三井美唄の炭鉱住宅

昭和16年頃の三井美唄炭住
(美唄100年史より)
大通り3丁目から7丁目に向かって撮影したものと思われます。

炭鉱住宅、いわゆる“炭住”街には、他には見られない独特の景色と生活習慣、雰囲気があった。
ハーモニカ長屋とも呼ばれる木造家屋が、川をはさんだ傾斜地に密集して建てられているのが
炭住の独特の風景であった。
 三井美唄の炭住街の特長は、歴史がわりと新しいことと、地形がなだらかな丘稜地帯となっていたので
他の炭鉱に比べて、わりと恵まれた環境にあったことである。
そのため閉山後、炭住が全面的に取り壊されることがなく、会社より住宅を購入してそのままケース人が、
あり、長く炭住街の外見を保っている。
特に職員社宅と西側(下の方)の鉱員社宅は現在も当時のままの外観で残っているケースが多く、
炭鉱の歴史を伝える重要な遺産ともなっている。

なかなかいい写真がないが手持ちのものをいくつか紹介しよう。

鉱員社宅(平成13年撮影)

2階建ての4戸住宅
このタイプは結構多かったように思います。
平成13年撮影
これは平屋の4戸住宅。
こちらかなりくたびれていて、真ん中は空き家で崩れかけていますが
両側は頑張って住んでいました。

筆者が生まれて小学校4年まで過ごしたのもそこタイプの炭住でした。
平屋の2戸住宅。
鉱員社宅の西側の下10条位になると周りのスペースもゆったりして、環境が良かったので現在も多くの炭住が残っています。
この住居もあまり手がくわえられてなく比較的当時のまま
の外観を保っています。

職員社宅(平成13年撮影)

職員社宅は鉱員社宅より住環境は良く、風呂も各戸についており、部屋数も多く、ゆったりとしていました。
職員社宅には甲乙丙丁の4ランクがありました。階級職によって区分されていました。ですから、昇進する度に住宅をかわらなくてはなりません。私の親父も職員だったので3回引越しをさせられました。
これは南町の社宅。乙ランクです。
これは甲ランクの職員社宅。
つまり炭住の王様です。
所長クラスが住んでいました。
閉山当時は2棟あったそうです。

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