#26「彼女の理由」
アニメのウィンリイに感じる違和感は何か。 それが今回のテーマです。 違和感を感じない方、むしろアニメのウィンリイのほうが可愛いじゃんって思っている方にはたい へん申し訳ありませんが、これもひとつの見方なのでお許しください。 私わりとウィンリイに関してはどう考えたらいいのか分からなくてほったらかしにしていたのです が、26話を見て、ううむ、ウィンリイってわりと重要な観点だと思いました。 ウィンリイの描き方は、作品においての機械鎧の位置づけと対応しています。 今回はその位置づけについて考え直してみたいと思います。 批判をあんまり長々書くのも辛いので、今回は軽めに…なるといいなあ。 《1》ウィンリイと機械鎧 〈1−1〉エドと機械鎧 「機械鎧はただの機械じゃねえんだ、れっきとしたお前の手足なんだ」 ドミニクさんに言われるまでもなく、 エドにとっての機械鎧は、かけがえのない自分の手足であり、常人以上の能力を保証してくれる ものです。右腕を甲剣に変えて戦うおなじみの戦闘スタイルがそれを示していますし、汽車ハイ ジャックのときには機械鎧に弾を受けて「左足じゃなかったらやられてたな」第五研究所侵入の時には 「こんなときばかりはこの体で良かったと思う」と、機械鎧に守られている自分を自覚しています。 しかし言うまでもなく、機械鎧はエドの罪の証です。 アルにとっての鎧の体と同じく、いつか捨てるべき仮の体なのです。 そして彼は「機械鎧を使って」戦っているというよりは「錬金術を使って」戦っているのであり、機 械鎧はその媒介でしかないのだと思うのです。 「おれは、この機械鎧で、負けるわけにはいかないんだ」 だからこの台詞はほんとうに、いかにも取って付けたみたいに思えます。 「おれは錬金術で負けるわけにはいかないんだ」と言われたほうが、 どれだけ納得が行くことでしょう。 だってエドのアイデンティティは何よりもまず錬金術師であることですから。だからこそ 「等価交換」の生き方から逃れられない、そのことが彼の業なのですから(このことは前にも語ったので繰り返しません)。 〈1−2〉ウィンリイと機械鎧 義肢装具士であるウィンリイは、エドの機械鎧を一手に引き受けるサポーターです。 エドの機械鎧の性能や、その意義は常にウィンリイのプライドに直結しています。 しかしそのプライドは、エド(たち)がその道を行くのをサポートできるのはわたしだ、というところ にあったはずです。そして、自分はそうしてサポートするしかできないのだ、彼らを見守ることは 出来ても、彼らの生き方を変えることは出来ないのだということを、原作のウィンリイは苦いながらも よく知っています。 そしてそうであれば、こんな台詞は絶対に出てきません。 「どうしても、機械鎧のままじゃいけないの?」 多くの視聴者が思ったことでしょうが、 エドは機械鎧のままでよくてもアルは? ということなわけです。 確かにエドは機械鎧のままでも生きていけます。そうして生きている人はこの世界たくさんいま す(象徴的なのは16話)。でもエドは、自分の体はアルの体と同じく不完全だと規定し、その両方 を取り戻すことを至上命題としなければ、自分の罪に対して逃げを打つことになります。 馬鹿な真似かもしれない、不可能かもしれないけど、「すべてを取り戻す」そのために生きる。 ウィンリイには、そうした彼らの生き方を一番分かってて欲しかったです。 「無理して元に戻ることないわよ! かっこいいじゃないの機械鎧!」 原作のウィンリイは「そうは言ってもこいつら、聞きゃあしないんだから」と思いながらそんなふう に言い、せめても彼らの運命を笑い飛ばしてあげる強さを持っています。 しかしアニメのウィンリイはエドに本気で元の体に戻るなと説得しています。 そのことが、私は二重の意味でおかしいと思ってしまいます。 ひとつは、前述したとおり、彼らの生き方を理解していないようにみえるから。 もうひとつは、ウィンリイがエドに自分を認めさせたいから機械鎧にこだわっているように見えるからです。 「エドに機械鎧はすごいっていわせてやりたいの」 …そんな子なんですかウィンリイ? すごいっていわれるために仕事しているの? そんなの、プロとしては甘いとしかいいようがありません。彼女はまだ15歳だから? いや、その若さで 十分な技量を持ちプロ意識とプライドを持っている彼女が面白かったのに。 いみじくもドミニクさんが言っているとおり、それは他人に証明してもらうことでも、 誰かに認めてもらうためにやることでもありません。 ましてエドに「すごいって言わせたい」ためにパニーニャを利用する。しかもパニーニャのほうには 「ドミニクさんの機械鎧がすごいってことを証明する」ためだとうそぶくのです。 だってそうでしょ、パニーニャに味方するようなふりをしてほんとはエドに勝ってほしいのだから。 そのためにパニーニャに勝手にカルバリン砲の足を付けたりと、やることがむちゃくちゃです。 なんか描写が分かりにくいのですが、見ようによっては、パニーニャは足の整備不良のために 屋根から足を踏み外したみたいに見えるのですが… エドの機械鎧のネジの閉め忘れは一回だから許されるんです。二回も整備不良を起こす技師だったら 「敏腕」かどうかもあやしいもんです。少なくとも視聴者の目にはそう見えます。 17話で彼女が銀時計の中を見たときの反応も、今から思うと物足りないというか、 決定的なものが欠けているように思います。 「あんたたち兄弟が泣かないから代わりに泣くの」 名台詞だと思いますが、そういいながらアニメのウィンリイがすることといえば、 「家ならあるじゃない」 と、リゼンブールに彼らを縛りつけようとする発言だけです。帰りの遅くなった エドたちを彼らの母のようにランプの光で向かえ、自分は彼らの「帰る家」であろうとしています。 いいシーンに見えましたが、兄弟が帰ってこないつもりで旅をしているのが分かっているのかどうか 首をひねってしまいます。 原作では「(エドの覚悟を)見たからこそ余計に(リゼンブールに)帰っちゃいけないと思ったの」 と、自分がエドを支えられるようにドミニクさんに師事して腕を磨く、そういう決心をしています。 そして実際に師匠を見つけて、自分の修行を始めます。 技師として人間として一人前になって、その上でエドを支えようとするのです。 アニメではいまだウィンリイは師匠を見つけていません。兄弟にくっついたままです(32話現在)。 「もっと勉強して、一生不自由させないから」 といいながら、(まだ)実際の行動には出ていないんです。 (ついでに言えば、エドは不自由だから機械鎧を捨てたい のではありません。さっき語ったので省略。) 〈1−3〉アニメウィンリイの違和感 原作礼賛みたいになってたいへん不本意なのですが、そういうわけで17話や26話を見れば見るほど アニメのウィンリイには違和感を感じます。 いつの日か目的を達するまでエドを支える手段としてではなく、機械鎧を自分を認めさせるための手段だと見ていること。 未熟な自分を磨いて一人前になってエドを支えようとするのではなくて、あくまでエドたちの「帰る家」 であろうとすること。 どちらも、せっかくのウィンリイのキャラを損なう要素であるように思えてなりません。 こういう彼女に「知らなかった。俺のことをそんなふうに思ってくれる人がいるなんて」(26話予告) なんてエドが思うでしょうか? それもかなり違和感なのですけれども。 「私は君にとっての空でいたい (略) 帰る場所であるように」 現在のエンディングテーマはウィンリイの歌であるように聞こえます。 (サントラネタバレ)→また、鋼のメインテーマである曲は 「帰路」というタイトルがついています。 アニメではエドたちはいつか「帰る」ことになるのでしょうか? そういう物語だとしたらウィンリイは「迎える」立場にあるのでしょうか。 彼女がそういうポジションであれば、そのように描いてくれればいいのです。 そもそもウィンリィは幼少時から錬金術に直感的な不信を持っているキャラのようです。 それならそれで、エドたちが錬金術以外のところに生きるすべを見出すための きっかけとしてウィンリイを描くことができるかもしれません。 どちらにしても、エドたちを「迎える」人間としても彼らに生き方を見直させる人間としても もう少し自立した人間であってほしいというのは、望みすぎなのでしょうか。 〈1−4〉機械鎧の位置づけ 彼らが本来の肉体を「取り戻す」ことは彼らの幸せなのだろうか? そのことは自明の結論ではなく、何度でも問われていいことだと思います。 だから作中の機械鎧の位置づけ、ウィンリイの位置づけには注意していかなければならないと思います。 ただ、今のところ、26話だけが機械鎧の意味を突出させているように見えて、気になります。 《2》26話ほか 〈2−1〉パニーニャ もうちょっと苦言が続きます。 パニーニャやドミニクが今回出て来た意味があまりよく分かりません。 原作のパニーニャはドミニクに無償で高価な機械鎧を付けてもらい、それに対してスリ稼業で 得たお金を払おうとし、ドミニクはそのお金を受け取りません。 与えられたものの代償を払うのに、正当な手段でなければ意味がない。それをエドと読者に 気づかせるために彼女のエピソードがあるのだと、私は考えていました。 また、ドミニクさんはたとえ合法的なお金であろうと、おそらく払っても払わなくてもどっちでもいいと思っています。 世の中等価交換だけでなく、無償の贈与というのもあるのだということを、ドミニクさんは暗に教えています。 アニメでパニーニャがなぜスリでなくなったのかよく分かりませんが、それによって 以上のようなことがよく分からなくなってしまいました。もったいない。 あとはそのことに比べたらまあたいしたツッコミじゃないのですが、 カルバリン砲てのは漢のロマンだ、は女のものじゃない、と言う意味じゃないと思ってましたが。 ドミニクさんそんなつまらないこという人ですか。ううむ。 あと腕ずもう大会はいろいろ客観的におかしいですよね。 司会の男は明らかに挙動不信だし、 対戦のたびに机壊してるし、 エドがなにをやったのか、両手パンしなかったから意味わかんないし、 そのわりにあからさまに錬金術で勝負に勝つし。 あの大男の機械鎧の壊れ方の不自然さに誰か突っ込めよ。ていうかウィンリイもだまされるなよ。 あとパニーニャとエドの追いかけっこにも不満が残るなあ。 この町を知り尽くしているパニーニャが、よそ者のエドを翻弄するというのが面白かったのに… 〈2−2〉決意と行動 26話唯一の見どころ。 大佐! 大佐がハクロ将軍に頭を下げている! 「後ろ盾願えれば、誠心誠意努力いたします。なにとぞご指導をお願い申し上げます」 ぎゃーーーかっこいい、かっこいい、かっこいいっ。 彼はヒューズと誓っているのです、上に行くと。そのためにはちっぽけなプライドもシェスカの視線も ねじ伏せて嫌なやつに90度最敬礼をすることができるのです。 もーこのキビキビした動きがーー! あああうううひじょうにかっこいいです。 シェスカはまんまと勘違いをしますが、きっといつか大佐の真意を知る、といいなと思います。 あーでも「ついてくるか」「何をいまさら」は、表情を見せてほしかったな。 その後で一瞬デスクの上にあるヒューズの写真が映るとよかったな。欲を言えば。 ちなみにハクロさんなにしに来たんでしょ。大佐にこれだけ言い捨てるために来たのか?; * 大佐つながりで。アバンタイトル冒頭はよくわかりません。何がしたかったのだエドたち。 ロスに兄弟の行方を問いただす大佐。 「そのうち連絡があると思いますので、今は…」 「どこだと聞いている!」 大佐大佐、兄弟のことだと冷静な判断力を失うと指摘されたばかりじゃありませんか(^^;)。 そして大佐をしてひとことも喋らしめなかった(笑)イズミさんはやはり最強でした。 ____________ というわけで大佐のシーン以外は正直ほめたいと思うところがないです… なにしにラッシュバレーに来たことになるんだろう、この流れ。 出産に立ち会うのもウィンリイがひとり立ちするための銀時計や弟子入りのエピソードも削られ。 彼女の理由って何でしょう…何の理由について言おうとしてるのでしょう。 今回書いたことからいろいろ考えられるけど、あまりおもしろくもない「理由」しか浮かんでこないので、あえて書かないことにします。 ホークアイが引き金を引く理由に触発されるウィンリイ、なんかも描かれなかったしね。あいたた。 * 次回『せんせい』 イズミさんの声いいなあ。 (2004.05.29記) |