炭鉱全盛期の三井美唄の全景です。
中学校や呉楽館などの状況からみて、多分昭和35年頃ではないかと思います。手前に一面に広がるのが鉱員社宅で1丁目から7丁目まであります。7丁目の上部が見えないのが残念です。
鉄道の向こう側が職員社宅で山の手、旭町、などいくつかの集落に分かれていました。

いずれにしても1つにまとまった集落でこれだけ巨大な炭住は他に例を見ません。