・ お わ り に
もう一つだけ紹介したいエピソードがある。いつの頃か、中学生か、あるいは
もっと幼い頃か、はっきりしないが、母の買い物に、三味線屋さんについていい ったことがある。世間話の中で、母が「うちなんか、仕事が少くて。主人も、もう 子どもには継がせないって言いますの、食べていけませんもの。」と愚痴っぽく 言った。すると、店のおじさん(Tさん)は、「ほんまに、困ったもんで、うちらか て、心配でっせ。そやけど、もう、外の世界から、こんな世界へ、飛び込んで来 る人も、おまへんやろ。うちらの子が、後継がんで、どないしまんねん・・・・」と、 三味線の皮を張りながら笑顔で言った。私は、子ども心にも「お父ちゃんの居う てることより、このおっちゃんの居うてることの方が正しい。」と思い、ちょっとの 間ショックを受け、胸をつかれたような気分がしたのを覚えている。
私は、邦楽演奏家としての道は、歩むことができなかった。しかし、今の私
は、多くの子どもたちを前に、日本の音楽の美しさや素晴らしさを伝えることの できる立場にある。「ここで、私がやらんで、どないしますねん。」
40(不惑)の年を迎え、私は、教師生活の中で、「邦楽を公教育に定着させ
る」ことに、つくしていきたいと考えている。
*『邦楽楽器商報』一九九一・四月号より十二月号に連載
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