『2111年』
ビルの屋上から、下を見おろす寝間着の姿の青年がいた。
彼の名は、神居 幸雄
年齢17歳、電子工学の権威である神居 府楽博士の次男で、彼自身も13歳の年齢で大学を卒業した秀才である。 卒業後は彼も、父が設立した電子科学の研究所である 「神居機関」 の一員となり、将来を有望視された人材だった。
しかし、彼は半年前から、異常なプレッシャーを受ける研究生活から精神に異常をきたし、現在は機関のメンバーから外れ、治療に専念していた。
彼が立っている建物は、その神居機関のビルだった。
幸雄は、大きなため息をついた。 「人は何故、科学の進歩を望むんだろう、この町、この風景・・・・こんなガラス張りで合成素材で、出来た世界なんて・・・・一体なんの魅力があるというんだ・・・」 彼の一言一言はもうろうとして弱々しかった。
「息苦しいな・・・・・誰か僕をこの世界から出してくださいよ・・・・」 幸雄は何も無い目の前を、手でかき混ぜるように振った。
幸雄は腕時計を見た。 「そろそろ時間か・・・」 彼はそう言うと振り向いて、屋上の扉を開き、下へと降りていった。 そして、いくつかの扉と階段をおりていき、さらに奥の部屋の前にたった。 それは厳重なロックが掛かっているゲートだった。
幸雄はカードを取り出した。
そして、幸雄はカードをゲートのキーにさしこむと、モニターが動き出した。 [ナンバー0030 神居幸雄] そう表示されると、ゲートはゆっくりと開き、ひんやりとした空気が幸雄の肌に触れた。
幸雄は同じ様な動作でいくつものゲートをくぐりぬけた。 そして、もっとも奥にある、複雑な装置の前に立つと、赤い色のスイッチを入れた。 するといくつものモーター音とともに、下から金属製の椅子が出てきた。
幸雄は、無言で椅子に向かい、それに座った。そして大きく深呼吸をした。
「幸雄!」 奥の暗闇から、彼を呼ぶ声が聞こえた。
「・・・・・・・来ましたね、父さん・・・」
薄暗い研究室の奥から、白い研究衣に身を包んだ、白髪交じりの男が現れた。 「・・・・・・いったいここで何をしている!?」
奥からやってきたのは、この研究所の所長であり、幸雄の父親である、神居府楽博士だった。
彼は息子の幸雄に呼ばれやってきたのだ。
「幸雄!早くそれから降りるんだ!それが何かわかっているのか!?」
「フフ・・・・わかっているから座っているんですよ・・・・」 幸雄は不敵な笑みを浮かべた。 「幸雄、お前は病気なんだ!正常じゃない!だから病院に帰ろう!」 神居博士は叫んだ。
「・・・・なぜ、僕がここにあなたを呼んだかわかりますか?」 「!・・・・・・・・どういう意味だ?」
「僕とあなたは、ここで数え切れないほどの動物実験を行いましたね」 「それがどうした!科学の進歩の為には、動物などいくら殺してもかまわんだろう!なんの問題がある!」
「・・・・・この椅子で死んでいったサルたちが何匹か憶えていますか?」 「・・・・・・・・先週の実験で999匹になるが・・・」
「クックック・・・・」 幸雄は笑い出した。 「では、僕で丁度1000匹目になるわけですね」 神居博士は驚いた 「幸雄!なにを言い出すんだ!」
「・・・・僕はあなたの期待に答える為だけに生きてきた・・・・勉強もした、そして未来もささげた・・・・なのにあなたは僕をいつもいつも叱り付けてばかりで・・・・」
「憶えていますか、僕が7つのころ、あなたから初めて買ってもらったプレゼントを・・・・・」
「・・・・そのプレゼントは野球のグローブだった・・・・そして僕はあなたとキャッチボールをした・・・・」
「・・・・だが、あなたは僕を鍛えるんだといって、グローブを外し、バットに持ち替え、ノックをし始めた・・・・」
「・・・・・僕はただ、あなたとキャッチボールがしたかった!他の友達の父さんみたいに楽しくキャッチボールがしたかった!」
「あなたはいつもそうだ!僕のためだ僕のためだと言っては、課題の山を押し付ける!」
「もう沢山だ!!」
「・・・・・・・・・幸雄・・・・・・」 博士はかろうじて幸雄の名を呼んだ。 体の震えが止まらなかった。
幸雄は装置を見まわした 「こんなもの、作ってなんになるんです?機械の進歩はしょせん人間を滅ぼす火種になる、それがわからないんですか?」
「幸雄!それから降りろ!!」 博士は叫んだ。
「時空連動装置・・・・過去に戻る機械・・・・フン!空絵ごとですよ・・・・こんなものの為に多くの動物を焼き殺してきたなんて・・・・」
「やめろ幸雄!!」
「僕はしょせんあなたの実験動物に過ぎない」
「父さん・・・・僕はもう生きるのに疲れました、いや、もともと僕なんてものは存在しなかったんですよ」
「・・・・・・僕は生まれて一度も自我というものを感じた事の無い人間だったんです」
「だからせめて、自分の死に方ぐらいは自分で決めます」
「僕の死体の後片付けは、お願いしますね」
「やめろー!」 博士は叫んだ。
博士が叫んだ瞬間、幸雄の体が光に包まれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
沈黙が続いた・・・・・・・・・・
神居博士はゆっくりと目を開き、立ち上がった。
そして、博士は目を見開いた 「こ・・・これは・・・」
博士は驚愕した、そこには、あるはずの、幸雄の死体が無かったからだ。
「ま・・・・・まさか・・・・」 博士はわなわなと体を振るわせた。 「もしかして・・・・成功したのか・・・・」
「・・・・・・・だとしたら、一体どこへ・・・・・」
神居博士の人生は研究そものもだった。 彼の頭の中は、それで常にいっぱいだった。 しかし、今の彼は違った。 ただ、息子が生きている可能性がある・・・・それだけを安どする父親の顔になっていた。
2111年、世界で初めて歴史的なマシーンが開発された。 それは、人類が幾度となく夢見た、いわゆるタイムマシーンである。 しかし、その後、博士は、機械を破棄し、研究の第一線から退いた。
そして、この事実、歴史的な成功も世に名を残すことなく、闇に消えていったのである。
『1945年』
幸雄は、草むらに倒れていた。 完全に気を失っていたようである。
「・・・・・・・う・・」 幸雄は目を覚ました。
「い・・・・生きている・・・まさか成功したのか?・・・・」 幸雄はつぶやいた
と、同時に幸雄は激しい腹痛に襲われた。 「ぐあ!・・・・・く、苦しい」 幸雄は転げまわった。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・っくそ」 幸雄はもがきながら、目の前にある草を握り締めた。
「があ・・・・・」 そして、かろうじて立ち上がったものの、今度は吐き気をもよおした。 そして嘔吐した。
幸雄はあお向けになって倒れた。 見た事も無いような日差しが目に飛び込んだ。
「あ・・・熱い・・・・」 幸雄は汗でびっしょりだった。 それは彼自身が高熱にうなされていたこともあるが、気温が極めて暑かったことも原因だった。
「・・・・・・し、死ぬ・・・・」 そうつぶやくと、幸雄は再び気を失った。
「・・・・・しっかりして!・・・・・しっかりして!」 どこからか女の声が聞こえてきた。 そして、顔をはたく感覚と体がゆれる感覚を幸雄は感じた。
幸雄はうっすらと目を開いた。
彼は気がついた。 そこはリヤカーの上だった。
「とうさん!気がついたわ!」 「ほお・・・息を吹き返したか」 リヤカーを引いている麦わら帽子の男が手を止めた。
「あ・・・あなた達は誰ですか?」 幸雄はたずねた。 「そりゃ、わしらが聞きたいよの、草むらに死体が転がっているって聞いたもんで、ほじゃけん運びにきたら、やっこさんまだ生きとるがな、ほっとくわけにもいかんで、とりあえずわしらの家まで運こんじゃろう思おての・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・すいません、お手数をかけて・・・・」 幸雄は謝った。 すぐ謝るのは幸雄の悪い癖だった。
「フフ・・・・・ねえ、あなたずいぶんと変なカッコしているのね」 少女が幸雄の姿をみて言った。 彼女は幸雄と同じぐらいの年齢だった。
幸雄は寝間着のままだった。 父親は麦藁帽子に白いシャツとツギハギだらけのズボン、少女のほうは、ボロボロのワンピース姿でモンペをはいていた。 たしかに自分とは服装の違いがありすぎる。
「ねえ・・・・体は大丈夫?」 少女が尋ねた。 「ああ、どうやら免疫のない空気を吸って、色々な病気に感染して一気に発病したらしい・・・・・病院で免疫医療をうけてなければ即死だった・・・」
少女はきょとんとした顔をした。 「どういうことそれは・・・・・」 「いや・・・・話せば長くなる・・・・」 そういうと幸雄は目をつぶった。
幸雄は荒れた道をリヤカーで進むのだから、激しく揺れていた。 しかし、まったく苦痛は感じなかった。 いや、むしろとても心地よかった、これほど心地よい気持ちになったのは、生まれてはじめてだった。 幸雄はこの道のりがいつまでも続いてくれればと、無意識に思っていた。
30分ほどして、リヤカーは止まった。 街中の家だった。 「おい、あんちゃん起きれるか?」 そういうと父親は彼の方を担いだ。 「すいません」 幸雄は遠慮しながら、立ち上がった。
父親は奥の部屋まで幸雄を連れて行くと、布団に寝かせた。 「おーい唯利・・・おかゆでも作ってくれや」 「はーい」 少女が答えた。 「あ、あのこ唯利っていうんですか?」 「ほうじゃ・・・そういやの、わしゃあんたの名前を聞いとらんかったがの」 「僕は、幸雄・・・・・神居幸雄です」 「わしゃは不破一作じゃ、憶えてといてくれ」
「・・・・・ところでお前さん、なんであんなところに倒れていたんじゃ?それに家はどこかの?」 「!・・・・・・・・・・あ、あの」 幸雄はあせった。 本当の事を言ってもわかってもらえないは間違いない。
「・・・・・ぼ、ぼくは記憶が無いんです・・・・」 「なに?」 「実は全くなにも憶えてないんです」 「記憶喪失か?」 「ええ・・・多分そうだと思います」 「フーン」 一作はしばらく考え込んだ。 「この暑さと熱にやられたんだな、そりゃ」
「とにかく、元気になるまでここにおったらええ」 「え?いいんですか?」 「こんなご時世じゃからのう、まぁ苦しい時はお互い様じゃ」 「え・・・・こんなご時世って・・・・」 「おめえそんなことも忘れたのか?」「は、はい・・」
「今はアメリカと戦争中じゃろうが・・・・」 「そ・・・・・そうなんですか・・・」 幸雄は初めて自分が戦時中の日本に来た事を悟った。
「はーい、おかゆできたわよ」 唯利がおかゆを持ってきた。 「ずいぶんと早いの」 「だって朝作っていった分があったから、暖めただけなんだけど」 唯利は笑いながら言った。
「はいこれ!」 幸雄はおかゆを受け取った。 中身はひどいものだった。 おかゆというのも名ばかりで、ほとんど、湯に近かった、それに米は無く、粟やひえ、麦だった。
幸雄は一口食べた。
「うまい!」 幸雄は叫んだ。
そのおかゆの中身はたしかにひどいものだったかもしれない。しかし、それは、毎日、合成食品のみを食べつづけた幸雄にとって、極めて美味な味がした。
幸雄は一気に食べた。 「こんな美味しいものを食べたのは生まれて初めてだ」 唯利はあっけにとられた 「・・・・・よほどおなかが空いていたのね・・・・」 「ある意味ね」 幸雄は急に元気になった。
「おやすみ!」 そういうと幸雄は寝転んだ、と同時に深い眠りに入った。
幸雄は深夜に目を覚ました。
そして、庭に出て、息を大きく吸った。 「なんてうまい空気だ・・・」 幸雄は思わずつぶやいた。
季節は夏だった。 しかし、風はひんやりとしていた。 「自然が残っていれば、空調がなくてもこんなに涼しいんだ・・・・」 幸雄は空を見上げた。 「あ・・・・あれは天の川だ・・・・こんなにはっきりと見えるなんて・・・・空気が奇麗な証拠だな・・・」 美しい星空の幸雄の心は躍った。
「もうおきて大丈夫なの」 後ろから声が聞こえた、唯利だった。 「ええ・・・・もう十分免疫が出来ましたから・・・・」 唯利は首をかしげたまたも理解できていないようである。
「きれいな星空ですね・・・・・」 「・・・・・あなた、なにいってるの、これはまだ曇っているほうなのよ、きれいなときはほんとうにきれいなんだから・・・」
「・・・・・・あなたって不思議な人ね・・・」 「やっぱそう思います?」 「なんか、この世界の人じゃないみたい・・・・」
「・・・・・・・・・当っていますよ、唯利さん・・・」 「・・・・・・どういう意味かしら?」
幸雄と唯利はしばらく見つめあった 「アハハハハハ!」 唯利が笑い出した。 「あなたって本当に不思議な人ね!」 「・・・・・そうですか?」
「・・・あまり無理はしないほうがいいわよ」 そういうと唯利は、部屋の奥に消えていった。
幸雄はその後姿を見つめた。 そして、その後姿に幸雄は、甘い香を感じた。
『8月5日』
シャアシャアシャアシャアシャア・・・・・ 幸雄は、朝セミのなき声で目がさめた。
「どうじゃ、体の方は・・・・・・・」 庭で薪割りをしている、一作が目覚めた幸雄に声をかけた。
「おかげさまで・・・ずいぶん楽になりました」 幸雄は庭に出た。
「・・・・あの・・・何かお手伝いが出来れば・・・・」
「そうか?それじゃこれ割ってくれ」 一作は斧を幸雄に渡した。
幸雄は、切りかぶの上に置かれた、マキを見つめると、大きく振りかざし、こん身の力をこめて振りおろした。
「えい!」 斧はマキに当らず、台になっている切りかぶに突き刺さった。
「フン!フン!」 幸雄は突き刺さった斧を引っ張った。 今度は斧が抜けなくなったのだ。
次の瞬間、幸雄は大きなしりもちをついた。 突然斧が抜けた為だ。
「あんちゃん、マキ割もしたことがないのか」 「す・・・・すいません」 「ちょっと貸してみ」 そう言うと一作は斧を拾い上げた。
「いいかの、あんちゃん、マキ割ってのは、力を抜いて振り下ろすんじゃ」 そういうと、一作は斧を振り下ろした。
マキはまるで豆腐のように、スパッと切れた。 幸雄はその二つになったマキを拾い上げた。
「・・・・すごい」 マキはまるで計って斬ったように、正確に二つになっていた。 それはまるで工芸品のような美しさだった。
「もう一度、やらせてください」 そう言うと、幸雄は斧を受け取り、薪の前に立った。
「今度こそ・・・・」 幸雄は斧を高く掲げ、振り下ろした。
がす・・・・・ にぶい音と同時に、今度は地面にのめりこんだ。
「く、くそ・・・・」 「あんちゃんもぉええよ」 「お願いです・・・・やらせて下さい」 「ふーん、まあそんなにやりたいんなら、がんばれ!男だからの!」 一作は幸雄の肩を叩いた。
「おーい唯利!」 「なーに」 唯利が家の奥から返事をした。
「わしの野良仕事の服と朝飯用意したれ!」 「はーい」
「これから、わしは市場にでるけん、あとはまかせたからの」 一作はまた幸雄の肩を叩いた。
「す、すいません・・・・」 「男がいちいちあやまらんでもええ!」 「は!はい!」 幸雄は背筋をピンとはった。
しばらくして、唯利が、古い作業着と麦藁帽子、そして配給用の焼き芋を持ってきた。
「さ・・・これに着替えて」 唯利から着替えを受け取ると、幸雄はそれに着替えた。 「それから、はいこれ」 幸雄は配給用のわずかな芋を受け取った。
二人は座わり、芋を口にした。
「・・・・うまい!」 芋を食べた幸雄は声を上げた。
「・・・フフ、おなかが空いている時って何を食べてもおいしいわよね」 「・・・・いや、僕の場合、この世界の食べ物なら、きっとなにを食べてもおいしいと思う・・・」 「この世界?」 「い・・・いや」
唯利は空を見上げた。 「あーあ、こんな世界、早く終わってほしい・・・・」 幸雄はその言葉を聞いてふっと思い出した。 今は戦時中なのだ。 「・・・アメリカと戦争中って言ってたよね」 「・・・・そうよ」 「・・・・てことは太平洋戦争ってことか・・・」 幸雄はつぶやいた。
唯利は大きくため息をついた。 「この戦争が終わるまで、私は東京に戻れないの・・・」 「東京?」 「そう・・・・私は東京から疎開してきたの」 「じゃ・・・あの父さんは」 「・・・私は父さん呼んでいるけど、実は叔父さんなのよ・・・」 「ふうん・・・」
「・・・・でも、東京は大空襲にみまわれて・・・・」 「・・・・・両親は無事なのかい」 「・・・ええ、なんとかね」
「でも・・・・私を育ててくれた、おじいちゃんやおばあちゃん、それに幼馴染の友達もみんな死んじゃった・・・」 そういうと唯利は、体を震わせて泣いた。
幸雄は、唯利の顔を見た。 「いつまでもこんな時代じゃないんだろ」 「・・・・・・・・・・・」 「希望を持とうよ!」 「・・・・・ありがとう」 幸雄は不思議だった。 つい先日まで、他人を激励どころか、自分が生きる気力すらなかったのに、自然とこんな言葉が出てくる。 幸雄は胸の中で熱いものがこみ上げた。
「さあてと、やるか!!」 幸雄は立ち上がって、薪を切りかぶの上に置いた。
「えい!」 なんとか当てる事が出来たが、薪は割れない。 「えい!」 またも薪に当ったが、今度は弾けて、遠くまで飛んでいってしまった。
「アハハハハハハハハハ」 唯利は大笑いした。 「おい、そんなに笑わないでくれよ!」 幸雄がむっとした。
「はは、ごめんごめん!でも本当にあなたマキを割った事が無いのね」 「ああ、この世界の事は全て初体験さ」 「・・・・ねえ・・・・・それじゃ聞くけど、あなたはどこから来たの?」 「・・・・・・・・・・」 幸雄はしばらく黙った。
「・・・・・なにもかもがイカレた世界さ・・・・・」 「この戦争より?」 「・・・・・ああ、結局人は永遠に愚鈍なのさ・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・」
幸雄は一心不乱に薪割を始めた。 どれだけの時間がたっただろうか、薪はいっこうに割れなかった。
「はぁはぁはぁ・・・」 「ねえ少し休んだら・・・・」 「・・・・・・あと一回だけ・・・」 そういうと幸雄は静かに斧を振り下ろした。
スコンッ 軽い乾いたような音と共に、薪が二つに割れた。
「や・・・やった!!」 「割れたわ!」
二人は、手を握っりあって喜んだ。 そして、抱き合った。
「・・・・・・・なんてことないことなのに・・・・なんでこんなにうれしいんだろう・・・・」 幸雄は不思議だった。 こんな達成感は生まれて初めてだった。 研究所での新たな発見より遥かに嬉しかった。
その後、薪は順調に割れ出した。 見る見るうちに、山となった。
気がつくと、すっかり日が暮れていた。 幸雄は疲れてきって座っていた
「フフ・・・・疲れた?」 「ああ、でもこんな気持ちのいい感覚は初めてだ・・・・・」 「・・・・本当にあなたって不思議な事ばかり言うのね」
幸雄は立ち上がった。 「ねえ、この辺りを散歩してもいいかい」 「・・・別に構わないけど・・・・」
二人は、家を出て辺りを散歩した。 なにも無い田舎道だったが、幸雄にはそれがとても新鮮だった。
しばらく歩くと、川が流れていた。 きれいな水だった。 二人はそこで腰をおろした。 「なんて奇麗な水だ・・・」 「あら、そうかしら?」 「それにこの空気・・・・」 「あなた、そればっかりね・・」
幸雄はふと気がついた。 光るものがあちらこちらに見えたのだ。
次の瞬間、その光は一斉に飛びたった。 「ホタルだ・・・・・・」
それはあまりにも美しい情景だった。 二人は無数のホタルに包まれた。
幸雄はしばらく呆然としていた。 そして唯利に言った 「・・・・本当のことを言うと僕は、自ら命を絶った人間なんだ・・・」 「・・・どういうこと?」 「僕は、なにもかもが嫌になって、それで・・・」 「でも、生きているじゃない」
幸雄は立ち上がった。 「・・・・・・・ほんの前まで、僕は死ぬ事ばかり考えていた、しかし今僕は、そんな気持は微塵も無い、なぜあんな事をしたのか、今となってはさっぱり理解できないんだ」 「・・・まぁどんな事情があるか解らないけど、生きる気力が戻ったって事はいい事ではなくて?」
唯利は小川を見つめながら言った。 「・・・・・いつになったら戦争は終わるのかしら・・・・」 「今、何年、何月だい?」 幸雄が尋ねた 「・・・・・昭和20年 8月 5日よ」
それを聞いた、幸雄は突然笑い出した 「ははははははははっ」 「どうしたの?」 「やったよ唯利! もうすぐ戦争は終わる!」 「え?なんで!」 「僕は未来から、きたんだ、僕が学んだ歴史では、終戦はたしか、1945年 8月 15日だ」 「そ・・・・それじゃ」 「ああ、あと10日の辛抱だ!」 「本当なのね!」 「ああ間違いない!」
「それじゃ、もうすぐこの広島にも平和が訪れるのね!」 「ああ、そうさ!あと10日もすれば・・・・」
その瞬間、幸雄の背中に冷たい感覚が走った。
「・・・・・・広島だって・・・・・・」
「・・・そうよ広島よ、ここは・・・・」
「・・・・・・きょ、今日はいつだって言ったっけ・・・・・」
「8月 5日よ、それがどうしたの?」
幸雄は突然ガタガタと体が震えた。 「どうしたの・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・」 幸雄はゆっくりと無言で振り向いた。 そこには、写真でしか見たことの無い建物、そう広島産業奨励館があった。
それは、まだ無傷の原爆ドームだった。
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