◆ いろは小噺 ◆

毎回1つのキーワードについて語ってみる実験的コーナー


● 「ほ」の段

お待たせしました&本当にごめんなさい。約半年ぶりの更新です。
このコーナーはまだまだ続いていきますので、これからもよろしくお願いします。

 第17回  「北海道」 (2003.9.26)

僕が北海道に行ったのは3度。ただ1度目は1歳半のときに親がスキーしに行くのに連れてってもらったらしい。当然覚えていないので、 実質は2度。高2の時の修学旅行と、大学1回生の夏に友人と行ったときの2度。

修学旅行のときは、初日は北海道開拓村に行った。ここは明治期の開拓の様子を、いろいろな資料で知ることのできる施設。かなり広かった。 翌日は小樽へ。自由行動。運河周辺を歩いた。趣があってよかった。昼食には寿司を食べた(店名は忘れた)。 「値段」だけを見て入ったので、「おいしい」と絶賛できる店ではなかった。ただ、サーモンはおいしかった。 午後は「マイカル小樽」へ。吉本や「西部警察」のアトラクションとか、観覧車、映画館…、いろいろあったが、特に何もせずぶらぶら眺めるだけだった。
3日目はニセコで体験学習。ラフティングとか、つりとかいろいろあったが、僕が選んだのは、サイクリングとジャム作り。 サイクリングは山の中腹からふもとまで一気に下る。雄大な大自然を味わうことができた。すごいすがすがしかった。 ジャム作りは新鮮な苺を使って作った。なかなか難しかったが、おいしくできた。
最終日は、クラーク像でおなじみの羊ヶ丘展望台へ。札幌の町並みを見渡せるこの展望台。当時建設中だった札幌ドームもよく見えた。 ジンギスカン料理を30分(短い!)で急いで食べたあと、「雪印パーラー」へ。雪印乳業(!)の北海道工場を見学した後、アイスクリームを食べた。 ちなみにいうと、雪印乳業の不祥事が発覚したのはこの2か月後。おそらく1つ下の学年からは、この行程(「雪印パーラー」)はなくなったであろう。 貴重な体験だった。(何も問題がなかったから言えることだが。)
この修学旅行は、記憶に残る楽しい旅だった。

それから2年2か月後。ゆーじ氏とともに6泊7日の東北・北海道旅行に出かけた。
3日目の昼に青函トンネルをくぐり函館に到着。昼食で函館朝市の一角で塩ラーメンを食った。おいしかった。ただ函館では、 この日が久しぶりの「晴れ」というくらいの天候不順で、かなり寒かった。夜にロープウェーに乗り、函館山からの夜景を楽しんだが、 外気はかなり寒かった。8月も下旬とはいえ、17℃は寒い。
夜行列車に乗り、翌日には札幌入り。ただ、向かった先は小樽。まず交通博物館に行った。かなり広かったが、広さを持て余してる気が若干した。 昼飯を2年前の修学旅行で行った寿司屋でとったが、サーモンがおいしくなくなってた(甥)。ただ、その分、マグロがおいしかった。季節によるものなのだろうか? マイカル小樽にも立ち寄ったが、観覧車がなくなってて、サティもなくなってた(ビブレはあった)。これは驚いた。時代の流れは速い。
結局、札幌ではネットカフェに行き、風呂に入っただけで、ラーメンも食わず(惜しい)、夜行列車で函館へと帰った。翌日は青函トンネル見学のため、そそくさと北海道を離れた。

この旅の「北海道」は少し物足らなかったので、ぜひともまた行きたい。そして、また違うとこにも行ってみたい。これが僕の「北海道」話。

 第16回  「星野」 (2003.4.7)

前回更新から1ヵ月半以上。いくら教習所生活(?)が大変だったからと言って…。 更新遅れてすみませんでした。

いよいよ今シーズンも始まりましたね。そんなプロ野球で「星野」といえば、やはり阪神の星野仙一監督となるでしょうが、 今日取り上げる「星野」は昨シーズン限りで引退した、星野伸之投手。
1984年に阪急に入団。1987年〜97年に、11年連続二ケタ勝利をマーク。オリックスのエースとして、95、96年の連覇に貢献。 そんな星野投手も99年には、FAにより、阪神へ移籍。阪急・オリックスで168勝。阪神での200勝到達を期待されたが、 しかし移籍後の2年間は、周囲の期待ほどの活躍ができなかった。
しかし、昨年は星野投手ならでは、ともいえるような130キロのストレート、120キロのフォーク、 90キロ台のカーブを織り交ぜた芸術的投球により、再び好投。 ケガなどもあり、シーズンで2勝しかできなかったが、防御率2.39の数字を挙げ、いよいよエース復活かとも思われたが、 自身の体の不調のため、惜しまれつつ引退の道を選んだ。
19年間での通算勝利数は176勝。通算防御率は3.64。

あともうひとつ、星野投手といえば、オリックス時代にイチロー、戎(現・ヤクルト)とともに、マリナーズのキャンプに行ったことも。
この時、メジャーのバッターを完全に押さえてたら、FAの時、阪神入りはなかったかもしれない? しかし、最初の試合では好投したものの、次の試合でボコボコに打たれ、結局メジャーはやめたようです。
細身の体でのあの投球フォーム、好きでした。今までお疲れ様でした。
◇今回は、esさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。esさん、ありがとうございました!◇

● 「に」の段

 第15回  「西宮」 (2003.2.14)

さんざん待たせた「に」の段も今回で終わりです。

「にしのみや」:大阪と神戸のほぼ中央に位置する市。
僕は昔からずっと大阪市内に住んでいるが(引っ越し経験なし)、えせ西宮人といってもよいだろう。
というのも、小学校こそ大阪市立の学校に行っていたが、中学・高校と西宮市内の私立の学校に通っていた。 また、その学校に行くために、小学校高学年の2年間、西宮にあった塾まで通っていた。
西宮の学校に通っていたということで、今も西宮市在住の友人が非常に多い。年賀状の宛先の中で西宮市が一番多かったりするし。

こんなわけで、西宮通学歴8年。その間には震災もあった。特に阪急西宮北口駅の北東地区が印象に残っている。 今は「ACTA西宮」という住宅兼商業施設が2棟そびえているが、昔はごく普通の商店街だった。
震災で店舗が壊れ、一部は「ポンテリカ北口」という少し離れたところにあったプレハブの施設で営業していた。 この「ポンテリカ」という名前は、「仮店舗(かりてんぽ)」をひっくり返してつけられている。
この商店街がなくなって、更地になったあと、「ACTA西宮」が建てられるまでの景色は今も目に焼きついている。

西宮といえば、かつてプロ野球球団が2チーム、本拠地としていた。
一つは今もそのまま、ご存知、阪神タイガース。本拠地である甲子園球場について、よく知らない人(特に近畿以外の人)は、 大阪にあると思っている人がいるみたいだが、正しくは兵庫県西宮市。
そしてもう一つは、今はなき阪急ブレーブス。西宮北口駅の南東側にあった西宮球場(阪急西宮スタジアム)を本拠地としていた。 西宮北口に球場を建てる際、最初は、神戸線と今津線が直角に交わっていた 西宮北口駅の真上に作るという案があったらしい。だが、土地買収がうまく進まず (球場用地の一部が、阪急のライバル・阪神のものだったために、阻止されたとか)、結局この案はおじゃんになった。

こんな阪急ブレーブスも1988年に身売りし、オリックスブレーブスとなった。オリックスになっても、神戸に移転するまでの2年間は 西宮スタジアムを本拠地としていた。
オリックス球団が神戸に移転したあと、西宮スタジアムは、アメフト・競輪・コンサート・フリーマーケット等に使われてきたが、 競輪が中止され、また建物が老朽化してきたため、惜しまれつつも、昨年末をもっての廃止・取り壊しが決定された。非常に残念。
昨年8月、SMAPのコンサートのスタッフとして、西宮スタジアムのグランドに立ててよかった。

阪急から球団を引き継いだオリックスからは、イチローや長谷川・田口・木田などがメジャーへ行った。逆にマック鈴木や吉井が帰ってきた。
その中でも田口は、西宮北高→関西学院大と西宮に深く縁のある選手。
今年こそ、メジャー定着・レギュラー奪首をめざして、頑張ってください。
長すぎました。すみません。これにて、「に」の段、終了。続いて、次回からは「ほ」の段に進みます。



前回から約1ヵ月半。1月はテストがあったため更新が遅れました。
お題を出していただいた皆様、申し訳ありませんでした。ので、今回は「に」の段3連発にします。

 第14回  「日食」 (2003.2.5)

どうも、僕には日食には縁がないらしい。小学校の時以来、何度か日食はあったが、一度として晴れた試しがない。 新聞であることを知って、期待してるのに、その期待は見事に裏切られる…。
一昨年(だったと思う)、うまいこと晴れて、月食を見ることや撮影することができたのとは大違い。

月食よりもなる回数がかなり少ない日食なのに、いつも曇りとか雨。その日の夕刊に載る、 どっかできれいに観測できた日食の写真とかを見ると、かなり悔しい気持ちになる。 一度くらいは、皆既日食(まぁ別に、金環食とかダイヤモンドリングとかでもいいが)をこの目で生で見てみたい。

次の日食はいつだろうか? 次の皆既日食はいつだろうか? そして今度こそは晴れるのだろうか?
◇今回は、おかずさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。おかずさん、有難うございました!◇

 第13回  「忍者」 (2003.2.5)

下の回で国語辞典を開いたついでに、「忍者」も調べてみた。
「忍術つかい。しのびの者。」
これだけでは全くもってよくわからない。
そういえば、昔「忍者ハットリくん」とかいうアニメがやっていたような気がする。ただ、当時よりアニメを見る習慣がなかったため、 内容についてはよく知らない。見てないとかいってるくせに、「忍たま乱太郎」は妹が見てた影響で、時々見ていたため、案外知ってる。

それはそうと、忍者ってなぜ現れたのだろう?
忍術はいろいろ伝わっていて、伊賀流忍者とか甲賀流忍者とか分かれているが、忍者については謎が多いような気がする。 当時、忍者の地位ってどういうものなのだろう?今でいう黒幕ブローカーみたいな存在だったりして…。
今でも、忍術(忍法)は、武道や護身術のように伝承されている。ただ、その師範は決して忍者ではないわけで、そうなってくると ますます忍者って何者だったのかがわからなくなる。
でも、そういうわからない者こそが「忍者」なのだろうけど。

甲賀流で思い出したけれども、アメ村三角公園の近所にある「甲賀流たこ焼き」を未だに食ったことがない。 今まで、何回もアメ村に行ってるくせに、ようさんの人が並んでたりするから行ったことはない。 有名やから、いっぺん食べておきたいとは思うが。いつになるのだろうか?
◇今回は、おかずさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。おかずさん、有難うございました!◇

 第12回  「肉襦袢」 (2003.2.5)

へびさんからいただいたこのお題。「わかりにくいお題を選んでる」という本人からのコメントどおり、難しい。聞いたことがあっても、意味がわからない。 そこで、国語辞典(旺文社国語辞典;第八版)で調べてみたら、こうあった。
「肌にぴったりとした肉色のじゅばん(=和服用の肌着)」
辞書に続いて、検索サイトで調べたところ、「俳優が特異な肌を露わにする演出の時に用いる」ものだそうだ。ということは、 歌舞伎では、からだの線を際立たせる時に「肉襦袢」を着るのだろう。

それに対して、ハリウッドの映画とかでは、俳優の体に直接ラインを書き入れて、強調するようだ。このことはテレビで見て知ったのだが、 どんなに筋肉のがっちりついた俳優でも、撮影時のあまりに強い照明のもとでは、その筋肉の線が消えてしまって、弱々しい体に見えてしまうらしい。 そこで、ボディーメイクアーティストの人が線を入れることによって、照明のもとでも見えるようになるようだ。
そのボディーメイクアーティストの中に、日本人がいるそうだ。そのテレビ番組は、その人にスポットを当てたものだったが、 名前は忘れたが、この人はもともとトップダンサーだった人で、ハリウッド俳優(米人)と結婚。だが、ケガをしたため、現役引退。 その後、夫の現場に行くうちに、自然とスタッフをするようになったとか。初めのうちはスタッフの仕事が嫌だったそうだが、 ある女優の一言がきっかけで、スタッフの仕事の重要性に改めて気づき、本格的にボディーメイクの勉強をし、現在に至るようです。

(※参考リンク 「歌舞伎用語集」
人から聞いた話、見た話ばっかりで、読みにくくなってしまいました。ごめんなさい。
◇今回は、へびさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。へびさん、こんなもんでよろしい?◇

● 「は」の段

 第11回  「ハガキ」 (2002.12.23)

「は」の段、これで最後です。「ば」「ぱ」は出なかったので、後回しにします。

メールの普及でめっきりハガキを書く機会が減ってしまったが、年賀状だけは出すようにしている。 少数ではあるが、小学校の時の友達にも出している。小学校の先生にも出している。 だんだん減ってきてしまっているが、出し続けていくことに何か価値があるのだろうと思う。
本当のことを言えば、1年に1枚じゃ、近況報告とかにもならないとは思うけど、 出すのは、どうも年賀状だけになってしまう。大学の合格も、先生には伝えたが、 小学校の時の友達には伝えてない。まぁ、気も遣うし。どうなったんだろう? そろそろ年賀状の季節。まだ書いてません。頑張って書きます。

ハガキと言えば、結構書くのは懸賞のハガキ。でも、懸賞とはいえども、 ラジオ局主催の招待ライブの応募とかが多い。これもインターネットでの応募が増えてはいるが。 これは結構当たっている。
他の、一般的な「懸賞」にも出さないわけではないが、これは当然、なかなか当たらない。 今まで、メインの賞が当たったためしがない。Wチャンス賞とかには時々当たるが。 そもそもこんな懸賞って、倍率は何倍くらいなのだろうか??ふと疑問を呈しつつ、ここらへんでやめます。
「に」で待たせている人がいるんで、これにて、「は」の段、終了。続いて、次回からは「に」の段に進みます。

 第10回  「春」 (2002.12.23)

なんやかんやでもう10回目。これからも末永くよろしゅう。キーワードも待ってます。

やっとこさ、調べんでもできそうなキーワードがでてきました。ありがとう。
春ですか…。今年の春に大学生になった僕も、約9ヶ月を過ぎどっぷり大学生活にもはまりました。 この冬休みが終わったら後期試験です。後期試験が終わると、"春休み"になるようだ。とはいえ、まだ2月。 明らかに"冬休み"です。スキーも行きたい。毎年、家族で3月末にスキーに行っているが、今年はどうなるのだろう?
少し話がそれてしまったが、2月=春とは結びつかない。立春はあるけれども、あくまで暦の上での話。 まぁ、"春休み"にやりたいこともたくさんあるし、有意義なもんになるようにしたい。
僕はなんとか大学には入れたが、僕の友達の中にも今年涙を飲んでしまった人もいるんで、 ぜひとも、来春が「喜びの春」となることを祈願します。今回はこんなところで。
◇今回は、esさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。esさん、ありがとうございました!◇

 第9回  「羽生善治」 (2002.12.10)

前回より約1ヶ月。あっちゅーまに12月。忙しすぎます。バタバタしすぎです。こんなところで第9回スタート。

一時、七冠に輝き、かなり有名になった羽生さん。僕も知ってました。とはいえ、将棋に深い興味をもっていたわけではない。 将棋自体はやったことないわけではないが。(でも、必ず負けます。)僕が知ったのは、「公○式」がらみ。 僕は、小学校から中学半ばまで「公○式」をやっていたのだが(途中、小5・6は中断)、羽生さんもかつてやっていたらしい。 別にやっていたからどや!というわけではないが、当時の「公○式」の機関紙とかには、大々的に載ってたりしたわけです。

そんな羽生さんではあるが、今のことはよく知らないので、前回に引き続き調べることにした。今は32歳。 もう、それくらいなんだぁ。七冠になったのが6,7年前。ほんで今は、竜王・王座・棋王 の3冠だそうです。
将棋なんかは、実力と運が両方とも備わってないとなかなか勝てないものだと思います。
これからも頑張れ、羽生さん。

(※参考リンク 「羽生善治応援ページ」
◇今回は、おかずさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。おかずさん、有難うございました◇

 第8回  「はまぐり」 (2002.11.16)

やっとこさ「は」の段。永らくお待たせしてすみませんでした。

今日のお題は「はまぐり」。貝アレルギー(との噂のある)僕はあまり食べない「はまぐり」。
(実のところ、食べた思い出が浮かんでこない。)自分の知識・経験からではこれ以上語れない。
でも、ここで終わるわけにはいけないので、検索サイトで「はまぐり」と検索してみた。そこから出てきたページで少し調べてみた。 「はまぐり」の語源は「浜栗」らしい。「浜に棲み、栗に似ている」ところからつけられたようだ。
僕は栗もあまり好きではない。秋の味覚では、栗・柿はあまり好きではない。梨は好きだけれども。 そういえば、今年は松茸をひとかけらも食べてない。食べたいけど、今年は輸入ものさえ例年よりかなり高いらしい。 もう冬もかなり近くまで来てるし、諦めるしかないようだ。残念。

話のテーマが「はまぐり」から「秋の味覚」になってしまったが、こういうこともあるということで、お許しください。
素直な感想としては、今まででいちばん難しいお題。これからももらったお題は頑張って果たそうと思いますが、達成できないときはごめんなさい。

(※参考リンク 「農林水産物自慢/鹿島灘はまぐり」
◇今回は、へびさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。へびさん、すみませんでした◇

● 「ろ」の段

 第7回  「六甲山」 (2002.11.03)

お久しぶりです。しばらく更新できてなくて申し訳ありません。「ろ」が2回で終わっていいかでも迷っていたり…。

今回も「ろ」です、「六甲山」。僕にとっては、小学生のころは、六甲山人工スキー場にお世話になってました。 家からわりあい近いんで、ちょっとしたスキーの練習にはちょうどよかった。(でも、まだあん時は小さかったから。)
今となっては、あん時に比べたらだいぶ上達もしたし、だからあそこでは満足できない。そんなに長くないコースにあの人の数はえげつないと思う。
僕はもっぱらスキー派。スノボはやったことない。スノボをやってみたいとも多少は思うが、結構難しそうなんで、まぁスキーでいいやとも思う。 やっぱりスノボはしとくべきなんでしょうか?皆さんはどう思われているんでしょうか? 掲示板に意見でも書いていただけたら幸い。

今日のテーマはスキーでもスノボでもなくて「六甲山」だから、六甲山の話の続きを。
高1、高2のときに学校から「耐寒登山」ということで六甲山に登ったことがある。
六甲山系東寄り下腹部南向き斜面(西宮市)にあった高校を出発し、山を3つ越えて(3つ目が六甲山)、有馬温泉に向かうという登山コース。 高1の夏に大病を患った僕にとっては酷な登山であったが、冬と言うのに比較的暖かく(その前年には大雪が降ってかなり危なかったそうだ)、 まぁ、登りやすかったということができるかもしれない。ともかく、2年とも登りきった。
一応、班対抗の登山ということだったが、賞の基準タイムが平均タイムだったということで1年目は入賞。でも、次の年はタイム度外視でゆっくり登ったんで、かなり成績は悪かった。
結構きつい登山やったけれども、今となってはいい思い出。でも、もう登りたくない…。

六甲山と言えばもうひとつ忘れてならないのが「六甲おろし」。
元来、六甲山系から南に吹き降りる寒風のことですが、「六甲おろし」といえば、某プロ野球球団の歌ですよね。
その球団、今年は4年連続の最下位から脱出し4位。ケガ人が多かったことを考えると上出来なのか?
来年こそ頑張ってもらって、「六甲おろし」をぎょうさん聞きたい。
ネタを探すのも難しいので、これにて、「ろ」の段、終了。続いて、次回からは「は」の段に進みます。

 第6回  「ロック」 (2002.10.24)

「ロック」ですか…。ご丁寧に「音楽ジャンルとして扱ってください」とも。難しそう…
正直言って、パンクロックとか、オルタナ・ロックとか、男気溢れるロックとかは、自分からはあまり聞かない。 もちろん、ラジオから流れるのは聴いてるし、ハイロウズとか、ミッシェルガンエレファントとかをカラオケで歌うこともあるけれど。
のちに「Music」コーナーに僕の好きなアーティストを紹介しようとは思ってるが、(そのリストが出た時にそれを見てもわかると思うが) 主に好んで聴くんは、女性ボーカルの邦楽。普段聴いてるラジオ局(FM802)の影響もあって、H崎さんとか、M娘。とかはほとんど聞かない。 あまりテレビに出たことのないアーティストをよく聴いたりするから、少しマニアックな路線と言えるかもしれない。 (注:矢井田瞳に関しては、インディーズ時代から知っていて、CDも購入していたことを注記しておきます) そんな僕の聴いているアーティストの中で「ロック」といえるもんには、Coccoとか矢井田瞳とかが当てはまるだろう。 まぁ、もちろん曲によってやたらロックな曲もあるから、誰が「ロック」にあてはまるかは一概には言えないけれども。
今回は結構難しいテーマだったような気も。でも、別に構いません。どんどん送ってきてください。頑張ってみます!
◇今回は、esさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。esさん、ありがとうございました!◇

 第5回  「ローズ」 (2002.10.19)

今回から「ろ」の段。心機一転頑張ります。キーワードを応募された方を待たせておりますので…。すみません。

18日、パ・リーグの全日程が終了。大阪近鉄のローズ選手は、カブレラ(西武)、そして同僚の中村に2差をつけて打点王に輝いた。
昨年は、王貞治に並ぶHR55本の日本記録をマークしたローズ。5試合を残しての日本記録達成に、新記録も期待されたが、ダイエー戦での連続敬遠などがあり 結局記録更新はならなかった。そして今年は、HRでは当初から新記録ペースでうちまくったカブレラに早々にリードされたが、 ローズはそのカブレラと電話で和やかに話し合ったこともあったようだ。今年のカブレラもHRは結局55本どまりだったが、56本と並んで期待された三冠王についても、 小笠原(日本ハム:打率)、さらには盟友ローズに阻止された。
西武の公式戦が終わった時点で、ローズは帰国。その時点ですでに打点トップだったが、中村に抜かれる可能性もあった。 ローズは「ノリ(=中村)に抜かれるなら別にいい。どうせなら分け合いたい」とのコメントを残した。このメッセージに応えて、中村も「分け合いたい」と言っていたが、 重圧からか、ローズ帰国後の2試合で打点は挙げられず、ローズの単独受賞となった。
◇今回は、おかずさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。おかずさん、有難うございました!◇

● 「い」の段

 第4回  「妹」 (2002.10.15)

たまには、パーソナルな話もいいだろうということで選んだ今回のキーワード。
僕には、2つ下の妹がいる。こういうと、ひとりっこの人から文句が出るかも知れんが、いろいろな意味で、妹がいてよかったと思う。 僕と妹とは、結構好対照であると思う。性格的にも、こっちが父親似であるところに着いては、向こうが母親似だったり、またその逆だったり。 これが世の兄弟(姉妹)の常だとは決して思わないが、兄妹2人というのは、割とバランスが取れてるもんだと思う。
こっからは、家庭の環境に多分によると思うが、今でも、妹と話をしてるし、時々口喧嘩もする。(これには僕が短気なせいもある) でも、妹によると、妹の友人の家では、その人と、兄はほとんど口を利かないらしい。少し寂しくないだろうか。(こう思うのは、こんな僕だから?)

話は少しぶれるが、よく「精神年齢」とか言う話がある。これはあくまで、僕の持論で、実際とは異なってるかもしれないが、 「もし、兄弟姉妹がいるのなら、その自分以外のメンバーに引っ張られる」というもんである。「3人兄弟の真ん中は?」とかつっこまれるのは目に見えてるが、 この持論には一理あるとは思う。僕も、妹がいるために、他の人より若干若いと思う(別に、だからといってその分、劣ってると言っているわけではないし、 妹を非難してるわけでもない)。他の人はどうなんでしょうか?
あんまり、長く引っぱるのもあれなんで、これにて、「い」の段、終了。続いて、次回からは「ろ」の段に進みます。

 第3回  「イチロー」 (2002.10.10)

2001年、オリックス・ブルーウェーブから、米大リーグ、シアトル・マリナーズへと日本人野手第1号として飛び立ったイチロー選手。
年間210本というシーズン安打数の日本記録を作った'94年から、大リーグ1年生の昨年まで、8年連続の首位打者に輝いてます。 今年は、残念ながら無冠に終わってしまいましたが、とはいえ、打率.321、更には四死球73は立派です。しかも、メジャー通算打率は依然.336と高いのですから。
でも、あの時、仰木監督が「鈴木一朗」を表舞台に上げなかったらどうなっていたのでしょう?
'92年のドラフト4位の高卒選手。(ちなみに、この年のドラフト1位は、同じく米大リーグ・カーディナルスに移籍した田口選手) 確かに、'93年のジュニア・オールスターでMVPをとってますが、大活躍の機会を与えたのは仰木監督でしょう。 仰木監督の功績があったからこそ、'94-'96年のパリーグMVP獲得、そして大リーグキャンプ派遣、ついには、大リーグ入り、MVP獲得が実現されたのでしょう。

それよりも、オリックスはどうなっちゃったんでしょう?監督も変わったし、'95、'96年の連覇の主力メンバーも、藤井の引退で、チームに残るのは、金田、小林、平井、三輪、大島と数えるばかり。
プロ野球一の貧乏球団は、果たして来年どんな戦いを見せるのか?
◇今回は、おかずさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。おかずさん、有難うございました!◇

 第2回  「異人館」 (2002.10.07)

神戸・北野の「異人館」。神戸でも、メリケンパークやハーバーランドといった沿岸部と人気を分かつ、観光スポット。
三宮から、北野坂を上がるとそこは「風見鶏の館」など素敵な洋館が立ち並ぶ…。と書いてるものの、実際のところ、まだ行ったことがないんです。 また行ってみたい…。でも、ひとりはなんか寂しい。いつ行けるんだろうか?
異人館街から少し東に行ったところには、布引ハーブ園行きのロープウェー乗り場があります。ハーブ園には、小学校の遠足で行った覚えがあります。 ちなみに、このロープウェーは強風で止まることがよくあります。ご注意を。

かなり余談ですが、「北野」という地名、神戸だけじゃなく、大阪にも(大阪市北区に「北野(=バス停名)」、淀川区に「新北野」)、 さらには京都にも(京都市、上京区・北区に。「北野白梅町」など)あります。京阪神全てにある地名もなかなかないのでは? 京都の「北野」も、「北野天満宮」とかで結構有名。それに比べると大阪のは地味かな?

 第1回  「イングランド」 (2002.10.04)

イングランドといえば、やっぱりサッカー。
イングランド代表の中でも一番の人気を誇るといえば、デービッド=ベッカム選手。
それにしてもすごい人気ですねぇ。男女問わずってところですか。妻子持ちなのに。ビクトリア夫人との間にできたお子さんの名前は「ブルックリン」と「ロミオ」。 イギリスに行ったことはないのでこの名前が流行ってるか、また流行るかはよく知りません。でも、やっぱり流行るんちゃうかなぁ。
ベッカムもええけど、もう1人、個人的には、日本からイングランドに行った、稲本も忘れたくはないわ。
昨年、渡英し、アーセナル入り。アーセナルでは出番に恵まれなかったが、今年のW杯で一気に目立ちましたねぇ。W杯後、フラムに移籍。大活躍じゃないですか!!ホンマすごいわ。
アメリカでは、イチローやら野茂やら石井やらが活躍してるけど、ヨーロッパでも負けずに、稲本やら小野やら中田やら俊輔やらが活躍してますねぇ。皆さん、頑張れ!応援してまっせ。
◇今回は、esさんの選んだキーワードを採用させて頂きました。esさん、ありがとうございました!◇

★このコーナーでは、ただいま「ほ」「へ」で始まるキーワードを募集しております。★
ご応募は、掲示板に書き込むか、こちらまでメールでお送りください。