巨大炭住
 三井美唄の風景



昭和35年三井美唄の全景→大きい写真はこちらです。
   美唄鳥瞰図の右半分です。
拡大(347KB)
 
別ウィンドウが開きます。ちょっと重いかも
三井美唄の平面図→拡大 三井美唄の鳥瞰図  

三井美唄炭鉱は昭和3年に開業して昭和38年に閉山
大正4年から操業している三菱美唄と比べて、その歴史は短く、また閉山も早かったため
炭鉱としての資料があまり残っていません。
 しかし、三菱美唄や夕張地区などの炭住がほとんど形が残っていないのに対し、三井美
唄は、現在もなお町としての機能が残っており、かなりの人が住んでいます。小学校、中学
校、幼稚園も健在で、美唄本町からの定期バスも運行されています。
 炭住はかなり改築はされていますが、まだかなりの軒数が残っており、当時の炭住街の
様子を今も部分的に再現しています。しかし改築されたとははいっても、ほとんど築60年を
過ぎているわけで、当時の炭鉱住宅が消滅するのは時間の問題です。
  資料が少ないので、なかなか難しいですが、ここでは炭鉱全盛期の三井美唄の風景を
できるだけ再現してみたいと思います。 


2008年2月 三井美唄小学校の項、更新しました。