4月1日〜22日(退院)まで



4/1(日)
今日はとても楽しみにしていた外出だ。
高校時代の同級生Yからの誘いがあり、日テレの「電波少年」という番組の公開収録に行くことが出来るんであ〜る。
オホホホ!
メールで誘いを受けたのが3月末だったので、ちょうどリハビリが開始されるという事もあり張りきって出かけることにした。
但し、Yは私が入院しているのを知らないので、今日になって待ち合わせの場所に行くまで知らせないことにしておいた。
だって素人だと恐ろしがって誘いを断られる可能性も考えられるからである。
こんなchanceは滅多にないので、つかんだ獲物は逃がすもんか!

AM9:00に駅で待ち合わせしていたので、事前に外出用紙をGETしておいたこともあり、
朝食直後のAM8:10にこの病室を出て駐車場に向かった。車のエンジンは入院以来かけられない状態だったので、
担当のセールスマンに頼んでバッテリーを充電しておいてもらった。それが効いたのかエンジンは1発でかかり、
久し振りに運転席に座ったにも関わらず案外スムーズにハンドルを持つことが出来た。こんなものだろう・・・という感覚でしかなかった。
自宅マンションの前に車を路駐しておき、自宅に立ち寄って荷物を持ち帰ったり新たに持ちだしたりしていたら、
アッという間に時間が経ったので駅前に車を走らせた。地図で日テレ近くの有料駐車場の位置を確認したりしていたら、
サイドの窓をコンコンと叩いたのがYだった。朝の挨拶を済ませてから近くにあるファーストフードに向かった。
手早く朝食を済ませたら一刻も早く到着しておかなければ・・・という思いがあり、またナースのアドバイスに基づいて
松葉杖を持参していたので動きが鈍かった分、早く行きたいと思っていた。
AM10:00過ぎには集合場所に到着していたが、タッチの差で2番目の人が私達の後ろに並んだので「早く来ておくものだ」と話していた。

番組の中身はともかくとして、生まれて初めてテレビ局内に入ったという事もあり、また6日後に実際に放送されるものを
先取り出来るという一種の優越感みたいなものもあったと思う。最前列のド真ん中の席で食い入るように見ていた。
収録時間が長く4時間以上にも及んだけど、番組は2時間ものなので何処がカットされるか楽しみだ。
昼食を食べてないということもあってか、かなり疲れて局を出てきたのがPM5:00寸前だったと思う。
先ほどの有料駐車場まではタクシーで向かったが、行きと同様1メーターだった。
この駐車場は公共という記載が看板にあり、何が公共なのかは分からないが、松葉杖を付いていたら
料金が半額になった。4500円の所を2250円で済ませられたのだ。ちょっとラッキーだった。
ここを出て直ぐに路駐してから電話をかけておくことにした。
整形外科病棟で準夜をしているナースが「どうしても早く知りたい」と言っていた事と、また収録時間が大幅に遅れたので
病室に戻る時間もその分遅くなることを告げないといけないのだ。ナースは喜んでいた。
やはり情報はtimly&speedyじゃないとね!!

隣の駅前のトンカツ屋で夕食を食べてから、各々の帰路についたということになる。
自宅には寄らず本屋にだけ立ち寄り、病室に戻ったのはPM8:00という時間だった。
ナース達に差し入れをしながらテレビ局での様子を一気にマシンガントークしてしまった。
準夜のナース達2人も「へえ」とか「ほほぉ」とか言いながら聞いていた。

この日の「電波少年」の放送は前週の火曜日に収録されているので、今日の公開録画に行った者は当日夜の放送を見る前に
6日先の放送を見ることになった為、少しの時差が生じたことになる。だけど、たまにはこういうのも面白いと思って見ていた。
6日後の内容を先に見てしまった為に、当日の内容が大体は把握出来てしまう・・・という状況だ。
これもまた滅多に体験出来ないことだろうと思っている。
ナイターの50分延長があったし野球も気になってはいたけど、疲れてウトウトしてしまった。
23:00の巡視に来たナースにイタリアンやフレンチの美味しいレストランを教えてもらったので、退院したら是非とも行ってみたいと思った。


4/2(月)
朝の検温にやって来たのは“2月から勤務交代でこの病棟にやって来た、元外科病棟の20代後半か
30代前半と思われるナース”だった。昨日、外出に出る際に外出用紙にサインしながら「私(このナース)、日勤・深夜だから」と
言われていたので深夜勤務だというのは知っていた。準夜のナースから聞いてはいたというが、更に詳しく・・・というか、
確認するという意味でメモを取りながら聞いていった。

検温後に朝練のCPMを施行したが、115度からUPする事は出来なかった。痛い!!

日勤の担当は“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”だった。
身体を拭くタオルを熱めのお湯に漬けてきてくれた。普通の湿ったタオルを熱してあるだけでなく、これは結構気持ちが良いものなのだ。
無言でバケツに入ったタオルを置いていった。この人はこれで良いんである。変に声をかけられると、こっちが気持ち悪いのよ!

昨日から新年度に入り、先月末で7人も集団退職させてしまった引責なのかどうかは知らないが、
この整形外科病棟の婦長も交代のようだ。患者には直接関係がないので「あ、そうなの」という感じでしか見てない。
このNEW婦長氏がやって来て「1〜2日の予定で同室者が来る」という。元々、大部屋希望らしいけど今週は男性の入院ばかりなので、
今女性部屋として使用している大部屋を男性部屋にする為だという。最初はコストを2人分払ってでも同室者が来ることを防ごうと
したんだけど、よく考えてみると病室でオムツ交換をしたりポータブルトイレを使ったりしない限りは「誰かいれば絶対に誰も入れない」
訳だから、仕方なく同意することにした・・・というか、こちらに考えたり意見を述べたりさせない状況で言いに来たので強制的に同意させられた。
これで数日間のうちに大部屋が空く予定だというので、数日間で空かなかったら文句の1つでも言ってやろうと思っている。
なんせ、3/24〜26にかけて「お金を出せば個室扱いに出来る」という実績を作っているので、出す物を出せば文句は言わせないぞっ!

同室者はPM3:00頃に歩いてやって来た。
とりあえず挨拶だけしておいて、不要な会話は極力避けよう。相手は年配者なので共通の話題もない。
手を怪我しているようだ。自分で歩いてトイレに行けるみたいなので、ホッとしている。ボケてもないみたい。

せっかく動物園状態の大部屋から解放されてコストまで払って2人部屋に入ったんだから、動物園みたいな病室だけは
避けてもらいたいものだ。何て我がまま・・・と思われるかもしれないが、働いている時の感覚とは違うものなのだ!
実際にそういう病室に入ってみれば分かる、ってなもんよ。

準夜は“2月から勤務交代でこの整形外科病棟にやって来たという、元産婦人科メインの混合病棟にいた余り笑わないナース”がやって来た。
昨日の「電波少年観覧」のことを少し話した程度で、他は特にこれと言って記憶に残る話をした訳ではない。
CPMを施行したが、やはり115度以上は何としても出来なかった。大体にして115度のkeepすら出来ないんだから、
そりゃあ無理な注文よのぉ。でも、なんとか明日の朝はやってみたいと思っている。
出来なくても、とりあえず挑戦はしてみないと先に進めないもんね。


4/3(火)
朝の検温時に採血施行。その直後にCPM115度で行いkeepも出来た。AM9:00左膝2方向のレントゲン撮影あり。
朝から天気が良かったがPM3:00頃にいきなり雨が降り出した。PM1:00リハビリに降りる。強制曲げは90度くらい、とのこと。
自分としては限界だと感じているが・・・。準夜でのCPM(夜トレ)は3日ぶりに角度UP出来た。
115度30分、120度30分。この120という角度を落とさないようにしたいと思う。


4/4(水)
朝の検温後にCPM施行。前夜の終了時よりも角度をdownさせないようにと思いつつ、120度で行った。痛いことに変わりはない。
この整形外科病棟から3月末で7人も集団退職してしまったので、4月に入ってからというもの一気に人工密度が低くなっているのか、
毎日が日曜日のようにナースは誰もやってこない。来たとしても次の業務に追われているのか、
ろくに話もせず儀礼的なことしか口にしなくなっている。
PM1:00、リハビリに降りる。強制曲げは昨日と同じ角度らしい。
PM4:00、体重測定。先週と同じ57kgをkeepしている。これが自分のベストだ。
PM7:00過ぎにAちゃんがやって来た。普通の日に来たので驚いた。
消灯近くまで正面玄関の所で話をしていた。
PM9:00、CPM120度で施行。痛いところは同じで、痛み自体は強くもならなければよくもなっていない。


4/5(木)
朝の検温直後にCPM120度で施行した。ナースは人数が少ないのか誰も来ない。
PM1:00、リハビリ。強制曲げが95度になったらしいが、痛すぎる。病室に戻ってから2時間位は気絶していた。
しかし、これで夜のCPMが(同じ120度でも)少し楽になったので、それなりの効果はあった。
PM4:00頃、やっとのことで同室者(元々、大部屋希望らしい)が隣の大部屋に移動した。2日間の予定が4日にもなっていた。


4/6(金)
朝の検温直後のCPMで120度keepが出来ていた。昨日のリハビリでの強制曲げで少し軟らかくなったのか?
これで今日のリハビリを昨日と同じようにやってもらえば、夜のCPMは角度UP出来るかもしれない。
午前中の部長回診で日曜日の外出時のことを聞かれた。今後は外出を繰り返して(左膝が)腫れないことを確認しないと・・・とのこと。了解。
14:50〜15:30まで外出(銀行、本屋、コンビニ、薬局)した。夜間のCPMは120度30分、125度30分だったが、
さすがに125のkeepは無理だ。


4/7(土)
朝のCPMは125度。とにかく前日よりも角度を下げないように・・・というだけだ。週末なので・・・というか、
4月に入って以来“毎日が週末のような感じ”なので、ナースを始めとする人通りがほとんどない状態だ。
部屋の担当も当日の午後まで知らされないという始末。呆れてモノが言えない。
午前中に誰か来れば「外出して風呂に入りたい」というのを伝えようと思ったのだが、3回ほど探しに行ったのに
ナースステーションはおろか、付近の病室には人っ子1人いない。人影が見当たらないのだ。
馬鹿らしいので自宅に外出しての入浴は中止。検温時に文句を言っておいた。やる気が削がれる、ってもんだ。
人が少ないのは分かるけど、こりゃひどすぎる!
だけど人数が少ないのは、ハッキリ言って患者には関係ないんだぞ!
文句を言うとムカツクだけなので、とりあえず寝よう。
夜は夜でナイターと「電波少年の特番(4/1にスタジオ観覧したものの放映)」があるのだ。


4/8(日)
今日も朝の検温後にCPMを行う。痛い部位も程度も大して変化がないけど、とにかく125度より
角度を下げないようにしないといけない。何日か同じ角度で続けていれば、そのうちUP出来るだろう。
AM9:45〜PM12:00まで一時帰宅して入浴する。1ヶ月振りのことなので気持ちが良い!
本日の担当は“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目になったナース”なので、
明日にでも次のことを確認してもらうように伝えた。

1,何をもって退院とするのか(治療方針の確認)
 →金曜日の回診時に「外出して(左膝が)腫れないことを確認しなきゃな」という発言があった為、
   自分としてもそろそろ飽きてきた・・・というか帰りたいとは思うけど治療方針に反する事はしたくないと考えている、という事も伝えた。
2,自分としては15日(日)か遅くても22日(日)には帰りたいと思っているが、いかがなものか。
3,いずれにしても10〜12月の入院時に施行してもらったように、今回も退院寸前に採血をしてもらい、
  数字の上で悪化してないことをこの目で確認しておきたい・・・と考えている事。

以上3点をすべてDr.Yに確認し、ナース間だけで話をするのでなく、まず患者の私に教えてもらいたいという事も念を押して言っておいた。
ここの病棟のいけない伝統の1つとして、患者を伝言ゲームに巻き込むという事が多々あるので、そういう事のないようにしてもらわないとね!
困る、っつうの!

この日も例にもれず消灯時にCPMを行い125度から落とさないようにするべく、左膝の痛みをこらえた。


4/9(月)
朝の検温は“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目に突入したナース”がやって来た。
検温直後にCPMを開始した。125度の状態を2分間keepすることが可能だった。この分だと夜トレは130度が出来るかもしれない。
だけど「CPM=自力曲げ」とならない所が悲しいんだなぁ〜、これが!

昼前にKママと僕が来てくれた。先週のうちに小学校への入学式が終わり、もう通学しているとのことだが、いかんせん今週から
なので「行ったと思ったら帰ってきた」と笑っていた。道中が危ないので後をつけていたらしい(笑)!
僕は散髪しており、ちょっとりりしい感じがしていた。そして私に「おばちゃん、ウルトラマンとおもちゃ行く?」と
聞くので「足が治ったら行くよ。家や車を買えと言われたら困るけど、オモチャならママに怒られない程度にね。ママがお買い物に行ってる
間にチョロッと行こうぜ!」と言ったら「(ママに)聞こえてるよ」だってサ!さすが子ども。
ま、でも、君のママには返しても返しきれない位、助けてもらってるからオモチャなんて安いもんよ。

PM1:00にリハビリが始まった。
強制曲げでは95度だそうだ。とても痛い。足がちぎれそうだ。でも、ちぎれてなかった!
リハビリが終了してから気絶したかのように眠っていたら、いつの間にか準夜の時間帯になっていた。

準夜は“知らないうちに主任になっていたナース”だった。
消灯時に約1時間ほど話をしている最中に「今、帰る(退院する)自信がないんでしょ?」と言われた。
確かにその通りだった。自分の中で飽きてきた・・・というのが強いため、自信の無さが隠れていたのかもしれない。
少しくらい不便な所があっても、危険なことさえしなければ・・・という思いもあったのは確かだ。
ちょっと考えさせられた一言だった。夜トレのCPMは何とか130度に到達したが痛〜〜い!


4/10(火)
朝の検温時に採血を施行した。
検温直後にCPMを開始したがとても痛いものだ。痛みの程度が改善してない。
夜中はズッとcoolingしているので無理もないと思うが、冷やしてなければ冷やしてないようなHOTな膝になるのだから
結局は「どっちもどっち」という所だろう。

PM1:00からのリハビリでの強制曲げは100度位になったらしい。毎日、ほんの少しだけどUPはしているようだ。
強制曲げはうつ伏せになって行うので一体どの程度曲がっているか・・・というのは自分の目で確認出来ない。
従って担当のお姉さんに聞くしかないのだ。とにかく痛いんだな、これが。OPの時に筋肉を切っているから・・・って
頭では理解できても身体が痛みを我慢しきれないのよね。ま、仕方がないとするか!だって痛いものは痛いんだ、っつうの!
悲しくないのに涙が出るとはこのことだ。

準夜は“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目になったナース”がやって来た。
勤務開始間もないと思われる時間にこの病室を訪れた。8日(日)に依頼しておいたこと、
そして3月末位から出しておいた宿題、この2つの答えを持ってきた。

《8日(日)に依頼してDrに確認してもらったこと》
何をもってヨシ(退院や今後のあらゆる目安)とするか・・・という点について。
まずは外出して膝を使うこと、だそうだ。そして普通なら・・・というか、何も無い人の膝が腫れてくるのは問題だけど、
私の場合は「腫れてきても2〜3日でおさまれば許容範囲内」とのことだった。少し位腫れるのは仕方が無いとの見方である。
なるほど、そりゃあ、そうだよな。こんなに何回も腫れまくってるんだし、何回もOPをして中はきっとグチャグチャになってんだろうな。
元通りにならなくても良いから、騙し騙しやれる範囲ってのを自分で体感しておかないとね。
そうすると「気付かないで無理をする」という醜態をさらさなくて済むと思うのだ。

《3月末から出しておいた宿題》
これは私も以前から不思議に感じており、可能な範囲で調べたり人に聞いたりしたのだが、
なかなか納得出来るまで調べきれてない部分があった。まずは私が彼女に出した宿題の内容について書いておこう。

左膝に関する病名は2つあり、そのうちの「化膿性膝関節炎」に関することだ。
私の今までの経過で不思議なことがある。化膿性・・・という言葉を使っている以上は何らかの原因菌があって感染している
のかと考えられる。ところが細菌感染したと思われる兆候の1つとして、白血球数が上昇しても良いはずなのに、
いつ採血しても正常範囲なのだ。あら?あらら?
これを読んでいるあなたがDrやナースなら分かると思うのだが、人体内に感染源が侵入した場合、
体内の白血球さんたちがこぞって集まってきて感染の原因になった細菌と戦う・・・っていうのが一般的なのである。
だけど私の場合は正常範囲内でいつもほぼ一定した値なのだ。WBC(白血球数)だけでなく血沈も大したことがなかった。
いつも2時間値で10〜15前後かな。
そして第2に、いつも必ず抗生剤を使う前に関節液を培養という細菌検査に提出して顕微鏡で見てみる・・・という検査を施行しても、
いっこうに細菌くんたちは現れないのだ。
業界人に分かりやすく言うと「培養はいつもマイナス」なんですのよ、これが !ね?何だか変だと思わない?
・・・にも関わらずCRPという炎症反応を示す数字だけが、とても高くなっているのだ。
もちろん急性期だけのことであり、各種治療(安静、cooling、抗生剤等)によって徐々に落ち着いてはくるのだが、
本来は「マイナス又はZERO」というのが正常値なので治療によって治まるというのは自然のことである。
化膿は細菌感染がないと起こらないが、炎症は感染が無くても起こりえることなのだ。

この難問に対して自分で可能な範囲のことは調べたが、果たして自分に適応出来ることなのかどうかが分からないし、
今後の彼女にとっても勉強になるんじゃないかと考えたので彼女に調べてもらうことにした。答えは以下に記す通りのことだった。

1,化膿性関節炎という病名は症状的なものに対してついたものである。
2,必ずしも関節液培養で原因菌が出るとは限らない。パーセンテージは低いらしい。
3,関節液培養がマイナス(陰性)だからと言って、細菌がないとは言えない。膝関節内には関節液だけでなく他の組織(滑膜等)もあるので、
  関節液以外の組織に反応(培養検査で原因菌が判明すること)がある可能性が高い。

執刀医でもある部長さんに聞いたらしい。彼女が質問している時に「オマエ、分かってんのか?」と言われたと笑っていた。
そして私に対して「Drはもっと沢山説明してくれてたと思うんですけど、私(ナース)の頭で理解出来るのは今の説明までが限界です」と
また笑っていた。
1年目の時は散々な・・・というと失礼だと思うけど、動作はトロイし頼んだことは忘れる、しかも何が分からないのか自分でも
自覚してないという感じで、唯一明るく笑っていたのが彼女の受け持ち患者として救いだった。
彼女にとっては業界の大先輩となる私の受け持ちをするのは負担かもしれないけど「看護計画なんか頑張って立ててたよ」という
声を何回となく聞いた。
平成11年6月の靭帯再建術の時に丸々3ヶ月、それから1年後の平成12年9月の抜釘時、
その抜釘の退院からわずか2週間でUターンしてしまった平成12年10〜12月、そのまた2ヶ月後にUターンして
4回目のOPとなった今回の入院・・・。
私の5回の入院生活のうち4回は彼女が受け持ちナースだった(平成10年10〜11月にかけての入院は整形外科病棟が空かなくて
最後まで産婦人科メインの混合病棟だった)。

この2年間で劇的に進歩した・・・かどうかは定かでないけれど、私にとっては非常に楽しみな存在だ。
だから前回(H12,10/24〜12/10)の退院時に「あなたのお陰で足が治ったと思っているから」
と言って井上陽水・奥田民夫の「ありがとう」というCDを手渡しておいたのだ。
感謝などというありきたりの言葉では表現しきれないものがあるのは確かだし、前の病棟婦長氏にも言われた
「付き合い、長いもんね」という言葉通りになっているからだ。これだけ何回も入院し、その度に受け持ちナースと担当の患者という関係
になっていると、自然とお互いの扱い方が分かってくる・・・というものだ。ま、向こうはどう思っているか知らないけどね。


4/11(水)
今日も朝の検温後に定例となった感のある朝練CPMを施行した。130度だった。
朝から目覚めの1発という感じで涙が2〜3粒出てしまった。

今日と明日は“左膝を使う”という半ばリハビリ目的も兼ねての外出だ。かと言ってPM1:00からは
別名・第7サティアンとも言われているリハビリ室に行かなくてはならないので、大して時間はない。
一応、外出用紙にはPM12:30迄に病室に戻るという予定を書いておいたのだが、リハビリまでの時間に余裕を
持たせておいて良かったと思っている。
車で秋葉原に行ったのだが渋滞していたというのは言い訳にならない。確かにPM12:30には駐車場に戻っていたので、
そこから先を急げなかったのだ。病院の昼食を止めておいたのでファーストフードで昼食を買おうと思ったのだが、
あいにく時間が悪かった。とうとう昼食を断念して病室に戻り、紙パックに入ったジュースを一気飲みしてトイレを済ませてから
第7サティアンに降りていった。

4種類のトレーニングを各々10分間ずつ施行してから、いつものようにうつ伏せになって担当のお姉さんによる
強制曲げが行われることになった。痛いのよねぇ、これが。しかし自分の中では一線を越えたような感じがしていた。
昨日までは「OPの時に筋肉を切ったという部分」がとて痛くて、やっている最中に足がちぎれそうになっていたのだが、
今日はそれがとても軽くなっているのが自覚出来たのだ。CPMの時も同じような感覚があった。
リハの担当でもあるお姉さんの「昨日よりは曲げやすい」という発言と一致している。
お姉さんは「退院を1週間延期したことによって、何とか自主トレのみの状態に持ちこめると思います」とも言っているので、
退院後にリハビリ通院しなくて済むかもしれない。

リハビリを終えて病室に戻り、気絶していた所<PM3:00頃にいきなり総婦長がやって来て
「糖尿病で高血糖の男性が来ているんだけど、男性の部屋がない。〇〇さん(私のこと)の隣に男性を入れる訳にいかないので
1日だけ大部屋に移って頂けないか」と言うのだ!
眠気の残った頭で「一体どういう事なのかしら」と思っていたら総婦長が「〇〇さん(私のこと)が普通の人だったら言わないけど、
看護婦さんだから言うんですが、人道上そのような患者さんを帰す訳にはいかない」と言い放った。
私は横になったままで「じゃあ私はどうなるんですか?」と言ったら「この部屋を希望して入ったのは私(総婦長)も分かっています。
明日になったら私が部屋の都合をつけますから」というので、ハッキリと「嫌です」と伝えた。
そしたら何処からか呼ばれたのか一端席を外したけれど、数分後に戻ってきて「どうにか部屋の都合がつきました。
今後、このような事がありましたらご協力下さい」と言ってから去っていった。私は無言だったけど何なのかしら?これ?

いきなり総婦長が来たのには前哨戦があり、実は昨日のPM3:00頃だったか、新しい病棟婦長がやって来て
次のようなやりとりがあったのであ〜る。
「明日(11日)に1日だけという予定で隣に入院がありますので、よろしいでしょうか?
元々大部屋希望の方なので明後日空くと思いますのでそしたら移します」と言われた事から始まったと思われる。

「この前も1日と言っておきながら結局は3日間でした。3/24〜26にはコストを出せば個室扱いに出来たという実績が
ありますので、私が退院するまで個室扱いにして下さい。私は自分の疾患から逃げている訳でもないし、
社会復帰する意欲がない訳でもない。戦う姿勢もkeepしているつもりだけど余りに長いと疲れるので、
何とかしてもらいたいという事で今回のOPを受けることにした。また自分の環境を自分で整えるという意識があり、
そう出来るうちはそうしたいと思っている。別にお金がない訳ではないから出す物は出しますので、退院するまで個室扱いにして下さい」

「私(新しい病棟婦長)が患者でももそうしていたと思いますし、〇〇さんの気持ちも分かります」

「ええ?本当ですか?この前初めて会ったばかりなのに私の何が分かるんですか?」

「ただ〇〇さんも看護婦なら分かると思いますが、私は治療や手術を受けたいと思っている人に受けさせてあげたいな、と思うんです」

「だけど出す物を出せば個室扱いに出来たという実績があるんですよ。その時は週末だったので
管理当直のM婦長さんという人がわざわざこの病室まで来て、そうする事も可能だというのを教えてくれたんです。
何日も経っていないのに同じ院内で統一されてないのはおかしいんじゃないですか?M婦長さんに聞いてみて下さい。
わざわざここまで書類を持ってきてくれて3/24の16:30〜3/26の23:59までは個室扱いにするという
署名・捺印(サイン)をしたんですよ」

「あら、じゃあその時の患者さんは帰したのかしらね?」

「知りません」

「調べてみます。では、どうしても駄目なんですね?」

「はい。駄目です個室扱いにして下さい」

「分かりました。残念です」

・・・と言って退室したが、今日の今の時間(PM4:00過ぎ)になっても何も言って来ないし、個室扱いにする為の
書類も持ってこない。同時に同室者はいない。昨日このようなやりとりがあったので、いきなり総婦長を出してきたのだろうが、
相手が私だというのが悪かったみたいだ。

「どうしても男性部屋がないけど、糖尿病で高血糖の人が来ていて帰す訳にいかない」と言っていたにも関わらず、
話しているうちに「どうにか都合がつきました」と言うのっておかしいと思わない?
よく探さないで来たのか、あるいは私を大部屋に移せば嫌がって早く退院すると思ったのかは知らないけれど・・・。探してからこい、っつうの!

そんなこんなで夕方から夜間にかけては不愉快な時間を過ごすとともにこの病院のいい加減さに
「退院したら絶対にホームページにドキュメントとして書こう」と強く思った。
準夜のナースはとても疲れきった表情をしていたので、このような話をしようにも出来なかった。CPMは130度で施行した。


4/12(木)
朝の検温直後に行うCPMは130度から下がることはなくなったようだ。
学校の成績が上がり下がりするのと似ているのかもしれないが、とにかく下げることだけはしたくなかったのだ。
今日もAM9:30〜PM12:50までのほぼ3時間にわたって「左膝を使うというリハビリ目的」で秋葉原に外出してきた。
昨日はタイムオーバーで昼食を食べられなかったので、今日はファーストフードで持ち帰りすることに成功した。
とは言ってもリハビリの時間に間に合わないので、ジュースを飲んだだけで1階の第7サティアンに降りることになった。

2日続けての外出は久し振りだっただけでなく、膝にもそれなりの負担がきていたようだ。
今日は歩いている最中から左膝が腫脹しているのが自覚出来たし、蹴りが効かなかったのだ。
またお皿(業界用語で膝蓋骨という)の下辺りに痛みがあるのだが、我慢の範囲内であり増強することはなかった。
しかし、腫れについてはナースに報告して見せておかなければならない。
色や形、そして感覚に訴えるものは“その時”に見せておかなければならないのだ。
PM1:00という定刻に第7サティアンと呼ばれているリハビリ室に降りたら、担当のお姉さんが開口1番に「腫れてますね」と言った。
トレーニングを軽めにしつつ、整形病棟にTELしてもらって私の受け持ちナースをリハビリ室に呼んだ。
わざわざ呼んだのは理由がある。ナースの中に「わざわざリハビリ室に行って見てきた」という意識を植え付ければ、
必ず記録に残すかDrに報告する・・・という習性があるのを知っているからなのだ。
それに病室に戻るとICINGシステムが待っているので「その時点(外出から帰って間もない時点)での熱感」を見せるには、
下のリハビリ室に来てもらうのが最善策だと考えた。

PM2:40、“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目になったナース”がリハビリ室に降りてきてくれた。
そして私の左膝に触れる前に「ああ、腫れてる」と言っていたのを聞き逃してないわよ!
そのまま軽めにリハビリを続けたが、うつ伏せの強制曲げだけは抵抗があったらしく中断した。

病室に戻ってからというもの、いつの間にか眠っていたようだ。
入院して以来、OP前日に入浴のために自宅に戻っただけで1度も外に出ていなかったのでそういう面では
人混みに疲れたのかもしれないし、体力的なものもあるのだろう。
準夜の“2月から勤務交代でこの整形外科病棟にやって来たという、元産婦人科メインの混合病棟にいた余り笑わない
気の強そうなナース”が勤務開始直後のPM4:30頃に顔を見せにやって来たらしいのだが知らなかった。
「寝てたから起こさなかったヨ」と言われて気付いたのだ。
夜トレCPMは130度で施行した。自主トレをみっちりやった後だと曲がりやすいと感じるのは当然か・・・。


4/13(金)
昨日・一昨日と続けて外出した時の腫れが残っているのか、朝のCPMはきつかった。
検温に来た“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目になったナース”に報告したし、
ナースもそのような事を言っていた。しかしCPMの角度を下げることだけはしたくなかったので、泣きながら施行した。
今日は疲れを取る為にもおとなしくしておこう!

AM10:20、部長回診があった。
Dr:(外出して)腫れたんだって?
私:そうそう。
Dr:(左膝を診察しながら)これは感染して腫れてるのではない。
   翌日になって引けてきてれば許容範囲内だな。
私:感染してのものだと自分で分かるもの。これは違うね。
  リハのMさんにも「前日と違って抵抗があって曲げにくい」と言われた。
Dr:これを目安に慣らしていくしかないね。
私:分かりました。

退院のことは何も言わなかったので不思議だった。数日前、受け持ちナースに言ったのにね。
よく分からないけど、とりあえず「この程度の腫れなら許容範囲内」ってのを体感しておくと、
退院後のスポーツプラザに通い始めた時「気付かないで無理をしてしまう」という醜態をさらさなくて済むというものだ。
この程度の自己管理が出来ないようでは文句も言えない、ってなもんよ!


4/14(土)
この日も例に漏れず朝の検温直後にCPMを施行した。痛い場所も程度も変化はなし。
角度は130度で行った。朝から良い目覚めになっている。9:30〜20:20まで自宅で過ごした。
本当は午前中だけにしようと思っていたのだが、本日の準夜が「出入り禁止の2名」だという情報をGETしたので
「誰もが不愉快な思いをしないで済むように」との配慮である。
また外出用紙には20:00までと書いてあったが、日勤のナースにこっそりと「ギリギリに戻ってきて外出用紙は部屋の入り口に
テープで貼り付けておくわ」と言っておいたのだ。

ちなみに「出入り禁止の2名」とは、去年の10〜12月にUターン入院していた時、とても人間とは思えないような発言をしやがった
O山看護婦とK子看護婦のことである。各々の発言にはとても不愉快にさせられ涙まで流したので、総婦長を呼びつけてやったのだ。
O山については総婦長と共に謝りに来るのは来たが、その後も態度が不変だし、K子に至っては謝ってもらっても
私の傷が癒える訳ではないので・・・と言ったら総婦長も分かっていたようだ。
前回の退院前(12/8頃)にK子本人でなく、総婦長だけが詫びを入れに来ていた。

普通「そこまでしなくても・・」と思う方々もいらっしゃるとは思うが、この2人は「そこまでさせる汚い言葉を私に向かって吐いた」
という事実があることを忘れないで頂きたいものだ。
K子看護婦に至っては録音してあるものが残っているし、O山に関しても総婦長と共に謝罪にきた時のものを録音してあるのだから、
あとで何かを言われても別に構わない。
録音?もちろん「今から録音します」って言ってからとったわよ!こんな馬鹿な看護婦が同業者だなんて信じられないことなのだ。

・・・という訳で病室に戻ったのは20:25だったので「帰院時間」の欄に時間を記入して入り口のドアにテープでくっつけておいた。
消灯時には確認しにこなくて23時の巡視時に所在を確認しにきたようだが、どちらがやって来たのか知らない。
布団をかぶって寝たふりをしていたのだから・・・。ま、ナースとしては居るひとが分かれば良いんじゃないかな。
繰り返すけど、この2人は「それだけの事をしている」んであ〜る。

夜のCPMは日勤のナースに「帰る寸前に病室の中に入れておいて」と頼んであったので、
私が病室に戻ってきた時は既に機械がおいてあった。そのまま130度で施行した。


4/15(日)
朝の検温は“今月から卒後2年目になったprettyナース”だった。
検温直後に朝練CPMを施行したが、夜間はズッとICINGシステムをやっているだけでなく、
朝は全般的に身体が硬くなっているのもあってとても痛いものだ。お尻の肉の左側が持ち上がってしまうのだ。
数日間で慣れるとは思うけど痛いものは痛いのだ。

時間は忘れたが・・・、たぶんAM9:00過ぎだったと思う。
ナースが熱い清拭タオルを持ってきてくれただけでなく、全開にしていた窓やベランダに出る為のドア、そしてカーテンを
閉めてくれたので身体を拭く準備を始めていた。
カーテンの中で身体を拭いたり着替えをしたりしていたら、看護助手(いわゆるヘルパーで無資格)がぬけぬけとカーテンの中に入った来たのだ!!
なんだ、こいつ!入り口をノックしたのは良いけど、狭い2人部屋に1人しか入っていない状態で患者がカーテンを閉めて
中で何かしていると言っているのにプライバシーそっちのけで入ってくるなんて一体どういう事なのか??
常識知らずもはなはだしいわぃ!
このオバハン看護助手(ヘルパー)の行動に関して、何が目的だったのか、あるいは私が中で何をしていたのかは問題でない。
“カーテンの中で患者が何かしているのに一言も声をかけず無断でカーテンの中に入ってきたこと自体”が問題なのだ。
これでは、せっかく有料病室に入り「病院内ではあって無いようなもの」としてしか扱われてないプライバシーを可能な限り守りたい・・・と
思っているのに、全く意味をなさないじゃないか!馬鹿者!
いい歳をしたオバサンなんだから、その程度の配慮ってもんが出来ないのかしらね。
これには久々に激怒させてもらった・・・という感じである。

直ぐにナースコールを押してその旨を伝えた。間もなく本人と一緒に本日の部屋担当でもある新人ナースがこの病室にやって来た。
新人ナースを同席させたのは証人という名目だけでなく、「患者が何に対して怒っているのかを教えてやって」と言い、新人ナース
の口から言わせることだった。しかし、このヘルパーったらサ、自分の娘よりも若いと思われる年代の人ナースから“私が怒っている
理由”を聞かされる迄、私が「どうして呼びつけられたのか分かりますか?」と聞いても「対応の仕方ですか?」とか
「言葉使いですか?」とか言ってて、呼ばれた理由が分かってなかった。
あ〜あ、新人でも良いからナースを同席させといて良かったわン!
これがヘルパーと2人だけで、しかも元気だったら手が出ていたかもしれないわね。なんちゃって。
昔の人が言っていたという「馬鹿につける薬は無い」っていうのは当たっていると改めて感じた。

このヘルパーに思い知らせてやろうと思い「今日はお茶も昼食もいりませんから。はい、サヨナラ」と言って追い返した。
ふん、ざまあみろ、ってなもんよ!アンタが悪いんだ、っつうの!
自分の娘以下(?)の年齢の小娘2人の前で恥をさらしたという感覚はないんだろうか?
その後“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”が余計な一言と共に謝りにきた。お茶と昼食はこのナースが配膳にきたので食べてやった。

準夜で“この整形外科病棟で最年長と思われるナース”がやってきたので、
最近の外出に際して左膝が腫れてくることについて話をしていた。
ナースは「何回か動いて腫れて引いて・・・というのを繰り返して少しずつ腫れ具合が減少していくと思う。
今は回復過程だと思うよ」と言っていた。なるほどね、という感じで聞いていた。
やはり、たまには(?)年長者の言うことを聞くものだと感じていた。そういえば、今月始めに「電波少年観覧」の為に外出する時、
ほとんど自力歩行は可能でも松葉杖を持参した方が良い・・・という的確なアドバイスをしたのはこの人だった。
夜トレCPMは130度で施行した。


4/16(月)
朝の検温は“今月から卒後2年目になったprettyナース”だったが、2晩連続の深夜勤務明けだった為か
とても疲れた表情をしていた。一刻も早く帰宅してゆっくりと休んでもらいたいものだ。
いくら若くても生理的に全く逆パターンの深夜勤務は疲れるものだというのは、充分過ぎる位に理解しているつもりだ。
お疲れ様、って感じかな。
朝練CPMはとても痛くて完全に目覚めてしまったが、何か一線を越えたような感じがしている。
痛みに慣れたのではなく・・・。CPMをやったり、あるいはリハビリでうつ伏せ状態にて強制曲げをやっている時、痛む箇所は
以前から同じなのだが痛み方が違ってきた・・・と言えば分かりやすいだろうか。
最初の頃は「お皿の外側やや上の方」がちぎれそうになる位の痛みだったけど、最近はそこまで
の痛みではなくなってきたように感じるのだ。改善の兆しなのだろうか?

今日も「膝を使うというリハビリ目的」にて、AM9:20〜PM12:40まで外出してきた。
秋葉原に行ってインターネット電話用のヘッドセット2000円なりをGETしてきただけだ。
何も目的が無く外出しても疲れるだけなので、本来は退院してからやろうと思っていたメモリーの増設やヘッドセットの購入が
入院中に出来てしまった。これで退院後の時間はおとなしく(?)自宅で過ごせるというものだ。
しかし、何故かとても疲れてしまったようだ。たった1日だけ、しかもほんの数時間の外出なのに。

昨日は自分のミスで昼食を食べられなかったが、今日はファーストフードに立ち寄って持ち帰りの物を買ってきたので、
とりあえずその中の1つを食べてから時間がせまっている第7サティアンでのリハビリに降りていった。
自分の感覚としては「外出して少し(左膝が)腫れたみたいだが、歩く時間を減らした為なのか先週ほどではない」と
いうものだった。この感覚をよく覚えておいて退院後の目安にしたいと思う。
リハビリ・メニューは通常のものを施行した。関節自体は軟らかい・・・という担当者のコメントあり。

準夜で受け持ちナースがいたので、今週の計画を練ろうと思っていたのだが・・・。
私の方が疲れて眠ってしまった。CPMは21:40〜130度で施行した。


4/17(火)
朝の検温時に採血施行。たぶん採血とセットにしてDrが指示を出していたのだろうが、10:30左膝レントゲン撮影あり。
日勤は新人ナースだったのだが、血圧測定をするのに聴診器を持ってきてなかったようだ。
ちょっとお笑い!当人は緊張していたらしいが、こっちはおかしかった。

午後の第7サティアンでは左膝の裏側に枕を置いて起きあがって来る・・・という例のスタイルで膝を曲げてみたら
115度だったらしい。担当のお姉さんによると「ここまで来れば自主トレだけで正座までいけると思います」とのことだ。

準夜は“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目になったナース”がやって来たので、
昨日から考えておいた内容を話し、Drに聞いておくように頼んだ。
 1,治療方針の確認(継続して入院が必要なら理由の説明をしてもらいたい)
 2,左膝内側の軽い痛みは今後も続くものなのか(続く理由が分かれば、とても痛くならない限り訴えない)
 3,レントゲンの結果説明(今回入院後も何回か撮っているが、こちらが要求しているにも関わらず
   誰からも、何も、一言も説明なし)

夜トレCPMは130度で施行したが、自主トレを目一杯やった後での130度はキツさが違うものだ。


4/18(水)
朝の検温・・・の前に何と!AM5:00に巡視らしきナースがきたのにはビックリした。
出直し検温はAM7:00を回っていたので予定が狂ってしまったわ!CPMは130度で施行した。

9:30〜12:50まで外出して目黒のパソコンショップに行ったが、開店30分前だったのでUターンして
自宅で風呂に入ったり、パソコンをいじったりして過ごした。
歩いても蹴りが効かないのは暫くの間仕方のないことなのだろうか・・・。
病室に戻ったら直ぐにリハビリに降りる。
膝の裏に枕を置いて・・というスタイルで曲げてみたら昨日と同じ115度だったが、かなり痛くない方(右)に
傾いているのが自分でも分かった。でも、どうしようもないのよねぇ〜!
これを準夜のナースがCPMを持ってきた時にもやってみせたら、右側に傾いているのを指摘された。


4/19(木)
今日もまた朝の検温直後にCPM施行。130度keepが可能になっていた。
昼食後の12:50頃“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目になったナース”が
この病室にやって来て「Drがレントゲンの説明をすると言っているので下(2階のナースステーション)に・・・」
というので「何か言ってた?」と聞いたが「さあ、Drに聞いて下さい」と言ってニヤッとしていた。

2日前に伝えておいた3つの事について、今回の執刀医でもある整形外科部長のDr.Yから説明があった。
 1,数回の外出を繰り返して「左膝を使った」結果、腫れてきても今の所は翌日になったら腫れが引けてきているし、
   感染の気配は感じられないので退院しても良いだろう。
 
 2,左膝内側の鈍くて軽い痛みに関しては、今後も続くだろう・・・とのこと。
   高校生の時に半月板を除去するOPをしている為、再生半月というのが出来ているらしい。
   それが悪さして周囲の組織を傷つけていたのか、OP室でモニター画面を通して見せてもらった所は
   じわじわと出血していたので、電気メスで焼却したことを確認したけれど、仮にそこが病巣部だとしても
   「焼却自体が完全ではなく、組織を殺すだけ」なので全部は無理である、とのこと。

 3,下腿(H12,9,14に抜釘した部位)については「少しずつではあるがビスがあった所に骨が出来てきている」とのこと。
   大腿(今回H13,3,9に滑膜切除術のついでに抜釘した部位)については「OP後1ヶ月余りしか経過してないので、
   今後も定期的にレントゲン撮影する」ということだった。又、感染源の近くと思われる大腿部のビスの近くに
   感染が及んでないことも確認されている・・・とのことである。

以上の説明に納得出来たし、H10,11,11に最初の滑膜切除術を受けた時のDr.Oからも、
あるいはその後に勉強したことからも「滑膜切除をしたからと言って水が溜まる可能性がZEROになる訳ではない」と
理解出来ていたので「ふ〜ん」という感じでDr.Yの説明を聞いていた。
退院の許可が出たという事もあり、ナーステーションを出る時、思わず小さくガッツポーズをしてしまった。
引退数年前の落合選手が「10.8」と言われた中日・巨人戦でホームランを打った時、
滅多にしないガッツポーズをしていたのと同じような感覚である。

13:00には定例の第7サティアンに降りていつものトレーニングを始めていた。
リハビリを終えて病室に戻ったら、しばらくしたら“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目に
なったナース”がこの部屋にやって来た。以下の5点を依頼した。
 ◎生命保険の診断書2通
 ◎勤務先に提出する診断書1通
 ◎退院処方(整形は湿布と緊急時の座薬、内科はいつもの喘息薬)
 ◎次回の受診日
 ◎明朝、念の為に採血を希望(最終確認)


4/20(金)
朝の検温時“今回も私の受け持ちになった、とても不運で今月から卒後3年目になったナース”が採血を施行した。
退院前の最終確認という意味である。この時「次回、外来は5/14頃」というのを言われた。
やはり、たたでさえ混雑しているので、わざわざ連休明けは避けたいと思っていたため
この日になって良かった・・・。混んでいると分かっていて行く・・・というのは、相当具合が悪くないと行きたくないというものなのだ。

11:00〜11:15、銀行で現金をおろして部屋代を支払う為のお金を持ってきた。
・・・が、悲劇はここから始まったのである。こりゃまたたまげたもんだわぃ!
昼食は大体の場合、12:00前後に運ばれてくるのだが、待てど暮らせど来ない。
まさか外出したので食事なし・・・という訳でもなかろうに。

回診後に銀行でお金をおろしてきて病室に戻ったのがAM11:15だった。
外出用紙にはもちろん食事を止める・・・なんて事は書いてない訳だし、一体どういう事なのかしらね。

栄養課の都合で配膳が遅れているにしては、PM1:00近くになっても誰も何も言って来ないもんだから、
ナースコールを押しましたわよ。だけどPM1:00からリハビリなので、「お昼は要らないから」と言ってそのまま第7サティアンに降りたのよね。
そしたら後を追うようにして“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”が詫びを入れに来たのは形だけで
「どうしてそうなったのか」については言わない。リハビリ室で他の患者もいる為「喋っていると腹が立つからもういい。
あっちに行って。今から作ると言ってもどうせ残り物だし要らない」とだけ言いリハビリを続けましたの。

で、最後のリハビリを終えて病室に戻ったら、不要だと言ったはずなのにご飯がある訳よね。
一切、手を付けずにそのまま病室の入り口の前にイスを置いてその上にお膳ごと置いといてやった訳だけど、
数分後に検温にやって来たナースに「どうして、誰が(私の昼食を)止めたのか。なぜ本人が謝りに来ないのか」に
ついて聞いたのに「本人は病棟にいないから」と言って答えないので、渡された体温計をポンと投げて
「喋ってると腹が立つからあっちに行って」と言って、また追い返してやったんだけど未だに(PM4:50過ぎまで)本人が来ないし、
外出しただけで昼食が止まってしまった理由も分からないままなのよね!管理責任があるはずの婦長も来ないし・・・。
一般の人が医療界にいだく漠然とした不信感って、こういう所なんじゃないのかね!?

最後までいい加減さを通すのなら「こっちも」と思って、準夜のナースの出方次第によっては
夕飯もわざとらしく食べないでやろうかと思いますわ。だって「黙ってればもうすぐ退院」という態度が分かるものね。
「退院寸前に嫌がらせか」とナースに言ってやったのよね。だって理由も原因も分からないもの、
そうとしか思えないし・・・。もう会計も155000円を支払ったし診断書もGETしたので、
その気になれば明日にでも帰れるのよね。ホントに最後までいい加減だわ!!

夕方友達が来ていた時、ちょうど夕飯の配膳だった。持ってきたFナースとのやりとりを全て私の横で聞いてたけどね・・・。
ナースは「〇〇さん(私のこと)も今までに間違いをおこした事があるハズだ」とか「このような間違いは日常茶飯事だ」とか
言っていたので、それについて怒ってたわ!もちろんFナースがいなくなってからなんだけど。
この病院のいい加減な所が垣間見えたようだとも言ってたな。確かに。
そして次に具合が悪くなった時はこの病棟でない方が良いかもね・・・とまで言いましたわ。
全く、その通りよ!

夕飯の配膳に来たナースはどうしてもお膳を置いていきたかったらしいが
「どうしてこうなったのか」という事情説明もないし、誰のミスなのかが分からないのに食べる訳にはいかない・・・と言ったら、
事情だけは調べてきたみたい。日曜日に退院なので金曜日のうちから各種伝票(この中に食事関連のもある)を
医事課に降ろさないといけないのだが、どうやらその伝票に日付を間違えて22日なのに20日と記入したらしいのよね。
大体分かりましたね、誰か。それを記入したナースだけでなく、確認するという作業を怠ったナース(日勤のリーダーでもある
Eナース)の2人に責任があると直ぐに分かったわ。

絶食なので水分だけしか取ってないのよね。
日勤および準夜のナースに「友達が来ているから何か買ってきてもらったと思わないでもらいたいわね。
食べないと言ったら食べない。当人が詫びを入れに来て事情を説明するまでは」とピシャッと言ってやっただけでなく、
空腹でも自主トレとCPMはやった。あとで上げ足を取られない為にもね。

相手が隠そうとするならそれはそれで構わないが、こちらも身体を張って徹底してやるぞ。
日曜日の朝のCPMが終わったら退院するけど、それまでに当事者が現れなければ
去年の今頃かな・・・若医者(抜釘編と予定外の感染編の時の担当医)を投書したようにするだけ。


4/21(土)
ただいま絶食中ですわよ。どのナースに聞いても「誰がどうやったから食事が止まってしまったのか」という理由を
隠そうとするので、それなら・・・とことらも徹底交戦の構え。当事者が詫びを入れてくるまでは!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

《ここから先は当日知りあいにメールで報告したのを抜粋する》

たぶん昨日の朝、検温時に採血をした私の受け持ちナースか、もしくは一緒に勤務していたナースのどちらかでしょう。
昨日の朝の検温で「食事はいつまで出しておきますか?」と聞かれましたので、伝票を書いたのは間違いなく
私の受け持ちナースです。それが他の伝票や退院時に持ちかえる薬等も含めて本当に間違いないか・・・を
確認するのは、昨日の日勤リーダーだったEナースなので、この3人のうちの誰かでしょうけどね。

間違えたことそのものを攻めているのでなく、隠している事に腹を立てているのです。
当人は昨日の朝で帰宅しますから、当然昨日の昼に配膳されなかったことはまだ知らないでしょう。
ただ、昨日の夕飯の配膳にきたナースにも言いましたが「当人の名前を言いたくないのなら言わなくて良いから、
あなたがTELして伝えなさい。そうしないと週末なのでうやむやになってしまうし、今の時間なら世間一般から見ても
非常識とは言われないと思うから」と言いましたので、もしかしてTELが(今日になってでも)いっていれば知らさせてるかも
しれません。

昨日の朝、採血をしている時に「明日(要するに今日・21日のこと)は準夜」というのを本人から聞きましたので、
必ず今日の16:30には出勤してくるハズです。それが分かっていたので絶食という強行手段に出た・・・という訳なんです。
この若いナースは今までこうした事があった場合、先輩達のように言い訳をせず謝ってきましたから
「ほほぉ、(ここの病院にしては)見上げたもんじゃのぉ〜」と思っていました。
それが無ければとっくの昔に帰宅してますよ。出方を伺う余裕がないとね。

但し、今日の夕方に勤務に出てきて少しでも言い訳をするようなら「適当に外泊用紙に書いておいて」と言い、
書類上は外泊退院という形になるように細工をします。だってお腹が空いてるんですもの!

本当に食べてなくて水分しか摂取してない割には夜間もよく眠っていて、昨夜の21:30過ぎにナイターが終わってから
今朝起こされるまで、1回も起きなかったというのには笑えましたけどね。
朝、起きたらイスの上に差し入れらしきパンとヨーグルトが置いてありました。
昨日の日勤で部屋担当だった“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”が深夜勤務に来た時にメモと共に置いていったみたいですが、
まだ食べてませんの。朝、深夜勤務を終えて帰る前と思われる時間になって、退院時に持ちかえる薬を持ってくる・・・という建前を使って
様子伺いに来ましたけど、食べないでそのままにしてましたからね。私の意思は鉄のように固いと感じたでしょうな。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

大当たりよ〜ん!今から15分位前にこの病室にやって来て謝りました。
間違えた事を怒っているのでなく、皆が隠そうとした事に憤慨している事も言い、どのようにして彼女の耳に入ったのかを聞いたら
「昨夜、スタッフの数人(昨日の日勤リーダー・Eナースも含む)と飲んだ時に聞きました。
一応、日勤の部屋持ち(ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース)が謝ったみたいだけど・・・というまで聞いてました」とのことでした。
その時点では「〇〇さんは私(受け持ちナース)だと知ってると思ってた」らしいのですが、
さっき勤務に出てきたら食事も検温も拒否していると聞きました・・・とのことでした。

とりあえずの所はよろしい、って感じかな。
言い訳をしなかった事、そして私の方から聞くまで“1つ間違えたら言い訳とも受け取れる事情説明”はしなかったので、
私もそれ以上のことは言いませんでしたよ。だって間違えたこと自体が悪いのではないし、当人は謝っているのだから、
私も下げている頭に蹴りを入れるような事は出来ませんもの。

やはり昨日の朝、深夜明けで帰る時「退院に際して医事課におろす各種伝票」に日付を間違えて書いてしまったようです。
この若いナースが病室を去ってから、“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”が夜中のうちにメモと共に置いていったパンを
2個一気に食べましたわ。お腹が空いているんですもの。まるで電波少年のヒッチハイク並みの1日でしたわ、オホホホ!

これで、この若い受け持ちナースの心にはしばらく残る出来事となるでしょう。
本人が本当に悪いと感じて下げた頭なら必ず残るでしょうから、今後同じことを繰り返さないように祈るだけでなく、
彼女が何年か経って後輩を指導する立場になった時のエサになってくれれば絶食のかいもあったというものですな。
まるで働いてないのに教育委員をやっている感覚ですの、アタクシ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ここで一般会社員の意見を・・・。

本人が謝罪に来た事は、よしとしても他の上の者の対応がおかしいかな。
当人が間違えたのは仕方ないとしても、その後のフォローをしなければいけない上の者が
「本人が帰ってしまった事と明日来るのでその時にどうしてこうなったかを
説明させる旨」を言っていれば済んでいた事でしょう?
それを患者に「こんな事は日常茶飯事」と言って我慢させる事しか思いつかない上の者の意識欠如は直さないと駄目でしょう。
通常の会社が営業するに当って、取引先に自分のところのミスを「こんなミスは日常茶飯事ですから・・・」なんていうこと言ったら
取引停止ですよ。間違ってしまった本人より、重症な意識感覚だと思いますね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

おっしゃる通りです。私もこの業界で育ってきたのですが、世間一般の人が医療界に対して浴びせている批判は
こういう体質なんじゃないですかね。これはもう個人レベルではどうしようもありませんよね、マジで。

私が「謝っても怒り続けるとは思ってた?」と聞いたら当人は「いえ」と答えました。
そして「何回も入院してその度に受け持ちになっていたら、私の疾患に取り組む姿勢だけでなく
“どんな事をしたらどんな反応を示すか”というのは、全てとは言わなくても大体分かるでしょう?」と
聞いたら「はい」と答えましたので「だったら、貴方のミスを怒っているのでなく、それを隠された事に対して怒っているんだと
いうのは伝わった?」という質問に対しても「はい」という答えでした。

これで終わる私ではありません。この若いナースがこういう環境の中でいることの方が問題だと思ったので
「自分が患者だったら、どう思うのか。あるいはミスを隠そうとする先輩達の中で働いているんだという現実を見逃してはいけないと思う。
一刻も早く他の病院に移ってみたら、同じくミスった時の対処もこことは全然違う所もあるから、そういうのを勉強した方が良い」と
教えてあげました。ナースは今日出勤した時、整形外科病棟で最年長と思われる先輩に「これで責任を持って仕事しなくちゃいけない、って
いうのが分かったでしょう?」と言われたらしいです。
ああ、やはり個人の責任にしてしまうんだな・・・と感じましたけどね。
私はとにかく、ミスそのものに対して怒っているのではない事、そして他の病院に移ってミスに対する処理や対応の仕方を勉強した方がいい
という事を強調しておきました。また、隠し続けたのは“ミスを隠すのでなく貴方(ナース)のことを良く思ってない人が
いるからかもしれない・・・”というのも、ついでだから教えておきました。ナースは「それはそうかもしれない」と言っていました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最後は感情的に不完全燃焼という形になってしまったけど、左膝の症状が(入院時よりは)
軽快したということに関しては有難いと思っている。入院する寸前の3日間は最初の記載通り、瀕死の重症的感覚だったし、
人工膝関節になってもいいと思ったのに「滑膜切除」だけで済んでしまったのである。
今回の病名も労災扱いになったことだけでなく、自分が勘違いしていたのもあるが、
労災は「医師が症状固定(これ以上治療しても症状改善の見こみがないと診断すること)と診断しない限り、
退職しても無期限(期間の規定が設けられない為)で使える保険」だと分かった。
治療費がかからないというだけでなく、何て悪運の強い女だ!・・・と自ら感じている。

何回か滑膜切除を繰り返し、やがては人工膝関節になる・・・という事は既に私の思考回路に組み込まれているので、
それに関しては何も感じない。痛いことをされる回数を極力減らしたいと思うだけだ。

だって、次は何があるか分からないし、明日は生きていられるか分からない・・・のだから。


4/22(日)
退院。



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