蓮花寺開創六百年祭・山門落慶成満法要
阿弥陀如来座像 元和2年(1616年)鎌倉仏師 伊予 守作 |
新 山門奉安阿弥陀如来座像 |
平成23年11月11日、開創六百年祭と山門落慶成満法要が厳修されました。
同時に刊行された記念誌より掲載いたします。
寺だよりはすのはな 開創六百年祭特集号はこちら
ご挨拶
蓮花寺 住職
飯田盛重
蓮花寺の歴史を探ると、『元和2年(1616年)鎌倉仏師伊豫守の作である』、一尊の阿弥陀如来坐像の胎内に、開山頼意法院菩提の記録が残されています。同時に、現存する過去帳と位牌から当山は582年前遷化された頼意法印によって開山されたことがわかります。新編武蔵風土記によれば、応永年間の開山と思われると記され、応永年間は34年続き、日本史では3番目に長い元号です。頼意法印が応永年間のいつ開山されたかは定かではないことから、その中間年を開山年とし、本年(平成23年)は六百年に正当いたします。当山におきましては応永18年を当山の開山年とし、本年開山六百年祭を奉修する計画を数年前に発願いたしました。その記念浄業として、山門の建立と本堂の屋根再葺き替え案を役員の皆様に申し上げ、度重ね検討をしてまいりました。私しの総仕上げの仕事としてご承諾をいただき、この度その成満の慶びに浸れる事ができました。感慨無量でございます。
さて蓮花寺本尊十一面観音菩薩は古来より秘仏として、衆生の眼前にお姿を表す事がございませんでしたが、このような事から11月11日、1日限りのご開帳をいたしました。六百年初開帳のご利益とご縁を皆様に結んでいただきながら、無魔法要も厳粛に円成させていただきました。
大般若経六百巻転讀法要の大導師をお勤めいただきました、南河原寶蔵院延命寺ご住職今野隆道僧正様には、平成9年の内外陣改修記念法要の折にもお導師下さり、重ねての大役に対し、衷心より厚くお礼申し上げます。 真言宗智山派大本山川崎大師平間寺御貫首、藤田隆乗僧正様におかれましては、ご法務ご多端の中祝賀会にご臨席を賜り、この上ない光栄に浴し深く感謝申し上げる次第でございます。
また、ご法援下さいました、各御寺院諸大徳の皆様はじめ、檀信徒、関係各位の皆様には、大変お忙しい中ご遠方より、記念法要並びに祝賀会にご出席を下さいまして誠にありがとうございました。御陰様で昭和57年10月蓮花寺第四十二世の法灯を盛文和上より継承し、明年30年の節目を迎えますが、その大集成を果たせた様に思えます。現在ある姿の蓮花寺は、偏に、当山を日頃から温かく見守り続けていただく檀徒総代世話人様をはじめとする、檀信徒お一人お一人の帰依篤い信仰心の賜物と改めて、心より感謝申し上げます。
新しい歴史に向かい檀信徒の皆様と共に、地域社会の一役として寺門が興隆すべく、これからも努力精進し歩んでいこうと考えております。どうか、今後とも変わらぬご法援・ご厚誼賜りますよう、切にお願い申し上げます。
皆様方のご健勝とご尊家益々のご繁栄を祈念申し上げ、開創六百年祭奉修のお礼の挨拶とさせていただきます。
合掌
蓮花寺開創六百年を祝して
総裁(名誉総代)
森學
平成23年は蓮花寺が応永18年頼意法印開山より六百年という吉縁の年に山門の建立と本堂屋根堂板葺き替えをその記念事業として迎えました事、誠に喜ばしいと存じます。その山門の木材点検のため昨年11月16日山形県鶴岡市にある材木工場に飯田盛重ご住職様と一緒に行ってきました。材木工場では柱となる太い材木の一本を試し削りし木肌に触れて確認し屋根などの反りも実物大図面を元に説明を頂き安心致しました。このような経験からどの様な山門ができあがるのかととても楽しみです。去る1月18日の初観音の吉日、山門起工式を開創六百年祭奉修委員会の役員皆様方と参列を致しまして奉修が無事にすむことが出来ました。42世飯田盛重師の寺運興隆を念願とする新年をもった行動力が結実したものでありこの山門と色々な努力に対し深甚な敬意を表するものであります。又事業の都度ご協力を頂いた檀信徒の方々にも厚く感謝を申し上げたいと存じます。山門建立と屋根葺き替えが六百年祭の記念に当たり御先祖の遺徳を偲ぶと共にこれからの蓮花寺の隆昌を祈り尚檀信徒皆様のさらなるご後援を心よりお願い申し上げご挨拶と致します。
合掌
思い出として
私が子どもの頃の記憶がよみがえりました。
亡くなられた方のお葬式には寺の墓地では穴掘の役目、又4人で棺桶を寺まで担いで土葬をしました。近所の子ども達にはその折りお菓子袋がくばられました。この原稿を書いているうちに遠い昔の頃を思い出しました。
無二の山門
副総裁(檀徒総代表)
森安男
さまざまな祈りと願いの寺として、人々に愛されてきた南林山普門院蓮花寺。
新しい山門は、平地ではなく、参道の石段の中腹に建つ。それは、威厳と風格を醸しており、見上げるというよりは、仰ぎ見るという表現がピッタリ。
山門建立により、瀟洒な鐘楼堂の存在感が一段と高まったように思う。山門と鐘楼堂。両伽藍が、威風堂々と並び立つ。 木立ちの隙間からは、あかがね色の本堂の屋根が覗く。 参道の登り口には、阿形と吽形二体の金剛力士像がそびえる。背後に山門が建ち、阿吽の呼吸で寺院を守る理想の姿が此の程完成。
本堂、鐘楼堂、金剛力士像に山門が加わって、四季折々の自然とが織りなす蓮花寺の美しい景観。表通りから仰ぐ見晴らしは感動的で、心が洗い清められる思いがする。
三門あるいは山門は、寺院の正門のことである。門のデザインにも違いがあり、大きさもいろいろ。 門は、単層のものと重層のものとがあり、重層の門は、近世では楼門あるいは三(山)門と呼ばれていたが、最近では重層門のうち、下層に屋根をもたないものを楼門と呼び、上下層に屋根のある門を二重門と呼び分けられるようになった。 二重門は、門のうちで最も規模の大きなもの。蓮花寺の山門は、正しくは楼門である。 因みに、現存遺構中、最古とされる山門は、京都、東福寺のもので国宝である。建立は1410年頃。六百年前のことであり、偶然にも、蓮花寺の歴史と重なる。
果たして、六百年前とは、どのような時代だったのだろうか。歴史を紐解いてみると、室町時代第四代将軍、足利義持の治世に遡る。室町は善の時代と言われ、臨済宗が幕府公認の宗派だった。中でも、東福寺は京都五山の大伽藍である。幕府の手厚い保護を受けた禅宗の隆盛期に蓮花寺が誕生したのだ。全国布教中の頼意法印によって。真言宗が関東一円に広まるのは、蓮花寺開山から50年近く後のこと。開山、頼意法印の供養塔は、鐘楼堂の北隣に建つ。創建六百年の歴史が脈々と続く、真言宗智山派の蓮花寺。この寺の過去は、檀信徒の皆様方と蓮花寺の未来のためにあることを信じる。
白御影石の石段を、10段も登ると山門に着く。桧の香りが新しい。木は呼吸している。山門は生きているのだ。
寺院の門は、現世と仏の世の境目であるといわれている。門をくぐったところから仏教が始まるのである。ここで一礼してから聖地に足を踏み入れる。参道を上り詰めると、真新しい本堂の大屋根が目の前に迫る。落ち着きがあり、優雅でもある。山門と同じ隅蛤の曲線が美しい。思わず、建立と見紛うばかりだ。屋根の天辺を見上げると、主棟と鬼飾りからは、金箔の紋章が光り輝いている。とても印象的だ。
顧みると、大勢の善男善女が上り下りした昔からの石段の参道。六百年もの間、人々の願いを聞き届けてきた蓮花寺。訪れた人の数だけ思い出があり、それぞれの時代には、様々な物語があったであろう。
仏教との出会いは、花祭りの日。子供の頃、4月8日が楽しみだった。本堂の前で、誕生釈迦仏立像にみんなで代わる代わる甘茶をかけ合う。その後で、現ご住職のお母上、てる様が、ひとりひとりに優しく声をかけながら、甘茶を分けて下さる。とても嬉しかった。小ビンを小脇にかかえて、急な石段を駆け上がった日のことが、遠い日の思い出がなつかしくよみがえる。
境内はいつも楽しかった。夢のような時間が過ぎる。お寺は、仏様が住むところ。いつか、仏様に出会ったような感じがした。
寺に親しむ心を育んでくれたのは、蓮花寺そのものであり、手を合わせて祈ることを教えて下さったのは、先代ご住職、盛文法印でした。後年、信仰への心の扉を開いて下さったのは、現ご住職、盛重和上であります。年齢を重ねるごとに、蓮花寺への感謝の心が深まり、菩提寺崇拝の念を強くしております。 平成23年、11月11日。この日は永く蓮花寺の歴史に刻まれることでしょう。 蓮花寺開創六百年祭、山門建立、本堂屋根葺替記念事業が、檀信徒の皆様方のご支援とご協力により、落慶成満した極めて意義深い日であります。
特に、勧募事業の趣意にご賛同賜り、ご浄戝勧募に絶大なるご協力を賜りましたことに、衷心より厚く御礼申し上げる次第です。
この度の、落慶成満法要祝賀会に、真言宗智山派大本山、川崎大師平間寺御貫首、藤田隆乗様にご臨席賜りましたことは、蓮花寺にとりましてたいへん名誉なことであり、大きな喜びでございます。当山の歴史に輝かしい一ページが記されました。心より深く感謝申し上げます。
落慶成満法要厳修に、ご指導とご尽力を賜りました真言宗智山派神奈川教区教区長、東覺院御住職、野崎芳彦様。蓮花寺法類総代、真福寺御住職、内藤隆雅様。蓮花寺法類法縁御一門のご住職の皆様方に、心から厚くお礼を申し上げます。
「いつの日か、立派な山門を構える蓮花寺に…」頼意法印開山以来、蓮花寺六百年の遙かな夢と大願が、遂に成就しました。菩提寺の発展を願う者として、この上ない喜びです。ご住職の山門建立への真摯な願いと、檀信徒の皆様方のご先祖を敬い、菩提寺を思う心が。伝統ある建物を造り上げる匠の技の精粋が、ひとつに成って出来上がった無二の山門です。 蓮花寺御本尊、十一面観世音菩薩様の護持費とご加護に対しまして、心から礼讃申し上げる次第です。
宗祖、弘法大師様をはじめ、飯田盛重ご住職のお父上、盛文法印より遡源すること歴代41名のご住職の冥助のお陰です。謹んでお礼申し上げます。蓮花寺を心の拠り所として、それぞれの時代を生きられ、寺を支えていただきました冥府の檀信徒の皆様方並びに縁の皆様方の御霊にも心から深く感謝申し上げます。心からのご供養を捧げますと供に、この寺の未来にご加護賜りますようご祈願申し上げます。落慶致しました山門は、蓮花寺の象徴であり、寺宝です。大勢の人々に親しまれ、愛され続けて末永く長寿であることを念願する次第です。蓮花寺の寺運隆盛を願いつつ、檀信徒の皆様方のご尊家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
どうか今後も、菩提寺興隆のために、ご指導とご後援賜りますよう、心からお願い申し上げまして、蓮花寺開創六百年祭記念事業奉修のお礼のごあいさつといたします。
蓮花寺開創六百年祭にあたり
委員長(檀徒総代)
森正一
この度、南林山普門院蓮花寺開創六百年記念行事・開山頼意法印580回遠忌法要を円成できますことを、衷心より感謝を申し上げます。
真言宗智山派川崎大師平間寺御貫首、藤田隆乗様、真言宗智山派神奈川教区長保永秀賢様はじめ、各ご寺院様、並びに、檀信徒の皆様方には、なみなみならぬご法愛と、格段のお力添えを賜り、また、ご臨席を頂きまして御礼を申し上げます。 今回の行事に際しまして、社会的経済的状況等の不確定要因を察しますと不安がありましたが、檀信徒皆様方の温かい御支援、ご協力を賜りまして、開創六百年の大行事を挙行させて頂きました。
その行事も、寺檀一体となって伽藍-山門建立・本堂屋根葺替-を荘厳させて頂き、面目一新し、この日を迎えることができました。
幸いにも、六百年の貴い節目に巡り会えた檀信徒として、誠に有難く、心からこの法悦を皆様と供に共有させて頂きました。
本日の盛儀を機として今後も、御住職を中心に、檀信徒が一丸となって、蓮花寺が-地域に根ざした、地域社会に対して開かれた存在として-心の拠り所となるべく、皆様と共に心を尽くし、蓮花寺六百年の歴史と法灯を、益々護持して、参りたいと念じております。何卒変わらぬ御支援、ご協力をお願い申し上げます。
ご参列を賜りました皆様方の、ご健勝とご隆昌を、お祈り申し上げまして、御礼の言葉と致します。
合掌
生きる力
真言宗智山派 前神奈川教区長
延命寺 住職 今野隆道
南林山普門院蓮花寺様の開創六百年を慶祝し、併せて記念浄業の大山門が無魔落成されたことに際し衷心よりお慶びを申し上げます。寺院は元来、山林に建てられたので寺院の門を山門と呼ぶようになったと聞き及びますが、南林山に新たに山門が建立され、山容が整われたことは誠にご同慶に堪えません。
ご本尊の十一面観音様は、その頭上に十一のお顔を持ち、一つ一つの面に人々の苦しみを救う力を秘められ、まさに衆生済度を本願とされた仏様です。この度落成された山門は、普(あまねき)門であり、そのまま観世音菩薩様のお姿であります。あらゆる方向にお顔を向けられたご本尊様のご慈光によって多くの人々が救われ、安心が確立され、ご当山が蓮花大輪の密厳浄土となられますよう益々のご隆昌を祈念申し上げます。
我が宗団では「生きる力 安らかなる心で慈しみを」と謳っています。これは「ご本尊様の 大いなるいのちを みずからの 生きる力とし 生かされて 生きる喜びを 深めよう」ということであり、自らの生命が、み仏の大いなる生命と一つであるという、安心を確立しましょうと言うことであります。すなわち、お釈迦様が説かれた「一切諸法平等」なる智慧は、観世音として世間の衆生が救いを求めるのを聞くと直ちに救済し、観自在として一切諸法の観察と同様に衆生の救済も自在であるという大慈悲行となったのでした。
私たちもまた、安らかなる心で慈しみの行いをしてゆかなければなりません。
最後に我が師、総本山智積院第六十世化主・那須政隆猊下の著書「真言道を往く」よりご教示を頂戴し、お祝いの言葉とさせていただきます。
私という存在が法爾法然の宇宙法界の中の一存在であり、私の如実の相は本不生の境地に見る如く、本来空寂である。空寂は即ち死である。仍て私の真の相は、死の姿であって、現在見るところの姿は因縁によって生じた暫有的存在でしかないのである。現在活きている私の生命は、宇宙根本の大生命が私という個体の上に顕現したものであって、その本質は宇宙の大生命である。かくして私はこの自己なる生命を乗り越えて、宇宙の大生命において活きることになる。
ごあいさつ
蓮花寺 責任役員
東覺院 住職 野崎芳彦
紅葉は山を見事に染め上げ、錦繍の野山は一層鮮やかに見える季節となりました。 本日茲に蓮花寺様の開創六百年祭慶祝法要を良辰を撰び奉修されました事は誠に大慶至極に存じ上げ謹んで衷心より御祝いを申し上げる次第でございます。又この慶事に際し記念誌を発刊されると云う事で寄稿の御依頼を賜りましたが、元来文才の無いところでございますので、恥を忍んで筆を執らせて頂く事となりました。
そもそも御当山蓮花寺様と東覺院との御縁でございますが、元蓮花寺住職 本多法完師の後を我が師僧 野崎芳喜が就任し、私がこの蓮花寺にて産声をあげたその年に世田谷の東覺院に移ることと相成り、当山先住飯田盛文師に引き継がれ、然る後現住職 飯田盛重師が就任致されまして現在に至っておるところでございます。
蓮花寺様は、その歴史は古く応永十八年の草創とお聞き及び致しましたが、時移り星変わり爾来六百年余の時を経て連綿と続いて参られたわけでございます。その間の時の流れの中には多くの事柄が湧き上がって参りましたが、特に記憶に新しいところでは大東亜戦争がございます。
その戦争の最中、空襲を受けこの辺り一帯はアメリカ軍の爆撃にて焼夷弾が大量に投下された折には、その都度御本山様を本堂から防空壕の中へお移し申し上げたということでございましたが、或る時その焼夷弾の蓋が私の母親の眼前1メートルほどの所に落下してきたと云う事で、その時には驚きの余り腰を抜かしてしまったそうですが、幸いにも怪我もなく難を逃れ助かったと聞き及んでおります。
又、更には近隣の御寺院が多数焼失する中で御当山は消失を免れて大きな被害も無くして事なきを得残る事が出来ましたという事は、まさに御本尊十一面観世音菩薩様の誠に霊験あらたかなところでございまして、多くの檀信徒の方々の篤い信仰を集めて参られました。その後、時を経て現住職飯田盛重師の発願により総代世話人様をはじめ多くの檀信徒の皆様と共に心を一つに一丸となって庫裡客殿の新築及び毘沙門閣の建設、橘聖地霊園の造成等々をはじめとして幾多の事業を遂行されて参り、更には今日の開創六百年祭記念事業としての山門の建立、本堂屋根銅板葺き替え工事等の無魔成満を迎える事が出来ました事はまさに飯田盛重住職の、その卓越した手腕と先見性と行動力を窺い知れるところでございまして改めて敬服致し頭が下がる思いでございます。
私が御当山に足を運ばせて頂き始めた頃は庫裡の裏手には竹藪が有り、御本堂の下の階段を降りたところには蓮池がございました。そして現在の駐車場の当たりから眼下を見回すとそこには広々とした畑が広がり、ゆったりとした野山の風景が目にとびこんで参ったものですが、今日では多くの家々が立ち並んでおります。又、御当山では境内も整然と整備がなされ、以前の面影とは異にした情景が時の流れを感じさせられます。まさに隔世の感有りと云うところでございましょうか。
そして本日ここにめでたくも蓮花寺開創六百年祭法要が奉修されました事は、これも偏に現住職 飯田盛重師をはじめとする御当山総代世話人様方、又多くの篤信の檀信徒の皆様のお力添え、御尽力の賜物と存じ誠に御同慶の至りでございます。
願わくばこれに依り御本尊十一面観世音菩薩様の威光益々隆盛にして、御当山の偉容益々盛んならん事と、併せて御住職 飯田盛重師はもとより御当山法縁の御寺院龍象諸大徳旁総代世話人様各位、檀信徒閣家の家門の隆昌と御多幸を御祈念申し上げまして甚だ末筆にて誠に恐縮ではございますが御挨拶とさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございます。
お祝い
蓮花寺 法類総代
真福寺 住職 内藤隆雅
蓮花寺様におかれましては創建六百年をお迎えになりましたこと心よりお慶び申し上げます。
また記念誌のご出版おめでとうございます。
貴寺と当寺は世田谷区等々力満願寺を本寺とする末寺同士で古くよりご縁をいただいております。当山の二代前の住職 隆敏の時代からは特に法縁のある八ヶ寺で八葉会を結成しさらに深いおつきあいとなりました。現ご住職ご夫妻には私の仲人もお願いするなど、現在においても公私ともにお世話になっており大変有難くまた心強く思っております。
簡単ではございますが当寺の由来を紹介させて頂きます。当寺は瑜伽山真如院真福寺と号し、今から400有余年前、江戸永禄期の創建と推定されております。開山は法印宗円和尚、開基は用賀村を開いた飯田図書です。享和3年(1803)火災により本堂、庫裡が全焼し、文化年代に再建されました。本堂正面には山本栄雲による唐破風の懸魚がみえます。
明治までは寺子屋も開設されており、明治12年に創立された(現)区立京西小学校もこの寺子屋を前身としたものです。
ご本山は金剛会大日如来で、境内に建つ大日堂には珍しい石仏の胎蔵界大日如来が安置されています。また六地蔵の脇には江戸時代後期に鈴木天由により建立された芭蕉句碑「みちの辺の木槿は馬に喰われけり」があります。玉川八十八ヶ所霊場第三十九番札所でもあり、東急田園と支線用賀駅徒歩5分という立地からか訪れる方も多くなっています。
最後になりましたが、これからの蓮花寺様の益々のご隆盛と、ご住職又檀信徒皆様方のご健勝を心より祈念申し上げます。
合掌
あの日 あの時
山門建設中風景(平成23年4月) |
開山頼意法印580回忌法要奉修 |
山門上棟式 |
山門建設材料検査(於 山形県鶴岡市) |
本堂屋根葺替工事の様子(一) |
工事安全祈願(起工式) |
本堂屋根葺替工事の様子(二) |
山門基礎工事 |
記念樹植栽(山門と相輪の間に) |
山門奉安不動明王尊像(正面) |
山門建設中の義捐箱 |
降雪した旧本堂屋根 |
山門棟札(上棟式奉納) |
蓮花寺第四十二世盛重興隆整備事業
昭和58年9月25日 | 本堂内外陣改宗落慶 |
昭和62年5月31日 | 橘聖地霊園落慶 |
昭和63年5月5日 | 客殿・庫裡落慶 |
昭和63年5月5日 | 蓮花寺誌発刊 |
平成2年4月1日 | 鐘楼堂落慶 |
平成3年3月31日 | 駐車場整備完成 |
平成3年6月吉日 | 歴代墓地改修落慶 |
平成6年3月30日 | 橘聖地第2霊園落慶 |
平成6年6月6日 | 毘沙門閣信徒会館落慶 |
平成8年3月12日 | 橘聖地蓮花浄苑落慶 |
平成8年6月30日 | 水屋再建・参道改修落慶 |
平成8年8月8日 | 和永霊廟(納骨永代供養堂)建立 |
平成9年11月11日 | 本堂奥内陣改修落慶 |
平成10年7月1日 | 蓮花寺近代史写真集発刊 |
平成12年12月1日 | 第2駐車場用地購入整備 |
平成15年4月1日 | 橘聖地普慈霊園開園 |
平成18年6月6日 | 成願堂祈祷殿建立 |
平成20年4月28日 | 第3駐車場用地購入整備 |
平成23年11月11日 | 山(楼)門建立落慶 |
平成23年11月11日 | 本堂屋根銅板再葺替完成 |
平成23年11月11日 | 開創六百年祭法要厳修 |
平成23年11月11日 | 開創六百年祭法要記念誌発刊 |
本堂全景
旧本堂屋根
大日如来石像