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2007年11月3日に一橋祭で行われたシンポジウム「幻想伝承〜創作の継承と終着」に行ってきました。
その内容を考察して、東方シリーズ、特に今回は東方風神録に込めた、神主のメッセージを読み解きたいと思います。
お酒を飲みながら、おかしな事考えるやつもいるわい、ヒック、と軽い気持ちでお読みください。ちなみに
私もビールを飲みながらこの文章を書いてます。ヒック。
なお、私が講演中にメモった内容を別のページに掲載しておきました。
こちらの方を一読されてから、下記の考察をお読みになると、多少わかりやすいです。
幻想伝承メモ
まず、全体をさらりと敷衍すると次のような論理展開になります。
■仮説
風神禄は増加した東方ファンに生じた、新参と古参の確執を風刺したものである。
■理由
何か好きな事があってファンがあつまると、なになに信者と呼んでなじられる。
東方ファンが東方信者と呼ばれ揶揄されるのを逆手に取り、それを題材とした。つまり東方風神録に
おける信仰とは東方ファンの事である。
ファンが増えると新しく入ってきた人と、古くからいる人の間に確執が生じる、これはバカバカしい事だ。
楽しむ事が大事だ。
風神録のテーマは人と人の繋がりである。
風神録の大雑把なストーリーは、古くから山をねぐらとし、独自の文化を築き上げた、山の妖怪の住処へ、
ある日突然、外の世界から新しい神様が引っ越してくる。
排他的な山の妖怪は、新参の神を追い出そうとし、逆に新参の神は山の神に
敬意を払わない。両者の間にいざこざが生じる。
霊夢はそのいざこざを解決しに、山へと向かう。
結果、両者は和解し、共に神社で仲良く酒を飲む。
風神録のストーリーと、東方界隈の事情はよくあってると思う。東方ファンのいざこざを分析しそれを
自分の世界の投影、すなわち東方シリーズの一作品として創作した。それが風神録だったのではないか?
以下で細かい分析をしてみます。
■信仰点
ゲーム的にはただの点数以上の意味が無い信仰点。しかしこれは風神録の中心テーマでもある。
すなわち「信仰」が風神録を製作する最初の支柱なのだ。
では信仰とは、なにか。シンポジウムにおける神主の発言によれば、信仰とは、ファンが集まって
信者と呼ばれるところからヒントを得た、とのことである。この信者とは、明らかに
東方ファンの事であろう。すなわち信仰=東方ファンの数であり信仰と東方ファンは置換可能な語句なのである。
風神禄の目的の一つは、信仰を集める事、信仰を回復する事で、ゲーム的には霊夢が信仰点を集めてまわる。
これを信仰=東方ファンと変換すれば、信仰点とは東方ファンの増減である、という珍妙な答えがはじき出される。
信仰点はがんばってあつめればどんどん上昇するが、集めなければ減少する。信仰とは放置すると減少するものと
して、作られている。
花映塚の後、一年間放置してファンが減るのを待っていたら逆に増えてしまった・・・
神主はファンの数は放置すれば減少すると考えていたらしい。まあ当然である。実際には増えてしまったわけだが
このファンの増減が風神録製作の動機でもある。これはファンが増えたから嬉しくて作ったとかそういう単純な話では
ない。直接にファンの増減をテーマとして風神禄を作ったのである。
では、結局、信仰点とは何か。これは、ファンに対するアプローチのゲーム化である。信仰はまったく集めないで
いることもできる。集めなくてもあまり問題は無い。信仰が下がるだけなのだ。これをどう考えるかだ。
ファンが減っても良いのか?がんばって増やしたいのか?それはプレーヤの意思しだいである。しかし、神主的
表現で言えば、信仰点とは洒落なのだ。神主ジョークなのである。おそらく・・きっと・・・酒を飲みながら
考えたアイデアなのだろう。
ここで少し、神主の、最近のゲームは、まじめに作らなきゃ駄目、という風潮が嫌い、という言葉を
思い出して欲しい。神主のジョークは、適当に笑えればいい、楽しめれば良い、という程度のゆるい洒落なのだと思う。
よっぱらった頭で思考するのが調度良い。だから、風神録が東方ファン界隈の風刺だとしても、それは洒落なのだ。
真剣に受け止めない、洒落を笑える余裕、それが東方を考察するさいの、キモだと思う。
■古参と新参の確執
私自身、ここ一年以内に東方プレーヤーになった新参である。実質、風神録から入った。ニコニコ動画は
アカウントをもってないし、掲示板はあまり覗かないので、東方ファンのいざこざという現実をあまり知らない。
今回の講演でドキッとしたのは神主が新参と古参のあらそいに「ばかばかしい」と意見した事だ。はっきり
感情を表現して、ばかばかしい、といった。非常にドッキリした。
新参と古参の確執、新しいプレーヤーが増える事の意義など、随分長く、時間を割いて話した。
神主は自分は懐古主義だけど、懐古主義は嫌い。古いものにしがみついて、新しい価値を認めなければ、
その先の発展は無い。東方ファンが増加した意義は、プレイヤーが増える事で新しい価値を与えられる事。
ファンの増加は東方にとって楽しい事であり、喜ばしいことなのだ。それは先がある、という事である。
ここでも、問題の根本はファンの増加である。ファンが増加するのは良いことなのか悪い事なのか?
神主の答えが示されている。良いことなのだ。それは常に新しさという変化をもたらしてくれる。
風神録を貫く問題はファンの増加だ。それに伴って起こった事象が、新参と古参の確執なのである。
古くから自分の領域を大切にしてきたものにとって、新参は不愉快なものである。山の妖怪の態度に
それが良く現れている。山の妖怪は排他的で、新しい者を追い出そうとする。だからいざこざが起きる。
では、新参の神の問題点はなんだったのか?それは古くからいるものに敬意を払わなかったことだ。
前の者たちが築き上げた、文化や領域を、自分のものと考えた事だ。神主は講演でこう言っている。
なにかものを作るときは、まず見様見真似でいい。完全なオリジナルなんて存在しないのだから。
真似たものを尊重していさえすればいい。真似たのに、これは俺のオリジナルだ、とか言っちゃ駄目。
新しいものとは真似である。古いものの上に成り立つのが新しいものだ。
しかし、前のものには敬意を払わなければならない。前のものを尊重せずに自分のものにしてはいけない。
新参の神奈子がやったのは、前から住んでいた山の妖怪をないがしろにし、あまつさえそれらを自分のものに
しようとする行為だった。だからいざこざが起きた。
これが、神主の分析だったのではないか、と思う。神主はファンのいざこざをそのように見ていたのではないか?
山の妖怪は新しいものを、無闇に追い出したりせず、新参は古いものに敬意を払い、
古参の築き上げたものを尊重する。そうすれば、両者は仲良くできる。
そして、みんなで仲良くお酒を飲もうよ
これが、風神録に込めた、神主のメッセージだったのではないかと思う。
■風神録のテーマは人と人の繋がり
神主が講演で明らかにした風神録のテーマは、人と人の繋がり。風神録は東方ファンの人間関係を
風刺し、そしてみんなが楽しく、面白く、仲良く繋がるにはどうすればいいのかを考えて作ったのではないかと思う。
神主の望みは、みんながつまらない事にとらわれずウキウキと日々を楽しんでくれる事だろう。
そして最後にはみんなで楽しく
お酒を飲む事だ。これが神主の言う人と人の繋がりだと思う。
と、まあ、だいたいこんなところです。
エンディングにおいて、信仰という概念がよく説明されるけれど、その信仰を東方ファンに変換して読んでみると、
きっと、面白い意味が見えてくると思う。

神主(写真ではビールの部分)と一橋幻想研究会さまに乾杯!!