タイトル未定(映画版準拠捏造)
#7





「…あの実験は、ロケットの点火装置ではないんですね」
長い沈黙のあと、ぼくが言うと、彼は静かにうなずいた。
「あれは…」
言いよどむ彼に助け舟を出すような気持ちで、ぼくは確認した。
「サラマンドラ…を、作っていたんですね」
彼は身を固くした。

「…どうして知ってるんだ」
ぼくは顔を上げて彼を見た。怯えるような表情を隠しもせず、彼はぼくの 前に身をさらけ出していた。
「ぼくにも――ちょっと見えたので」
「…」
彼はぼくをじっと見詰めた。僕を値踏みしなおしているのだろう、とぼく は直感した。
ぼくの目が水色である事を、今、もう一度意識してくれているといい。

「あなたの世界には、サラマンドラがいるんですね」
そう問うと、彼は少し緊張した後、ちょっと頬を緩めて苦笑した。
そしてまるでなにかに挑むように視線を遠くに飛ばした。

「…いる。でかいのが」





そいつは、指先一つで街を一つ焼くと言われた、火の化身だ。

数え切れない命を奪って、罪を安易な罰でごまかすこともせずになお、自ら の罪に焼かれる事のなかった、冷徹な魂だ。
おれはそういう奴に、ほんのガキの頃に見込まれた。

ガキのくせに――ガキだからこそ――犯した罪の重さに、おれは焼かれて灰 になるところだった。
だからだろうな。そいつは、おれの中に、自分と同じ罪の匂いを嗅ぎわけた に違いない。
奴はおれにあたらしい焔を点した。罪を我がものとし、それでもなお燃え続 ける焔を。

それがおれの原動力だった。身を焦がすほど熱くて、身を切られるほど冷た くて。確かにおれの支えなのだけれど、おれをほんとうに弱くすることもあ って、ときには、おれをさかさまに飲み込むような事もあって。

それがこっちに来て、――毎日が、風の吹くようなことばかりで、

――焔が、ゆらぐんだ。

消えるなら消えてしまえ、忘れてしまえと思うけれど、こんなにあいまいな ものはおれは上手く心から消せないんだ。
だから、おれは。





なるほど、彼の世界をほんの少しだけ、表面的にぼくは覗き見たのだ。
工作用の椅子に腰掛けて、訥々と語る彼のつむじを見ながら、ぼくはぼんや りと考えた。
忘れ直すために、消し去るために自分の世界を確かめ直そうとしていたのだと。
忘れるために思い出すのだと、それは矛盾を装った理屈だった。
でも気づいているだろうか、あなたは。
それはやはり理屈ではない。
理屈を取り繕わなければならない、ただの欲求だ。


彼が服用していた薬物は彼の父親が隠し持っていたものらしい。
だからどんな成分なのか彼は知らない。彼の父親もまた、その薬の力を借りて 眠りのない研究に身をやつしていた。


そのようにして、

彼の夜は、彼の世界が彼にとってなんだったかを確かめるために費やされ、

彼の昼は、彼の世界に帰るための手立てを求めて費やされた。



「だからもうあの実験はやめる。
ロケットの研究も、…やめる」

「なぜですか」
聞いてあげるのは不必要な優しさなのだと知っていながら、ぼくはあえて口に 出す。
彼はちょっと困ったそぶりをして、そのくせぼくに理解されるためのチャンス にすがりつく。

「音速の壁を超えても、ロケットで大気圏外に出ても、そんなことをしてもや っぱりここから抜け出せない」

なかば予想していたその答えに、ぼくは一瞬殺意とも思えるような憎しみを覚えたが、 しかしその激情は急速に冷えていった。

彼の伏せた瞳には諦観が満ちているように見えるが、小さな焔がくすぶっているのが、ぼくには見える。
消したふりをしても灰の下で長い時間をやりすごす熾き火のように。
彼はその焔を消すこともできないが、乾いた灰の上に新しく別の火を起こすこともできないのだ。
あわれな人だ、と思った。



「そうですか」ぼくは答えた。
それでいい。あなたはそうしてくすぶっていればいい。
今わかった。だってぼくはあなたの目の醜い焔が好きなんだ。
ぼくはあなたの醜さをこの身に取り入れて、やっとなりたい自分になることができるかもしれない。



ぼくは胸がじんじんとうずきはじめているのに気が付いた。
そうだ、ぼくはもうすぐ死ぬんだった。
ではぼくはぼくのために、あなたとともには居られない自分のためにロケットを作ろう。
ドイツのためじゃなく、科学のためじゃなく、研究室のためでもなく、あなた をいつかあなたの現実に突き返すためにロケットを作ろう。
そのときどんな焔があなたの眼に点るか、見ることができたらぼくは。


「アルフォンス、出て行かないでくれ」

ポケットからぼくたち二人の部屋の鍵を出して手のひらに乗せ、彼は言った。
ぼくはせめて、その言葉に迷うふりをした。













ぼくは水の中で金貨を拾った。
拾ってみると、金貨にも穴が開いていた。
ぼくの心の穴を、今、その金貨がいびつに塞いでいる。







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