[75]9/1(水)
当たり前の事だが今日から9月である。確か7月も8月もこのような書き出しだったと思う。
そう言えば昨夜8月のカレンダーを破っている時「これで(カレンダーを破るのは7,8月に続いて)3枚目だ」と
妙な認識をしたのを覚えている。ま、仕方ないか。
Dr.Oは午前中に回診に来て「友達に連絡ついたか」と聞いてきたので、私はまだだと答えた。
本当はつけているのだがネタは小出しにした方が何かと良いだろうし、
すぐに返答するとDrのペースに乗せられてしまう可能性があるので、そういうことにした。
今日の準夜あたりで「4日に時間がとれる人がいるので外出をする」と伝えようと思う。
そして何か聞かれれば、もしくは明日の回診時に何か言われれば
「その後の事はその時に相談してくる予定」とだけ言っておこう。4日は本当にAちゃんが来られるからね。
午後からのリハビリでは一瞬だけど「左踵部と臀部」がくっついた、と担当のお姉さんが言っていた。
これはナースにも報告しておいた。まだ“星”は飛ばなかったが、終了時に上半身全体に大量の汗をかいていた。
文章にするとこれだけの事なのだが、かなりのエネルギーを使うものだ。
いつものようにリハが終わってから「放心状態」から脱却する為に長椅子で休憩するのだが、
今日はその休憩中に体重&握力測定がある“スリルとサスペンスに満ちた計測日”である。
そして今日の担当は絶妙のタイミングで(?)私が“計測の★▽”と呼んでいるナースである。
今朝の回診前にこの病室にやって来た時、
ニコニコして「今日、ここ(この病室の担当)だから」と自ら申し出てきたのだ。へへへ。体重は先週の58,15kgから58,6kgという値になったが、
装具を装着しているかどうかの問題なので、ほぼ同じで増減なしと考えて良いだろう。もちろん前述のナースにも報告した。
増えてないからいいね、とかん高い声で笑っていた。
[76]9/2(木)
深夜明けのナースのメモ書きに「〇〇(私の名前を書いてある):ENT(退院)の件はDr.Oからプッシュしてもらう」と
いうのがあったのを発見した。これはたぶんここのナース達に“この患者は面倒だからDrに言ってもらおう”
というふうに思われているからだろう。それは別に何ともないが、その子に「4日に外出するので、
その時に決まれば決めてくるから、これ以上言うなって言っといて。
他人に背中を押されるのは嫌だし、私も(退院を)考えてない訳じゃないけど、手伝ってくれる人達にも都合があるし、
私の為だけにいるんじゃないから」と言っておいた。そのナースは気分を害したかもしれないが、それと同じように私も不愉快だったのだ。
その話が伝わったのかどうかは不明だが、AM9:00前に回診にやって来たDr.Sは何も言わなかった。
まあこのDrは主治医でないので言わないとは思うけどね。
本日の担当は“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”である。
とても良い時間にCPMを持ってきてくれたのだが、終了寸前に再びこの病室に取りに来た。
あと何十秒…という正に絶妙のタイミングだった。ふーん、こんな事もあるんだな、っていう感じかな。
今日はご機嫌がよろしいという印象だ。そしてCPMを取りに来た時に「たまにはリハを見に来たら?」と言ったら、
今日は時間が取れそうだから行けるかもね…などと言っていた。昨日のリハで一瞬とはいえ“左踵部と臀部”が接触したので
それを報告するだけでなく誰かに見せておきたかったのだ。特にこのナースとは“毒舌バトル”なる戦いの事があるので、
何としても見せておかなければという思いがあった。
しかし彼女は勤務中のナースであるし、患者は私だけではないので本当にリハビリ室に来るとは思っていなかった。
午後の検温を済ませてからリハに降りたのだが、しばらくしてナースはやって来た。
私は「しめた!」と内心ほくそ笑んでいた。担当のお姉さんによる強制曲げとは別のトレーニングをやっていたが、
強制曲げをやるまでの間に毒舌を披露していた。大腿四頭筋(太ももの筋肉)の訓練をやっている最中に、
これでも結構筋肉がついたと思うというと「肉がついたのは、ここ(腹部)じゃないの?」と返された。本当なのだ。
そして「私(ナース)が(夏休みで)いない間は書くことがなかったはずだ。見てみたいね」と、何とも言えない発言をしていた。
ま、いつかは見せてやってもいいかな…と思ってはいるが、それもどうなるか分からない。
理由は簡単。私の事はかなり知られているが、私の方はこの“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”の事や
ここのナース達のことは何も知らないからだ。確かに話のテンポは合うと感じているが、仕事中のナースと患者なので
内容は合わせてくれていると思っているからだ。実際に聞いた訳ではないからわからないけどね。
で、強制曲げの本番になったと思ったらいなくなったようだ。担当のお姉さんが「あれ、いなくなっちゃった」と言ったので気がついた。
なんだ、肝心な所を見ないでいなくなってしまった。ちょっと残念だったが仕方がない。何か用事を思い出したか、
呼ばれたかしたのだろう。また明日誰かに見てもらえばいいか!今日も“左踵部と臀部”接触したのだが、
それプラス1分間のkeepが出来たのだ。とても痛かった。横たわっている台から上半身がはみ出ていた。
何日か前に“昭和41年生まれという体格も元気もいいナース”が、「次は星が見えるかもね」と言っていたのを思い出したから
かどうかは不明だが、1つだけ星が見えたような気がした。この“昭和41年生まれという体格も元気もいいナース”は
本日の準夜なので、その事を伝えたら次のように答えつつ、自分も笑っていた。
「(星は)1つじゃダメだね。色も付いてて赤・黄・オレンジ…ときてgoldが出たらパーフェクト!」だってさ。
私も一緒になって笑ってしまった。NICEなギャグである。
今朝の検温時の正座の格好をした時は、握り拳があと1つだった。
明日の朝は例の“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”らしいので、何とか良いところを見せつける為に
「拳ではなく指単位」にしたいのたが…。どういう結果が出るかは朝になってみないとわからない。
[77]9/3(金)
今朝の検温は予定通り“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”だった。
指単位の正座は無理だったが、握り拳が「縦から横」になっていた。ほんの少しだが進歩していると思う。
自主トレも何もせずに、という中ではこんなものかもしれない。
たとえ朝でも自主トレを30-60分間施行した後なら、指単位になっていると思うのだが…。
しかし普通は覚醒直後にでも正座は可能なので、自主トレをせず…という点がポイントなのは解っている。
午前中にシャワー&CPMを済ませた。いつものように、リハビリ前に約1時間の自主トレを施行してから下に降りた。
今日は“左踵部と臀部が接触した状態を1分間keepする事”を何回かやってみた。
横たわっている台からは、昨日と同じく上半身がはみ出ていた。星が2つほど出現していた。
担当のお姉さんの話では「リハビリ的にはゴールと思うけど、後は痛みとの戦いですね」ということで、
あと1週間位やればkeepの時間が長くなるのではないかと言っていた。
そこで来週の目標は“90秒keep”というふうに設定した。出来るかどうかではなく、やらなくてはいけない。
明日はAちゃんが来るので、外出予定だ。何時に来るかは不明だが、それもまた楽しみである事に変わりはない。
Aちゃんにも「正座に近付いている」という事を報告しようと思う。
[78]9/4(土)
午前中は特に変わったことがなく、洗濯を始めとして正面玄関の付近にあるグレーの公衆電話の所で
biglobeの方に来ているEメールをチェックしたり、昼食前にCPMを終えたりしていた。
午後の検温がなかなかこの病室にやってこなかったので、自主トレは終わってしまっていた。
それはそれでいいとして、PM4:00を少し回ってからAちゃんが来てくれたので、予定通り外出した。
まず自宅に戻って風呂に入っている間にAちゃんがイトーヨーカドーへってきてくれた。
買い物は「退院後の自主トレで使う砂袋」である。ヨーカドーに売っているらしいという情報は以前からGETしていた。
介護用品売場かと思っていたら、スポーツ用品の所だったらしい。500gからstartして500g刻みで1,5kgまであるというTELが入った。
しかも1つずつではなく2つで1組で売っているらしいので「1,5kgの2つ入りを2組(計1,5kgが4つ)」買うことにした。
価格は1組2900円と思っていたより安かった。
左膝が完全な状態で退院する訳ではないので、家に帰ってもしばらくは自主トレを続けなければいけないと感じていた。
そうしているうちに(トレーニングが)習慣になってくれればいいと思っている。
PM7:00までに病室に戻らなければならないので、急いで夕食を食べに行った。
とは言っても中華の定食屋なのだが、Aちゃんも出張続きで会社から出るお弁当ばかりだったらしく
「美味しいと思って食べるのは久しぶり」と言っていた。これに関しては私も同じである。
後はディスカウントショップとコンビニで買い物をして、時間が時間だったこともあり一端病室に戻った。
それからAちゃんに「私になってもらって」郵便局に不在配達の荷物を受け取りに行ってもらった。
中身はK先生(准看時代の担任の先生)からのものだった。昭和61年以降はどんなに貧乏していても、
K先生にお中元とお歳暮だけは欠かした事がない。理由は簡単。この先生がいなかったら私達は大都会東京に出てきていないと、
今でも本当にそう思っているからである。
Aちゃんが帰ってから自主トレをやっていたら、いつの間にか消灯の時間になっていた。
昨日の同じ時間には「2横指」だったと記憶しているが、今夜は「1横指」になっており少しは正座に近付いたようだ。
今日の準夜は“卒後2年目と思われる神奈川県民ナース”なのだが、一応、「頑張ってますね」と声をかけてくれた。
消灯を過ぎてから、外出のお土産と共に“退院までの予定表”を一覧表にしてナースステーションに持参した。
これで恐らく何も言われなくなるだろう。仮に言われたとしても別に関係ない。予定変更は不可と言えばいいことだ。
残す所あと7回のリハビリでこの左膝がどこまで曲げられるか…。
今までとは違った意味で気合いを入れ直さなければいけないと思った。
[79]9/5(日)
今日は朝からとても天気が良い代わりに、とても暑かった。
特に変化はなかったが、生理中の為か眠くて仕方がなく2時間くらいは昼寝をしてしまったようだ。
ま、そんな事はどうでもいいんだけどね。
昨日、退院までの予定一覧表を提出しておいたので、ナース達は誰も何も言ってこない。
唯一、深夜明けのナースが「15日に決めたんですね」と言ったが、そういうのは言わないように…と返答しておいたら、
今日の所は誰も何も言ってこない。明日になれば“私担当の卒後1年目のナース”が夏期休暇を終えて
出てくるので、その子は何かしら言うかもしれないけどね。
普通、退院といえば喜ばしい事なのだが、私の場合はその喜びが半減してしまっているのだ。
病院側の都合(8/29の大雨で合計8床が使用不能になった為、退院できそうな患者を帰らせようという姿勢があからさまに分かった)で、
8/31にいきなり・何の前触れもなくDrから「今週の土曜日に退院にしよう」と言われ、
部屋の中の模様替えや何かがあるし、手伝ってくれる友達の都合もあるから
すぐには無理だといったら「そういうのは入院の理由にならない」と言われ、結構・かなり・随分と不愉快な気持ちになったからだ。
ベットがないのなら最初からそう言えばいいのに、と同室者は言っていた。全くもってその通りだと思う。
そう簡単に“思う壺”にハメられてたまるものか!…という気になるものだ。
他人に背中を押されてそのpaceに乗るなんて、まっぴらご免である。
日常生活に戻った時の不都合な点を解消してくれるのなら話は違うが、Drやナースはそこまで責任をもてないだろうし、
いろんな事をアドバイスとして言ってきても実体験からのものではないので真実味が薄い…というのが正直な所でもあるし、
白衣で働いている時に“どうしても越えられない・踏み込めない壁”というものだろうと感じている。
今日の準夜は“卒後3,4年目と思われる・とても元気の良いprettyナース”である。
何を言っても嫌みがないし、年齢の割にいろんな事を知っているようにも見えるが、
果たしてそれが患者の個別性に合っているかどうかは別である。とにかく見ていて楽しい、のひと言である。
英語でprettyという言葉を使って「beautifulというよりはprettyっていう感じだよね」と言うと、「よく言われます」と
返してくるという“なかなかの強者”である。数年後を見てみたいというより、一緒に働いてみたいと思った。
今日は日曜日なので、あと1時間もすれば日テレで「電波少年」が始まるのだ。
そうこうしているうちに、いつもと同じ夜がやって来るという感じがしてきたので、ナース達に差し入れを持っていってから
寝る準備をしようと思っている。
[80]9/6(月)
今日は“私担当の卒後1年目と思われるナース”が夏休みを終えて出勤する日である。
先週、休みに入る前「左踵部と臀部の指の本数が2本になっているかどうか」について、短期決戦を挑んできた(?)ので
それに応じる事にしていたのだ。私は彼女の顔を見るのを秘かに楽しみにしていた。
午前中は何やら忙しかったらしいのだが、午後からリハビリをやり始めて担当のお姉さんによる強制曲げで
「左踵部と臀部が密着する事」を確認し、更に本日のリーダーでもある
“昭和41年生まれという体格も元気もいいナース”に先に見せておいてから、
いよいよ“私担当の卒後1年目と思われるナース”の登場である。
先に見せたナースは「くっついている所を初めて見た」と言い、私担当のナースは「頑張りましたね」と言っていた。
そして夏休みに入る時「〇〇さん(私のこと)、どうかなと少し心配だった」となかなか嬉しい事を言うではないか。
彼女が挑んできた短期決戦は私が勝利し、彼女もあっさりと(?)負けを認めた。
リハの最中だったので派手なガッツポーズは出来なかったけど、“とりあえず合格!”っていう感じかな。
良いところを見せられてよかった!
リハの担当のお姉さんにも退院の事を告げた。
お姉さんは「曲げやすくなったし、最後の週だなっていう感じですよ」と言っていた。
リハが終了してから、とても・とても・とても気になっていたMママにTELしてみた。自宅にいたが声は割と元気そうだった。
もう退院してから1ヶ月位は経つのだが、どうやら太ったらしい。
今まではHKさんやMT氏からの情報だけだったのだが、直接話が出来てよかった。私の事も一応は気にしてくれているようで、
退院の話をしたら「4人揃ったら“おフランス料理”を食べにいって、全員の快気祝いをしよう」という事になった。
全員…というのがミソで、私とMママだけでなくシェフ(マスター)も入院していたらしい。
全員という中身は、Mママ・シェフ・そして私の合計3人のことだったのだ。
Mママは以前のように食事制限をしなくてよくなったといい、
「何でも食べられるわよ」と意気込んでいた。私も負けてはいられない。退院後の楽しみがまた1つ増えたようだ。
今日の準夜は“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”である。
この病室に回ってくる時間が大体分かっていたので、それに合わせて…という訳ではないが食後の自主トレを行っていた。
恐らく、申し送りという半ば儀礼化されている行事の中で、私に関する情報はある程度GETしてからやって来ていると
容易に予測がついていた。検温の為、このナースが病室を訪れたのがPM7:30頃だったと記憶している。
本日のリハでの事を知っていると思われるナースは、正座の格好に近付いている私に対して「ケツ(臀部)が右に傾いている」という
“いかにも私の正座を認めたくない(?)”発言をしていた。しかし、これは最近になってようやく判ってきた事なのだが、
この人特有の言い回しなのだと思っている。その証拠に…という訳ではないが、
私の左膝を触った後で「熱いから冷やしといた方がいい」と言った。coolingを取りに2階のナースステーションに降りていったら
「家に帰ったら同じ事をしないように」等という、有り難いとも皮肉とも受け取れる発言をしていた。ま、こんなモンかな。
そして私の何を見てそう感じたのかは不明だが、私が普段スカートを履かないと見事に見破っていたのだ。
恐るべし、この透視能力!今夜はこのまま何も考えず眠ることにしようと思っている。
[81]9/7(火)
午前中にCPMを済ませて昼食直後かつリハビリの寸前にシャワーに入った。
そのリハはいつもと同じメニューで「ゴール後のフォロースルー」を行った。
数日前からの課題である・左踵部と臀部が引っ付いた状態をkeepする“90秒keep”というのをやってみたが、
今日は少しキツかったようだ。しかし1回は出来た!
リハビリ後は一時的な放心状態から脱却する為、少し休憩を取ってから正面玄関の付近へ行って自販機でお茶を買って飲みつつ、
コミパルでメールを作成していた。たったこれだけの事だが少しは気分転換になっている。
ただ蚊にかまれたのが気に入らないけれど…。
PM4:30頃になって本日の準夜である“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”がこの部屋にやって来た。
別に用事があるという訳ではなさそうだが、何か誰かと話したそうな感じがしていたし、私は暇だったので
ナースが提供してきた話題に乗るという形でしばらく喋っていた。相性の問題や医療の様々な問題、
そしてナースは「私は現場がいい」と言っていた。私の目には教育関連がいいかも…と写っていたのだが、
そう言いかけた所でとどまり「うーん、一緒に働いた事がないから分からない」と答えた。
ナースは「そうだね。患者(今の私)と看護婦だしね」と言ってから、この病室を後にした。
詳しい事は不明だし、何となくではあるがナースの気持ちが分かるような気がした。
今日は珍しく(?)彼女の得意技である“毒舌”ではなかったからだ。
そしてPM7:40頃になって再び“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”はこの病室にやって来たのだ。
私は、ナースが来ると思われる時間に最高の結果が出るようにと思いながら、夕食後から自主トレを行っていた。
同室者の検温を終えて「さて膝はどうかな」という言葉と共に私の所に近付いたナースは、
不完全な正座をしていた私の格好をCHECKしながら「私(ナース)のCHECKは厳しいから」と言っていた。
この後、意外にも「昨夜よりは良い」という“久しぶりの誉め言葉”を頂戴した。へへへ。
しばらくして2階のナースステーションにcoolingを取りにいった時、私の退院が9/15の敬老の日である事を指して
「敬老の日にケーロー(帰ろう)」という“とても寒いギャグ”を飛ばしていた。これは笑えなかった…。
今日のジャイアンツは桑田をリリーフ(抑え)に回すという、変わった作戦に出たようだ。
もしかしたら「そういう日」なのかもしれない。
[82]9/8(水)
AM9:30過ぎに風呂の順番が回ってきたので、言われるままに入った。そして風呂から出たと同時にDr.Oの回診があった。
数分間の正座練習をやっている最中だったので、正に絶妙のタイミングという言葉が当てはまる瞬間だった。
同室者の診察を終えて私の所にやって来たDrは「おっ、頑張ってるな」と言いつつ、
私の背中を押しながら回診に同行している病棟婦長氏に対して「(背中に)乗ってあげて」と言っていた。
本日のリーダーと思われる“年令も卒後年数も分からないナース”は「苦しいんだから…」と助け船を出してくれた。
病棟婦長氏は「恨まれるから」という皮肉とも受け取れる発言をしていた。
ここ数日間で何人かのナースには“左踵部と臀部が引っ付いている場面”を見せているが、
Drにはまだ見せていなかったので丁度いい。私はDrに「▽▼さんと☆★さんは、リハでもくっついているのを見てます」と
念の為言っておいた。一応、ね。
「まるで動物園の餌のように定時に配膳される昼食」と午後の検温を済ませてから、リハビリに降りた。
数日前に担当のお姉さんから「リハビリ的にはゴールと思う」と言われていたので、今はその後の微調整段階といえるだろう。
野球で言えばホームインした後の“駆け抜けている所”とでもすれば分かりやすいと思う。
今日のリハでは、いわゆる“90秒keep”が3回出来た。
要するに左踵部と臀部が引っ付いた状態を90秒間keepするということである。
担当のお姉さんは「曲げやすいですね」と言っていた。
今日は水曜日である。“スリルとサスペンスに満ちた体重測定”の日なのだ。
私が“計測の○●”と呼んでいるナースも当然(?)日勤だ。リハが終わってから「体重」「体脂肪率」「握力」を測定した。
握力はともかく、体重は先週の58,6kg(装具込み)から600g減量の58kgと出た。
前述のナースにすぐさま報告したら、満面の笑みと特有の甲高い声で「よかったね」と答えてくれた。
体脂肪も同時に測定できるとのことだったので、入院して初めて測ってみたのだが…。34%と出た。
別の測定器でも28%という結果が出て、どちらの機械で測定しても肥満であることに変わりはなかった。
今日の計測係である“昭和41年生まれという体格も元気もいいナース”が側にいたのだが、
私の体脂肪の値を見て「ノーコメント」と言っていた。私が「30才過ぎるといろんな所に肉がついて来るよね。
同じだ。仲間、仲間」と言いつつ握手を求めたら、彼女は大笑いしながら「そうだよね」と同意して握手に応じてくれた。
本日の準夜は“卒後3,4年目位で、そこにいるだけで雰囲気が和らぐと感じているナース”である。
毎日のことなのだが、準夜のナースが検温という名の「様子伺い」に回ってくると思われる時間に合わせて自主トレを行っている。
今日も同じだ。PM7:20頃、自主トレ中にこっそり前述のナースが現れた。同室者の検温をしたあと最後に私の所に近付いてきた。
いつもと同じくナースのチェックを受けながら正座の格好に近付けていってると…、
何と!病室では初めて正座が出来たのだ!ヤッタ〜〜〜〜〜!!
ナースや同室者は一緒に喜んでくれた。嬉しかった。
ナースは「やっぱり私が良いから」と笑顔で言い握手を求めてきたので、私も「そうだね」とすかさず返答しながら握手に応じた。
こういう時はタイミングが大事なのである。これで今日2回目の握手なのだが、意味が全く異なっている。
この正座が出来たことを“私担当の卒後1年目ナース”と“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”には、
申し送りという儀式で伝わる以外に私の口から報告しなければならないと思った。
前者はやはり担当者だし、夏休み中も彼女が気にかけてくれているというのが私に伝わってきた時は、
本当に嬉しかったからだ。後者は、“卒後2年目の神奈川県民ナース”が
私とのやりとりを見てバトル(戦い)と命名していたナースだし、
いつまでも(戦いに)負け続けている訳にはいかないからである。最後に1回位はギャフンと言わせてから退院しないとね!
一見、いつもと同じ夜がやって来たように見えるが、
自分の中では明らかに違った夜に感じているのは「気のせい」なのだろうか…?
[83]9/9(木)
今日は朝から蒸し暑かった。最高気温は32-33℃はあったという。特に変化のない1日だった。
午前中にCPMを済ませ、昼食後=リハビリ前の自主トレをやってから1階のリハ室に降りた。
今日は例の“90秒keep”が5,6回出来た。担当のお姉さんは「明日は2分、いけるかもしれませんね」と言っていた。
私も調子に乗って「わかった。やってみよう」と答えた。
リハを終えてから、2階で洗髪と足浴をした。途中で“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が通りかかったので、
昨夜一瞬だが正座が出来て準夜のナースと握手をした事を告げたのだが「優しいナースで良かった。
しかし正座は継続して出来なければ意味がない」と返されてしまった…。ま、今日の所は報告のみでいいとしよう。
そして本日の準夜で“私担当で卒後1年目のナース”がいたので、同じように昨夜の正座のことを報告した。
自主トレ後だったので、ついでに2階の長椅子で正座をして見せた。
「頑張ってますね」とは言ってくれたが、よーく考えてみると“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が言うように、
あくまでもnaturalに継続して出来なければならない事だと思う。
だって手術前までは何の苦痛もなく普通に出来ていたことなのだから…。
私には「こんなに努力している」というのを認めてもらいたいという気持ちがあったのだろう。
言い方はYIさんと同じでとてもキツイと感じる事があるが、内容が間違ってないので何も言えないのだ。
正に「おっしゃる通り、ごもっとも」である。
[84]9/10(金)
今日も特に変化のない日だった。午前中にCPMをやり午後からリハに降りた。
昨日から言っていた“2分間keep”は2回ほど出来た。本来は喜ぶべき事だが、
夕方、書類に関する事でとても不愉快な出来事があった為、喜びも半減してしまった。
準夜のナースに八つ当たりしたような形になってしまい、申し訳ないと思ったので一応謝っておいた。
しかし私のミスではないので納得がいかない。文句は言っておいたので病院側の出方を伺う事にしよう。
やはり全☆▽はどこの病院もこんなレベルなのだろうか…?
[85]9/11(土)PM3:00から[86]9/12(日)PM7:00まで外泊
久しぶりに自分の部屋に帰り、ひとまずシャワーを浴びた。昼寝をしようと思ったが外泊のついでに連絡をしておこうと思っていた
TOYOTAの担当セールスマンから“様子伺いの電話”が入っていたので、絶妙のタイミングとばかりに折り返し連絡を入れた。
先月の自分の誕生日に外出して以来エンジンをかけていないので、予想通りバッテリーがあがっていたがすぐに回復した。
そして余りにも汚くなっているので洗車をしようと思っていたら、なんとサービスでやってくれた!
しかし肝心のバッテリーは一晩預かってもらって充電しといた方がいいとのことなので、言われるままにする事にした。
そしてMY-CARには借り物のバッテリーが装着された。エンジンルームの隅々まで行き渡らせる事、
そして何よりも動かす事が車にとっては最適というアドバイスもあったので約1時間ほど走らせてきた。
わずかな時間だがとても新鮮だった。そして、やはり病院の中にいる自分は普通でないと改めて感じた。
一刻も早くこの状況から抜け出して、思考回路も感覚も通常に戻さなければならないと思った。
救いは、以前と同じく「夜景はきれいだと感じたこと」と久しぶりの自宅を「入院前と同じだと感じたこと」の2点であり、
TOYOTAに行く前に行った美容院の人やTOYOTAの担当セールスマンと普通にコンタクトがとれると自覚できたことで“まだ狂ってないぞ”と
ニヤッとしてしまったのだ…。ま、仕方がないよね。
友達にTELしたり、掃除や片付けなんかをしていると「アッという間に」時間が経ってしまった。
病院という非社会的空間の中に入れられていると、行動制限が実に多く、そして食事・睡眠・排泄など治療に関する部分以外でも
“医療者に都合の良いように出来ている”ので、自分の事なのに自分の意志が反映されにくい。
何か注文すると「うるさい」とか「注文が多いからDrもやりにくいのではないか」等と言われるのが関の山である。
しかし外泊中は誰にも何も干渉されず、(病院内と比較すると)非常に快適な時間を過ごす事が出来たし、何よりとても良く眠れたのだ。
当たり前だ。これが普通なのだ。
今日(12日)は一端「早朝覚醒」してしまったが、再び“自然に覚醒するまで”眠っていた。起きたら昼前だった。
起きた瞬間「病院に帰りたくない」と思った。しかし今は外泊中の入院患者であるのでそういう訳にはいかないのだ。
従って、準夜のナース達のお土産を買ってからPM6:40頃に病院に戻った。
今日の準夜は“卒後3,4年目で、いるだけでその場の雰囲気が和らぐ
と感じているナース”と“同じく卒後3,4年目でパソコンに興味を持っていると思われるナース”である。
外泊用紙と共にお土産を渡して立ち話をしていたら、意外なことが判明した。今晩、深夜に来て明日の朝に帰る深夜勤務が、
何とあの毒舌が一段とpower-upしている“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”だというのである。
CPMをやりながら、何かイタズラをしてやろうと考えていたのだが、ナイターに気を取られて結局思いつかなかった。
しかし、まだ時間はある…。この毒舌ナースとの戦いもあとわずかになってきた。
ここいらで名誉挽回をしてから退院しないと最後までやられっ放しというのも、かなり悔しいものである。
きっと夜中にエアコンを消されて覚醒するのは、今から目に見えている。
その時は再び眠らずに、こっそり早朝自主トレをしておいてから朝の検温に臨むことを決めたのだ。
[87]9/13(月)
今朝の検温は昨夜の準夜のナースの予告通りに“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”がやって来た。
私はAM4:00頃から覚醒していたのだが、早朝自主トレは検温に来ると思われる時間を考慮してAM5:00過ぎからにした。
約1時間ほどの自主トレが最終段階に差しかかった時、タイミングよく検温の為にナースが訪れた。
ちょうど正座の格好をしている最中だったのだが、第一声が「朝早くからDONJOYをバリバリと…。」というものだった。
ほぼ正座している状態だったのだが、薄い座布団を外してみたら正座が出来た。
このナースの厳しいチェックも「ちゃんと真っ直ぐに座れてる」という一応は認めてくれたものだった。
朝から珍しいこともあるものだ。昨日の準夜のナースに「一時的に出来てもダメで継続してないと意味がない、
って言われた」と言ったのだが、どうやらそれを聞いていたらしい発言をしていた。
そして私が髪の毛をカットしている事を指摘して、「何だ、ここ(耳の近く)の刈り上げが足りない」等と文句をつけていた。
これを聞いていた同室者は(ナースが正座以外の事を)何か言いたかったのではないか、と言う見解を示していた。
要するに、正座が出来ているのでそれ以外に何か文句を言っておきたかったのだろう…という訳なのである。
単に正座が出来たと認めるのはシャクにさわるのだろうか?なかなか手強い相手である。明日の勤務が準夜だとのこと。
退院前に何か一泡ふかせてやろうと思っているが…。
朝食の配膳までの時間をウトウトしていようと思ったのが間違いだった。
AM7:40頃に上記の“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が、抜き打ちでこの病室にやって来た。
そして「あれ?何で寝てんの」だって!そこで正座をやって見せたのだが、ケツ(臀部)が右側に偏っているとケチをつけられた。
もう少しで出来ていたのだが仕方がない。抜き打ちでも何でも、正座はいつでも難なく出来なければならないのだから。
役者は向こう(ナース)の方が1枚上だったのかもしれない…。最後まで気が抜けないと思ったのは言うまでもない。
明日の準夜帯が最終決戦になるのだろう。
朝食後の自主トレを施行していたら清拭タオルが回ってきた為、なされるがままに身体を拭いていたらタイミングが悪く、
Dr.Sの回診がやって来た。仕方がないのでカーテン越しに「変わりないね」、「変わりないです」というやりとりをするしかなかった。
その後しばらくして本日の深夜明けでもあるという“私担当の卒後1年目ナース”がこの病室にやって来た。
一応、担当ナースということでこの3ヶ月間色々と気にかけてくれたようだ。
彼女は明日・明後日と休みなので私と顔を合わせるのは今日が最後…といことになるのだという。
そして一昨日から昨日にかけての外泊はどうだったか、と聞いてきた。
頭で考えるのと実際とではどこが違うのか、あるいは日常生活に戻って不自由する点は何か等ということについての実体験を話した。
そして仕事に復帰するには装具が外れないと難しい事や、階段が難なく降りられるようにならないと駄目だという事も話した。
深夜明けで眠い所を30-40分間も私の話を聞いてくれた。最後に「私(ナース)が言える事は“結局は慣れるしかない”ので
退院しても頑張って下さい。3ヶ月間楽しかったです」というメッセージを残してから去っていった。
担当だから…という一種の使命感みたいなものもあったのだろうと思うが、私にとっては印象に残るナースの1人である。
午後の検温を済ませてからリハビリに降りた。いつもと同じメニューを淡々ととこなしているうちに、
例の「左踵部と臀部が密着している時間」は3分間keepが2回ほど出来た。
そして3分間keepの直後にメモリアルとして、リハの担当のお姉さんに正座をして見せた。お姉さんは「私も嬉しいです。
それにしてもピッチを上げてから早かったですね」というコメントを発表した。
お姉さんの手を借りて行う“半強制曲げ”は自分でやるとどうしても加減してしまうので、ここまで曲がるようになり、
条件付きとはいえ正座が可能になったのはこの人のお陰であると思っている。
使い古された言葉ではあるが、リハビリがこんなに痛いものだとは思っていなかった。想像を絶するものだったのだ。
痛さのレベルによって「悲鳴→涙→うなり声→鼻水→星」というふうに変化していった。
これは最初は痛みをこらえる為に悲鳴をあげるが、やがて涙を流すようになり、更にはうなり声をあげるしかなくなり、
それも出なくなったら鼻水がでる、最後は気絶寸前の状態になれば(歯を食いしばっているに)星が見える…という訳である。
その位やらないと駄目だということらしい。
[88]9/14(火)
今日は特に変化がなかった。朝のうちにシャワーに入り、昼前にCPMが終わった。
昼食後に自主トレをやってから最後のリハビリに降りた。自宅でやる大腿四頭筋訓練を何種類か教えてもらった。
そしてLASTに3分keepが3回と、終了直後に昨日と同じく担当のお姉さんの目の前で正座をしてみせた。
やはり、この人が居なかったらこの左膝はここまで曲がらなかっただろう。
診断書の会計(税込み10,500円)を済ませて病室に戻ったら、病棟婦長が書類を持ってやって来た。
この前まで「床頭台の上に置いていった」と言い張っていた労災(休業補償)の書類が、他の患者のカルテに挟まっていたという。
床頭台の上に置いていった…と言っていた時に丁度面会に来ていた同室者の家族が居たのもあってか、バツが悪そうだった。
しかし、そんな事は私に関係ない。私が金曜日に激怒したことは間違っていなかったのだ。
とにかく生命保険の入院証明書2通、労災(休業補償)用紙1通、勤務先に提出する診断書1通をGETした。
今日の準夜はこの3ヶ月間お互いの毒舌を披露し続けてきた“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”である。
昨日の朝、ナースが深夜明けの時「抜き打ちチェック」が入ったので、今日はいつ来てもいいように
夕食後からPM8:00の様子伺いまでの時間はズーーーーーーッと正座の練習をしていた。
そしてナースがこの病室に入ってきた時も丁度正座をやっていた。
いつもと同じく厳しいCHECKをしてから、確か「ヨシッ」と言ったと記憶している。
秘かに「ヤッターー!」と思っていたら、ナースステーションに取りに行こうと思っていたcoolingを持ってきてくれたのだ。
最後に嬉しい事をやってくれるではないか。
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丸3ヶ月にわたる“情報化社会から隔離された非人間的な入院生活”は、
長かったと言えば長かったし、短かったと言えば短かった。
いろんな事があったと言えばあったし、なかったと言えばなかったようにも思える。
「こんなもんかな」と思えば、こんなもんだという気がする。
まあ、断裂していた私の「左前十字靱帯」が
手術をしたことによってつながった事だけは事実のようである。
入院や手術という事に対して、
去年のような悲壮感がなかったのが救いだったと思っている。
数ヶ月後には抜釘という再手術を受けなければらならいが、
こんなのは何ともない。
その時もこうしてNOTEパソコンを持ち込み、いろいろと遊ぼうかと思い始めている。
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[89]9/15(水)敬老の日 退院。
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