3月10日〜3月31日



3/10(土)
やはり・・・というべきか、当然というべきか、腰椎麻酔薬の効き目が切れてきたと思われる時間帯から
創部(左膝付近)の痛みと腰背部痛が強くなってきていた。
腰背部痛は、OP前にプレメディを打ってからのことを計算すると、延べ15時間以上にも渡っていた
長時間同一体位によるものだろう。痛い、痛い、とにかく痛かったんだ!


どれだけ痛かったかを他人に分かってもらいやすくすると言っても、未体験者には無理な話なので
ここは1つ皆さんも15時間以上同じ姿勢で横になってもらうと1番分かりやすいと思うのだが・・・。
誰がそんな事するもんか、っつうの!

 9日 22:00
10日 1:00,6:45・・・この3回はソセゴン15mgを筋肉注射。

10日 10:30  エピドラ1push
     15:00  ソセゴン7.5mg+エピドラ1push
     17:15  エピドラ1push
     23:00  ソセゴン7.5mg+エピドラ1push

とにかく日付変更線を越えてからというもの、痛くてたまらない1日だったという記憶しかないんだよなぁ〜。
身体の向きを変えても、寝ている姿勢から電動Bedの力を借りて起き上がろうとしても・・・何をしても
創痛や腰痛しか出てこなかったんである。もうこんな日は1日たりとも来なくていい!!
勘弁して下さいよぉ・・・、あれ?あれれ?何処かで聞いた台詞だな。ま、いいか。

長時間同一体位による腰痛に対しての鎮痛剤は無効だと体験済みなので、これはもう「明日を楽にする
には、今日起きあがっておくしかないだろ!」ってな訳で何とか気合を入れて起きあがることに成功したのサ。
もちろん自力では困難で腰痛が余計にひどくなる為、電動Bedの力を借りちゃったもんね。

朝5時頃だったかな。
前夜から・・・というか、OPに行く前から準備しておいた着替えをナースに出してもらっていたので、
無理を言って下着に足を入れるまでの段階まで手伝ってもらったんだよね。肝心な場所は隠しつつね。
もちろん、手伝ってもらったのはここまで。ちゃんとパンツがはけるように上げたのは自分でやった。
本当は自分で起きあがれれば、朝の検温に来る迄に内緒で着替えておくつもりで準備してたんだけど、
そんな事は夢に終わっちまったね。
パンツがはけたらこっちのもんだ。後は短パンだけだな。
これも足を入れるまで手伝ってもらっちゃった・・・。
“卒後1年目の元OLナース”だった。眠いのにね、ありがとさん!

AM10:00頃まではOP着を羽織ってたんだけど、その10時位に座れちゃった訳ヨ。
上は数時間だけならOP着でも良いかなと思ってたんだけど、何とか座れた時に手を伸ばしてみたら
準備していたTシャツに手が届いたもんだから「こりゃ、やるしかないだろ」と思いつつ、死に物狂いで着替えた。
これで「上はTシャツ、下は短パン」ってスタイルが出来あがった。
外見だけは普通に戻れたけど、あとは終日痛みとの戦いになった1日だった。


3/11(日)
やっぱりこの日も痛かった。何たって、まだ2日目だものね。
創部付近のドクドクした感じはジッとしてても続いているし、腰背部痛も続いてる。
しかし、何とか頑張って電動Bedの力を借りずに起きあがることに成功・・・!

こう書くと「軽症だったからじゃないの」って思うやつが居ると思うんだけど、そんなのはもう来なくて良いから
帰ってくれたまえ。痛みの表現方法は個人個人で受け止め方や表現方法が違うし、ガンや生活習慣病等の
不治の病だけが大変だとは限らないんだぞ・・・と。
私が働いている時に出会った患者さんで「こんなに長く付きあう病気だと思わなかった。ガンの方が良かった」
と豪語したガン患者さんがいたっけなぁ。


で、続きといきましょか!
この日の深夜明けは“2月から整形外科病棟に勤務交代してきたという、恐らく30代前半と思われるナース”
だった。外科病棟に勤務していたとのことだった。昨日の日勤では動けなかったので、特にお世話になって
しまったのね。ありがとサン!

また日勤の担当は“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる
背が高いナース”だった。深夜明けのナースから「昨日よりは元気そうで、少しは動けるようになったらしい」と
でも申し送りされていたのかどうかは定かでないけど、身体を拭く熱いタオルを持ってきてくれた時、
背中を拭くのを手伝ってくれてる最中にそんなような事を言っていたように思う。
私はとにかく、バルン(尿の管)を抜いてトイレに行ける条件を整えたかったので、
どうにかしてそれ用の道具を持ってきてもらいたかったんだけど・・・。
私が「今日はトイレに行って自分でバルン(尿の管)を抜けると思う」と言ったのに、
彼女は「今日は寝てた方が良いですよ」とソフトな感じで、やんわりと言っていた。
このようなやりとりを点滴が終わった時と午後の検温時に言ってみたのだが、
結局言われるままにおとなしくしている事になっていた・・・、いつの間にかね。
午後の検温時には、OP後初めて松葉杖を使って立つ場面を見てもらったのだが、その時に「血流が一気に
左足だけに集中した感じがしてとても痛かったのを見られた」のが一因でもあると思うのだけど、自然と向こうの
術中にハマッたような1日だった。

話は前後するが・・・。
AM9:40頃、背中の下のほうが水分で濡れているような感じだったので、ナースコールを押してエピドラの
刺入部を見てもらった。いくら私だって、背中は見えないもんね。
そしたら自然抜去されていたらしく、間もなく当直の女医さんが刺入部を消毒しにやってきた。
また、この日の点滴終了時に「松葉杖が持ちにくい」という理由で、左手関節(手首のこと)に留置されていた
サーフローを抜いてもらい、歩くのに邪魔なものが1つ1つ取り去られていったのに、結局はBed上安静に
せざるを得ない1日となっていた。後から考えると、もう1日寝かしておいてもらって良かったかな、って感じよね。
さすがのアタクシもナースの巧妙な技にスッポリはめられたのね・・・。ま、いいとするか!
たまには「大きいものには飲まれ、長いものには巻かれ」ても良いのかもしれない。


3/12(月)
OPをしたのが3/9なんだけど・・・。
9日夜〜10日朝、10日夜〜11日朝、11日夜〜この日の朝、という3晩ともほとんど眠れていない。
夜間の巡視は23:00,1:00,3:00に行われているが、この3晩は3回ともパッチリ目が覚めていたし、
巡視に来たナースと会話したりしていた。
さすがの私も睡魔がピークに達したようだ。

朝の検温は“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる背が
高いナース”がやってきた。日勤・深夜だったのね、お疲れ様って感じ。
検温の寸前に「尿回収」と言って、留置されている尿の管から流出した尿を貯めている袋を空にしていくと
同時に、トイレに行って自分でバルンを抜くのに必要な道具として、10mlの注射器とビニール袋を持って
きてくれた。
これは一般人ならとても出来ないだろうけど、そこはホレ、業界人の強みってやつかな。
大体にしてああいう場所に入っていた物が他人の目に触れること自体が嫌だし、そういうのを人にやって
もらっている自分を見たくないんである。恥ずかしいとか何とかいう以前の問題であり、そのような意識がある
うちは何としても自分でやらなければ「人間としてのプライドも何もなくなっちまう」ってなもんだ。
とにかく嫌なものは嫌なんだ。それに自分で可能なことだしね。
そりゃあ、いくら私でも出来ないことだってあるけど、この場合はたまたま自分でも可能なことだったから・・・。
AM6:00過ぎに松葉杖を付いてトイレに行き、自分でバルンを抜去してきた。
ゴミの処理も手馴れたもんだと自らに感心したけどサ、ナースが持ってきてくれたビニールだけじゃあ外から
何か見えるので、更にコンビに袋に入れて二重にして医療ゴミの燃えない方に入れといた。

これでOP後から私の身体に入れられていた管類は、エピドラ、点滴用の留置針、そしてバルン・・・、
以上3つのものが取り去られた。晴れて自由の身となったのは外見上のことだった。
いきなり動き回れる訳がない、ってなもんよ。
トイレには行くけれど、左足は下垂すると血流がドバーッと来る感じがして痛いし、何より寝てないので
元気も出やしない!不眠が及ぼす影響って結構なものなのね・・・。
これまた1つ体験学習させてもらったわ。

日勤の担当は“今回の私の受け持ちになってしまった卒後2年目のナース”だったんだけど、
深夜勤務の“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる背が
高いナース”から交代時に「〇〇さん(私のこと)おとなしいわよ」と言われていたみたい。
とにかく眠くて、おとなしくせざるを得ない状況だったんだよなぁ〜。
1日中、ズ〜ッとウトウトしていたように思う。

そんな中、14:40頃になって急に今回の執刀医Dr.Yと“卒後2年目になっても私の受け持ちになって
しまった不運なナース”がやってきた。ウトウトしていたので一瞬何事かと思ってしまった。
寝入り始めの時を起こされたという感覚が残っていた。
 Dr:どう?何、何?
 私:う〜ん、4回OPしたうちで2番目に痛かった。
 Dr:(ビスが)取りにくかったし、それだけのことはやった。
 私:(ビスを)入れたのも自分(Dr.Y)だぞ、と。
 Dr:時間が経っちゃったからなぁ。
 ナース:先生にメニュー(某自動車会社系列のスポーツプラザで作成してもらったもの)を見てもらおうと
      思って・・・。
 私:あ、そっか、そっか。(と言って、あらかじめ取り寄せてあったのを出して見せた)
 Dr:やっちゃいけない事はやってない。
    だけど、これだけの事をやるんなら週2回だな。それ以上はやり過ぎ。
 私:そうですか。分かりました。(1/5以降の経過を話す)
 Dr:そりゃあ、やり過ぎだよ。
    ストレッチだけでどの位かかる?
 私:45分位かな。
 Dr:そうだろ。これだけやると半日かかっちゃうよな。
 私:確かに。

時間にするとわずか数分間の出来事だったけど、スポーツプラザでやってた事が間違いではなく「やり過ぎ」
だったというのを再認識出来たので、今後のリハビリ計画を練る上で参考にしていきたいと思う。
とても大切なことを聞いたんだと思うけど、なんせ眠くて仕方が無かったので2人が退室した後すぐにウトウト
し始めるという始末だった。

準夜の18:00過ぎに夕食を食べている時に生理痛が強くなったので、手持ちのSedesGを1包内服したが、
あまりの眠さにナースに報告するのを忘れてしまっていた。
午前・午後の点滴、ナースによる検温、食事、トイレ・・・これ以外の時間はほとんど1日中ウトウトし続けて
いた日だったように思う。ここ数日間の不眠が影響しているんだと思うけどね。
朝も昼も夜も、そして夜中もズ〜〜〜ッと眠い1日だったことしか記憶にない。


3/13(火)
夜間は途中覚醒が4〜5回あり、巡視は3回とも知らなかったけど熟睡感が全くない眠りだった。
朝の検温は“卒後4.5年目でパソコンに興味を持っているナース”がやってきたので、その事を報告した。
また定期的に行われている採血をやっていった。さ、今週の結果はどう出るんだろうか?

火曜日は週1回のシーツ交換日でもある。
私の所には「オバサン」と呼んでいる“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”がやってきた。
朝っぱらから軽快に毒舌を披露していたし、私もついていくのに必死だった・・・!?
記憶が新しいうちに再現してみよう。

ナース:ソセゴン中毒から解放されたか。
私   :そんなに(中毒というほど)使ってないじゃんか。土曜日の23時以降使ってないはずだ。
ナース:エピ、いつ抜いたの?
私   :日曜日の朝、気付いたら抜けてたみたい。当直の女医さんが(刺入部の)消毒にきたよ。
ナース:へえ、そうなの。眼科の先生かな。
私   :分からないけど、少なくとも私の知らない先生だった。
     でもさ、4回のOPのうち2番目に痛かったって部長さんに言ったら、それだけの(痛みが出る)ことを
     やったらしいよ。先に言っといてくれ、っつうの!
ナース:へぇ〜。
私   :でもさ、柔道のYAWARAちゃんが言ってたらしいけど“神様は乗り越えられない人には試練を
     与えない”んだってさ。だから今回も何とかなるんじゃないかと思ってるんだ。
     というか、そうでも考えないとやってられないんだよね。

ナース:そういうのって、そういう立場(状況)になってみないと分からないみたいね。
     ま、中には勘違いしているのもあるみたいだけどね。
私   :あ〜あ、何か美味しいもの、食べに行きたいなぁ。
ナース:何、ラーメンか?
私   :この足じゃあ、ラーメンがいい所だね。
ナース:(私が太っているというのを持ちだして体脂肪の話を始めた)
     (どうやら痩せろと言いたいらしい・・・。)

文字にしてみたらこれだけの事なんだけど、これがまた結構な速さで繰り広げられたもんだから、
私はこのナースの毒舌についていけた事になる・・・?
ちなみに、ナースはこのおしゃべりをしながらも1人でシーツ交換をやっていたのである。

日勤の部屋担当は“今回も私の受け持ちになってしまった、とても不運な卒後2年目のナース”だった。
点滴が入らず、先輩ナースと交代していた。私の静脈は相当出にくくなってしまったようだ・・・。

入院時に書いてもらった勤務先に提出する診断書には「4週間」という期限が書かれてあり、OPの可能性も
あるという事は明記されていたが、今日の時点での退院は不可能なので、OPを執刀したDr.Yの名前で再度
診断書を1通GETしておいた。
勤務先の看護部長から入院先に手紙が届いて、中身は「診断書の催促」だった・・・なんて事のないように
しておかないとね。そういうのが来る前に新たなものを提出しておくと心象が違ってくるというものだ。
職員課宛に一言添えて郵送すれば、そのまま看護部長の手元に届くことになっているらしいので、今回も
そうすることにした。

今日は通常の回診時と院長回診時に病棟婦長が何気なく「今度はね、2週間できっちりといくと良いですね」
というような事をおぬかしになられた。通常の回診時にはシカト(無視)しておいたが、院長回診時にも同じ事を
言いやがったので「傷口は大丈夫だと思いますよ」と牽制球を投げておいた。
OP後2週間で抜糸してすんなり退院させたい・・・という心情がとても良く伝わってきたけど、今回もそう簡単に
いかないのが現状なんである。
病棟婦長が何と言おうと、私には正当な理由と計画があるのでその通りに進めていくだけなのだ。
今日の段階で全てを伝えるとせかされかねないので、担当ナースを通じて小出しにしていこうと考えている。

有料病室に入っといて良かった!
これが大部屋だと病院側の都合で「予約が入っている」等々の理由をつけて退院させたり、あるいは軽症の
人は他の病棟に移動・・・なんて事もあり得るのだが、微々たるものでも室料差額を支払っていると医療費とは
別に病院側に収入が増えることになるし、何も言えない・・・という体質を利用してのことなのだ。
しかも大した金額ではないし、ここのスタッフにとって私が「気分的に嫌な患者」であるとしても、そんな事は私の
知ったこっちゃない、ってなもんだ。私は自分の疾患と戦うための学習、そして課せられた責務はこなしていると
いう自負があるし、数人のナース達はそれを認める発言をしているんだ!
それに社会復帰する意思がない訳でもないし、前向きに戦う姿勢はkeepしているのだから、誰にも何も言わせ
ないというものだ。だって、誰の身体でもなく自分自身の身体なんだから、自分で守らなければね。


PM4:00頃になって1人のナースがこの病室にやって来た。
“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる背が高いナース”だ。
「ここ(の病室)に来ると愚痴ばかりでさぁ〜」という一言からマシンガントークが開始されることになった。
内容的にはいつもと同じなんだけど、この日はちょっと具体例が出ていたかな、って感じよ、聞いてて。
「この病院のナースはDrに言われたことしかしなくて、理由付けを考えてない」というのが最も印象的であるし、
患者の私も日々感じていることを彼女は同僚として感じているみたいだった。
確かに患者として何かを質問してもまともに答えられるのは居ないし、大体において「先生に聞いて下さい」って
いう返答が予想出来ちゃうもんね。これは何も私が看護婦だからじゃないと思うのよね。
一般人の患者もそういう人たくさん居るわよ、エエ!
自分の経験(体験学習)に裏付けられたことを、更に根拠を持って説明出来るナースに会った試しがない。
いても限られているわな。

この病院の多くのナースが“ドクターの言うことに質問してはいけない”みたいな雰囲気の中で働いているの
ではないかと思う。
これは半官半民の病院の悲しい性(サガ)なのだろうか・・・。公務員体質をものの見事に受け継いでいる。
今時の若いナース達にはそういうのが居ないと思いたいんだけど、上(管理職)がそういつ奴だと下は自然と
そうなっちゃうのよね。嫌でも。だって医療界には封建制度と年功序列が堂々とまかり通ってるからね。
オバハンナースに多いよね、こういうタイプ。
組織に従順だと馬鹿でも管理職になれちゃうしサ!
この病院も内部の体質はきっとそうなんだろうな。去年、担当医のことを投書した時の対応もそうだったな。
あ、この整形外科病棟から実質4人の集団退職者が出る、ってのもそういうのが多少なりとも影響している
のかもしれないね。
ま、私には関係ないかな。来年の今頃は都内某所に移転するらしいから、それまでのお付き合いだわ!
いつものように(?)30分ほどマシンガントークしてから、ナースは去っていった。

PM5:00過ぎ、意外・・・とも言える時間にKママと僕ちゃんがやって来た。
今週は来られないらしいとのことで様子伺いに来てくれたらしい。
昼間に勤務先に提出する診断書をGETした所だったので、コピーと投函をお願いした。
あとはお買い物少々と郵便物のチェックをしてきてくれた。毎度のことながら感謝するだけである。
ママが買い物に行っている間、僕ちゃんはこのモバイルギアに付属しているゲームで遊んでいたのだが、
どうやら自宅のパソコンに同じものがあるみたいで「これ、パパのパソコンと同じだよ」と言っていた。
そして私が「ママはおばちゃんの足が痛い時に何回も助けてくれたのよ。だからおばちゃんの代わりに
僕がママを手伝ってあげてもらいたいな」と改めて言っておいたのだが・・・。
本人(僕)的にはやる気まんまんなんだけど、洗い物はどうやらママの方が迷惑らしいし・・・。
6才の子どもに何処まで伝わったか分からないけど、とにかく「ママはおばちゃんの足が痛い時に何回も
助けてくれたんだよ」というのは伝えておいた。
退院したら何でも買ってあげるから、ママがおつかいに行っている間に買い物に行こう・・・とけしかけると
ママの視線を気にしながらもニヤ〜〜ッとしていたのを私は見逃さなかった。
家や車と言われると困るけど、君のママには本当に何回も助けてもらっているから、怒られない程度に
買い物しようねっ!


3/14(水)
朝の検温はいつになったら静かになるのかと思うほどの“卒後4.5年目と思われる、beautifulというよりは
prettyという言葉が似合う元気なナース”がやってきた。
聞くところによると2晩続けて深夜勤務だそうで、今夜も仕事に出てくると言う。要するに明日の朝の検温にも
再びやってくるという訳だ。私は「イタズラしておくからね」とあらかじめ教えておいたので、AM1:00の巡視時
には何かしらやらかしてやろう!
これも退屈な入院生活の密かな楽しみだ、っつうの!

さて、けたたましくやって来たナースが風のように去ってから数時間後、毎週水曜日にしか来ない“環境整備”と
いう名のBed周囲の拭き掃除に2名のナースがやって来た。
それは“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”と“卒後2年目になった沖縄出身のほんわか天然(?)ナース”の
2人だった。朝っぱらから私と毒舌ナースのやりとりを聞いて「私、変な所(バトルという名の毒舌トークしている場面)
に入ってきちゃいました」と唖然としていた。笑いながら、ね。
私がそれを聞いて毒舌ナースに向かって「こんなのまだプレメディだよね」と言ったら、この2人のナースは何とも
言えない表情で苦笑いしていたのが印象的だった。
昨日の夕方は“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれという背が高いナース”
のおしゃべりに、そして今日は“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”の毒舌トークに・・・各々ついていけた。
食欲も出てきたし、口数も徐々に増えてきた。
これでPower全開である。あとは午後からターボをかけて回転数をUP出来れば問題はなくなる・・・!?
やはり、私から口数と食欲が減ったら病気なんだと改めて感じている。
よっしゃ、いきまっせぇ〜〜!!

そして、なんと日勤の担当は“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”だった。
午後の検温時に私の左膝を観察し「少し熱感があるな」というコメントを発表していた。
日曜日の朝に自然抜去されていたエピドラチューブを固定していた「背骨に沿って貼っていたテープ」の跡が
かゆくてかゆくて・・・という状況だったので、この毒舌ナースに見てもらったらレスタミン軟膏(かゆみ止め)が
処方されることになった。この人、こういう対処って早いのよね。
検温で私の脈拍をとっている時、ナースの手が荒れている事を指摘して「意外にデリケートなんだね」と言うと
「アナタの心の中の神経と同じよ」と言うではないか!
くうぅぅ、って感じ!やられたね。もぉぉぉおおっ!
しかし、17:50頃に「たった今、病棟に上がってきた」という腰背部痛用の湿布とレスタミン軟膏を持ってきて
くれた時「塗るんだろ?」と言いつつ、私が何も言わなくても、背中の自分では届かない部分を手伝ってくれた。
この人はこれで良いんである。
優しいことを言われたりされたりすると、こっちが気持ち悪いのよね。

準夜は“今回も私の受け持ちになってしまった、とても不運な卒後2年目のナース”だった。
彼女に次のことを報告した。
“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれという背が高いナース”のおしゃべりと
“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”の毒舌トークについていけた・・・って事を。
そしたら笑いながら「こりゃあ(回復は)本物ですね」と言っていた。
こういうジョークも出るようになったんだ!
そして彼女と入れ替わりにやってくる深夜勤務が、2晩連続の“卒後4.5年目と思われる、beautifulという
よりはprettyなナース”に伝言を依頼した。巡視時頭上注意よ、って。


3/15(木)
予告通り・・・というべきか、14日23:00の巡視が終わったのを確認した時点で15日1:00の巡視に向けた
イタズラのセッティングをしておいた。
入り口のドアに中から松葉杖を立てかけておく、というものでナースが入室するのにドアを開けると松葉杖が
倒れていくようになっている・・・というタイプのイタズラにしておいた。もちろん顔や頭に当たらないような高さには
してあるんだけどね(笑)!
頭上注意という予告をしておいたのは、あからじめそちらの方に注意をそらしておく・・・というのが狙いだった。
今の所、この2人部屋に同室者は居ないし、ジョークが通じるナースだったのでイタズラ決行となったのだ。
翌朝の検温で聞いてみたら「頭上注意って聞いてたから、上から何か落ちてくるのかと思っていた」と笑っていた。
ビックリしたと言い、御礼と言わんばかりにAM1:00には睡眠中だった私の顔面をライトで照らしたらしいが、
一向に覚醒する気配はなかったとのことだ。あら、まあ・・・って感じ!

それから数時間後のAM9:00頃になって、いきなり“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく
昭和41年生まれと思われる背が高いナース”が駆け込んできた。まさに駆け込んできたと言う表現がピッタリの
出来事だった。ハッキリとした理由はともかくとして、朝から激怒していた。マジ切れしていた・・・という印象かな。
普段はソフトな語り口でのマシンガントークなんだけど、この日に限ってはとても早口になっていた。
とても腹が立つことがあった上に今日は残り番という勤務だそうだ。
睡眠時間が減る・・・と言ってこれまた怒っていた。
朝から腹が立つし、オマケに階段でコケたと言ってはまた怒っていた。
いつもは自分の業務が終わったと言う時間帯を見計らって遊びに(?)やってくるんだけど「今日はOPの患者を
担当しているので来られないから、今来た」とのことだった。
特に何が言いたいという訳ではなさそうなんだけど、とにかく怒りのはけ口としてこの病室を(私をか?)利用して
いったようだった。こちらもこのナースに随分と話を聞いてもらっているので、この位はおやすい御用、ってなもんよ。
それより落ち着いて業務は出来たのかしら・・・?
そっちの方が気になるのよね。

AM10:00頃だったかな。
一昨日の夕方に僕を連れてきた時に「今週は来られないから」と言っていたので、ちょっと意外な感じもしたけど
Kママが週刊誌セット(毎週読んでいる野球等)を買ってきてくれると同時に、ポストもチェックしてきてくれていた。
どうやらOP前日に本屋に注文した本の「注文書控え」を持って帰ってしまったから・・・というのが原因らしい。
そんなの気にしなくて良いのに・・・と思いながらも感謝、感謝である。
今週の週刊誌セットは週末に誰かに頼もうと思っていたものだから、余計に嬉しかったのだ。

今日の日勤ナース達は皆、殺気だっている。
大きなOPでもあるのだろうか、と思ってみたりもするけれど、これはちょっとまずいんじゃないの・・・って感じ。
午後から2階に降りてシャンプー&足浴をしたんだけど、その時でさえもすれ違うナースが全員そんな感じの
雰囲気をかもし出していた。業界人の私でさえも話かけるのをためらってしまったのだ。
私は同業者だからだとは思うんだけど、一般人はもっと敏感に感じとっているんじゃないかと思う。


夜勤の時間帯に入ってもそういう感じは続いていた。
準夜は“今回も私の受け持ちになってしまった、とても不運な卒後2年目のナース”だったのだが、
とても忙しそうで検温という名の様子伺いもそこそこにこの病室から立ち去っていった。
あまりに忙しそうだったので、点滴を自分で抜くことにした。
抜いた後のゴミはイタズラされると困るので、点滴スタンドにかけたまま室内に置いておくことにした。
最低でも消灯時には再びやって来るだろうから、その時に片付けてもらえば済むことだ。

そんな中で19:45頃、ある1人のナースが「今、日勤が終わった」と言ってこの病室に立ち寄った。
朝から激怒していた“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる
背が高いナース”だった。
あら、仕事は?・・・てな感じで聞いてみたら「今、終わったの」と普段のソフト路線に戻っていた。
それでも「朝から晩まで怒りモードだった上に明日も日勤だから、睡眠時間が減るわ」と文句を言っていた。
そりゃあお疲れ様という感じだった。怒りモードの口調とは裏腹に表情は疲れきっている・・・という感じのもの
だったので「はい、お疲れサン!早く帰って寝なよ」と言って送り出したのだ。
今朝は何があったのか知らないが、私の所へ来て愚痴って気が晴れるのならお安いもんだ。
こっちは足(左膝)を治すのを手伝ってもらってる訳だし、話を聞く位なら私にも出来るというか、今はそういう
事しか手伝えないからなぁ〜〜。

1日中とても忙しかったらしいので、21:00を過ぎた頃、たった1人のこの病室を自分で消灯しておいた。


3/16(金)
朝の検温は“卒後4.5年目と思われる、パソコンに興味を持っていると思われるナース”がやって来た。
特に変化はなかったので、その旨を報告したら昨夜のOP患者が大変だとのことで足早に去っていった。

日勤の短当は“12/11からこの病院に勤務し始めたという、恐らく20代後半の元OLナース”だった。
OP後の抗生剤の点滴が今日までで終わり、明日からは内服薬になるといいそれを持ってきてくれた。
明日の朝から開始するようにとのことだった。

AM11:00頃になって部長回診があった。
Dr:どう?
私:野球で言えば「元木か二岡」かな・・・。
Dr:何、それ?
私:もう少しでレギュラーってことです。
Dr:(消毒しながら)見た目はヨサゲだな。
私:へえ。
Dr:水も溜まってないし。
私:イケてますか?
Dr:うん、イケてる。ヨサゲだな。

とりあえず「見た目は良さそう」ということらしい。そして久し振りに左膝を診察した所、水も溜まってない
との事なので、それもまたヨシとしよう。但し「動かしていい」とは一言も言わなかった・・・。

前日から引き続いてとても忙しいらしく、準夜の検温(様子伺いと状態観察)も何と消灯を過ぎてから
やって来た。せっかく自分で消灯しておいたのに、また電気をつけられたのだ。
忙しさを前面に出しているのを皮肉って「やっぱ、OP日は駄目だね」と言っておいた。
この日も点滴を自分で抜いておくことにし、後でゴミだけを持って帰ってもらうようにした。
余りにこういう姿勢があからさまに伝わると「自分はおそろかにされていないだろうか」と不安になる人も
いるのではないかと思っちゃうよな、全く。


3/17(土)
朝の検温にやって来た“卒後2年目になる、沖縄出身の天然(?)ナース”に「抗生剤が今日から内服薬に
なるよね」と確認し、朝食後から服用し始めることにした。
前日、そして前々日にOPをした患者に手がかかって忙しいのか、そして週末はスタッフの人数が少ない為に
余計に拍車がかかっているようだ。
今日の日勤はいつもと同じ3人体制でやっているらしく・・・。
“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる背が高いナース”、
“去年の12/11からこの病院に勤務し始めたという、恐らく20代後半の元OLナース”、そして
“卒後1年目のうちで背が高いのが印象的なナース”・・・、この3人である。
どう見ても「傍目には新しい人ばかり」と移るんであるが、そんな中でもリーダー業務をやる羽目になったと
言って怒っていたのが“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる
背が高いナース”だったのだ。お気の毒・・・としか言いようがない、という感じだった。
10月に来たばかりだというだけでなく、リーダー業務についてのオリエンテーションも全く無いのに・・・という
感じで怒っていた。こりゃあ、もう管理職である病棟婦長の責任なんじゃないかね!?

夕食前にAちゃんがやって来て20:00頃までマシンガントークしていた。
せっかく国家資格を持っているのだから、発想を変えて「何も看護婦にこだわらなくても良いのではないか」と
言う話題で持ちきりだった。30代は何事にも挑戦出来るし失敗してもまだやり直せるとも言っていた。
ほほぉ〜、という感じで聞いていた。


3/18(日)
昨日と同じで勤務するナースの人数が少ないので、いつにも増して人工密度が少ない1日だった。
日勤で“卒後4.5年目と思われるbeautifulというよりはprettyという方が似合っているナース”が唯一やって
来たので、深夜勤務だという巡視の時間に「イタズラしとくからね。頭上注意!」と言ったら「顔面注意!」と
返されたのには笑ってしまった・・・!
イタズラすると顔面にライトを当てるぞ、って事らしい。
ほほぉ、お主、やるではないか。

木曜日以降の殺人的な忙しさから少しは解放されたのか、準夜でやって来た“卒後4.5年目と思われる
パソコンに興味を持っているナース”は「いや今日はそうでもありません」と言っていた。
抗生剤が内服になってから少しお腹が緩くなっているような気がするんだけど・・・と言い「今日の治療薬」と
いう本を見せてもらいたいと申し出ておいた。
すると消灯時に持ってきてくれたけど、バナン(17日から服用中の抗生剤の商品名)の所に消化器系の
副作用があるという記載はなかったが、他の商品名で同系列の薬剤の所には書いてあったので、ひどくなる
ようだったら種類の変更も頭に入れてドクターに言わなくてはならない。
ナースも同じ事を言っていた。


3/19(月)
深夜勤務は“卒後4.5年目と思われる、beautifulというよりはprettyという方が似合うナース”がやって来ると
分かっていたので、AM1:00の巡視に合わせてイタズラしておいた。
この前(15日の深夜勤務)は入り口のドアの所に松葉杖を立てかけておくというワザだったのだけど、
今回は松葉杖の代わりに誰も使っていない隣のBedをずらして置いておくことにした。
これがまたウケたようで、朝の検温ではその話で持ちきりだった。
尚、定例化している毎週火曜日の採血は明日が祭日なので本日行われた。

AM9:00過ぎだったと思うけど、回診で創部の消毒が終わった直後のことだった。
“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれだと思われる背が高いナース”に
包帯を巻いてもらっている時に面白い話を聞くことになったのは・・・。
3/4(日)の記録の最後の方にも書いたけど「この整形外科病棟から一気に4人のナースが退職する」という
話の続報なんである。
私の耳に入っていたのは前述のごとく4人だったんだけど、驚いた事に実は4人でなく7人だというのだ。
3/4に記載した4人だけでなく次の3人が加わる、ってことになるのだ。
 ◎去年の12/11からこの病院に勤務し始めたという、恐らく20代後半と思われる卒後1年目の元OLナース
 ◎卒後2年目になる沖縄出身のナース
 ◎去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる背が高いナース

そして病棟婦長自身も引責という形で院内で勤務交代があるらしい・・・って訳よね。
だけどサ、これを読んでいる貴方がナースなら分かると思うし、ナースでなくても分かると思うんだけど・・・。
体調不良を訴えたナースがいて、ちゃんと受診して「3交代禁止」という診断書を提出したにも関わらず
「それは貴方の勝手」とか言って、そのまま3交代させてるらしいよ、ここの病棟婦長さんったら。
何かあったらどうするつもりなんだろうね。
ま、アタクシの知った事ではないけど、このナースが看護婦という職業自体を嫌いにならなければ良いのに
と思うだけだわね。まだ若いのにサ・・・って入院中のアタクシが言うのも変なんだけどね。


人数を競っているという訳ではないが、私が今までに勤務した中では(1つの病棟から退職する人数としては)
5人が最高だったという記憶があるのだが、こりゃまた驚いた、ってなもんだな。
これだけでも充分に働きにくい職場であるみたい・・・というのを外部から判断する1つの材料になり得るんだけど、
午後の検温で更にすごい情報をGETした時にはさすがのアタクシも絶句してしまったわよ・・・!

毎年3月4月は人の出入りがあるのは何の業界でも同じことだと思う。
この病院とて例外ではないけど・・・。
去年の今頃の時期に同じ病院内の他の病棟で「一気に7人の退職者が出た」というのを聞いて
しまったのだ。そのナースはこの2月から整形病棟に勤務交代してきたらしく、また同じ事になるのかと
嘆いていたけどね。
来年の今頃は都内某所に移転することになっているらしいのだが、それも本当にそうなってみないと分からない。
だが2年ほど前には病床数を減らしているし、移転先では老人保険施設を併設するので一般病棟のBed数を
減らしておくと、扱う人数は減っても職員数は少なくて済む・・・というふうになるのだ。
しかし、それにしても・・・だ。
Bed数を減らす前でも200床そこそこの小さい病院ではあるけれど、本当に移転するのかどうかが分からない
というか、それが前提で人員整理でもしているんだろうか・・・?
2年も続けて7人も一気に退職する(退職者は他にもいると思うが)という風土が通ってる・・・、それが信じられ
ないというものだ。残った人は大変だろうけど、これは管理職の無能さを外部に吐露したようなものだと
思わざるを得ないな、ウン!
これが一般社会でいうリストラに該当するかどうかは分からないけど、老人保険施設を併設するのが本当だと
するとまんざらでもなさそうな気配がするというもんだ。

時期的に見て人の出入りがするのは仕方が無いけれど、顔見知りのナース達がこぞって退職してしまうのを
聞くと「今のうちにOPとしいて良かった!」って思うだけである。


3/20(火)
朝の検温は、昨日の回診後に集団退職情報を提供しつつ怒っていた“去年の10月からこの病院に勤務
し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる背が高いナース”だった。
このナースも退職するらしく、時期的には早いと思ったのだけどとりあえず自作名詞カードの裏に「OP日の
おかえりという一言は嬉しかったぜぃ」と書いたmessageを渡しておいた。

今週末に抜コウ(創部をとめてあるホッチキスのような物を抜くこと)したら、車のことやリハビリのことや何かも
兼ねて外出することも充分に考えられる為、その間に居なくなってしまうと御礼の一言を言う機会がなくなって
しまうから・・・、って事なんである。
あとの数人に対するものもちゃんと書いてあるので、この病室に来た時には忘れないようにしないとね!
居なくなってから「しまった、言っとけば良かった・・・」何ていうのはnonsenseだから。
いつも文句を言ったりクレームを付けたりするだけでなく、本当に有難いと感じたことに対しては普通に御礼を
言えば良いことなんだと思っている。

それはそうと、日勤で“今回も私の受け持ちになってしまった、とても不運な卒後2年目のナース”がいたので、
今後のリハビリ等について以前から考えていた事を理由と共に述べておいた。
ナースは9:45頃にやって来た。

まずは私の発言から・・・。
1.入院中に数回スポーツプラザに通ってみたいので、Dr.Y(部長さん)の意見と許可を取ってもらいたい。
2.スポーツプラザでのトレーニングは筋トレだが、ROM(関節可動域訓練)は別物なので、
  そちらをやる必要性はあるのかどうか。やるのなら最終目標は“正座”なのかどうか。
3.スポーツプラザの方は「Drの許可さえあれば入院中でも構わない」と言っているし、4月に入ればウイークデー
  なら毎日トレーナーが居るので、可能なら病院の理学療法士の意見も聞いてみたい・・・と言っている。
  これは私も考えていたのだが、リハでズ〜ッと担当してもらっているお姉さんの意見を聞いてみたいと思って
  いた。是非とも時間を取ってもらいたいのだが・・・。

そして上記のように考えた理由として以下のように述べた。
 ◎今回の悪化は“やり過ぎ”だけが原因ではないと思うが、1月にやり過ぎていたのは明白であり、同じ失敗を
   繰り返さないようにする為。
 ◎1週間でも10日でも入院中に通ってみて、筋肉痛や疲労回復までのペースをつかんでから、
   日常生活につなげたい為。
 ◎過去3回のOPでは、いずれも寸前まで正座が可能だったのに、OP後のROMが著しく低下した。
   特に前回(H12,10,24〜12,10のUターン)の時は“保存的治療の最終確認として”運動しても症状が
   悪化しない事を確認して採血までしているのに今回のようになってしまったので、いきなり日常生活での
   トレーニング導入はとても、とても、とても不安がある為。(今回はOPまでしているので余計に)
 ◎リハビリテーション本来の目的でもある“残存機能を最大限に生かして社会復帰へつなげる”事が
   入院中だと医療の管理下で行えるので、安心感がある。
   (仮に症状が悪化したり、筋肉痛や疲労が強すぎてもすぐに中断・減量等が出来たり、異常時にも自宅に
    居るよりは素早く対処出来る。)

そしてナースはこれらの発言に対して「全然、構わないと思います。可能であれば22日(木)、遅くても23日の
回診時には聞いておくようにします」という返答があった。
その後、スポーツプラザに電話連絡をして上記のことを再度伝えた。
「トレーニングメニューをコピーしてカルテ等に提示することは、Drがスポーツプラザに来ることを許可していれば
何ら問題はない」との事だったので、その旨担当ナースに伝えておいた。
尚、Drの許可とは診断書でなくても、行き先・目的を明記してDrの印鑑が押してあれば良いとのことなので、
何処の病院にもある外出届の用紙で良さそうだ。
これで、Dr.から許可が出たら「抜コウと創の閉鎖確認」「理学療法士の意見を聞く」「トレーニングメニューを
病院が側に提示する」「ウイークデーに出かければ向こうのトレーナーに見てもらうことが可能」という手順が
踏まれることになる。

但し、今は左膝がほとんど曲がらない状態なので、少なくともエアロバイクがこげるようになってからにしないと
いけない。まず最初はCPMを使って少しでも曲がるようにしてからでないと、エアロバイクもこげない、っつうの!


3/21(水)
昨日が祭日だったためか午前中から騒がしかった。
シーツ交換をすると言ったりしないと言ったり・・・。
AM9:00過ぎに“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”がシーツ交換にやって来たのと、
ほぼ同時にT(平成の始め頃に某大学病院で同僚だった看護婦仲間)が数々の差し入れと共にやって来た。
いきなり・・・というのでなく、何日か前にメールでやりとりしていた時に「こういうのが欲しい」とリクエストしておいた。
また、今日は深夜明けだとのことで眠そうだったが結局は1時間近く廊下のソファーでマシンガントークしてから
帰っていった。私にはもったいない位の良い友達の1人である。こりゃあ自慢出来るぜぃ!
お菓子や飲み物を頼んでいたということもあるけれど、何よりも気心の知れた友達と話をしていると気分転換に
なることは間違いのないことだ。感謝、感謝。

そしてTと話している最中、今度はこの病室では初となる同室者が入院してきた。
とは言っても元々大部屋希望者らしく、2日後の23日には退院があるのでそちらに移るらしい。
この2人部屋は一時的に・・・という事らしい。
ナースとのやりとりが嫌でも聞こえるのだが、話を総合すると手(肘?)の抜釘らしい。
麻酔も伝達麻酔と言ってクーレンカンプ(わきの下の神経の束に局所麻酔薬を注射すると腕から先に麻酔が
かかる)という方法でやるみたい。老人に近い年齢のようで、特に積極的な会話はないが別に支障があるという
訳でもないので、話しかけられない限りは黙っておこう。相手も明日は手術日だしね。


3/22(木)
昨日も今日も馬鹿なDr達に抜糸されそうになったけど「金曜日にY先生に抜いてもらうから、今日はいいです」と
言ったら、関わりたくないとでも感じたのだろうか、2人とも創部の消毒のみで足早に立ち去っていった。
こっちも関わりたくないので、これでいいのだ!(あら?どこかで聞いたような台詞だな)

ところが病棟婦長がそれを逆手に取ろうとしたのか、ICINGシステムを私から取り外したかったみたいで「大体、
皆さん1週間か10日位で・・・」と言ったり「次のOPの人が」とか言ったりしていた。
そして私がこのように言うのをあらかじめ深読みする程の頭脳はないと思うのだけど「人は人」と言ってやった。
そしたら何やらほざいていたが「明日、Y先生に聞きましょう」とおぬかしになられた。
私が何かにつけて「Y先生に聞く」と言っているので、Dr.Yの言うことだったら何でも聞くと勘違いしているのでは
ないだろうか?
これまでに何度となく書いているんだけど、今回の執刀医でもある整形外科部長Dr.Yが特に良いという訳では
決してなく、3人の整形外科医を消去法で駄目な順番に消していったら部長さんが残っただけのことである。
ここの所を勘違いしないでもらわないと困るんである。

しかも労災保険での診療であること、そしてこの病院の整形外科医はほぼ1年毎に交代すること、もう1つは
あと1年位でこの病院自体がなくなること・・・、前述の消去法の事とこの3つを合わせて考えると「もう少しの
辛抱」なので何も役所に面倒な手続きをしなくても済むんである。

労災は5月末で症状固定することになっているし、受傷から丸2年は経過しているので法律の効果というか、
保険関係そのものが消滅することになっている為、役所で5月まで面倒を見てくれると言っているものを
わざわざ面倒な手続きをしてまで受診先を変更する必要性は感じない、ってことよ!要するに。

それにこの病棟婦長は自分の管理下にある部下が一気に7人も退職する事を何と思っているのか知らない
けど、体裁を保つ為に3月末で退職すると分かっている2人を2月から勤務交代させてるし、「3交代禁止」と
いう診断書を提出したにも関わらず「それ(体調不良)は貴方の勝手」と言い、休ませるどころか
そのまま3交代勤務をさせていた・・・という事実がある
ので、私にこれを喋った人の事も考えて「誰にも影響が
ないようにして」メールで投書でもしてやろうと思っている。
もちろん入院中に。
そうでもして痛めつけないと何をしでかすか分からないし、ここのナース達は泣き寝入りするだけになってしまう。
同じ看護婦として「体調不良で診断書まで提出したのに休めない」なんて信じられないし、そんな事があっては
ならないんである。

暇なので・・・というよりも頭をシャンプーしたかったので午後から行ってきた。
とても気持ちの良いものである。普段ならなんてことはない事なんだけど、こういう単調な入院生活をしていると
ちょっとした事でも気分が違ってくるというものだ。
その前に洗濯物を入れて洗濯機を回しておいたので、それまでの時間潰しという感覚である。
そして洗濯物を乾燥機に入れてから病室に戻ろうとしていたら、リハビリ室の方から1人の女の人がやって来た。
私が靭帯再建術を受けた時以来、ズ〜〜ッとリハビリで担当してくれているお姉さんだった。
2/26に整形外科病棟の2人部屋に移動してから数日後、院内の廊下で1度声をかけられた事があるけど、
その時点ではまだOP予定がたっていなかったと記憶している。従ってリハビリがどうのこうのという段階ではない
為にあまり大した話はしてなかったように思う。

だけど今日は違っていた。
一昨日(3/20)の朝に担当ナースに伝えたのと同じ事を言い「明日は抜コウ(創部を縫合してあるホッチキスを
抜くこと。通常の抜糸と同じ意味で使われる)出来ると思うし、回診が部長さんだから(入院中にスポーツプラザに
通うことに関しての)許可待ちなんだよね」と言っておいた。
大体、言わんとする事は通じたみたいで「スポーツプラザ側もDrや理学療法士の意見が聞きたいと言っているし、
私も聞いておきたいことがある」というのは伝わったみたい。
そうじゃなきゃ困る、っていうの!
病院とスポーツプラザの双方で私の病歴や術式、そしてトレーニングメニューに関する情報交換が出来れば
退院後もスムーズに、そして心配なく通えるというものだ。
最終目標は社会復帰なので、誰が何と言おうとそれを目指して行動計画を進めていかないと・・・。


3/23(金)
朝から心待ちにしていた(?)全抜コウの日である。
AM10:30頃に回診御一行様がこの病室にやって来た。
創部の抜コウ(傷口を縫ってあるホッチキスを取ること)が全て終わった。
この前、あらかじめ担当ナースを通じて質問していた“入院中にスポーツプラザに通うこと”は
何ら問題はないそうだが「この足じゃ無理だろ。まず曲げる練習しなきゃな」とのことだった。
来週からCPMとリハビリが開始されることになった。

私:そうだね。この足、まだ曲がらないし。トイレは足台が必要だもの。せめてエアロバイクがこげるように
  なってからでないと・・・。ピッチャーでいうと西山かな。
Dr:え?
私:見た目はよさげだけど、中はねぇ・・・。
Dr:そうそう。

日勤の担当は“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと思われる背が高いナース”
だったので、回診後に足浴を手伝ってもらった。
PM3:00前にKママと僕ちゃんがやってきた。来月から小学校に入学するという。
ママは準備に明け暮れているらしい。

準夜は“卒後4.5年目と思われる、beautifulというよりはprettyという方が似合うナース”がやって来た。
相変わらず元気そうだった。このナースからの情報によると、入院初期の頃に臨時で入っていた“産婦人科メインの
混合病棟”で“自称・昭和゜41年生まれで体格も元気も良く体脂肪率のことで何回も握手をした、元整形外科病棟の
ナース”が準夜をしているというので「これを逃したらイカン」と思ったので、ジュースの差し入れと共にOP後元気に
回復した姿を見せに行ってきたのだ。彼女は3月末で退職すると聞いていたので恐らく最後の夜勤だろう・・・。


3/24〜31までの期間だけが何故か消えてしまったので、その時にやりとり
していたメールを引用してみました。ほとんど日記と変わらなかったりして(*^_^*)
それにしても、この期間だけ・・・ってのが変だわ!



3/24(土)

さっき若ドクターIが回診にやって来て「創部の閉鎖を確認」しました。けど後は何も言わなかったので、そのままシカトです。
そしてガーゼが不要になりましたので、以前も使っていたサポーターを再開しました。いきなり素肌に傷口露出というのも
抵抗がありますし、サポーターでもしておくと周囲にアピール出来ますから・・・。装具を使っていた頃と同じ感覚です。
すぐに布や何かの生地があたるとスレて痛かったりするものですから、やはり数日間はサポーターを使います。
カサブタが取れるまではね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この病院のコミュニティケーション不足は今に始まった事でもないように感じます。
昨日から今日にかけてまた2つありましたけど、新人ナース(とは言っても4月に入ったら2年目になる)が原因だったので、
そんなにキツくは言いませんでした。そしたら「〇〇(私のこと)はヤバイ」と教わっているかどうかは別として、
向こうから「済みませんでした」と言ってきたので「済みませんと言うのが出たんならよろしい」と言ったら
「失礼します」と退室していきました。

OP後の点滴の続きで3/17から抗生剤が内服薬になっていましたが、そんなのは処方された時点で
3/23の夕方に終わると言うのは分かるのは当たり前のことなんです。
昨日のうちに「抗生剤の内服が今日までになっているけど続きはどうするのか、
このまま中止なのか」という事に付いて教えてくれ・・・と言ってあったにも関わらず、誰も何も言ってきません。
昨日の夜勤のナースにも言ったし、今日の午後の検温でも言ったらやっとさっき「〇〇(私のこと)さんが痛ければ
出しても良いとDrが言っていた」というふうに昨日の日勤のリーダー業務担当だった新人の子がやって来ました。
そして私が「ナースの間ではそうなっていたかもしれないが、どうして患者に一言がないのか」と言ったら
「一緒にリーダー業務を教えてもらっていた先輩が患者さんに聞いてくる、と言っていたから」と言い始めました。
あら、この子も言い訳するのかと思いつつ「だけど私がどう言ったのかを最後に確認するのがリーダーなんじゃないの?」と
言った所で謝ってきたので「よろしい。これが内科のインシュリンとか外科の抗がん剤とかだったらもっと大変なんだよ。
他の病院、いや他の病棟に行ったら通用しないと思っておいた方がいいね」と言って返しました。
この位は言わないとお灸が必要でしょう?

その前に先輩ナース(30代の人2人)が来ていたのですが、その人達には「やったことは仕方がないから怒らないで。
私、自分より若い人の事では怒らないようにしてるから」と言っておきました。
若いナースには言わなかったけど「全く、上(管理職)がいい加減だとそういうのだけは下に伝染するのよね」と
皮肉を言っておきました。彼女達は苦笑いしてたけど、怒らないって言ってましたしね。
若い時に怒ってやる気そのものを持たれると困りますし、怒って相手をへこませるよりも
自覚させる事の方が大切だと思ったものですから・・・。

もう1つはCPMに関することなんですが・・・。
Drは創部の閉鎖が確認されれば患者本人と相談して今日(24日)からでもCPMは開始すると言っていたらしいのですが、
私はそんなのを知りませんでした、昨夜の消灯過ぎまで。
その指示を受けたのはさっきの新人ナースなので、それについても「ナースの間だけで情報がグルグル回っているだけで
患者に伝わってないのはおかしいな」と教えておきました。
今日の部屋担当はベテランの域に達している30代のナースなので「CPMどうする?」と聞きに来た時に
「私は昨日の消灯まで、そんなの知らなかったけど」と言ったら黙って帰りましたけどね。
たぶん、今日の日勤である2人の先輩ナースから絞られているとは思いますけど、
患者から直接指摘されるとこたえるような言い方を(しかも事実そのものを)しておきましたので、この程度で良いでしょうね。
今後、私の入院中に同じ事をしたら総婦長と共に呼びだしです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何時頃だったか忘れましたけど、同室者が出来るかもしれないという事でその旨ナース達が言ってきました。
よく聞くと90才の年寄りで泌尿器科の患者といいます。という事はバルンと言って尿の管が入っていたり、
あるいは病室でオムツ交換したりという状況が目に見えるようでした。月曜日になったら該当する病棟に移すとは言っていましたが、
今の段階で空いてないものが月曜になったからと言って急に空くかどうかは分かりません。

もっとよく話を聞いたら、本当かどうかは別として病院全体で私の隣しか空いてないとのことでした。
一端は入院すると言ってたらしいのですが、家族が(?)家で見るといって入院がキャンセルになったとナースが言いに来ました。
ここで私のカンがヒラメイタ!こういう時って必ず夜中に来るのよね、って。

そういう空気を感じ取ったかは知りませんが、この病院は管理当直体制をとっているので、
ついさっき管理当直婦長という人がきました。そして前述の如く説明し、私に選択肢を与えるという方法を取ったみたいでした。
つまりコストを払えば(払っている間は)誰も入れないように出来る・・・との事でした。
整形の患者ならまだしもと思い「私も素人でないので、どんな患者が来るか分からないというのは理解出来ます」と言った上で
2人分のコストを月曜日分まで支払うことにして、管理当直と言う婦長が持ってきた用紙に署名しました。
今日、3/24の16:30から月曜26日23:59までは誰も入院しない(出来ない)ようにしました。
お金って、こういうふうにも使えるんだなと実感している所です。
午前0時が切り替えだとのことですから、1日分だすと「その日の23:59迄は有効」ですよね。

ここは1日2500円ですから、今日を含めて3日分7500円をケチったばかりに不快な思いをするのはご免です。
後で関係各方面の印鑑を押したものをくれるそうですし、その管理当直婦長に「3/24の16:00〜3/26の23:59まで」と
書かせたのをこの目で見た上で、私は後から署名しました。

ふと思ったんですが、管理当直までがわざわざ用紙を持ってくる、いやその前に「先程は・・・」と言いに来ることから想像すると
本当に空きBedがないんだなと思いました。
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>話しがDrと看護婦の間だけで走りまわっているようで本人は放ったらかしかい。しかし、そんな事が許されるのって医療だけだよね。
 当日になってから、本人に知らされるのって・・・。
→正に、って感じです。実はというべきか元気で働いている頃に患者さんから指摘を受けたことがありまして、
  結構身にしみてたんです。だから余計にという訳でもないんですが、若いナース達がこの病院のシステムを把握しただけで
  一人前と勘違いされると困るので、あえて本人に直接言いました。まだ頭が柔らかい時期ですので、こちらが言っている内容さえ
  伝われば改善の見込みはあると思いました。

>時間を買うみたいな制度があるんですね。
→そうです。毎週末はこうしようかと思ってしまいましたけどね(笑)。とりあえず気の効いた婦長で良かった、って感じかな。
 ここの病棟婦長にも誰かを通じて「OP後動けるようになるまでは」と言っていたのですが、意識して入れなかったのかもしれません。
 だけど今回、こういう実績を作っておけば使えますからね。出す物を出せば入院出来ないようにする事が可能だって。
 準夜のナースに言ったら「実は私達も助かる。夜間にうち(整形病棟の1室)しか空いてないと分かると入院があるかも
 しれないとビクビクしなきゃいけないから」だって!これは本心だと思いました。

>そう言う制度があって、2ヶ月空きBEDが無いと言う事があった一因かもしれないですね。
→2ヶ月ではなく10ヶ月なんですが、個室として使い続ける人が10ヶ月間続いてた訳じゃないというのは自分の目で確認してましたし、
 管理日誌(法的にも充分通じる書類になる)を見れば一目瞭然ですから。例え個室として利用していた人がいたとしても、
 その次の受診時に整形外来で名前を確認したら違う人が2人入ってた事もありましたしね。これに関してはBedコントロールが
 出来てなかっただけだと思います。それに2人部屋は院内でここだけではありませんから、
 あまりに1人の患者がそうしようとしたとしても、そちらに移動することが不可能ではないし。
 もう、終わった事はいいです。考えるとムカツクから。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さっきのメールを送信してから接続を切る前に、普通のメールも確認したら嬉しい知らせが!

友達からのお誘いメールが来てまして・・・。
何と電波少年の収録(4/1の日曜日)に当選したんだけど、旦那さんがいないから一緒にどう?・・・って事です。
私? 行きます。特番の収録だっていうから!!

今から電話しよっと!
よーし、俄然リハビリをやる気が出てきたぞ。何としても月曜日からのリハビリを頑張らなくては。
友達は入院しているのを知らないから、前日から外泊して驚かせよう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日テレ本館の近辺にありませんかね?
こういうのってどうやって調べたら良いのかと思いました。地図で検索かしら?
それとも下見?
まあ今回は下見は無理としても、地図でそういう細かい情報までインターネットで分かるのかが疑問なんですが、
どうやったら分かるか知っていたら教えて下さい。
電車は危ないので止めて下さい・・・とナースに言われましたし、私も電車を使う気は全くありませんでしたけど、
いきなりタクシーに行く前に「まずは自家用車だろ」って思いました。

話は地震に移りまして・・・。
例の従弟のうちに電話してみたら、この前・・・と言っても半年位前の鳥取が震源地のやつと比較してみたら、
マグニチュード(?)はこの前の方が大きいらしいけど今回は亡くなった人が2人も出たから大袈裟に報道しているんじゃないか
と言っていました。意外と冷めてましたね。とりあえず生存確認はしました。

3/30迄の短期目標として「90度は膝を曲げないと外出しない」という約束をしてしまいました。
こうでもしておけば何としても金曜日までに・・・という思いが強くなって、それが励みになると思いましたから、
準夜のナースに「こうしましょう」と提案しました。超のつくベテランお母さんナースが「たぶん大丈夫なんじゃないの」と
言ってましたけど、どうやら電波少年フリークみたいで「その代わりに先に情報を教えるように」と言われました。
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3/25(日)

昨日、友達から聞いたのですが・・・。
実は友達が去年の10月にもハガキを出したら当選したという経験があるらしく、電波の収録を見に行くのは2回目だそうです。
今回は旦那さんがiモードで予約したら当選したとのことですが、肝心の旦那さんは仕事で行けないので
私にオコボレが回ってきたという次第です。しかし、この夫婦凄いなと思いました。前回も1週間位前に電話があったらしいのですが、
昨日も18:00頃に「こちら日本テレビですが」という電話連絡で当選を知らされたそうです。
郵送で来るのかと思っていたんですけどね。1週間前なら間に合わないかな。
それともう1つ。
普段の日曜日に放送分は電波も雷波も「前の週の火曜日」に収録するみたいですよ。
だから今日の放送は20日に収録してる、って事でしょうかね。特番は分からないけど・・・って言ってました。

朝から膝曲げ訓練やってます。
でも曲がらな〜い!
ナースが上手い具合に声を掛けてきて「CPM、今日からやったら?」との事でした。
毛布を折りたたんで膝の下に入れる程度でもお皿の周りがとてもパツパツになって痛いのですが、何とかやってみようと思います。
ナース達も「私達も電波フリークが多いのよね」と言って笑ってましたけど、とりあえずこれで短期の目標として
3/30(金)迄に90度曲げないと観覧席はおろか車(自家用車もタクシーも)にすら乗れないのでね。気合が入ります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「電波少年的リハビリ生活」
ええ、やらせて頂きますとも。
では90度以上曲がって外出出来てた時のご褒美は何かありますか?な〜んてね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ナースに「電波少年的リハビリ生活」って言ったら笑いながら「懸賞はつかないけど」と言われましたよ、エエ!

今日は午後の検温まで、AM9:00に身体を拭くタオルが来た以外はナースは誰も1度もこの部屋にやってきませんでした。
しかも「今日はこの部屋の担当です」という朝の挨拶もないし・・・。
せっかくやる気満々でいたのに、そういうのって削がれるのよね、と皮肉を言っておきました。
日曜日だから、忙しいから、というのは言い訳ですし、ハッキリ言って関係ありませんからね。同業者だからこそ分かるんです。
来ようと思えばどんなに忙しくても来られたハズだって事がね。
いつも「すみません」とか「申し訳ございません」を連発する新しい人なので「貴方のすみませんは聞き飽きた」と言ったら黙りました。

しかし、この膝曲がらないぜぃ!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
準夜が私の受け持ちナースなので、相談の結果「朝1番と消灯時(就寝前)」にCPMをやる事にしました。
そしたら私だけが2回やる事で他の患者さんに回りにくくなるという事も回避出来ますし、
今週中の90度屈曲も近くなるような気がしますしね。前回も“朝練と夜トレ”と言いつつ同様にやってましたので、
ナースも了解したようです。

さっきのCPMも40度keepとか言ってたんですけど、何とか頑張って50度までやってみましたよ。
夜は砂のうを足首に巻きつけて「重力の力を借りて曲げる」という、早朝から午前中もずっとやっていた訓練から始めています。
少し筋肉が軟らかくなってきた所でCPMかな。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

準夜が私の受け持ちナースだと書きましたが、勤務開始間もないと思われる16:30過ぎにこの病室にやって来て
「私、〇〇さん(私のこと)に謝らないといけない事があるんです」と言うので「何?一昨日から昨日のこと」と答えました。
ナース達の間でどういう話になっていたのか、昨日の日勤だった30代のナース達からどういう注意を受けたのかは
知るヨシもありませんが、彼女も詫びを入れてきたので「ナースの間での情報共有だけではいけない。
結局、あなたが私の所に聞きに来なかったのがいけないとは思うけど、K原ナースも“私も最後まで確認してなかったのが
いけなかった”と認めてたから強くは言わなかったけど」と教えましたけどね。
数時間後に検温と称する様子伺いにやって来た時に「教える・・・という程のものはまだ持ち合わせてないと思うけど、
自分の知っている事を他人に伝えるって難しいでしょう?」と言ってみました。
そしたら彼女自身もそう感じていたようで「実は金曜日に教えながらリーダーをやっている時、Drにも言われた。
(まだ2年目の)貴方が教えながらやってるのか・・・って」との事でした。
今回のことで多少ならずとも自覚はしたようだし、あと何日もしにいうちに後輩が入ってきたら3年目として見られるというのが、
自分の口から出てきたので私は聞くにとどめました。危機感と言える程のものはないと思いますけど、
プレッシャーは感じているみたいでした。

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3/26(月)
朝練のCPM、終了しました!
1時間の中で前半30分は60度、後半30分は65度でやりましたけど、ICINGシステムで何時間も冷やしていたし、
起きてすぐなので筋肉も硬いという感じできつかったです。今はクールダウンとも言うべき、筋トレ中です。

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今日は業界用語でいうプレメディ(OP室に行く前に緊張を解いたり、各種麻酔がかかりやすくする為の筋肉注射のこと。
正しくpre-medicationと言い“前投薬”のこと)という感じのものでした。
担当者は前回までと変化無く、いつもの・・・というか、これまでのお姉さんでした。
前回までのDrでなく執刀した部長さんが依頼の伝票を書いていたとのことで、
ROMという膝曲げだけでなく筋トレのオーダーも出ていたそうです。
肝心の出来なんですが、お姉さんによる膝曲げの開始時期は「少なくともCPMで90〜100度はいってないと厳しい」とのことで、
今の段階だと門前払い状態だそうです・・・。悲しい!

購買部まがいの売店経由で病室に戻ってからすぐにCPMの予定票を作りました。
今は1日2回を起床時と就寝前に施行してますが、直前回の角度=今回の開始角度にすれば
前回よりも角度が落ちるということはありませんよね!?
例えば今朝の後半が65度だったので、今夜のは65度から始めると言う具合です。
そういう予定で行くと29日の就寝前にはCPM上で100度達成という事になりますが、
CPMと実際の角度とは10〜20度の誤差があり、実際の各度は「CPM−15前後」というのを考えると、
予定よりは5度でもUP出来るようにやりたいと思ってます。

リハの担当お姉さんに「電波少年の観覧に当選したおこぼれに預かった」と話したら、ゲラゲラ笑いながら
「そりゃあ良い目標が出来ましたよね。短期の目標としては悪くないと思いますよ」と言ったと思ったら「坂本ちゃんの合格ネタと
12少女の脱出」の話で盛り上がりましたけどね(笑)。

週末に自分で考えていたのとはまた違った感じの、より具体的な細かい目標が設定出来ました。
気合が入りました。

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3/27(火)
今日の第7サティアン(リハビリ室の別名)は終了しました。
だけど・・・というべきか、うつ伏せではまだまだの状態でした。今日も涙はなく普通の緩い筋トレと
ROM(関節可動域)でした。強制曲げをしてでもROMを拡大するにはまだまだの段階って事です。
うつ伏せで左膝だけ曲げようとしても、担当のお姉さんは角度計すら持ってこようとしませんし、
目で見て「45度位かなぁ」と言ってましたから、CPMと実際の差は思ったよりも大きいのだと感じました。ちょっと悲しい!
でも電波少年的リハビリ生活をリタイアする訳にはいかないので、今から気合を入れ直して
夜間の自主トレとCPMに備えようと思っているのです、ハイ!

帰宅したらうつ伏せになって片方の膝だけを曲げてみて下さいな。
そしたら曲げようとした方の太モモの前面が突っ張ると思います。それを筋肉の緊張というんですが、
普通だとその程度の事では曲がりにくくならないんですけどね。現に同じ事を私の右膝は軽々と出来ますし、どこにも痛みは感じません。

昨夜の準夜に私の担当ナースがいたので、以前からDrに聞いてもらおうと思っていた事について
「すれ違い程度にチラッと聞きました」というんです。私の質問内容は「今回のリハビリも目標は正座なのか?」という事です。
担当ナースの話では「理由までは聞いてないんですけど、正座でなくても良いらしいです」と言っていました。
私としては別にそれならそれで良いのですが、理由が分かると尚ヨシ・・・と言っておきました。彼女も「どうしてですかね?」
と言っていたので、数日間のうちに答えが返ってくるでしょう。

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退院については、たぶん私の考えている通りになるでしょう。かなり近い将来のうちに“リハビリの目標が
正座でなくても構わない理由”が分かると思いますから、それを聞いてみようと思います。

私としては退院の時点での正座は出来なくても将来的に出来れば良いかな、と思います。
あと、痛い思いをするのはちょっと疲れたというと変ですが、リハで痛い思いをするのに使うエネルギーを
違う物(退院後の筋トレ)に使いたいという思いもあるんです。分かりますかね・・・?

将来的にも正座が不可能であっても、
1,次に今回の入院時のようになるまでの期間が長ければ、別に構わないとさえ思います。
2,今の勤務先かどうかは別として、社会復帰をしようという意思はあるのですから、そっちの方に労力を使いたいです。
3,日常生活に差し支えがない程度にしてくれればいいです。普段はほとんど使わない生活様式なのですから。

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ついさっきhotmailをチェックしたら、何やら原稿依頼のメールが来ていました。
どうやら聞いた事があるような看護雑誌の編集者からのものでした。あんな毒吐きサイトで良いのかと思いましたが、
暇だし1000円分の図書カードと掲載誌をくれるというので協力する事にしました。
タイトルが「新人ナースに伝えたいこと」というものなので、患者としての体験談の中で嬉しかったことを2つ書こうと思います。
先方もこちらが入院中というのを把握しており、メールでの投稿でも良いそうですし、
2000〜4000文字の範囲というので「全角1文字で2B(あれ?違いましたか?)」というのを考えると、
8KB以内にまとめたら良い、ってことになりますよね!?
本当にあんなサイトで良いのかと確認したら、良いそうですからやってみようと思います。

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3/28(水)
さっき基準局にTELしました。
去年の12/10に退院する時に、診断書一式と共に基準局からの物も書いてもらいましたけど、
その時点で記載されている「症状固定は受傷後丸2年となる平成13年5月となる見込みです」という一文と
「就業は平成13年1月末頃より可能と思われます」という一文について聞きました。もちろん現状報告も事実のみをしました。

私の解釈違いというか、労災保険の時効について正しい知識を得られました。
丸2年で時効が消滅する・・・という文章ですが、私は「どんな場合でも丸2年経過すると労災での治療が終了する」と
思っていましたが、それは間違いでした。
結論は「ドクターが治癒あるいは症状固定と診断するまで」との事です。従って、私の場合は平成11年5月21日に怪我しましたけど、
何が何でも今年の5月で治療が終わるという事ではないみたいです。

そしてメインの前十字靭帯損傷でなく、途中からオプションに付いてきた左化膿性関節炎に関しても、
12/11付けに提出した書類に書かれてある事のみを話しました。
要するに初発は平成10年5月で最初のOPは平成10年11月11日に施行していることや、
一端は治っていたために翌年(平成12年)6月18日に靭帯再建を行ったこと、
そして肝心なのは去年9月に抜釘した後退院して2週間でUターンした時に関節炎が再発した時の
Drの発言(OPが原因と思われるというコメントがあった事)も付け加えておきました。
この時のドクターの発言は録音済みですから、何かの時には慌てなくても済みます。

以前からあった物だと労災は認められない事が多いそうですが、私はドクターの肉声が入ったテープがありますから、
そこは大丈夫だと思います。肉声テープのことは基準局にはまだ話してませんけどね。当たり前だ、っつうの!

また症状固定に関しても、12/11付けで提出した書類には「130度は屈曲出来るが正座は不可能である」と書いてますが、
今は悪化しているので50度も曲がらない事を強調しておきました。

とにかく気を付けたのは
1,低姿勢で喋ること
2,教えて頂く、を連発すること
3,事実のみを話すこと
4,余計なことを喋らないようにすること
以上4点でした。

よって5月末で症状固定になってしまうという事はありません。私の解釈違いでした。

しかし、思わぬ展開っていうか勘違いしてた為に、今日の電話がラッキーと感じてしまいました。
嘘はついてないし、以前に関節炎のOPをしたことがあるという点に関しても、書類通りの事実を言いましたし、
靭帯のOP前に治っていた事も言いました。Uターンした時に「この前の抜釘が影響している」と言われたことも言いました。

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セールスマンが病院までkeyを取りに来ます。正面玄関にPM3:00という約束ですが、営業マンですから少し早めにやって来るでしょう。
日曜日の外出に備え、上がっていると思われるバッテリーを充電もしくは交換までしておいてもらうように依頼しました。

>完治もしくは、症状が固定したと判断されるまは支給対象であるということですね。
→そうです。労災保険法の条文には「時効2年」とありますが、それは発生から請求までの期間が
 2年以内でなければならない・・・という意味だそうです。
 休業期間については“期間そのものの規定がない(定められない)”ので、曖昧になっているのでしょう。
 従って、私の場合も他の人と同様に“Drが症状固定だと診断するまで”は労災保険での治療を受け続けられます。

基準局の人に「12/11よりは確実に悪化しているのが自覚出来ますし、このまま症状固定というのは
とても不安がありましたもので」と言うと、前述のように答えが返ってきたという訳なんです。

それと化膿性関節炎に関しても、H10,11,11にOPしてから一端は治っていたので、
靭帯再建術を受けたことも言いました(書類にも書かれてますしね)。内心は取り消されるかもしれないと思ったのですが、
そこは「私も職業上の経験で一端治っていたはずなのに、どうしてだとDrに詰め寄ったら“抜釘の時の関節鏡が
影響しているのだろう”という説明がありました」という言い方をしました。これも事実ですからね。

役所は自分の過ちを認めない体質なのは充分分かっていますので、頭の片隅では「一端認定されて
休業補償まで支給されているという実績があるんだから、いきなり取り消しはないだろう」という考えもありました。
実際、安心して治療を受け続けて頂いて結構ですし、何かありましたらこちら(基準局)から連絡します・・・と言われたので
「ご丁寧に教えて頂いてありがとうございました。病状に関する勉強はしましたが、法律や決まりに関する事は勉強不足でした」と答えました。

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車のkeyは担当のセールスマンに預けました。
バッテリー自体の性能はまだ大丈夫だと思うけど、とりあえず今夜から明日にかけて充電してみた具合で、
交換か充電のみかが分かるみたいです。もし交換が必要な場合は、プロが見て必要だと思ったのなら、
そこは信用するから私の承諾無しで交換してもらっても構わないと伝えました。
フルに充電出来なくて、満タンを100としたら20とか30までしか充電出来ないと交換になるらしいですね。
前回、このようになったのが12月で日が浅いけれど、念には念を入れる方が良いと思いましたので、そこは意見を聞くことにしました。
その代わりに電波少年の早情報を入れて下さい・・・という社交事例がありましたけどね(笑)。

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3/29(木)
今朝はもうCPMも朝食も済ませました。
朝もはよから嫌がらせのように、去年の入院時に壁の方を向いてしゃべったおばはん看護婦がやってきたので
「アンタとKは出入り禁止のはずだ」と言ったら「ええ、どうしても仕事の都合で」というのでそのままシカトしてたら
「じゃあ、また後で来ます」と言い、約1時間後に再度来たので「医者を選ぶ権利があるんだから
看護婦を選ぶ権利もあるはずだ」と言って追い返しました。ヘヘン・・・って感じですな。
半ば義務化されている排泄回数の報告もしませんでした。
何か言われたとしても、ここの病棟婦長も今週で終わりですからシカトしてれば済みます。

私の言動が我がままとか無理とか言ってきたら「シメタもの」だと思います。もしそのような意味の事を言われたら
「そういう暴言看護婦がまかり通るような風土の方が患者に無理を強いているんじゃないの?」と言ってやろうと思います。
もちろん録音しますよ!

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車には乗れるでしょう。タクシーでも自家用車でもイケると思います。膝の折れ具合は左右対象でありませんが、
座席に座るのにも大丈夫だと思います。

>そちらにも朝から、素晴らしい訪問者が来たようで・・・(笑)
→ホント嫌がらせですよね!?日勤のナースに「さっき吐き気止めを服用した」とジョークを言ったら「どうしたの?」と
  聞かれたので「朝から変な奴がきたんで気持ち悪くなっちゃってさぁ〜。ありゃあ嫌がらせだよね」と言ったら笑ってましたけどね。

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リハビリは「第7サティアン」と言えるほどキツイ事をしてないので、何だか物足りなさを感じるだけでなく、
前回よりも曲がりにくくなっているように感じるし、実際問題「CPMマイナス20」という角度には程遠い自力での屈曲具合です。
これが現実だと言われれば「ああ、そうですか」というだけなんですが、
これじゃあちょっと日常生活の支障が余りにも大きすぎるので困ります。

とにかく「次にこのような状態になるまでの期間」が長くなれば良いので、見切りをつけるのなら早めにつけてもらわないと・・・。
いつまでもグスグスしてるのは嫌いです。

次の手としては「これ以上は曲がらない」となった時に、書類上だけでも労災の方から傷害年金というのが
出る程度のものにしてもらうように頼まないとね。角度等はあらかじめ分かっていますから・・・。
重力の力を借りてようやく90度前後という感じなので、このまま退院しても車の運転は出来るでしょう。

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そうそう、この前言っていた「ナースアイ」という雑誌の原稿なんですが、午前中に書いて編集部に送信したら
早い返信が帰って来て、丁寧な御礼が儀礼的に書かれていました。
住所・氏名は名乗りましたが、雑誌には掲載しないでねという一言を加えておきました。
文字数を数えるのに段落を使わず、全てダラーッと長い文章にして数えました。
その後に段落を区切って作りました。確か2050文字程度になったと思います。
いつ発売なのかは知りませんが、掲載誌が送られてくるそうなので、とても楽しみになりました。

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3/30(金)
今朝は既に朝錬も終わりました。
CPMは昨夜までで115度でしたが、今朝も115度から始めました。今までだと5度でもUPしてきたのですが、
どうやら限界なのか痛すぎて角度UPは出来ませんでした。本当は下げたい位でしたが、
それだけは避けたいと思いましたので何とか115度で続けましたけどね。夜トレでは120度に持っていきたいと思います。
ナースにも報告しました。

今日は午前中に部長回診があると思われますから、この前言っていた“リハビリの最終目標が正座でなくても良い理由”が
分かるかと思います。それと、さっきやって来たナースには伝えましたけど、
今日のうちに明後日の外出許可を取っておこうと思います。明日だと例の馬鹿医者になるので、何かの時に使えませんからね。
あとは毎週火曜日の定例採血の指示を確認してもらわないと、若ドクターIが出すようになっているみたいなのですが、
あの人は月曜日が不在日なので今日のうちに採血指示が出てるか確認しておき「出てなかったら部長さんに出してもらっといて」と
言いました。ホント、賢い(?)患者と出来たナースで良かっただろ、って感じ!

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正座でなくても良い理由は意外とシンプルでした。
今回のOPはそのようなOPではないから、だそうです。そう言われれば、そうなんですよね。
理由が分かればなんてことはありませんでした。私の灰色の脳細胞で理解可能なことなので、言われれば分かりました。
今は頭と身体(左膝)が一致してないだけということになります。これで少し先が見えそうな気配が漂ってます。

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私の方は外出許可も出たし、日曜日に一緒に日テレに行く友達にTELして待ち合わせ時間等を決めました。
当日PM12:00に日テレ本館に集合とのことですから、朝マックをしてから行こうという事になり、
駅に9:00に来ることになりました。ちょっと走ればマックがあるし、食べてからでも充分間に合います。
やっぱ事前におしゃべりタイムがないとね。大体の予想・・・というか、通常の収録でも1時間前には
少し並んでたらしいですから、それよりは早く到着しておいた方が良いという意見で一致しました。

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夜の修行って2回目のCPMのことかしら?
もし、そうならナースの都合で持ってくるので時間は分からないですね。今、膝の疾患の人が流行っているみたいで、
CPMを使う人が多いみたいです。私は今の所個室状態なので「消灯過ぎても良いよ」と言ってあるので、
夜トレが終わったら夜中はそのまま置いといてもらうと、朝起きたらすぐに出来るようになってます。

職場の人と飲み食いしないのは私も同じです。
ナースの時も15年以上前の学生時代もそういう姿勢は崩していません。
そうしてでも仲良くしたいと思う人は、特にそうしなくてもご縁がありましたよ。今までは。
いつかメールに書いたと思うのですが、白衣を着てない時間まで看護婦である必要性はどこにもない・・・という考えです。

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今日は夕食後に最後のOP患者が帰室したようで、準夜はとても忙しいみたいです。
なのでCPMもまだみたい・・・。ま、いいか!
集団退職する7人のうちの5人ともが、今日または明日までの勤務となっています。こんな事ってあるのね。

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3/31(土)

洗濯をしていたらアッという間に約束のPM1:00になってしまって、数分後にセールスマンが病室までkeyを持ってきてくれました。

今、検温が終わったのですが、持ち物を整理している私に「遠足気分で寝られないんじゃないの?」と言われてしまいました。
ガハハハ、と笑っておきました。もう外出用紙をもらってきて必要な箇所は既に記載済みです。
食事をいつまで止めておくかを書いたら提出出来る状態です。
昨日、担当ナースを通じて依頼しておいた“2,3月分の休業補償用紙”は年度末だということを言ったら直ぐに出来ていたようです。
それも持って外出して、とりあえず自宅のFAXでコピーしておき退院したら改めてコンビに等でコピーし直したいと思います。
そして、そのまま投函かな。

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やはり収録中の撮影は光や何かで邪魔をするといけないと思いますし、昨日の阪神ファンみたいなことなく
マナーさえ守っていれば、あとtimingが合えばOKじゃないか・・・という期待を込めて試してみたいと思います。
友達夫妻が去年の10月にハガキの方で当選した時の話だそうですが、前説で「カメラを持っている方はいらっしゃいませんか?」と
聞かれたそうですので、収録中はマナーですもんね。止めます。

出かける前に自宅に寄るので、確か色紙が2〜3枚はストックがあったと思いますし、
部屋になくてもコンビニに一回り小さい色紙がありましたので、それをGETしようと思いました。
あとはインスタントカメラもコンビニにあるしね。





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