☆ 答 13 ☆
めし-A
餅-@A
・「めし」ばかり食べた貴族は、実はむくんでいたんです…
日本で初めて米を精製して食べたのは、古墳時代の仁徳天皇13年の頃。これは、『日本書紀』に書かれています。奈良時代に入ると、精米は貴族に浸透していきます。使用人たちは、主人が召し上がるこのご飯を特別に「召し物」と呼んだのです。しかし、精米で失われた栄養分を補えるほどおかずが充実していなかった時代のこと、白くて柔らかいご飯ばかり食べていた特権階級の人々の間には、栄養失調からくるむくみや脚気(かっけ)が流行してしまいました。ちなみに庶民が食べていたのはもちろん玄米で、古代から豊臣秀吉の時代まで、赤っぽいお米でした。おめでたい時に赤飯を炊くのは、赤米を食べていた時代への先祖返りなのです。
一方の餅、これは初め、米を蒸してすぐ握った、とても硬い握り飯のことを言っていました。こうすれば中までは腐りにくいし、玄米が時間を経てバサバサになることもないし、持ち歩くにも便利でした。そこで「もち飯」の名前がつき、やがて短く「もち」になったのです。今のように、臼でついて作るようになったのは江戸時代のこと。かたい握り飯の餅を大量に消費していた時代と重なりますが、新しいやり方の餅の方が乾燥させれば長期保存がきくとあって、じきに旧・餅に取って代わったのです。
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