った。

 「か、神羅何かやったのかな? 先週も呼び出されてたよ。ケ、ケンカでもしたのかな?」

  先ほどの灰依慧の不用意な一言のせいか、悠が顔を真っ赤にしてわざとらしく話しをそらす。

 「悠……顔がトマトみたいだよ?」

 「……」

 「……うぐっ」

  話しを元の路線に戻しかける雛姫を危険とみなし、悠は無言で口にご飯を詰め込み、無理矢理雛姫を黙らせる。

 「神羅はケンカなんかするやつじゃねぇよ。確かに外見は少し悪っぽいけどな。あいつ、学校に無断でバイトしてるんだよ」

 「あれ、朔夜って神羅と仲良かったっけ?」

 「まあ、いろいろとな。俺とあいつは似たような境遇だから」

 「ああ……」

  灰依慧が一言言って、口をつぐむ。

 「何?なんなの?」

  朔夜の表情の中に微妙なかげりを見た悠は、直接朔夜には訊かず、灰依慧に小声で訊いてみる。

 「……親がいないんですよ。朔夜は母親が、神羅さんは両親ともに。神羅さんは今、叔母さんのところにお世話になっているそうです」

 「そうだっけ……」

  そのことに気がつかなかった自分自身に、悔しそうな顔をした。

 「……」

  何も言わなくなった朔夜と灰依慧。

  何も言えなくなった雛姫と悠。

  やばいなぁ……

  悠は自ら作り出したその空気をどうにかしようと頭を悩ませていた。

  朔夜本人はまったくといっていいほど気にはしていなかったのだが。

  ……よしっ!

 「うー、もったいないよね」

 「何が?」

  テンションのおかしい悠の言葉に、朔夜がいぶかしげに訊き返す。

 「だってさー、神羅っていい顔してるんだよー。もっと明るくしゃべれば女の子にもモテるのにねぇ」

 「そんなことを言っていると灰依慧が泣くぞ」

 「ちょっと朔夜……」

  灰依慧が何か言いたそうにするが、朔夜はそれを無視。

 「大丈夫、大丈夫。ボクは浮気しないタイプだから」

  場の雰囲気を取り戻そうと一生懸命な悠は、その台詞が朔夜たちには隠そうとしている、灰依慧と付き合っている、ということをばらしてしまっている事に気がついていない。

 「朔夜ぁ、早くエビフライちょーだい」

  悠に詰め込まれたご飯をようやく飲み込んだ雛姫が、朔夜にエビフライを要求する。

 「おお、そうだったな。ほれ、あ〜ん」

  笑顔で甘える雛姫に、朔夜はエビフライをちらつかせながら、口をあけるようにうながす。

  雛姫は朔夜の箸から直接エビフライを口にし、

 「もぐもぐ――はぐうっ!?」

  が、次の瞬間、雛姫の笑顔が崩れ去った。

 「ぴ……ぴーまん……」

 「ふっふっふっ、ひっかっかたな。俺がエビフライの中身をピーマンに詰め替えていたのに気がつかなかったのが、貴様の敗因だっ!」

 「ひ、ひどひ……」

 「あ〜カワイイ。本当にカワイイやつだよ、お前は」

 「はうう……嬉しくないよぅ……」

  大嫌いなピーマンを口にしてしまい、もはや虫の息の雛姫。

 「雛姫」

  そんな雛姫を抱き起こし、朔夜はそっと口付けをする。

 「……」

  その光景に、おもわず言葉をなくしてしまう悠と灰依慧。

 「……ん? んにゃあっ!?」

  瀕死の状態から脱し、雛姫はようやく朔夜のしている行為に気づいた。

 「いや……ご飯粒がくっついていたから……どうでもいいけど雛姫、お前叫びすぎ……」

 「朔夜のぶぁかぁっ!!」

 「ぐぇふっ!」

  雛姫の鉄拳がまともに朔夜の顔面をとらえる。

 「ってー……女がグーでなぐるかフツー……」

 「知らないもん! 朔夜が悪いんだもん!」

 「そう、朔夜が悪い」

 「なんだよ悠まで」

 「朔夜はもう少し乙女心を知った方がいいですね」

 「灰依慧まで……」

  ふんっだ、殴られたのもお弁当にピーマンが入っていたのも、ぜーんぶ朔夜が悪いんだもん。

  人の気も知らないで……朔夜のバカ、朴念仁。

  雛姫はふてくされたまま自分の弁当箱のピーマンと朔夜のエビフライを入れ換える。

 「セクハラ」

 「お、おいっ! 俺にとって雛姫はペットのようなものなんだぞ」

 「性奴隷ペットって……」

 「うずらぁぁっ! 今、勝手にヘンな当て字をつけただろう! 犬や猫みたいなもん! よく、うにゅう、とか鳴くし!」

 「うにゅう、私、鳴かないよ……」

  本日何度目化のうにゅうに、雛姫以外の三人がため息をついた。

 「とにかく、俺がやっている行動は、猫をねこじゃらしでからかっているようなものなんだよ。ガキのころからずっと、ほぼ毎日続けている日課なんだ。いまさら辞められるわけないだろ」

 「そんなの日課にしないで……」

  朔夜の行動を嫌がっているような雛姫だったが、真に嫌がっているわけ打破なかった。

  悪戯も、時折見せる優しい笑顔も、全てひっくるめて朔夜のことが好きだったから。

  しかし、知らず知らずの内に出しているその雰囲気は朔夜に伝わることはなく、逆に悪戯を助長していることに、雛姫は気がついていなかった。

 「……つまり、好きな女の子をいぢめたくなるっていう男の子の習性ってことでいいのかな?」

 「さあ? 朔夜のことですから、本当に何にも考えていないんじゃないですかね。朔夜の、雛姫さんどころか、他の女性に関しても浮いた話しは聞いたことがないですから」

  朔夜と雛姫に聞こえないよに小声で話す悠と灰依慧。

 「でもさ、自分の気持ちに気づいていないだけかも」

 「あ〜、それはありそうですね」

  二人の見守る中、朔夜は雛姫をからかい続けるのだった。

[第一章一節へ]
[TOPに戻る]
絆〜序章〜