2月13日〜2月末まで



2/13(火)
1月から担当医が交代して間もないのだが、まだ自分の中では「この人の治療を受けるかどうか」について
決めかねている段階だった。
正直言って「こいつに大切なことは話せない」と思っていたが、とにかくボコボコの左膝を引きずりつつ、
新しい担当医Iの診察を受けることにした。

確かAM9:00頃にKママに電話して状況を話しておき、もし本当に入院になったら前述のようにしてまとめた
荷物を病院まで運んでもらえないだろうか・・・と依頼したら、前回同様、診察の待合室まで来てくれたのだ。
ありがたさを感じつつ、お付き合いしてもらうことになった・・・というか診察室から出てきたら廊下に居たのである。

コンピューターで受付をしてからそんなに時間は経っていないと思われる頃に名前を呼ばれた。
左足を引きずりながら中に入り、10日からのことを話した。
そして左膝の外側に太い針を刺して中に溜まっている膿の混じった関節液を50mlくらい抜き取った。
採血をしてから抗生剤を点滴し、そのまま入院・・・というかと思っていたら「はい、帰って良いです。今夜は風呂に
入らないでね」とのたまうのだ!
 おいっ!!
出来れば入院は避けたいと思っていたのだが、こうも簡単に言われると「え?毎日、朝晩点滴に通うの?」と
聞いてみた。そしたら、この若ドクターIは「毎日来るのが大変だったら近くの病院に紹介状を書きます」と間抜けな
事を言うので「私、ここが1番近いんだけど。それに労災なんで病院を変更する時は基準局に言って許可を
もらわないと」・・・と、ここまで言ったらやっと「じゃあ入院だね」と言ってきた。

オマエはアホか!!

12月までの担当医Yが「次の医者と年末に会いますから、よく伝えておきます」と言っていたので、どこまで正しく伝わっているかを
確認する意味でも、この若ドクターIの初診察の時にはあえて何も言わなかった。
12月までの担当医Yは、自らの不用意な発言が元で私に痛めつけられているので、それも含めて伝えてはいると思うのだが、
今度の若ドクターIは人の話を最後まで聞かないというか、自分が喋るだけ喋っておいても「内容が相手に伝わっているかどうか」の
確認をしないらしい。
ゆえに、私が労災で治療を受けていること(こんなのは何処の病院でもカルテを見たら一目瞭然なのに)を始めとして、
自宅が病院の所在地から近いことも確認しないで「紹介状を書くから他の病院に」等という発言が出来るのだと思う。
ま、こいつはパシリか処置係だな、って感じ。こういう若手を上手く使わなきゃね。

入院することになったは良いけど、私は大部屋が嫌なので前回と同じく有料病室を希望したが空いてなかった。
仕方なく・・・本当に仕方なく、産婦人科メインの混合病棟の1室の動物園みたいな5人部屋に入ることを承諾せざるを得なかった。
そこは満床でなく私が入っても4人にしかならなかったが、窓際が空いていたのでそちらに横になった。
私以外の3人のうち2人が室内でポータブルトイレを使用しているという状態だったし、自分も瀕死の重症(?)という
苦しい状況だったのでカーテンを閉めきっておくことにした。
大部屋は自分と他人の会話が筒抜けだし、他人のそれも同様であるのが「大部屋を嫌がる最大の理由」だ
ということも今度の若ドクターIは理解してないようだったので教えてやった。もう勘弁してくれ〜〜!
担当医の世話まで患者にやらせるとは・・・。

不幸中の幸いとも言うべき事が2つあった。
それはトイレが近いので松葉杖を使えば何とか自力でトイレまで歩行出来そうだという事が1つ。
もう1つは2月から勤務交代になったという元整形外科病棟の顔見知りナースが2人居たという事である。
彼女たちはどう感じているか知らないが、まあ不運だったと思って諦めてもらおう。
そして私が整形外科病棟の有料病室に移れるまでの期間はこの2人に“苦情処理班”になってもらおうとこっそり誓ったのであった。
ウヒヒヒ。

最初に紹介しておこう。
“自称・昭和41年生まれで体格も元気もよく、体脂肪率のことで何回も握手をしたナース”と
今回はアナムネまで取ってしまったので、この産婦人科メインの混合病棟に居る間の受け持ちにまでなって
しまった“卒後5,6年目と思われるスリム&beautifulなナース”である。
ナース達の間で「かわいそうにね」と言われていることだろう。ま、よろしくねって感じかな。

とにかく、外来にて関節液をプンク(穿刺=抜き取ること)し、採血と抗生剤の点滴を施行、そして左膝のレントゲンと
心電図をとってから車椅子に乗って病室へ直行した。時間にしてPM2:00前後だったと記憶している。
この日は早朝4時にボルタレン座薬を使用したので、入院時の体温は37.9℃とわずかながら下降していた。
しかし、その後も痛みは引かず14:45に再度ボルタレン座薬25mgを使用した。
21:00には解熱傾向で37.4℃となっていたが、痛みは一時的にしか改善しなかった。

23:45→ソセゴン7.5mgを筋肉注射施行するが全く効果なし!
       プラセボ(偽薬)と勘違いするほど効かなかったということだ。
       そもそも劇薬を使うというのに事前に血圧測定をしなかったし、こちらが聞くまで薬品名を答えなかった。
       そして効果も出てこないとなると、プラセボだと思っちゃう、つうの!


2/14(水)
日付変更線を越えたAM1:20、左膝の痛みは極致に達し、再度ソセゴン7.5mgを筋肉注射する。
尚、23:45のを「プラセボだったでしょう?」と言った為か、今度のソセゴンは切ってないアンプルをベッドサイドに
持参してきてから注射器につめるという作業をしていた。
私としては「これでも効かなかったら」という思いもあったのだが、なんせこの辺の指示を出したのは若ドクターIだと
いう事らしいので、夜中にたたき起こして「貴方の出した指示では効かない」というのを自覚させるのも良いか・・・と
密かに灰色の脳細胞の片隅で考えていた。
しかし、さすがにAM3:00を過ぎると痛みも少しは和らいできたようだった。
朝の検温では熱も36.8℃まで下降していた。以降は昼まで寝ていた。

この日のPM1:00過ぎに再度ソセゴン15mgを注射してもらった。
若ドクターIがベッドサイドにやってきたが、貧血のことに気を取られていたらしく肝心の膝の診察はなかった。
貧血だというのは、ナースからあらかじめ血液データーを聞いていたので、私がこのドクターに教えてやったのだ。
整形は膝しか診ない・・・と思っていたら、貧血に気を取られて膝も診ないんじゃあ「世も末」だな、こりゃ!
カルテに何と書かれているか見てみたいもんだ。

貧血に関しては、外来通院中(1/19)のデーターで、Hb8.9というのを2/2に知った。
ところが採血時(1/19)は生理中だったからじゃないの・・・と自分でも思っていたため、この若ドクターIにもそのように伝えた。
次回の採血は生理中でない時にしましょう、と思っていたら入院してしまったのだ。
そして2/13・入院寸前に採血したデーターでは、Hb8.4という立派な貧血だった。
この時も生理中だったが、いくら生理中でも「何か(治療を)やった方が良いんじゃないの?」と教えたのだ。
それで開始されたのがブルタールという鉄剤の点滴だった。
きっと、ドクター用の薬剤の本を見るか、あるいはベテランナースに聞くとかして「こういう指示を出そう」と思ったのだろう。
そこまでは良かったんだけど、膝も診ろよ・・・って感じかな。
内科にかかると色々と面倒な検査をされたりするので、私としてはこれで良かったのだが・・・。
このドクターって、どこか抜けてるのよね。


2/15(木)
朝の検温は“産婦人科病棟にいる間は私の担当になってしまった、卒後5.6年目と思われるスリム&beautifulなナース”だった。
36.8℃と熱もなく、夜中に空腹で間食をしたと伝えたら「たぶん復活が早いのは痛い事(関節内洗浄)をしてないからではないか」
というコメントがあった。これには私も同感である。本を読んだり、間食をしたり・・・という余裕にも似たようなものが出てきたという事は、
それだけ回復しているとみなすべきなのか、ただ単に痛い事をやってないだけなのか・・・という感じである。
しかし、本調子にはまだまだであり、これに「口数が増えること」と「パソコンを出していじり始めること」・・・、
この2つが加わらないとエンジン全開になったと言えないのである。

痛みに関しては、なかなか他人に伝える妥当な方法がないのだけど、以前に勤務していた病棟で使っていたのと
同じ方法でやってみることにした。それは1番痛い時を10として表し、痛みが和らぐことに9,8,7・・・と下がっていく
というやり方である。
これはここのナース達には分かりやすかったようだ。
何もしなければ・・・というか、要するに安静にしていれば痛みが増すことはなく、ZEROにはならないにしても
2〜3程度でおさまっているので落ち着いているとみなすべきだろう。
しかし、トイレ歩行や洗面で立ち上がると同時に左足を下垂(かすい、と読み下に垂らす事)すると左膝全体が
ドクドクと脈を打っているような感覚になるので、その時は痛みも4前後になる。

15:45に若ドクターIが診察にやってきた。
一昨日の1/3程度は溜まっているとのことで、明日か明後日にはプンクしようと言っていた。

20:45 なぜか頭痛が止まらないため、ナースに報告したらSedesGを持って来てくれた。
何なのかしら、この頭痛。ま、でもSedesGで治まったからヨシとしよう。今日1日、発熱することはなかったようだ。


2/16(金)
若ドクターIは金曜日が外来日なのに、AM9:30にカルテをかかえて診察にやってきた。患者が来なくて暇なのかしら?
ま、それはいいとして・・・。自分の都合で「PM1:00からプンク」と言っていたのに、何の連絡もなしに手術に
入ったようだ。お陰でここのナースに余計な骨を折らせたではないか!
そりゃあ、金曜日は整形外科の手術日なので、午後は手術に入ると分かって入るのだが・・・。
何の連絡もなしに、という部分がダメなのだ。こんなのは客商売だと一気に信用をなくするので、その辺の所を
「電話の1本でもかければ済むことだ。手洗いしてたって人に連絡させる事は出来る」と教えてやった。

この若ドクターIは自分に非があるのは明白だと自覚しているかどうかは不明だけど、黙っていた。
いい加減にしてくれ、って感じ。
やはり、こいつは処置係兼パシリの域を脱することが出来ないんだな。

ともかく夕方、確か18:00頃になってやって来たので、前述のように教えてやってからプンクした。
今日は血性のものが20mlほど引けたようだ。
ちょうど準夜が“2月から勤務交代になった、卒後5.6年目と思われるスリム&beautifulなナース”だったので
処置についてもらった。この若ドクターに1人でやらせるという方法もあったのだけど、まだ信頼度が不充分なので
誰かナースについてもらった方が安心するというものだ。


2/17(土)
朝の検温は“平成10年にこの病棟に入院した時もいた、おしとやかという印象で比較的年代が近いと予想される
ナース”だった。夜間は1〜2回覚醒したが、巡視は知らなかった。熱も36.5℃という平熱だったので、このナースに
「頭と足を洗いたいんだけど」と言ってみた。
整形外科病棟なら患者が自由に洗えるような仕組みと場所があるのだが、ここはそうではないらしい。
日勤のナースにも伝わったらしく、Bed−sideにお湯をはったバケツを持って来てくれたので早速利用した。
もちろん、自分でシャンプーも行った。
こういう清潔面に気がつき始めた所を見ると、少しは快方に向かっているのかと勘違いもしたくなるというものだ。

しかし、ここで現象だけにとらわれてはいけない。
去年(平成12年)の9/14に抜釘してからというもの、だんだん悪くなっているのだ。
そりゃあ1回1回の症状は改善しているように見えるのだが、グローバルな視点で見ると改善どころか悪化して
いるのが良く分かる。まあ、これはこれで「なるようにしか、ならない」訳だし、自分の身体のことなので逃げないで
戦わなくてはいけないので、その“戦う姿勢をkeepする事”に全力を注がなくてはならない。


本日は「診察なし」「発熱なし」「安静にしている限り痛みも落ち着いている」・・・という3点セットだった。
尚、この日の準夜でサーフロー(血管内留置針の商品名)を入れ替えたが、結局は翌朝に再度入れ替えた。


2/18(日)
夜間は割と良く眠れたようだ。
前夜に差し替えた右手関節のサーフローが結局は漏れていたので、再度入れ替えた。
助産婦にやられたくなかったので、あらかじめ上手そうなNナースを指名しておいたが、正解だと思った。
今回は左手背に子ども用の細い針が入ったので、松葉杖を右側だけでつくようにして保護しないと・・・。

15:00過ぎにAちゃんが来てくれた。
メールで買い物と依頼したい事を伝えてあったので、それらは済ませておいたとのこと。
もちろん部屋の換気や水周りのこともね。
毎度のことながら思うのだが、KママやTと共に私にはもったいない位の大切な友達である。

何かの本に書いてあったと思うのだが“人が生きていく上で必要なのは、友達と健康と少しのお金である”と
身にしみて感じているここ数年間であった。


2/19(月)
本日の部屋担当がオトボケ助産婦Oだと分かって、朝から何もやる気がしなくなった。
なるべく接触しないように・・・と思っていたら、この部屋に緊急入院が入るらしく、パニックになってるみたい・・・。
お陰様で・・・というべきか、午後の検温は“自称・昭和41年生まれで体格も元気もよく、体脂肪率のことで
何回も握手をした元整形病棟のナース”にやってもらえることになった。
トンチンカンな事を聞かれ、治療以外のことにエネルギーを使うなんてごめんだわ!

検温後の15:30を過ぎた頃、前述の元整形外科ナースが遊びに(?)やってきた。
この日記代わりの経過概要(またしても感染編)を見て笑っていた。しかし所々肯いていたのを見逃してないぞ!
そして自分もパソコンを買おうかどうか迷っている・・・という話をしていたので、周りに誰か詳しい人か教えてくれる
人がいるなら買った方が良いと思うし、まずは買って「パソコンに触れる事」から始めた方が良いと思うという
アドバイスをしておいた。
そして社交事例として「嫌じゃなかったら買い物とセットアップ位は付き合っても良いよ」と言っておいた。
今は、読み書きパソコンの時代なのだから、せめてキーボードに慣れておくこと位は必要だと思う。
時代に取り残されて我が道を行かざるを得ない中年オバハンほど、あわれなものはないんである。



2/20(火)
今日の部屋担当も昨日と同じ助産婦らしい。
喋る気もしないので、他のナースが“朝の環境整備”にやってきたスキに、バケツにお湯をはってもらって
洗面所の隅で足を洗ったり、頭を洗ったりしていた。
終了間際にオトボケ助産婦Oが洗面所にやってきて「ちょっと足を見せて下さいね。あらぁ〜ん、サポーター
しちゃったのね。見られないわ」とホザイていたのでシカトした。
そんな物は見ようと思えばいくらでも見ることは出来るのだ。
こいつに見る気がない・・・というか、声をかけてきたのは“形だけで気にしているというアピール”に過ぎないというのが
その場の雰囲気からいとも簡単に読み取れた。
更に「入院した時よりはよくなりましたかぁ?」と聞いてきたので、ウザイなぁ・・・と思いつつも松葉杖だと
足早に立ち去れないので、仕方なく「そうとは限らないと思います」と答えてやったのに、このオトボケ助産婦は
とても不満そうに声を低くして「そうですかぁ?」とのたまうのだ!
「お陰様でよくなりました」とでも言って欲しかったのだろうか?
こんなオトボケの満足感をUPさせる為だけに、思ってもないことは言えない。

もう勘弁してくれ〜〜!
疲れるのよね、こんな意味のない会話って。
大部屋、そしてポータブルトイレが室内にあるというだけでエネルギーを使っているのに、
こんなお馬鹿さんの相手までさせられると治療に取り組む姿勢が保てないというものだ。

そして勝手に・・・という訳ではないと思うけど、昼過ぎに今回の担当医(私の中では処置係兼パシリ)が
カルテを持ってBed−sideにやってきたと思ったら、いきなり「〇〇さん(私のこと)、一応手術の予定を
立てたから」と言うのだ。
どうしたのかと思ったら3月1日にしてみたというので、大部屋のままでは嫌だとあれほど言っている事、
そして貧血が改善してからでないと、いくら小さい手術とは言っても侵襲のない手術はないのだから
絶対に嫌だと伝えた。まったく何回同じ事を言わせるんだ、っつうの!
医者をやる前に人の話を聞く練習をした方がいいぞ!

貧血の方は鉄剤(ブルタール)の点滴を1週間続けても正常値は12.0はないといけないものが、
今朝の採血で9.3までしか上がってないのに、内科医の意見も聞こうとせずに鉄剤の点滴を(今日の
数字だけを見て)止めようとしたので一言忠告しておいた。
「どうせ先生がやる(刺す)んじゃないし、整形の2人部屋が空くまで暇なんだから点滴の指示出しといて。
私としてはHb(ヘモグロビンのこと)が10以上になるまではOPしないよ。先生は伝票を書くだけでしょ?」ってね。

もおおぉぉっ!・・・って感じ。
一応、整形外科部長さんと話し合いをした結果とは言っていたが、どこまで本当かは不明だもんね。
でも、この若ドクターを上手く使うと使わないとでは、症状固定までの経過が違ってくると思うので、
適当に使っておかないと、後々わが身に振りかかる問題だからなぁ〜。
自分の身体のことなのに、自分自身が決められないなんてナンセンスですわ!
それに治療方針そのものに関しては納得しているのだから、あとは時期と病室の問題だけなんじゃないの?
そう簡単に周りの言うとおりに全てが運ばれては困るんだわサ。


2/21(水)
昨日から言われていたのだけど、今日は“私がこの病棟に入院している間は担当になってしまった、
元整形外科病棟の卒後5.6年目と思われるスリム&beautifulなナース”が深夜明けだった。
あらかじめ大切な話があると伝えてあったので、勤務の終了を待ってBed−sideに来てくれた。
勤務交代したばかりなので通常業務をしている時間は「いっぱい、いっぱい」だと自ら言っていたので、眠いだろう
とは思ったのだが、そこは割り切ることとしてきてもらった。

話の内容は以下に記す通りである。
このナースは私の5回の入院のうち4回は知っているし、私がこの病院の人達に対してどんな対応をしているか、
あるいは自分の疾患に対してどんな気持ちで取り組んでいるか・・・という点は「もう勘弁して」という位に見ている
ので、言わんとする事は分かってくれたようだ。

まず1つは、左大腿部に残っているビスのことである。
私が「抜釘後は段々と悪くなっている。1回1回の症状はそれなりに改善しているが、もっとグローバルな視点で
見ると悪化しているのは自覚できる。この病院にかかり始めてからだと、少なくとも3回は化膿している事になる。
手術自体は怖くないが、今後も同様のことを繰り返す事が前提であれば、感染が骨髄等の深部に及んだ時に
ビスが残っている事が影響しないものなのか・・・というのが心配だ。今回の入院はOP前提なのだが、ビスの事が
あるので抜いた方が良いものなら抜いてもらいたい」というのを伝えた。

この場ですぐに答えが出なくても、彼女はついこの前まで整形外科病棟に勤務していたので「ここに聞けば分かる」
という程度の返答は可能なのではないかと思ったので相談してみた。
私も自分で調べられるものなら遠の昔にそうしているが、入院中とあらばそうもいかないものだ。
今も私の体内(左大腿部)にあるビスはチタンという素材で出来ているので、飛行場の「ピンポン」にも引っかからない
という説明を、12月までの担当医Yから聞いていた。
では何故10ヶ月間も待って抜釘したのかと言っても始まらないので、この際目をつぶる事にする。

・・・それで、だ。
今回の若ドクターIでは信頼度が薄いので、そこは百選練磨の部長さんに聞くとかして調べてもらいたいと依頼した。
と言えば格好が良いのだけど、私が彼女に宿題を出すという形にしたので「そしたら点滴や採血の時に10回まで
は失敗しても良いという許可をもらわないと割に合わない」というジョークを飛ばしていた。
私の血管が出にくい為にナース達は苦労しているので「一律、1人3回まで」というふうにしてあって、3回目をミスッ
たら人を交代してもらうというふうに伝えていた。
日曜日(2/18)、私の左手背にサーフローを刺してもらった上手そうなNナースには特別枠として「7回」と言って
いたので、それよりは増やしてもらわないと・・・というのだ。
そこで急遽“苦情処理班特別枠”として10回を認めることになった。ま、この位は良いよなっ!
来週の月曜か火曜には答えを準備してくれるらしい。

そして2つ目。
今回の担当医でもある「若ドクターI」について・・・である。
入院中か、最大限として5月末の症状固定までは、この若ドクターに診させても良いと思ったのだが・・・。
問題はその後の事なんである。
今ひとつ、信頼度が薄い理由を考えてみた。1月5日の初対面での印象もさることながら・・・。
まずは今回の入院に際しての一連の発言である。本来なら入院を勧めるべき病状なのに、1日2回も点滴の為に
通院しろというし、患者の住居が病院の所在地と近いことを確認せず安易に紹介状を書くというし・・・。
きっと患者を相手にしている時だけでなく、彼の友人関係や職場での対応もそうなんだと思わせるのが、
人の話を最後(語尾)まで聞かないという点であるので、ここを“That’s I”という皮肉で表現してみた。
これは発音すると「ザッツ」というのだが、この場合は「雑(ざっつ)」というふうにモジッている・・・というblackジョーク
も交えているのである。
このジョークは“この病棟に入院している間の担当になってしまった、卒後5.6年目と思われるスリム&beautiful
な元整形外科病棟のナース”にも通じたようで、深夜明けの眠い目をこすりつつ笑っていた。

この病院の整形外科医は、部長さん以外の人が約1年ごとに交代するというシステムらしい。
提携しているS大学整形外科の医局人事との関係もありそうだが、そんなのは患者の知った事ではない。
しかし、ディスポーサブル(使い捨て)ではないのだし、そう簡単にドクターが変わられてもその度に最初から説明を
してやらなくちゃ話が通じない、なんて患者としては困るんであ〜る!
ましてや、私の意思とは無関係に“慢性化することが半ば義務付けられている状況”なのだから、
なおさらの事である。交代したドクターと1から信頼関係を築くことなんて、そう簡単には出来ないのだ。
ここで言う信頼関係とは「白衣や職業名だけに寄せるものでなく、対応から垣間見える人間性」のことなので、
その辺を勘違いしないように。

労災保険での治療は5月末で終わるけれど、左膝との戦いは「ほぼ一生もの」なので、病院選びもドクター選び
も慎重にしておかないと、後で泣きをみるのは結局自分自身なのである。
それが自己責任というものだと考えている。

そういう観点からしても、又、2/13の冒頭に書いたことからしても、今度の若ドクターIの信頼度がアップする
可能性は限りなくZEROに等しい。
かと言って、整形外科部長氏も生理的には受け付けないタイプなのだけど、外来通院になると何週間か何ヶ月間
に1回とかいう顔合わせなので、その点だけを我慢出来ればディスポーサブル・ドクター達に振り回されなくて済む
かもしれないのである。この部長さんは私の最初の手術の時もいたし、直接担当していた訳ではないのだが私の事を
記憶しているというのである。そこの所を相談してみたのだが、彼女の答えは意外とあっさりしていた。
「う〜ん、膝はやはりDr.Y(部長さん)の方が良いと思います」とのこと。

また労災が終わったら病院を変えることを考えたのだけど「この病院の内科から喘息の薬を長年に渡って
処方してもらっている事」と「病院全体があと1年半程度で移転することが決まっている事」を考慮すると、
少なくとも移転するまでは受診し続けても損はない・・・と思えてきた。
喘息の薬を処方されているのだから、膝だけわざわざ他の病院に行く事はないというものだ。
この病院以外に自宅から近い所があれば話は別だけど、元気な時なら歩いて1分・走って30秒という近さには
変えられないものがある。
それともう1つ、私の今までの病歴はこの病院のカルテの中に書かれてあるという事も忘れてはならない。
受診する病院を変更する時は“紹介状”というのを持たされて行くのだが、やはり紙には書ききれない部分も
あるということだ。

“この病棟にいる間の担当になってしまった、卒後5.6年目と思われるスリム&beautifulなナース”の言葉を
鵜呑みにする訳ではないが、今日に限ってはかなり率直な意見が聞けたと感じている。
彼女は2/1付けで「産婦人科メインの混合病棟」に勤務交代になってしまったので、若ドクターIと一緒に働いた
期間はわずかだというが、言い方を変えると「短期間でも私の言うような事が感じられた」のだろうと解釈している。
まだ答えを出した訳ではないが、この意見を参考にして今後のことを考えていきたいと思っている。


2/22(木)
動物園状態のこの病室が昨夜は一段と賑やかさを増していた。
昨日の日記の続きを夜間に書こうと思っていたのだが、同室のばあさんの「夜間せん妄」らしき症状が出たので、
そちらにお付き合いせざるを得ない状況になっていた。
たまたま「テレ朝のニュースステーション」を見ていたのだが、何やらゴソゴソしていたと思ったら物音がしたので、
カーテンの下からチラッと覗いてみたら何か落としたみたいだったのでナースコールを押した。
間もなく準夜のナースがやって来てお婆さんを落ち着かせ、Bedに横にさせて布団をかけてから病室を後にした
数分後にまた起き出した。しばらく様子を見ていたら、何処かに行こうと思っているのかは知らないが、ブツブツと
何か言っていたので再度ナースコールを押した。
このような事を数回繰り返すうちに、ある時は閉めきっているカーテンの中に入ってきたのには驚いた。
寝返りを打ったら目の前に人が立っていたのだ!
おいおい、本当にここは動物園化してるのか!?

いつもは耳栓をしているのだが怖くて出来なかった。
お陰で夜中は1:30,3:40,5:50というふうに3回も覚醒してしまい、朝方になって眠くなるという始末だった。
ああ、こういうのに気を遣うのが嫌だから有料病室に入れてくれ、と言っているのだが空きがないというのだから
泣き寝入りするしかないのだろうか。今夜も同じ事になれば廊下のソファーで寝てやろうと思った。
これじゃあ治療に集中出来ない、っつうの!


そんなこんなで1日中不機嫌であり、夕方の抗生剤の点滴は廊下のソファーで施行した。
終わる時は自分でヘパロックすることにしているのだが、ナース達は通りかかるのでもう一言文句を言ってやろうと
思っていたのだが、鳴りっぱなしのナースコールにも構わずに一生懸命働いているナース達を見ていたら
文句の方が引っ込んだみたいだったので黙って部屋に戻った。
しかし、何かあったらこっちも寝られないのでナースコールを押しまくろうと思う。

書き忘れる所だったが、先週の金曜日に血性のものを左膝関節内からプンクして以来、ドクターはやってきても
話題が貧血だったり抗生剤の点滴だったりしていたので、左膝の診察はしていない。要するに16日以来ドクター
が私の左膝に触れていない・・・という事である。
他の病棟に入れられているとこんなもんかな、って感じ。
うちの若ドクターI(私の中では処置係兼パシリ)は1つの事しか頭に入らないみたいだから、相手にするだけ損を
してしまうというので、やはりこいつは5月末までの“期間限定ディスポーサブル・ドクター”として利用させてもらう
事にしようと思う。その位しか利用価値無し!


2/23(金)
昼食の配膳の直前に今回の担当医でもある若ドクターIがやってきた。
月曜日に整形外科病棟の2人部屋に移れるそうだという。
今月いっぱいは空かないのではなかったのかと聞いたのだが、今2人部屋に居る整形の患者さんが今日退院する
のと、同室の内科患者も月曜日に内科病棟に移る予定なので、月曜日に私が入れる見通しがたったとのこと。

それで、またしても3/1に手術等々と言いだしたので「こんな動物園みたいな部屋に入れられて寝られないし、
1週間はゆっくり寝かしてもらわないと」と言ったのだが、医学的には良い時期なのだけどとか、
炎症反応も痛みも落ち着いているしとか・・・と応戦してきた。
いちいち対応するのが面倒だったので「まあ、とにかく大事なことはY先生に聞くから」と答えるにとどめておいた。
そしたら「分かりました。じゃあ来週のOP予定からは外しておきます」というので、この前断ったのにも関わらず
まだ予定を入れていた、ってことになるんじゃないの!?そう簡単に問屋が卸すものか!
おいおい、って感じかな。
やっぱり、こいつは人の話を語尾まで聞いてないんだな。今後、気を付けなくては。
そしてこのドクターは今日も私の左膝に触れることはなく、立ち話だけだった。

私が整形外科部長さんに聞きたい事というのは、この前担当ナースを通して調べるように言ってあるのだが・・・。
約10ヶ月のBed待ちの末、去年9月に抜釘した時、実は1本残していたのだ。
左膝のお皿より上の大腿骨に1本、下腿骨に1本入っていたのだが、大腿骨(太股の部分)に入っている物は
骨の表面から約3cm程度深い位置にあるので抜かない方が良いと言われ、理由にも納得したので
お皿の下の骨(下腿)のビスだけを抜いてもらった為、現在は大腿部に1つビスが残っているのだ。

・・・で、少なくとも抜釘後半年以内の期間に今回で2回目の感染をおこした訳だし、今回の入院前には
部長さん本人から「慢性化している」と聞いていたので、1つ心配なことが出てきたのである。
今後も左膝の感染を繰り返す可能性がかなりの確率であるのだから、炎症なり感染なりが深部に及んだ時に
残っているビスが“悪さ”しないのか、という事が脳裏をよぎったのだ。

今回はどうせOPをするのだから、可能なものなら一緒に抜いてしまえば良いのではないかと思ったので、
この病棟に居る間の担当ナースを通じて調べてもらうようにしていた。

私にとっては結構大切なことなのだが、今回の若ドクターIは人の話を語尾まで聞かないので
「大事な事はY先生に聞くから」となったのである。お分かり頂けただろうか?
私がこの病棟にいる間の担当ナースは、1月まで整形外科病棟に勤務していたし、ちょっと聞いてみようと
思っていた。答えは比較的近い将来に返ってくると思うが、以上のことから考えると、
私の頭の中での4回目のOPは3/8.9または3/22.23になるという予想である。
くれぐれもドクターの言いなりにはならない・・・というか、言葉に惑わされないように自分の希望をしっかり伝えたい
と思っている。治療方針自体には「おおむね納得している」のだし、何回も書いているが時期の問題と
貧血の問題だけだろうと考えている。
仮に1番早い時期の3/8にOPしたとしても、OP後2週間で即退院なんて論外なので、3月末までは
入院しておいて「生命保険の入院給付金」を頂かないと、痛い目をしたのに報われない、ってなもんよ!

PM5:00を回った頃、私がこの病棟にいる間は担当ナースになってしまった“元整形外科病棟に勤務して
いた、卒後5.6年目と思われるスリム&beautifulなナース”がBed−sideにやってきた。
私の方から月曜日に整形病棟に移れることになったと伝えたら、彼女はさっき出勤したばかりでまだ知らなかった
という。自分の中でのOP日(3/8)から逆算して導き出した「退院日」、「自宅療養期間」、「社会復帰」そして外来
通院について話をしておいた。
時間にして30分ほどであったが、丸イスに腰かけてウンウンとうなずきながら話を聞いてくれた。
整形外科病棟に勤務していた時の印象からすると、このナースがこういう体勢で話を聞きに来るとは
考えにくかった為、ちょっと意外で嬉しかったりして・・・。
いつも「また来ます」というのが口癖のように言っているが、来たためしがなかったのに・・・。
まあ、今回は不運にも担当になってしまったので、それも多分にあると思うけどサ!

話は変わって・・・。
23時の巡視の時に面白いことがあったので『一般病棟のオトボケ助産婦物語』の中の“嘘つき助産婦の巻”に
別枠を設けて記録に残すこととする。
こういう嘘がまかり通っちゃうんだよねぇ〜、って感じかな。
でも、この話、言っとくけど「とれたてホヤホヤの事実」なんだからね



2/24(土)
今日は点滴施行前にバケツにお湯をはって両足を洗いたかったので、朝の部屋周りに来た時に言っておいた。
ちょっとの事だけど気持ちが良いものだと思う。軽石を持参しているのでゴシゴシこすった。
その後、いつもと違ってAM9:30という早い時間に点滴を持ってきたので、すぐに開始した。
生理食塩水100mlに溶解した抗生剤と、500mlの点滴液に鉄剤を混入したもの、合計600mlの輸液が
あるので、早めに始めないと終わるのが夕方になってしまうこともあるのだ。
しかし、今日は始まりが早かったので終わりも早かった。昼過ぎには終わってたかな・・・。
昼食が終わってからしばらくして、今度はシャンプーもした。

今は左手背(手の甲)に留置針があるので、トイレも洗面もシャンプーも片手でやっているのだが、これがまた
やりにくいのなんのって!
これは初体験だったけど、人間、慣れれば何でも出来るようになるんだと改めて感じている。
意外な所で感心してたりする自分がいるもんだ。

夕飯の前後くらいからお産が始まったらしく、点滴に回ってきた主任ナースは手が震えていた。
主任さんは助産婦なんですか?・・・って聞いたらそうじゃなかったみたい。かなり焦ってたなぁ〜。
今からだと助産婦よりは保健婦の方が使えるし、夜勤しなくても食べていけそうな感じがするけど・・・。
まずはこの左膝を落ち着かせなくちゃね。


2/25(日)
今朝は割と目覚めが良い。2/21(水)の夜、同室のばあさんの頭がクラッシュして以来、必ず日付変更線を
越えるまでは起きておくことにしており、必ず自分の安全を自分で確認してから寝るようにしているのだが、比較的
眠れたと感じているのは気のせいだろうか・・・?
たぶん、明日の午後には整形外科病棟の2人部屋に入れることになっている・・・という意識があるからだろう。
とにかく向こうに移ったら1週間はゆっくり寝かしてもらわないと、治療に望む体勢が作れないんである。
だからドクターが何と言おうが3/1のOPは回避しなければならないのだ。
治療方針そのものに全く同意してないという訳じゃないんだから、それで良いじゃないか。
選択権は患者にあるのだ。

今は患者側の権利だけを主張してる人の方が多く、そういう人間は病気に取り組む姿勢は皆無であり、
マスコミに同調するかのようにあら捜しをしている人を何人も見かけた。
要するに義務を果たさずに権利のみを主張する馬鹿者と一緒にしないでくれ、って事だ。
私自身はそういうのとは種類が違うし、一線を引いているつもりである。疾患に対する勉強も当然した。
しかも、今回の入院で中断はしているが、職場や社会に復帰する為のトレーニングまで施行している訳だし、
その時点での「自分に課せられた責務」はこなしているので、ドクターや治療方針を選択する権利は堂々と
主張しようと考えているし、今までもそうしてきた。

この病院に何回も入院し、その度に変なことを言うナースを総婦長と共に呼びつけたり、他の色々なことに
クレームをつけたりしているが、誰も私に反論出来ないだけでなくぐうの音も出ない事がほとんどである。
それは証拠と共に本人と上司を呼びつけるというやり方だけでなく、内容そのものが間違ってないことと、私自身
の上記のような姿勢がスタッフにも伝わっているからだろう・・・と某ナースが言っていた。
別に大したことではなく、他人に文句を言われたくないのでそのようにしているだけの事なのだ。


ま、今回の若ドクターにはそこまで話しても無駄・・・というか、彼は期間限定のディスポーサブル・ドクターとして
利用しようと考えているので、上記のようなことを伝えるエネルギーを使う必要性はないと思うだけなのだ。
頼んだことだけやってくれれば良いんであ〜る!

夕方になってAちゃんが来てくれた。
午前中は時給が大変良いバイトだったらしく、その後に仲間達と昼食を食べて買い物をしてから来たらしい。
しかし昼に食べた「期間限定・生カキ何とか」とかいうのに当たってしまったらしく、電車で来る時も途中下車を
しつつ、やっとの事でたどり着いたという。頼もうと思っていた事はあらかじめメールで連絡していたのだが、
実は追加分もあったのだが頼むに頼めない状況だったので止めておいた。
面会中もトイレに行っていたし・・・。そう言えば顔色が悪かったかな。
患者の立場にある私が言うのも変だけど「お大事に」ってことで、今日は夜中に10秒程度の停電があるらしい
ので、日付変更線を越えて安全確認が済んだら早めに寝ることにしよう。


2/26(月)
本日PM2:30頃、ようやく整形外科病棟の2人部屋に入ることが出来た。
前夜から荷物をまとめていたし朝1番で点滴を依頼していたので、いつ呼ばれても良いようにしておいたのだ。
産婦人科メインの混合病棟では忙しかったのか、私が出る時のナースステーションには誰もいなかったが同行
してくれるナースに「婦長さんによろしく伝えといて」と言っておいた。

2人部屋での荷物整理をしていたら、間もなく準夜の時間帯がやってきた。
整形に移動して初日の準夜は“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”だった。
始めから快調に毒舌を飛ばしていた。
OPを3/8か3/9にしようと思っている事をメインに色々と話をしたが、毒舌パワー全開だった。
しかし悪意があるものでないというのは分かっていたので、不快な気分にはならなかった。
23時の巡視時に聞こうと思っていたことがあったのだが、前夜までの不眠も重なり枕もとの電気をつけた
ままでウトウトしてしまったようだ。
23:00過ぎの巡視後と思われる時間に覚醒したので、自分で電気を消した。


2/27(火)
夜もよく眠れて気分良く朝を迎えられると思っていたのが間違いだった。
また確認しておかなかった事を悔いた。
去年の10/24〜12/10までUターンしていた時、退院寸前に暴言を吐いたK看護婦だったのだ。

生育歴に問題があるのではないか・・・とか、幼児期に受けた愛情が不足していたのではないか・・・とか、
友達はいるのか・・・とか、恋愛をしたことがあるのか・・・とか。
これを読んでいる皆さんは「そんな事をいう看護婦がいるのか?」と思うかもしれないが、
本当にいるんだよなぁ〜!
そして、これは2/23(金)の23時の巡視が行われていないのに「やった」と言い張ったオトボケ助産婦に
対した時と違い、この時のK看護婦の暴言はちゃんとICレコーダーに録音されているのだ。


朝1番から不快な思いをしたくないので、室内の電気を付けないで入室して検温を行おうとしていたK看護婦に
対して「もう1人は誰?」と聞いて「検温も採血も交代だ。アンタとO山は出入り禁止!2度と来るな!」と言って
追い払った。
病室移動した時点で(深夜が誰かという)確認をしなかった自分がいけなかったと感じた。
他の若いナースに交代してもらって事なきを得たのだが・・・。
これは病棟婦長に自分の口から伝えなければならないと感じた。

話は変わって―――――
本日の部屋担当は“12/11からこの病院に勤務し始めたという、恐らく20代後半と思われるナース”だった。
聞くところによると、数年間電気メーカーでOLをやっていたらしく、その後に精神病院に看護助手として勤務して
いたとのこと。看護婦免許証をGETしてからは、まだ1年目だと言っていた。
ほー、という感じで話をしていた。全く違う世界のことを色々と教えてもらいたいと思った。
今回の入院中にそのような機会があれば良いと思ったのだが、果たして向こうにそういう余裕があるかどうか・・・。

夕方4時頃になり、自分の仕事が終わったと言って“10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年
生まれと思われる背の高いナース”がこの病室にやって来た。
前回の入院と同様に色々とマシンガントークしてしまった。傍から聞いているとお互いがブチブチ文句を言いあって
いる・・・というふうに受け取られるかもしれないが、そういう訳でもないし、何というか話のテンポは合いそうな感じだ。
前回もそうだったが、今回も苦情処理班と愚痴聞き係に任命しようかと思っている。
話している途中に「今日は熱いタオルで身体を拭いてない(午前中に他の人が持ってきてくれた時にベランダで
電話中だった為)」という事に気付いた。
それをこのナースに言うと熱したタオルを持ってきてくれただけでなく、左手背にサーフローがはいっているので
困難だった背中を拭くのを手伝ってくれた。
サーフローが入っているので、洗面、トイレ、もちろん清拭・洗髪も片手で出来るようにはなっていたが、
かゆい背中を拭くのは困難だった。それはこのナースに言ったかどうかは記憶してないが手伝ってくれたのだ。
気持ちが良かった。本当にかゆかったのだ。マジで。

そのナースと入れ替わるようにして“今回も私担当になってしまった卒後2年目のナース”がやって来た。
そして、次のような事を話した。

1.とにかく1週間はゆっくり寝かしてもらいたい事
2.今回の入院に至るまでの簡単な経過
3.OPに関すること(体内に残っているビスの事も含む)
4.OP迄に整えておきたい状況(貧血、内科受診、社会復帰の際の運動療法について等々)
5.長期的展望にたって考えた場合の、外来担当医の選択方法

彼女は何回も私を担当しているせいか、私が「この左膝の疾患に対する姿勢」を前向きと受け止めているよう
だった。逃げているつもりはなく戦う姿勢はkeepしているつもりなのだが・・・と言ったら「それは分かります」という
応対だったので、少しホッとした・・・。これが伝わっていないはずはないと思ってはいたけどね。
そんなこんなで1時間弱もの時間外勤務をさせてしまったので「あなたは看護婦として時間外勤務をしたのだから
申告用紙に書いていきなさいね」と言ったのだが、請求しても却下されるとのことだった。気の毒なことだ。

今の所、3/8か9になる可能性が大きいらしいので、若ドクターIではなく整形外科部長さんに意見を聞いて
から最終的な結論を出そうと思っている。元々、今回のOPに関しては納得していたので、要は時期と貧血の
問題だと考えていたからだ。いずれにしても、かなり近い将来に4回目のOP(2回目の滑膜切除)をする事に
なることは間違いなさそうだ。


2/28(水)
検温の為にAM6:00過ぎに起こされたのだが、眠気も残っていなかったし、早々にトイレと洗面を済ませて
おくことにした。この病室は3階にあるのだが、3階の共同洗面所のちょうど朝日が見えるような位置に小窓が
設置されている。
何気なく洗面台の前に立つと小窓がオレンジに染まっていたので「もしかして」と思い、小窓を開けてみたらとても
beautifulな朝日を見ることが出来た!
しばらく朝日を眺めていた。今日は何か良いことがあるかもしれない・・・ってか!?

朝食を終えてしばらく時間が経った頃、けたたましい(?)声と共に昨夜の準夜勤務でもある“卒後1年目のうちで
背の高いほうのナース”と、本日の部屋担当でもある“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和
41年生まれと思われる背が高いナース”が2人でこの病室にやって来た。
バケツに水を張っており、環境整備と称するBed周りの掃除にきたようだった。

そして間を置かずに病棟婦長もやってきたのだが、どうやら朝の管理報告を済ませた後らしい雰囲気だった。
先のナース2人に「隣のBedの位置変換」を依頼していた時のことだった。
彼女の部下のスタッフもいるし、ちょうどタイミングが良いと感じたので明るい感じで「婦長さん、本人には言ったけど
K子さんとO山さんは出入り禁止ですから」と伝えた。
このK子看護婦、そしてO山看護婦は前回の入院時にとても失礼なことをやってくれたので、
気分を害して不愉快な思いをさせられた私は総婦長と本人を呼びつけて注意しただけでなく、
親切にも「貴方の言葉で私はとても不愉快になったのよ」と教えてやったのだ。
  
 K子看護婦に関しては「こちら」参照、O山看護婦に関しては「予定外の感染編・11/20と21」を参照して頂きたい。

元々、この病棟婦長自体を信用していないので、私の言葉に対して彼女の答えがどう返ってくるか・・・という類の
ものでなく『自分の部下が患者に不愉快な思いをさせたという事を思い出させてやること』そして『部下が居る前で
患者に対してどう対応するかを部下である2人に見せること』が目的であった。
婦長と私の2人だけだと何を言われるか分からないので、2人のスタッフが居れば変なことは言わず教科書的な
答えしか言わない・・・というのは私でも簡単に予想出来ることだったのだ。

上記の私に対する婦長の返答はこうである。
記憶がリアルなうちに再現!
 私:婦長さん、本人には言ったけどK子さんとO山さんは出入り禁止ですから。
 婦長:そうですかぁ・・・。なるべく、そのようにはしますけどギリギリの人数でやってますから・・・。
     せっかく、この病棟に入院したんだから・・・。そんな事・・・。謝ったって言ってましたけどねぇ。
 私:とんでもない。確かにO山さんは総婦長さんと一緒に謝りに来ましたけど、K子さんは来てない。
   私が受けた傷は謝ってもらったからと言って治るものではないので、その必要はないと総婦長さんに
   言ってあるのがカセットに入ってますけどね。ま、本人達も分かっていると思いますけど。
 婦長:少ない人数でやっているし、4月になるとまた少なくなるし・・・。
     でも、人を許すってことも必要ですよ。
 私:私はそこまで人間が大きくないし、ましてや今から手術を控えているんです。無理です。
 婦長:いやいや覚えて下さいよ。
 私:OP後ならまだしも、今はね。
 婦長:なるべく、そのようにはするけど立場上「必ず」とは言えない・・・。
 私:立場上ね。

この“人を許すこと”・・・というのは、とても重みのある言葉だと思っているが、実は数年前に勤務していた病棟の
主任という立場の人がそういう人だった。その主任は身を持って「人を許すこと」を実践しているのがスタッフにも
感じられるようなタイプの人だったのだ。
今の私にとって「2人の暴言ナース達を許すこと」と「自分自身4回目のOPに望む体制を整えること」のどちらが
大切であるかというのは、わざわざ脳細胞を酷使して考えなくても答えは自ずと出てくるものなんであ〜る。

せっかく私よりも遥かに人生経験を積んでいると思われる年長者の言葉なのに「そうですよね」と納得出来ない
のは何故かと考えるまでもなく、それはこの病棟婦長自身に嘘をつかれたのが最大の理由である。
ま、とにかく裏ではどんな教育をスタッフにしているのか、あるいはどんな悪口を言われているのかは知るヨシも
ないけれど、患者の無理な要求に対する返答を室内に居た2人のスタッフがどのように受け止めているか・・・。
暴言ナース達がどうのこうの言うよりも、そちらの方が面白かったりして・・・。
しっかし、この取りたてホヤホヤのドキュメンタリー、どこまで続くのかしらね!?

昼間の担当は前述のごとく“去年の10月からこの病院に勤務し始めたという、恐らく昭和41年生まれと
思われる背が高いナース”だった。検温や点滴の時におしゃべりをするのが定例化されつつあるのだけど、
彼女もここの所ストレスが蓄積しているらしい。
実現するかどうかは別として「退院したら美味しいものを食べに行こうぜ」という感じになっていた。

午後の検温後に2階に降りて、洗髪と足浴をしたのだが左足を下垂している時間が長かった為か、いつもより
痛みが強いと感じている。通常はICINGシステムをやっていると少しは緩和されてくるのだけど、そうはいかず
夜中まで覚醒していた。23:00の巡視時に「痛み止め、どうしますか?」言われたが劇薬を使って癖になると、
もっと強い痛みの時に効かなくなるので我慢すると答えた。


またしても感染編に戻る


       
       メール      コンテンツ紹介へ戻る