平成11年8月1日〜8月31日


[44]8/1(日)
当たり前の事だが今日から8月である。確か7/1にも同じような書き出しだったと思う。
明日は誕生日なのだがそれ自体は大して嬉しくもないが、MY運転手と車を動かしがてら買い物や夕食に行くので、それが楽しみである。
誕生日を病院で迎えるなんて滅多に無いことだと思うが、それも病気とあらば仕方がないと諦めている。

今日はAM6:00前に朝の検温に来たのだが、案外目覚めがよかった。
無造作に配膳された朝食を食べてしばらく筋トレをしていたら、昨夜の当直だったというDr.Oが高校生のお姉さんのエピドラを抜去しにきた。
ちょうど筋トレ中だったので「お、頑張ってるね」と言ったので「リハのお姉さんは筋力がついてきたと言っているんだけど」と答えた。
しかしDrは「ここ(左大腿の下端)がまだダメだな」と言いながら、ニヤッとしていた。
自分としては結構筋トレに時間を使っていると思っていたのだが、まだ不足しているということなのだろう。

昨日と同じくAM9:00頃にはシャワーの声がかかったので入ってきた。
明日の外出に着ていこうと思ってるTシャツを手洗いした。
これだけを洗濯機にかけるのもねぇ。
シャワーから出て病室に戻ったら、最近その毒舌ぶりが際立っている“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が、同室のお姉さん達2人に
点滴を刺していた。点滴を刺し終えて2,3言喋って退室しようとしていたナースに声をかけ「“デブ膝”細くなったと思わない?」と聞いてみた。
そしたら「確かに細くはなってるけどまだ少し腫れてるね。こっち(下腿…要するにふくらはぎ)も痩せてきてるから」と余計なこと(?)も言った。
しかしよく考えるとナースの指摘している事は現実なのだ。またしてもヤラレタ!この人は私以上に現実派なのかもしれない。
そして明日の外出から帰ってくる時間に勤務している“準夜”だというので、今日のうちからゴマをすっておくかどうか…。
ナースは「私、明日、準夜だから」と言い残してから去っていった。毒舌は健在なり。

午前中にCPMを持ってきてくれたので、110度10分・115度50分で行った。
いつものように膝蓋骨の上のコリコリした部分に加えて、膝の裏側がとても痛かった。WHY?
この部分はリハのお姉さんに強制曲げされたり、それまで曲げていた膝を伸ばした時に痛む場所と同じなのだが…。

午後から余りにも暇なので…というか、シャワーの時間だけでは不可能だったので足浴をした。
2階のナースステーションの近くがそれ用の場所になっているのだが、足浴の最中にまたしても
“最近毒舌ぶりが目立っている・自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が姿を現した。
他の患者さんのシャンプーをやってあげていたのだが、私もそれに加わって少し話をした。
私が「おばさん(最近こう呼んでいる)は平気で他人がグサッとくるような事を言うんだから。でも反撃出来ないのよね。
どうも見抜かれてるような気がするんだけど」と先制攻撃をかけた。
ナースはあっさりと次のように言い放った。
「自分(私)がそう思ってるだけだよ」だって…。今日も負けた。
足は両方とも綺麗になったので病室に戻り、スクワレンオイルを1本1本の指に塗った。

夕方になり明日の外出の準備をしていたら、HKさんとMK氏が一緒に現れた。ちょっとビックリした。
今日は“お見舞いツアー”なのだそうだ。PM4:00に東邦医大で待ち合わせていたらしく、まずMママの所に行ったとのこと。
私も気になっていたのでMママの様子を聞いた。私もMママも入院は同じ6/14なのだが、OPが「私は6/18でMママは6/24」となっていた。
OP前にHKさん達と食事をした時「先に退院した方がからかいに行くことにしましょうよ!2人が退院したら皆で“おフランス料理”を
食べに行きましょう」と言って別れたのだが、とても気になっていた。
Mママはアメリカ在住の妹さん(米軍基地内のDr夫人)から腎移植を受けるという大きな手術と聞いていた。
数年前から透析を始めたのだが状態が思わしくなかったので、今回移植を決意したとのことだった。
1度、携帯の留守電に「術後の経過は良好で妹さんは退院間近」というメッセージが入っていたが、これはMママ宅にTELをして
家の人に聞いた話だったという。
HKさん自身も実際に会うまでは心配だったと言うが、予想していたより元気だったのと私より先に
Mママの方が退院しそうな勢いだったと笑っていた。私もMママも退院して4人が揃ったら、おフランス料理を食べに行くことが決定した。
MK氏は定年後の生活をそれなりに過ごしており、ボケ防止と小遣い稼ぎに今までの所でバイトをしていると言っていた。
この人は年をとらないのか…と勘違いするほど、初めて会った平成3年頃と同じ姿だった。
HKさんも7/21から新しい職場にて働いているようだが、早くも辞めたいと泣きが入っていた。
年齢を考えるとそう簡単に再就職は出来ないと嘆いていた。
しかし私が思うに「まだ辞めない」と思う。
田舎に帰ろうかと思っていると言った時、私は思わず「えー!ちょっと待って下さい。HKさんが居なくなったら、
暇な時は誰に電話したらいいんですか?」と言ってしまった。つい本音が出てしまった。久しぶりだったので長話になってしまった。

途中、ちょうど夕食の配膳の後にKママがミネラルウオーターと醤油とふりかけとティッシュを持ってきてくれた。
明日か明後日から実家のある仙台に帰省するのだという。その前に来てくれたという訳だ。有り難いことだ。
Kママはすぐに帰ったが、私はHKさんやMK氏とマシンガントークを繰り広げていた。
2人がそろそろ帰ろうかと腰を上げたのはPM7:00寸前だった。

別に急がなくても良いのだが何故か急いで夕食を食べた後、準夜のナースが回ってきた。
同室のお姉さん達は術後だというのに安静にしてないと少し怒っていたようだった。
准看の生徒に対する指導経験があるようだったので、私は未経験だし興味を持って(特に評価の仕方・出来ない生徒の
何処を誉めて点数をつけるのかという点)話を聞いた。
詳しい事はともかく、私の予想と大して変わらない「参加していれば合格」という答えだった。
それはともかく体温計を差し出されたので無意識に受け取った。
37,0℃だったのでそのナースは「これじゃあ明日の外出は無理だな」と笑っていた。
それは困る…。今夜は電波少年を見たら早めに寝ようと思う。


[45]8/2(月) 
It's my birthday, today!
I'm 〇〇〇〇〇years old. OH, MY GOD!
今日は午前中からそれなりに忙しかった。上手い具合にCPMが午前中に終わったので、115度だったということをナースに報告した。
PM2:00にはMY運転手が正面玄関に来て待っているので、そこから逆算して行動計画を練った。
昼食を食べ終わってPM1:00になったらすぐにリハに降りた。幸いにしてそんなに混んでいなかったので待つことはなかった。
いつも通りのメニューをこなし、PM1:50には病室に戻っていた。やや焦りはあったが顔を洗って昨日から準備していたのに着替えていたら、
午後の検温がやってきたが時間がなかったので行わずに外出することにした。

ヨロヨロしながら(?)正面玄関に行ったら既にMY運転手が来ていた。
さすがにあの体格で真っ黒いサングラスをかけていたら、眼鏡をかけていない私でもすぐに見つけられた。
お待たせ…と声をかけて荷物を持ってもらい、MY-CARの待つ駐車場に向かった。
何とか駐車場にたどり着いたらハプニングがあった。MY-CARのバッテリーがあがっていたのだ。
TOYOTAにTELをしたら20-30分位でバッテリーをつなぎに来てくれた。今日の所は再度バッテリーあがりはなかったが、
明日にでも担当のセールスマンに連絡を入れておいた方がいいと言われた。
それからは「新橋→秋葉原→目黒」の予定でPM7:00には病院に戻る事になっていた。このPM7:00というのはあくまでも書面上の話であり、
多少の猶予はあるという事を昨日の準夜のナースから“入れ知恵”されていた。

予定通りの時間に病院に連絡を入れてはおいたが…。首都高が混んでおり「しゃぶしゃぶ」だったはずの夕食が少し格下げになった。
まあ、仕方がないよね。急いで夕食を食べてからモスバーガーに立ち寄って、ナースへのお土産を買っておいた。
MY運転手に病院まで送ってもらってから、車とkeyを預けて駐車場へ持っていってもらうことにした。
そうしなければ間に合わないのだ。PM8:35にはナースステーションに到着していたので、お土産と外出用紙をナースに渡しておいた。
消灯がいつもより遅くなったがPM9:20頃にやってきて、こっぴどく怒られた。
まあ規則を破ったのはこちらだし、ある程度は予測していたことなので仕方がないとしよう。
以後気を付けます、っていう感じかな。次からは外泊にすればNO-PROBLEMなのだから。

今回の外出にあたっては、面会に来そうな人達に「誕生日の8/2には外出する」と言ってあったし、
誰か来てくれた場合に…と思ってノートに外出中と書いて床頭台に提示していった。
それなのに誰かが来たらしい形跡があったのだ。
しかしノートの空欄には何も書かれてないし、ただお見舞いがてら誕生日のプレゼントを置いていってくれた様子が伺える。
KママにTELしてみたが不在だったので、昨日の予告通り仙台に行ったのだろう。
Aチャンの携帯は留守電だったのでまだ仕事中だろう。YTは疲れて来られないはずだし、
この3人なら何かしらメッセージを残していくだろう。秋葉原に行っている時、携帯に連絡をくれたYIさんかも…?
いや、でもYIさんは違う。来てくれるなら事前に連絡をくれると思う。

一体、誰が“誕生日おめでとうメッセージ”を残していったのだろうと考えていたら、意外なことがわかった。エーーーーッと言ってしまった。
今日は「ご機嫌斜め状態」なのか、あるいは単なる「照れ隠し」なのかが判別不能なので、御礼も何も言わないことにした。
とりあえずこの「日記代わりの経過概要」に書いておくことによって、感謝しているって事を表現しようと思う。
意外な〇〇〇回目の誕生日presentの出所は、毒舌ナースからのものだった。

[46]8/3(火) 
今日も朝からとても暑い。最高気温が34,0度にもなるという。
昨夜は日中の買い物でGETしたコミパル(コミュニケーションパルの略)という電子メール専用のモバイル機器をいじっていたが、
よく眠れなかった割に快適な目覚めだった。

MY-CARのバッテリーのこともあるので、ディーラーの担当セールスマンにTELをしたが、結局「今から1ヶ月位エンジンをかけないでいると
また同じようになるかもしれないので、以前のように毎日動かすようになる寸前に点検する」という事になった。まあ、その方がいいだろう。

午前中に部長回診があって曲げられそうな雰囲気が漂っていたが、ちょうどCPMをやっていたので危険(?)は免れた。
このDrは「もう(手術後)1ヶ月半だろう…」とつぶやいていたが、私には関係ない。週に1回しか来ない人の言葉に影響されてなるものか。
CPMは115度で行った。途中で120度を2回ほどやったが、昨日と同じく膝の裏側の部分がとても痛かった為、すぐに115度に戻した。
せっかくここまで来たのにまた発熱しては苦痛なだけだしね。

午後の検温後にリハビリを…と思っていたのだが、リハに呼ばれてしまったので先にリハに降りた。
今日はいつもに加えて新しいトレーニングを1つ教わった。
そして担当のお姉さんによる強制曲げは、今までで最高の115度を記録した。
とても、とても、とても痛かったが悲鳴をあげているうちに測定したようだ。
とりあえずの目標である130度まであと少しである。本日の強制曲げは“わさび3に対して、辛子2”とでも言っておこう。

また左右の足の周囲を測定して比較してみた。
                  RIGHT  LEFT
下腿最大周囲径        34,5cm  33cm
膝上5cm             41,5cm  40cm
膝上10cm            45,5cm  43,5cm

この数字が意味するのは恐らく「これだけ筋力が低下しているという1つの目安」であろうと思っている。
担当のお姉さんによると、何週間か経過したらまた測定するとのことだった。
このDATAというか数字を“私担当の1年目のナース”にも提示すると共に、強制曲げで115度になったことを報告したらニコッとしていた。

夕方からはちょっとした書き物をしていたら、アッという間に夕食が配膳された。
準夜の時間帯にTELをかけたり、コミパルのメールチェックをしたりしていた。
こんな生活をしているうちに50日近くが経ってしまった。早いのか遅いのかは不明だが、今はそんな事を考えるより
「左膝を曲げることに集中する」方が良いと考える。

[47]8/4(水) 
午前中にDr.Oの回診があった。
昨日のDr.Yの「恨まれそうだから(強制曲げ)はO先生にやってもらおう」という発言があったので、やられるなかぁ…と思っていたが
そんなに強くはしなかった。自力曲げで“目算110度位”らしい。Drは「進歩してます」と言っていた。ヤッター!
強制曲げなんてしなくても、ここまで曲がるようになったのだから自分のペースでやらせてもらいたいものだ。あと少しだしね。
リハをやる事自体が苦痛になるのは、かえってマイナス材料だろうから。
1度CPMを持ってきてくれたのだが、機械の調子が悪く途中で中断した。

シャワーにも声がかかったが(リハの前に入った方が曲がりやすいので)
午後からを希望したにもかかわらず、通らなかったので「今日は結構です」と言った。
まあ、無資格者の看護助手には通じない話だから、仕方がない。
病院という所は何て医療者に都合の良いように出来ているかと再認識した。
自宅にいる時には食事や風呂の時間、挙げ句の果てには寝ている間まで規制されている…なんてあり得ないからね。
1日も早く「朝1番の正座」を達成して、この“患者にとっての非日常的な空間”から抜け出さなくてはならないと、改めて心に誓った。

午後の検温で37,3℃あったが自覚症状が何もなかったので、そのままリハに行った。
上記の理由で、今日のリハはCPMもシャワーもやらないで施行した。その為かどうかは不明だが強制曲げの時、
とてもきつかったような気がした。だから…という訳でもないだろうが、準夜で体温を再検したら37,4℃とわずかだが上昇していた。
                
普段なら何ともないような事や、軽くかわしておけるような事に対しても、とてもムカツク。精神的に不健康になってきている。
何とかしなくてはいけないが、どうしようもない。これも現実だとすれば、きっと時間が解決するのだろうと考えるより他はないのだ。

[48]8/5(木)
今日も変化のない朝がやって来た。
朝の検温時に採血をした。その時にレントゲンもあるということを知らされた。朝食後に間もなく回診があり、それからレントゲンに呼ばれた。
回診はDr.Sだったが、Drの前で自力屈曲をしてみたら「イケてる」というコメントがあった。

午前中にCPMを持ってきてくれたので、今日の担当である“自分とほぼ同じ年代のナース”の「今日の目標は120度かな」と
いう言葉にのったつもりで結構頑張ってみた。115度で通そうかと思っていたが、115度20分・120度40分で行った。
午後の検温時にナースにそれ(CPMの角度)を報告すると、めずらしく「へー、進んだね」と誉め言葉を頂戴した。
私が「もういい加減飽きてきたから、今月いっぱい位で帰りたいと思ってるんだけど」と言ったら「帰れるんじゃないの」というコメントを出した。

午後から洗濯をして、そのままリハビリに行った。
今日は担当者が休みなので別の人がやってくれたのだが、誰がやっても痛いものは痛い。
そしてリハを終えてしばらく長椅子で休憩していたら、入院時から7/3まで同室だったこの病院の職員の人が現れた。
「ちょうど貴方(私のこと)の所に行こうと思ってたのよ」とのことだった。7/3に退院後ちょうど1ヶ月後の昨日から職場に復帰しているらしいが、
とても疲れると言っていた。
私にも長めに入院しておき、1,2ヶ月は自宅療養をすることを勧めてくれた。
午前中のレントゲンの時にも、この職員の人と同じくらいまで入院していたお婆さんと会ったので、今日は誰かと会う日なのかもしれないと思った。
単なる偶然だと思うけどね。

PM5:00を少し回った頃、Dr.Oが病室に来て「レントゲンは合格だった」と言った。この時、Drに“CPMで120度いったこと”と
“昨日か一昨日のリハで泣きながらでも115度は曲げられたこと”を報告したら、
例のニヤッとした表情で「あ、そう。いった?正座まで頑張って」と言い残して去っていった。最後に正座という一言を忘れなかった。

今日の準夜はとても忙しそうだ。OP患者が4人もいたからだけではなく、色々と問題行動を起こす患者もいるようだ。
木曜日の連ドラ「渡る世間は鬼ばかり」を見てから、ナースステーションに行ったらその場面に出くわした。
私は今朝の採血DATAを書き写したらすぐにその場から立ち去った。時々はあることだ。お疲れ様っていう感じかな。
しかし今の私にはそういうのを気にしている時間も義理もない。一刻も早く正座をしなければならないのだ。
何とか今月一杯で退院する為には…。


[49]8/6(金) 
最近、自分がどんどん不健康になっていくのが判る。これも嫌なものである。
普段ならどうでもいいと思えるのだろうが、小さな事でもムカついたりする事が多くなってきた。
体の中に毒素が充満しているようだ。昼の配膳の時にキレたので、病棟主任という人を呼んで文句を言ったら、対象となる人物が謝りに来た。
これはこれで済んだのだが私が不健康である事に変わりはない。いけない、何かが狂っている。
      
夕方、準夜のナース(この病棟の中ではスタッフの中で1番年輩の人)と話をする時間があったのだが、「もっともだ」と思えることを言っていた。
――自分(そのナース)も腹部の手術で3週間ほど入院した経験があるのだが3週間とはいえ寝ていてもストレスは溜まった。
   そういうのを自覚していてもどうしようもない時もあった。整形外科の特徴であるから、仕方がないと言えば仕方がないことである。
   気分転換に外出と言っても限界があるだろうし、リハビリを頑張ってやるしかありませんね。

その少し前に、別レポートの『極上のオリーブオイル』を渡しておいた“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が毒舌を披露しにきた。
たまたま廊下の長椅子に腰掛けてコミパルでメールを作成していたら、階段を駆け上がってきたのである。
よせばいいのに(?)私の隣に座ってしゃべり始めた。story性がないとか、字が汚いとか、いろいろ文句を言っていた。
プリンターはないし、そんな事を言ったって仕方がないじゃないか! 
stoty性がないのは、ドキュメンタリーは「事実に基づいていなければならない」のだから、いいじゃんか! じゃあ自分で書いてみな・・・、
って言いたくなったがやめておいた。毒舌ではあるが「反感を抱くような小憎らしい内容」ではなかったからだ。
今日はこれから一端帰宅して23:00過ぎには再度出勤している「日勤・深夜」という勤務だそうだ。
ハイ、お疲れさん。何かイタズラをしてやろう。

[50]8/7(土) 
夜間はエアコンを消されるので、暑くて眠りが浅い日々が続いている。昨夜から今朝にかけても同様だった。
AM1:00の巡視は起きていたが、その後少しして眠ったと思ったら、AM2:30頃には覚醒してしまった。
やはり暑くて眠れないので廊下に出てコミパルでメールを打っていたら、いつの間にかAM3:00を回っていたようだ。
巡視は“最近毒舌が目立っている・自分とほぼ同じ年代と思われるナース”であった。
階段を駆け上がってきたナースはまず隣の2人部屋へ入り、次に私の病室に入った。
出てきたナースに「暑くて」と言ったら、「1人の為のエアコンではない」という答えが返ってきたので、
「はいはい、わかりました」とのみ言って部屋に入った。それからも暑くて眠りに入るという感じはしなかった。

明け方になりウトウトしたなぁ…という頃、ちょうど朝の検温の時間になってしまった。
ナース:(足の)調子は?
私:・・・。
ナース:同じかな。
私:どんどん不健康になっていくのがわかる。
ナース:(何と言ったか忘れた)
私:☆★に言っても答えがわかるから。
ナース:だから言わない?
私:足以外だね。
ナース:正座が出来なきゃ帰れない。
私:ほら。

この後、数時間で昨夜の当直でもあったDr.Oが回診にやってきた。Drは「退院してもいいけど、
あと1-2週間で正座が出来なければ曲がらなくなってしまう」という…。帰りたいのはやまやまなのだが、
今のままで退院しても仕事はおろか日常生活にも大きな支障があることを考えると、やはり“気合いを入れてリハをやり、
2週間以内に正座が出来るようになること”がnormalかつbestなのだと思うのだが…?

やはり今朝の“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”の「正座が出来なきゃ帰れない」という発言は当たっている。
随分前から(自分の考えている事を)見抜かれているような気がすると思ってはいたが、今回も同様である。ここまでくると恐ろしい。

PM4:40頃、本日の準夜で「私担当で卒後1年目のナース」がこの部屋にやって来た。
上記と同じ事をいい、明後日の月曜日にリハの担当のお姉さんに相談してみようと思っていると伝えた。
自分も何とか今月中に帰りたいと思っているという点を強調しておいた。だって本当だからね。
話は前後するが今日のCPMは120度10分、125度50分で施行した。膝の裏側が痛かったが、この際そんな事を言っている場合ではない。
期限が区切られたからには、何とかしてそれまでには正座しなければ「この左膝は曲がらなくなってしまう」のだから。

[51]8/8(日) 
午前中は何もなかった。アッという間に昼御飯の時間になった。定時に配膳されるご飯は、まるで動物園のエサのようだ。
ちょっとウトウトしていたら午後の検温と共にCPMがやってきた。昨日の終了時が125度だったので125度から始めようとしたら、
ナースが「大丈夫かなぁ?」と言うので120度からstartした。結局、120度10分・125度50分という昨日と同じ角度・同じ時間になったが、
今日は最後に130度を2回ほど施行した。これで明日は125度から始められるだろうと思う。

その後は筋トレや昼寝をしていたら、何時かは忘れたがAちゃんがやってきた。
朝のうちに「今日の午後には(面会に)行ける」というメッセージが携帯の留守電に入っていた。
ここの所、小さい事にもキレまくっているので、夕食の配膳まで廊下の長椅子に腰掛けてマシンガントークをした。
これで少しは違うと思う。

今日の準夜は最近この「日記替わりの経過概要」に登場する回数が
増えている“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”である。この部屋に回ってきた時、昨日のDr.Oの発言を「こう言われたんだけど」
という形で投げかけてみたら、次のような返答があった。
―――人によっては正座が不可能な人もいる。(要するに膝関節が130度曲がらない人もいるという事)
    自分(ナース)の友達もACL(前十字靱帯)損傷をやったが曲がらない人がいる。Drの発言はハッパをかけ、
    (リハの)努力しろという意味だと思う。

私が「(他のナースは)誰もそんな事、言ってくれないよ」と言ったら、一応、気を使ったのか“他の人が言わないことを
私が言っちゃあいけないかしら?”と聞いてきた。別にそんな事はないし、今回は入院・手術を決めた時点で“自分の意志とは無関係に
目の前に現れるすべての事を現実として受け止める準備はしてある”ので、御心配なくと伝えておいた。
しばらく経って消灯しに来た時、リハのゴール(これ以上は無理だろうというのを決める時)は
どうやって決めるのか…という点についても質問してみたら、次のような答えが返ってきた。
―――ここのDrは正座が第1条件で、後は筋力測定をして退院となっている。
    今まではOP後6週目か、2ヶ月以内に退院の人が多かった。どうやら、あと2週間・少なくとも今月一杯で正座が出来なければ、
    それが『印籠』と思えばいいらしい。
とりあえず気合いを入れてあと2週間リハをやってみよう。印籠を渡されそうになったら、それから次の事を考えればいいことだ。
明日の朝は外来患者が来る前にリハのお姉さんに相談だ。

[52]8/9(月)
朝食と洗面をすませてからすぐに1階のリハビリ室へ行った。担当のお姉さんはすでに出勤していたので、
朝の挨拶をして土曜日からの一連の事を話して「今月中に何とかしたいと思っているのだが、何かアドバイスを」と言ってみた。
お姉さんは「随分、曲がるようになってきたけどDrはまだ不満なんでしょうかねぇ…?」と答えた。
今日はDr.Oのいない日なので、明日にでもコンタクトをとってみると言っていた。
とりあえず自分でやる訓練(ROM)として1種類追加してやってみる事を勧めてくれた。
装具をはずし、足首(足関節)に2kgの砂のうを巻き付け、そのまま膝を曲げてくる…というものである。
もちろん仰臥位である。こうすると重力を借りて曲がってくるという訳である。
病室に戻ってすぐに30分程やってみたが、結構痛くてキツいものだと感じた。

これは昼御飯とほぼ同時に終了したCPMの後にも施行してから、リハに降りた。リハメニューは先週までと同じであるが
“担当のお姉さんによる強制曲げの回数”を増やすということだった。
とりあえず今日はこれでやってみて、痛み・熱感などが出てこないか見てみることになった。
余りキツくやり過ぎても、7/20のように発熱したり、痛みが翌日まで残ることがあれば好ましくないから…という見解だった。
お姉さんに従うことにしよう。

尚、仰臥位で測定した自己屈曲は今までで最高の115度を記録した!
これは私担当の卒後1年目のナースにも報告した。ニコッとして「進んでますね」と言ってくれた。
リハビリ室を出たら“この病棟のスタッフ内で“1番年輩と思われるナース”と“昭和41年生まれで体格がよくいつも元気なナース”が、
長椅子に座って話をしていたのでその隣に私も座った。年輩のナースは呼ばれて姿を消したが、
昭和41年生まれというナースとは年齢が近いこともあって結構な時間を使って話をした。私は次のような事を話した。

◎土曜日のDr.O発言から今朝に至るまでのこと
◎自分としては帰れないことよりも「曲がらなくなることの方が恐い」こと
◎正座が出来て退院の許可が出ても、日常生活に4つの支障が生じること
  床の掃除、ロフトベッドの乗り降り、買い物(段差がない所はない)、
  車の運転(運転席に座れる程膝が曲がらない)…という4点
◎以上の3つを考慮すると何回か試験外泊という形をとって、頭で考える支障以外に実際はどんな事があるかが自分にわかって、
  それを解決する方法を考えてからにしたいこと

そのナースは時々、彼女のナースとしての体験談を混ぜたりしながら私の話を聞いてくれた。
そして「自分(ナース)は膝のOPだけはしたくない」と言っていた。私が「最終目標は仕事復帰だが、
その前に自宅での日常生活に復帰しなければならない。しかし今の状況で退院の許可が出ても余りにも支障が多く、
日常生活に適応できない部分がかなりあるので、やはり正座が出来て外泊を繰り返してからにしようと思っている。
何とか今月中には帰りたいと思っている」と言ったら、そうだよね、と同感する態度を示してくれた。
前後するが本日のCPMは120度10分・125度50分で施行した。

[53]8/10(火) 
今日は前日から計画していた一時帰宅、要するに外出である。先月の16日に外出に行く前に寄って以来だから、
約1ヶ月ぶりとなる。しかし別に何も変わってはいない。当たり前か…。外出用紙にはAM9:00からPM1:00までと書いていたが、
途中でTELを入れて時間延長してもらった。今まで普通の生活をしている時や入院してから昨日まで感じなかったが、
同室者に言われて気付いたことがある。そう、入院中は個室でも1人になることはないのだ。
久しぶりにたった1人の時間を過ごすことが出来たのだが、アッという間に経過したようだ。同じ時間でも自分にとって
心地よいと早く感じ、逆だと長く感じるものだと体験学習した。あ、これは別に今回だけでなく、日常でも結構あるものなのだ。

PM2:30頃に病室に戻ったら、BEDやなんかを全部出して掃除が行われていた。
貴重品はすべて持って出ていたのが正解だと思った。
しかし掃除があるとは聞いてなかったので、足下にバスタオルとタオルをかけたままにしておいたのは失敗だった。
廊下の長椅子に腰掛けて待っている最中に業者のオバサンが、何と!いつも来る同じ会社のオジサン達が雑巾やモップを洗っている所で、
蛇口に口を持っていって水を飲んでいたのを目撃したのだ。どんな汚い手で触れられたかもしれない物で顔なんて拭けるものか!
すぐに洗濯をした。掃除をするなんて患者には知らされていなかった。あらかじめお知らせがあったら、こんな失敗はしないのに。
文句を言う元気もない。

いつもより遅い時間からリハを始めた。自力曲げは115度だそうだ。担当のお姉さんによる強制曲げは120度だという。
そしてリハの後で施行したCPMは125度onlyだ。そして正座に1歩近付いたと言ってもいい事があった。
四つんばいになり両膝の裏側に枕を置く、そして段々正座に近い格好になっていく…というものである。
身体全体が右側に傾いているのがわかる。自分で「左側に体重がかからないようにしている」のだと思う。
これだと大目に見て130度はいっているらしい。案外早めに正座が出来るかもしれない…、しかしここで軽く見て喜んではいけない。
日常生活に復帰するには幾つかの問題があるのだ。正座=退院許可ではあるが、それが“=日常生活”とはならない所がミソなのである。

8月一杯入院している覚悟は出来ているので、逆算して考えればい事になる。ここまで来たら1週間や10日は(入院が)延びたって何ともない。
それより仕事復帰の前の日常生活に不安を残したまま家に帰ることは、まずいのではないかと思っている。
何回も入退院を繰り返しているのなら話は違うだろうが、私はこんなに長く家を空けた事がないし、
今までとは明らかに違っているのだから仕方がない。20日前後に正座をして何回か試験外泊を繰り返す…という形を取ろうと思っている。
もっと早く正座が出来たとしても、それは外泊をする回数が増えたと考えればいいことだ。

このような話を準夜のナースにしたら、ウンウンとうなづいていた。年齢的には20代後半と思われるが、卒後年数は4年目くらいだと
本人から聞いたことがある。とてもスリム&コンパクトであり、私など似てもにつかない体格である。
いわゆる1つのbeautifulという言葉がピッタリである。左膝の熱感があるので、このナースのアドバイスにより久々にcoolingを行った。
その下にはいつものように湿布も貼っている。

[54]8/11(水) 
今日もいつもと同じ朝がやって来た。検温は卒後1年目のナースだったが、四つんばいになり膝の裏側に
枕を入れて座る訓練をやって見せようとした所、痛くて出来なかった。「痛かったら無理しなくて良いですよ」とは言ってくれたが、
ちょっと残念だった。いい所を見せたかったのに!やはり朝一番は筋肉も何も固くなっているのだろう。
いつもよりかなり早い時間にシーツ交換が終わり、間もなくDr.Sの回診があった。今日はDr.Oかと思っていたが、夏休みだそうだ。
いつの間にか昼が来て、ちょっと寝ていたらアッという間に午後の検温の時間になった。
同時にCPMを持ってきてくれたので、125度10分・130度50分で施行した。CPMをやっている最中にリハに呼ばれたが
CPMが終わってから降りることにした。リハメニューは昨日までと同じだった。
リハを始める寸前に“水曜日恒例の体重&握力測定”があった。体重は先週の58,55kgからわずかに減少して58,50kgとなっていた。
この事を本日の担当ナースに報告した。恐らく卒後2年目であると思われるが、水曜日の“スリルとサスペンスに満ちた体重測定”の時には
ほとんど日勤に出ているのだ。
しかも顔を見るたびにどうだったか聞かれるし、何しろ私が60kgの大台にのった時に、主食の量を半分にしてもらうように依頼したナースなのだ。
それ以来、彼女も気にかけてくれているのだろう。私はこのナースを「計測の☆▼」と呼ぶことにした。ナースは苦笑いしていた。

準夜のナースに足を見せて湿布とcoolingをやった後、いつもと同じ夜がやってきた。
そう言えばケロイドっぽくなってきた創部に塗布する軟膏を処方してくれるよう頼んでおくと、ナースは言っていた。
シーツやなんかがこすれるとヒリヒリして痛いのだ。

今日は…というか、ここの所ズーーーーーーーーーーッと夜間はあまり眠れていない。
エアコンを消されるので、暑くて嫌でも目が覚めてしまうのだ。PM11:00とAM1:00 and 3:00の巡視の時に消していくので、
それまでは眠っていても約1-1,5時間後には暑くて目が覚める、そしてエアコンをつけるのだが
次の巡視には消されてしまう…という「イタチゴッコ状態」なのだ。そういう意味でも、今夜もまたいつもと同じ夜がやってきた。
 
[55]8/12(木) 
今日はAM5:30頃から隣の大学生のお姉さんがゴソゴソし始めたので、耳栓をしていたにもかかわらず早朝から覚醒してしまった。
聞けばAM9:00にOP室に行く予定だったのが、30分早まったという。ま、仕方ないか。
このお姉さんは先週の木曜日に反対側をOPしているので、来週中には退院できるという比較的簡単なOPらしい。
しかし他人の事はこの際どうでもいいのだ。
そしてこの2週間ほど目障り(めざわり)だった20才の入院慣れした准看の生徒が、午前11時を前にしてやっと退院した。
特に理由はないが生理的に受け付けなかったのだ。これ以降、会う機会は恐らくないと思うので「一件落着」としよう。

AM9:00前にDr.Oの回診があった。この左膝を曲げて見せつつ「先生が土曜日(8/7)に“あと2週間で
正座が出来なければ曲がらなくなる”と言ったもんだから焦ってリハの人に相談にいった。そしてトレーニングを増やしてもらったんです。
入院が延びるより曲がらなくなる方が嫌だし、今月一杯で何とかしたいと思ってるんだけど」と言ってみた。
Drは「何とかして」と言っていたが…。表情がいつもと違っていたようにも感じられる。
確かにDrの言うようにタイムリミットなのかもしれないが、それに加えて「〇〇(私のこと)は最近ストレスが
溜まっているようだ」という報告が言っているというのは、容易に予測できる。

7月末ころに1人のナースの不用意な発言から激怒した事を始めとして、
Drが初めて退院という言葉を口にする前日(8/6)には看護助手に対してマジギレして主任を呼びつけて文句を言ったり…という事が
相次いでいる為、恐らくこの主任ナースは私に対して「看護婦のくせに変なヤツ」とでも感じているのだろう。
7月末に激怒した時、私の話を聞きに来たのだが“〇〇(全国の同系列の病院を取り仕切っている機関で、
厚生省等の役人が天下りする所)に実名で投書する”と言った瞬間に顔色が変わったのを私は見逃さなかった。

確かに人当たりは良い…というか、(患者に対しての)言葉遣いは「これでもか」という位に丁寧だし、何かある度に「させて頂く」を連発する。
このように丁寧すぎるという印象があるのだが、そう言えば大学病院のプシコ病棟に勤務していた時に、
『何かに対する反感・反論か、自分に極度のコンプレックス』の裏返しであり、それを他者に悟られないようにする為の
自己防衛手段であることが多い――と教わったように記憶している。
まあ、この人が何と言っても私には関係ない。きっと呼びつけられた事に対して、何らかの思いが彼女なりにあるのだろう。
とっくに8月一杯入院している覚悟が出来ている私としては、仮に退院許可が出ても数回の試験外泊を繰り返してからでないと
「こんなに長くうちを空けたことがないので」不安で退院できないと思っている。
他人(ひと)の言葉に惑わされるのは、そろそろ終わりにしようと思う。

午前中にCPMを持ってきてくれた為、125度10分・130度50分で施行した後で、昨日から担当のお姉さんと約束しておいたPM2:00にリハに降りた。
Drに確認したそうだがメニューは変更しないでくれと言われたらしいので、昨日までと同じ事をやった。
自力屈曲の角度は測らなかったが、大して変わっていないと思う。
リハが終わった直後はしばらく放心状態なので、1階の長椅子で休憩していた時のことである。
最近この「日記代わりの経過概要」に登場する回数が増えている“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が声をかけてきた。
私の横に座って「何やってんの?」とまず1発目。私が「今、リハ終わって放心状態…」と言ったら
「(CPMが)130度いったんだって?」と返しつつ立ち去ろうとしていた。その後、しばらくして洗髪と足浴をしていたら、またしても姿を現した。
私がCPMが130度にupしても発熱しなかったと報告したら「やっぱり時間が解決した。頑張れ」と言ってくれた。
今日は担当ではないし、彼女の得意技でもある毒舌でもなかった…、だからという訳ではないが、
気にしてくれているということが少しだけどうれしかったのだ!
この人から頑張れという言葉が聞かれるとは、正に“予想外の展開”であるだけにうれしさ倍増である。なかなかやるじゃん、という感じ。

午前中に退院した後、すぐに入院患者があった。その人の処置(貯血)にDr.Oがやって来たのだが、処置を終えて部屋を出る前に声がかかった。
私は「結構、イケテきたと思うんだけど。この頃、痛すぎると悲鳴すら出ない事がわかった。今月中に何とかしたいと思ってるんだけど」と言った。
するとDrはいつものニヤッとした表情で「その位やらないとダメだ。今月中に曲がらないと一生曲がらなくなっちまう」と話していた。
私は「私もその方が恐いし、何とか頑張るんでよろしくお願いします」と言っておいた。
書き忘れる所だったが、Drの見解では今朝の曲がり具合(自力)は「120度はいってるよ」とのことだった。

[56]8/13(金) 
6/14に入院して今日でちょうど2ヶ月になる。
早いのか、遅いのか、何なのか…結局、訳のわからないうちに過ぎてしまったようである。いろんな事があったと言えばそうだし、
なかったと言えばそうである。
      
この「日記代わりの経過概要」に何回も書かれており、その度に自分に言い聞かせるようにしている文句がある。
―――自分の目の前に現れるすべての事を「現実」として認識し、それらがもたらす「結果」においても自己責任とするべきである…と考えて、
    今回の入院・手術を決めた。結果が吉と出るか凶と出るかはまだ判らないが、どちらにしても(結果も)現実なのだし自分が決めたことだから
    今更あわてることもない。

何かエラく悟りを開いたような感じがしないでもないが、入院する前には本当にそう考えたし、今も変わっていない。
入院・手術という事に関しては、去年の滑膜切除術の時の方が「自分の中で」悲壮感が漂っていた。
もう後がなく“ギリギリの1歩手前の状態”でOP室に入った…という感じである。OP前夜には産婦人科メインの混合病棟の1室の布団の中で
「これでどうにかなってくれヨッ!」という“困った時だけの神頼み的心理”が明確だったことを記憶している。
そしてプレメディ(前投薬)を注射されてOP室に行くストレッチャーに自ら乗った時、自然に…本当に自然に
「今日(H10,11,11)が終わらなければ明日はないから、とりあえず何とか今日を乗り切ろう」という思いが、
私の灰色の脳細胞の中を駆けめぐったのだ。その位、悲壮感があったのだ。

今回は今日の時点で既に入院期間は去年の倍になっているし、業界人としてみてもOPそのものの大きさというか大変さも数段上である。
しかし去年のような「真っ暗闇」でそこ(OP)から先が見えない…というのでないだけで全く違う感覚なのも不思議なものだ。
自分自身の姿勢として『何事も自分のことは自分でケリをつける』というのは、去年じゃなくもっと以前から変わっていないのだが、
「この違いは一体なんだろう?」と考えた。次のことが浮かんできた。

◎病名は違うが、病状やその後の治療、そして復帰後のことについても自分なりに見通しがつくか・つかないか。
◎余りにも経過が長く・痛かった去年と比較して、苦痛が少ないので次のことを考える余裕がある。
◎以前から心臓に毛が生えていると一部の友達には言われていたが、去年の一連の出来事で更に毛深くなり、
  とりあえず“働く上では恐いものはない”と思うようになったこと。
      
たぶんこの3つに集約されるのだろうと思っている。
おっと、ここで書き忘れてはいけない重要なことがある。友達の存在だ。お金や時間には換算不可能な多大な功績をあげてくれている…、
私が“友達”と呼んでいる人々は、私の財産である。私は大したことのない奴だが、それにしては粒ぞろいの自慢である。
本当に有り難いと思っている。退院して元気になり、また悪たれをつき始めたらその時はよろしく…という感じである。
わかってるよね!?
そんな訳で今日はこの2ヶ月間を振り返ってみたが、結局大したことはなかったようだ。
午前中に風呂に呼ばれたのだが、出た直後にCPMという絶妙のタイミングだった。最初から130度のMAXだった。
午後からのリハの前に自主トレをやってから降りたので、担当のお姉さんは「曲げやすいですね」と言っていた。
リハでエネルギーを使い果たしたのか、夕飯前に「深い眠りの昼寝」をしてしまった。

準夜の“この病棟で1番年輩と思われるナース”と話をする機会があった。その人は自分の母親の看病体験を語ってくれた。
また、「30代は油がのっている世代」とも言っていた。今の私はそういうのには程遠いけれど、
いつか必ず再び油をのせてやるぞ…と思った。そうしているうちに21:00になってしまったので、いつもと同じ夜を向かえる準備を始めた。

[57]8/14(土) 
とても元気な深夜のナースに起こされたのだが、気付いたら雨が降っていた。
自分が気付いたのが起床時であって、実際は昨夜から降り続いていたのかもしれないが私には雨が降り始めた時刻など関係ない。
それよりもここの所、よく眠れていないので昼間に寝てばかりいるのが気になる。
余りの眠さに朝食が配膳されたのも知らず、AM8:40頃まで寝ていた。

何時に回診があったかは忘れてしまったが、今週末はDr.Sだった。ちょうどROM(自己屈曲)の練習の為
“左足関節に2kgの砂嚢”を巻き付けてやっていた所にやってきた。随分、曲がるようになった…とだけ言っておけばいいものを
「やっぱりこの前(先週の土曜日)の大ちゃん(Dr.O)の一言が効いているんだね」と言うのだ。
ちなみに“先週の土曜日のDr.Oの一言”とは「あと1,2週間で正座が出来ないと曲がらなくなってしまう」という発言である。
Dr.Sに対しては「段々イケてきたと思うんだけど」と言っておいた。

回診後にも自主トレをやったり、お菓子を食べたりしていたら、シャワーの順番が来たようなので別にやることもないため、
シャワーに入った。シャワーから出て洗濯をしていたら昼御飯の時間になった。
本当に動物園の餌のように定時にやってくる。早くこんな生活から脱却したいと切に願っている。
かといってこの左膝が曲がらなくなるのはもっと困るので、まずは『早朝正座が第1目標』であることに変化はない。
週末はリハビリがないので自主トレをやらなければ、今週の頑張りが水の泡となってしまう。

[58]8/15(日) 
今日も特に変化のない1日だった。リハがないので筋トレやROMを自主トレで行った。
正座の練習として行っている「四つんばいになり、膝の裏側に枕を置いて座る練習」では、座る格好をしている時間が3分から5分に延びた。
リハのお姉さんは、出来たら枕を薄く…と言っていたが無理だった。でも時間延長は明日にでも報告しようと思っている。
この週末にちゃんとやったという証として。

ここ数日間、同室者のイビキでよく眠れていない。病気ではないので仕方がないのだが、木曜日にOPだそうなので
最高でも木曜日の朝まで我慢すれば良いことになる。OP後は2階のナースステーションの近くの部屋に移動するらしいので、
木曜日が待ち遠しい。木曜日までは昼寝をして耐えよう。

[59]8/16(月) 
今日は午後からのリハに備えて、昼食直後にCPM130度で行い、尚かつ自主トレ(筋トレ・ROM)をやってから下に降りた。
担当のお姉さんに週末の自主トレを伝えつつ、枕を使用して行う方のROMで薄くは出来なかったが時間が延びたと報告した。
そしたら「終わってから(角度を)測りましょう」と言うので、すべて終了してから自力屈曲の角度を測定してもらった。
先週は115度だったのが“117,5度”にupしていた。数字的には大した変化ではないが、pace-upしたリハを
週末にサボらなかった証となると思っている。今週の自力屈曲の目標を120度とすることに決めた。

順番は前後するが、今日から平成12年度某市の職員募集の受付開始なので、朝食後に投函しにいった。
ついでにウチに寄ってポストの中身を取ってきた。朝のほんの数分間の出来事だったので誰にも見つからなかった。
ま、いいか。看護婦さん、ごめんね…っていう感じかな。
 
今日は簡単な記載で終わる予定だったのだが、消灯後にナースステーションに行ってリハに関する質問を準夜のナースに投げかけてみた。
私の方から「私のリハって進み具合が遅いのかなぁ?」と言い、8/7のDr.Oの発言とその前日の出来事を言ったのだが
関係はないだろう…と2人のナースが言っていた。私は主任ナースを呼びつけた形になったので、
その報告がDrにいった為ではないかと感じる部分があったのも確かである。
しかし今日の準夜のナース達の話では違うらしいという印象だ。それよりも、むしろACLの場合“今までは(OP後)2ヶ月近くなると、
リハのピッチをあげる目的でおどしが入ることが多かった”という答えがあった。
そしてDrにそう言われると大体の患者は、それまでよりかなり真剣になってリハや自主トレをやるようになるとのことだった。
最後の詰めの段階になると、正座の時にお尻が痛くない方にチョコッと傾いたりすることもあるが、
来週位から(正座までの目安として)あと何横指か…というのをリハに聞きにいくと思う、という見解を述べていた。
そしてDr.Oのあの「ニヤッ」に騙されてはいけない、とも言っていた(笑)。

やはり自分で考えていた通り、数回の外泊を繰り返した後で“9月初旬頃”には退院できそうな気配が漂い始めてきた。
しかし、あくまでも朝一番の正座が基本だということに変化はないので、リハと自主トレのピッチがdownすることのないようにしたいと思う。
たいへん参考になる話だった。
今日の準夜は“自称・昭和41年生まれで体格も元気も良いナース”と
“恐らく卒後4年目位でパソコンに興味を持っていると思われるナース”の2人である。
 
[60]8/17(火) 
昨日の準夜のナース達の言うことを、同室者のイビキで目覚めた時に考えていたら「ごもっとも」という気がしてきた。
患者にいい意味でのプレッシャーをかけて後押しする…という定例化していた発言だという事が解ってきたからだ。
よくある事と言えばそれまでなのだが。

今日は朝1番、AM9:00過ぎにはCPM130度をやっていた。その後に風呂の順番がきたので言われるままに入った。
風呂から出てから少し自主トレをやっていたら、昼御飯の時間になっていた。食後の自主トレをやり、PM2:00頃からリハ室に降りた。
担当のお姉さんに曲げられている時、左膝の裏側がいつもよりかなり強く痛かった。
お姉さんも「今日は痛そうですね」と言い、少し緩めてもらった。何か違った事をしている訳ではないので、少し休ませると
いう意味でも緩めにしておいても良いのではないか…というお姉さんの意見に従うことにした。
明日まで様子を見て、痛みが残るようなら考えるし、明日のリハを普通にやっても痛みが強くならなければ続行らしい。

昼食の配膳前に“私担当の卒後1年目のナース”が「ちょっとお話を聞こうと思って」と言い、かわいい笑顔と共にこの病室にやってきた。
昨日の準夜のナース達に言ったのと同じく、8/6以降の一連の事を話した上で次のように言った。

◎自分としては入院が長引くより、この左膝が曲がらなくなる方が嫌なので自主トレを継続していきたいと思っている。
◎朝一番の正座=退院許可となるが、退院許可=日常生活復帰とはならない。従って、数回の“試験外泊”を繰り返して、
  頭で考えている以外にどんな不都合があるかが分かってからでないと不安である。

この辺まで話をした所で放送で呼ばれたので終了となった。担当ナースということもあり、この病室の係りでなくても
時々このようにしてやって来てくれる。今の私には気にしてくれている…というだけで、とても嬉しく感じた。

夕方、Dr.Oと1人のナースが部屋に回ってきた。ちょうど売店で買い物をしてきた所だったのだが、
準備運動も何もせずに「四つんばいになり膝の裏に枕」をやってみた。
出来るはずがないとは思ったが、やはり無理だった。
Drに肩を押されたら身体が自然に“後ずさり”してしまったのだ。苦笑いしつつ、OP後2ヶ月という事を確認してから
「遅いなぁ。頑張って」と言って病室を出ていった。準備運動をやっていればもう少し良い所を見せられたのだが、
仕方ないとするか。タイミングが悪かった、ってことですね(-_-;)。
  
[61]8/18(水) 
今日はAM11:00過ぎにDr.Oの回診があった。回診前に「風呂」「自主トレ1時間」を済ませておき、
御一行様がこの病室にきた時には“四つん這いで座布団”の真っ最中だった。
同室者の回診中もズッと座布団を両膝の裏側に挟みつつ、うずくまっていた。私の所にきた時、
Drはうずくまった姿勢のまま左肩を押さえて動かないようにしてから、何と座布団を少しずつずらし始めたのだ。
「あらあら、ちょっと」という私のうめき声ともとれる言葉はかき消されていた。
正座は出来ていないが、座布団を挟みながらも左膝関節は130°曲がっていたとDrは言っていた。
しかし昨日は「(今の時期にこれしか曲がらないのでは)遅い」と言っていても、今日になったら「もう少し」とはねぇ。
何日かおきに変化するのだろうか。ま、いいけどね。
昨日、私担当の卒後1年目のナースに話した通りのことを施行してからだし、まずは早朝正座が目標であることに変化はない。

そんなこんなでCPMはリハの後になった。リハはたっぷり自主トレをやってから降りたので、担当のお姉さんは曲げやすいと言っていた。
すべての訓練が終わってから自力屈曲の角度を測定したら120度と出た。
こんなものでしょうか。今週はpace-upしないで、来週の月曜日に再度測定して120度を下回ってないことを確認しようと、
担当のお姉さんと話し合った。また今週末は自主トレも無理しないようにやった方がいいらしい。

それから今日は“スリルとサスペンスに満ちた体重測定日”である。先週の58,50kgと全く同じだった。要するに増減はなしだ。
これでいいとしよう。体重と握力を測定してから30分ほど外出してきたが、自宅に帰って石鹸を取ってきたり、
コンビニで買い物をしたりした。ポストには某市から身体検査の受検要項が送られてきていた。
退院後に健診しても充分間に合う時期であるので、部屋に置いたままにしてきた。
夕食後にAちゃんの携帯に連絡したら、岡山に帰省しているとのことだったが明日の夜には東京に戻っているという。
今日もまた同じ夜がやって来そうな感じだ。

[62]8/19(木) 
やはり朝は関節が固くなっているようだ。
朝食後に自主トレをやって回診に備えていたが、無理があったようだ。
AM9:00にはDr.Oを始めとする御一行様がこの部屋にやってきたのだが、昨日の130度からは程遠い結果となった。
Drは「130…」と言いながら私の所にやって来た。私は装具をはずし左膝だけを“体育座り”のように90度ほど曲げて
待っていたが、座っていながらも段々後ずさりしてしまった。Drは笑いながら「逃げられなくなるまで」と言いつつ
私の左膝を曲げようとしたが、結局表情だけがゆがんで膝は思ったより曲がらなかったようだ。
Drはまたしてもニヤッとしながら「朝1で正座ね」と言ったので、私は「了解!」と答えた。
Drのこの言葉は今更書くまでもなく“退院許可は朝一番の正座”という意味なのである。

数日前(8/16)の準夜のナース達が『女の人は一生のうちで正座をする機会が男よりは多いので、
Dr達はきちんと正座が出来るまで退院させない…言い換えるとキチンと正座が可能になる事を
見届けるのを使命だと思っているみたい。男の人はあぐらをかけるが女はそうはいかないでしょう!?』と
言っていたのを思い出した。

昼前にCPMが終わったので、何日か前に暑中見舞いのハガキをくれていた
Kちゃん(平成の始め頃大学病院で一緒に働いていた看護婦仲間)にTELをした。
ちょうど子供ちゃんが昼寝をしていたらしく、niceなtimingだと言っていた。久しぶりに話をしたが、当然の如く私の入院は知らなかった。
それを話したら「今度の日曜日(22日)に遊びに行く」とのことだった。
つもる話はその時に…って事になった。子供ちゃんが起きると中断しなくてはいけないから。
日曜日はwith her childで来るのかと思ったが、旦那さんの実家(O市内でKちゃん宅の近くにいるらしい・Kちゃんは“KA家”と呼んでいた)に
預けてからここに来るとのことだった。俄然、日曜日が楽しみになってきた! 久しぶりに外食出来るかな?

[63]8/20(金) 
またいつもと同じ朝がやって来た。
AM9:00前後には回診があり、ちょうど自力屈曲の練習をしていた所だった。Dr.Oは「昨日よりはましだ。あと15cm」というコメントを残した。
ついでに…という訳ではないだろけど、Drから今週末に外泊してみるかという勧めがあったのだが
「今週は人が来るから」と言って止めておいた。横から主任ナースが口を挟み、私が「まだいいです」と言っているにも関わらず
「でも身体を慣らしていかないと」と言うのだ!自分でも考えていない訳ではないのに、他人から言われるとやりたくなくなるものだ。
それに「身体を慣らしていかないと」と言っている時の表情と目つきは、何かを物語っていた。
しかし、これに反応すると“言えば動くかもしれない”という意識が発生する可能性があるので、
暫くはシカトすることにしよう。そして土日のどちらかにAちゃんが来ると思われるので、その時に相談してみよう。
そう簡単にナース達の思うようになる訳にはいかない。自分には自分のペースがあるのだ。他人にそれを崩されてはねぇ。

ちなみにDrが言っている「あと15cm」というのは、左踵部(かかと)と臀部間の距離のことであり“あと15cmで正座”という意味なのである。

主任ナースはきっと、7月末頃に問題発言をしたナースに対しての苦情処理を引き受けたり、
今月始めに看護助手のことについて呼びつけた格好になったのが気に入らないのだろう。
私の中ではもう終わった事なので、もしそうだとしても私には関係ない。
『自分のことは自分で決める』という以前からのスタイルを崩してはならない。
そうしないと自分のことなのに自分で責任を取れなくなってしまう。たかが外泊、されど外泊なのである。

午後からリハビリに降りて、今朝Dr.Oが言っていた15cmをこの目で見てみた。意外に長いものだと感じた。
握り拳1,7個分くらいだろうか。そして担当のお姉さんによる強制曲げの極限で再び
“左踵部と臀部の距離(長さ)”を測定してみたら12cmだという。
朝一番で重力の力を借りた15cmと、目一杯自主トレや強制曲げをやった後の12cm…、この2つをどう比較するか。
私には判断できる根拠となる知識がないので何とも言えないが、とりあえず「3cm縮めるのがこんなに痛いものなのか」と
感じたのは確かである。

リハビリ後にナースステーションへ行って検温をしたら、体温が久しぶりに37,4℃と出た。
リハの後だし、たぶん何ともないと思う。歩行後だったので血圧も140-70mmHgと高めに出た。ま、別にいいとするか。
2階の廊下で数名のナースと雑談をしていたら、主任ナースは今から深夜入りだという情報をGETした。
これで少し謎が解けた。明日の朝が深夜明けということは週末に夜勤が入るのだろう。
人手が足りないのと合わせ、週末は“それなりの理由を付けて”外泊を勧めてみる…というのは、
あまり大きな声では言えないが「よくある事」である。入院患者数はたくさんいても、その中で数名でも外泊しておけば
ナースや他の職員の負担が軽くなるという訳である。なーんだ、そんな理由も影にはあったのだ。アホらしい。

いつも通りの時間に夕食の配膳があり、食べ終わってから間もなくAちゃんが来てくれた。
もちろん部屋の風通しや何かはすべてやっておいてくれたという。
しばらく病室内で話をしていたが、同室者がOP直後だったことや面会時間ギリギリになったことから廊下に出た。
それでも話し足りず、準夜ナースの検温(体温36,7℃)を受けてから本館1階の正面玄関付近で、お互いがマシンガントークをしてしまった。
PM8:00を回ってからAちゃんは病院を後にした。

そしてとても久しぶりに長野の車山で友達になったMちゃんにTELしてみた。何とか生き延びている…と言っていた。
入院中であること、MY運転手が4月に帰国したこと等を話していたら、積もる話がある事に気付いた。
近いウチにその“積もる話”をしに来ることになったのだが、彼女も仕事をしているのでいつになるかは不明である。
Mちゃんはいつも忘れた頃に連絡をしてくるのだが、それはお互いに何かあった時であることが多い。
前回は去年の年末にMちゃんが離婚したという話を聞いた時だし、今回は私が入院・手術をした…という時である。
打ち合わせをしたという訳ではないのだが、そういうのが多い。MY運転手もMちゃんも、Mちゃんの夫だったN君も、
みんな車山で知り合った人達ばかりだ。
当初はそんな事など考えもしなかったが、この4人は変な組み合わせである。
考えてみれば車山に行ったのが平成3年の冬だったので、この人達と初めて会ってからもうすぐ丸8年が終わろうとしている。
早いものだ。そう言えば私も今月始めの誕生日で〇〇〇才になっていた。

[64]8/21(土) 
午前中にDr.Oの回診があった。昨日までで“(左踵部と臀部の距離が)15cm”だったのが、
自主トレをやらないでの回診になったしまったので30cmと出た。
Drは自主トレを休まないように、と言ったが別に休んでいる訳ではない。毎日、朝食後から始まって、昼食後(リハビリ前)、
そして夕食後と寝る前には必ずやっているし、ナース達も目撃しているはずだ。

どこのDrもこのような傾向はあるのだが、自分が見回った時にやってないと“やっているのを見たことがない”と
いうふうに思ってしまうのだろう。仕方のないことだ。そんな事はどうでもいいのだが、
いずれにしても自分が朝一番で正座をすれば問題はないのだ。正座への道のりは近いようで遠いのか…。

回診では久しぶりに“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”の姿を見かけた。
夏休みだったらしい。同室者の用事でこの部屋に来た時、私が「(ナースがいない間)静かだった」と言ったものだから、
「そーお?打ち込むものが無くなったんじゃないの?」と言うのだ。この“打ち込むもの”というのは、最近後退はしていないが
停滞気味のリハビリのことかと思っていたが、実はそうではなかった。
話の途中で気付いたのだが、“この日記代わりの経過概要に打ち込む(ナースの)ネタ”という意味だったのだ!
夏休みをとって毒舌に拍車がかかったようだ。負けてはいられない。明日は日勤で3階担当らしい。くわばら、くわばら。
でも少しは楽しくなりそうな予感がする。

[65]8/22(日)
今朝はAM9:00前にシャワーに呼ばれた。一応、気分が良くなって出てきたのだが、
同室者の点滴等にやってきたのが“夏休みをとって毒舌が明らかにpower-upした・自分とほぼ同じ年代と思われるナース”だったのだ。
日曜日で忙しいらしいのだが、わずかな時間でも相変わらずだった。私の膝の曲がりが余りにも悪いから…という一言から始まった。
目の前で自主トレをやっているにも関わらず、そんな事を言うのだ。そして、自分(ナース)の事をこの「日記代わりの経過概要」に
記載してもらいたかったのかどうかは不明であるが、「私(ナース)が休みの時は、打ち込むもの(ネタ)がなかったハズだ」
とも言っていた。お主、なかなかやるのぉ…という感じである。それは確かに当たっている。

そして私の膝に関してもカレンダーの前で腕組みをしながら「もう9週でしょう?」等と言い、にわかに気合いを入れていった。
別に自主トレをさぼっている訳ではないのに、である。「私(ナース)しか憎まれ口をきかないでしょう」と、
またしても私の考えを見抜いているような発言をした!今回も例にもれず反撃する材料がなかったので、
とりあえず「そのネタ、昨日寝ないで考えてきたの?」と言うしかなかった。

よく考えてみると、確かにこの左膝の曲がり具合は最近停滞しているようだ。
自主トレをやっているお陰かどうかはわからないが、何とか後退は免れているという感じである。
今月一杯で何とかしたいという“希望的観測”もかなり怪しくなってきた感がある。
同室者が「でも(自主トレを)結構やってるよ」と一応の助け船的発言をしてくれたのだが、それもこの人に対しては
効果は無かったという印象である。最後にfollowしておかないとまずいと思ってはないだろうが、
「(他のナースに測ってもらった自力曲げが)125°いったんだって?」と言っていた。これはその通りなのだが、
緑の丸椅子に左膝をある程度屈曲した形で乗せて、そこから体重をかけていくものだったので
“本当の意味での自力曲げ”にはなっていないと思っている。

しかし“夏休みをとって明らかに毒舌がpower-upした・自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が
このような発言(とりあえずは頑張りを認める、ってこと)をした…というだけで、これは結構なことである。
このナースに指摘された事は事実なので、何も言えなかった。指摘されただけでなく「もっと気合いを入れpace-upしないといけない」と
改めて感じたのも事実であるし、ある意味印籠を渡そうとしたのだろうか?
うーん、誰の言うことも聴かない私にしては“極めて異例なこと”である。
このナースの“いわゆる年の功”なのか、私が単純なのか…という結論は先送りにするとして、
ここ数日間はさっきの一言(余りにも曲がりが悪いという発言)とそれがもたらしたLITTLE-WAVEにのってみようと思う。
      
昼食直後にCPMをしていたら、残り30分位の所でKちゃんがやって来た。
何年ぶりか忘れる位の“久しぶり”という感覚だった。CPMの終了を待って駅前のイトーヨーカドーへ外出して、
中に入っている“和幸”で豚カツを食べて“コージコーナー”でケーキとコーヒーを飲みつつ、約1時間ずつマシンガントークをしてきたのだが、
これだけでかなり気分的に違うと思った。Kちゃんに感謝、感謝である。
退院したらO市に行って子守を交代してあげるからね、っていう感じかな。

話は前後するがCPMの残り30分をやっている時に、ちょうど午後の検温がやってきた。
“夏休みをとって明らかに毒舌がpower-upした自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が、
正座の練習をしている私に向かって次のように言った。
私は「四つん這いになって両膝の裏側に枕」で徐々にお尻を後ろに寄せてくる…という方法でやっていたのだが、
ナースは上体を立ててやってみろという。かなり辛いものがあり苦痛表情を呈してやった。
それを見て「その格好が辛いんならそれが限界かなぁ」というのだ!
最初は「こんなに必死でやっているのに」と一瞬だが思った。しかし今になって考えてみると、
私には“一生懸命さを認めてもらいたいという思い”があった…という事に気付いたのだ。うーん、またしても私の負けだ。

しかし、このまま負け続けて終わるのも悔しいので、1回は「へー、やるじゃん」と言わせるように頑張って
“限りなく正座に近い状態”を見せてやろうと思っている。これが限界、という『印籠』を渡されるのはそれからだって遅くないだろう。
ふん、今に見てろ!あ、もしかして私にこう思わせる事も今日の毒舌の目的だったのだろうか?
だとしたら、やはり私は見抜かれているのだろうか。

上記の話を本日の準夜である「卒後2年目の割に貫禄があるように感じるナース」に言ってみたら、先述のナースとのやりとりを
『バトル』という言葉で表現していた。バトルとは「戦い・戦争」という意味なのだが、
そう言われれば“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”との戦いでもあるし、クサイ言い方になるが自分との戦いでもある。
戦いであるなら負ける訳にはいかない。この若いナースがそこまで考えて言っているかどうかは不明だが、
いずれにしても負ける訳にはいかないのだ!

[66]8/23(月) 
今朝も暑くてAM4:30に覚醒してしまったのだが、トイレに行ったりしていたら5:00になった。
あらかじめ予定していたのでAM5:00から自主トレを始めた。深夜明けは“夏休みをとって明らかに毒舌がpower-upした・
自分とほぼ同じ年代と思われるナース”なのだが、昨日のことがあるので朝の検温時に何とか
「上体を起こしている正座の練習をしている姿」を見せておかないとヤバイと感じたのだ。
事前準備として、準夜のナースに「最後に検温に来るように伝えといて」と言っておいたのだ。
そういうふうに言っておくと朝一番にこの病室にやって来ると思ったからだ。
結局、AM6:30前後に検温に来たのだが、私の方はAM5:00から自主トレを数種類施行した後だったので、
6:00にはスタンバイOKという状況にしておいた。

同室者の検温をしている最中から私は「上体を起こして正座の練習」をしていた。
私の番になった時、左踵部(カカト)と臀部の間に握り拳を持っていって“あとどの程度で正座”という目安を
見ていると思っていた…、のは私だけだった。そのようにしているフリをして、
ナースは私の両膝の裏側にある枕をはずしてしまったのだ!
「あらあら、ちょっと何てことすんの!」と言ったのもつかの間、一瞬の出来事だった。
そのようにして測定した角度は125°と最初は言っていたのだが、数時間後に115°だったと言い直しにきた。
かなりの早起きがたたってか朝食後から1時間程度眠ってしまった。

午後からリハビリに降りて、いつも通りのメニューをこなした直後に“自力曲げの角度”を測定してもらった。
先週の月曜日に設定した目標は120°だったのだが、本日の自力曲げは125-130°と出た。
これはリハが後退していないという1つの証になるのだが、同時に『条件によって自力曲げの角度が違う』という証にもなっている。
時間帯を始めとして、自主トレをやっているかどうか…によっても違う事は明らかになってきた。朝一番の正座、道のりは遠い。

何時だったかは忘れたが、午後からKママが坊やと共に久しぶりに顔を見せてくれた。坊やは頭を丸刈り(?)にしていた。
ミネラルWATERを買ってきてくれたついでに、廊下の長椅子でしばらく話をしてから帰っていった。
話の途中で外出できる事を伝えたら、木曜日の昼御飯を駅ビル内のお好み焼き屋へ行って食べることになった。
9月になると坊やの幼稚園が始まるとのことだし、行くなら今月中という話がすぐにまとまったのだ。

昨日のKちゃんとのマシンガントークと同様に、これでまた精神の健康が取り戻せれば良いと思う。
同室者の意見では週に1,2回はそういうふうにしていかないと、ストレスが溜まる一方だということになった。

今日の準夜は“この病棟のスタッフで1番年輩と思われるナース”であった。
自主トレや正座の練習をしていたら、「今のを見てると今月一杯は無理そうな感じですね」と言う。
まあ、ここまで長く入院しているのだから、この際2週間や3週間くらい入院期間が延びても今さら慌てることもない。
それより左膝が曲がらなくなる方が嫌だし、恐ろしい。9月前半は入院かな。 

[67]8/24(火) 
今日も特に変化のない1日だった。昼食直後からCPMを開始して、終了と同時にリハに降りた。
いつもと同じメニューをこなし、すべてが終わった後「昨日も測定した自力曲げの角度」を測定した。
今日は130°になっていたようだ。
しかし何時間か経つとすぐに元に戻ってしまうという『条件によって自力曲げの角度が違う』という事に変化はない。
その証拠に…という訳ではないが、準夜で“夏休みをとって明らかに毒舌がpower-upした・自分とほぼ同じ年代と思われるナース”に
角度を測定してもらったら115°だった。もちろん、この病室にやって来る時間の大方の予想がついていたので、
それを見越しつつ食後の練習も兼ねて自主トレをやった後だったのだが…。
両膝の裏側に枕を挟んでやっていたら「それでは(角度が)測れない」というし、
ナースに抜き取られるのも勘弁してもらいたかったので、おとなしく自分で枕を外して正座に近づけていった所、115°だったという訳である。

話は前後するが午後の検温で体温が37,4℃となっていたので、PM8:00前に再検したらほぼ同じの37,3℃になっていた。
特に変わった症状はないので熱に対する処置は不要だった。もう37,0℃代は平熱になったような感じだ。

午後から雨が降ったり雷が鳴ったりしていたが、夕飯の後くらいから本格的に降り出したようだ。
ナイターを見ていたら画面の上の方に“気象情報”が出て「東京23区や多摩地区、神奈川県東部などに大雨注意報」という
メッセージが流れた。いつもと同じ夜がやって来る前に、一昨日のナースの一言(私の膝の曲がり具合が余りにも悪いから、
というもの)と戦う気持ちをしばらく持ち続けようと、改めてこの“灰色の脳細胞”を酷使して考えた。
そうする事によって前向きの姿勢が保てれば、それはそれで良いとしよう。
―――何て言っているうちに予想通りいつもと同じ夜が来そうな気配が病室全体に漂ってきた。

[68]8/25(水)       
午前中の早い時間に回診があったが、CPM施行中だった。従ってDrによる強制曲げはなかった。
「やってるね」と声をかけていったのみだった。回診はDr.Oだった。回診前のちょっとした時間に病棟婦長という人がやって来て、
多少の皮肉めいた事を言っていた。しかしそのような挑発めいた発言をいちいち相手に出来るエネルギーは持ち合わせていないので、
シカトする事にした。週末にAちゃんが来た時にでも話をして終わり…となるだろう。

病棟婦長は次のように言った。
―――Dr.Yは今は余りやらないけど(ACLの人に対して)昔は「バキッ」と強制曲げをしていて、
    私(病棟婦長)は抑える役だった。〇〇(私のこと)さんはいろいろ注文が多いから、先生も「恨まれると嫌だ」と
    思っているのでは。これは痛くても早く帰りたいという男性に多かった。また、自ら「やって下さい」と言えば、
    ルンバールをかけて曲げてもらう方法もある。その後が痛いらしいけど。
      
昼御飯直後に風呂の順番が回ってきたので言われるままに入ったのだが、これがまたリハビリの寸前に出てくる…
という絶妙のタイミングだったのだ。風呂から出たらバスタオルなどをベランダに干してから下に降りた。
予想通りリハの担当のお姉さんは「今日は良く曲がる」と言っていた。トレーニングメニューに変化はなく、
いつもと同じ事をやってから病室に戻った。

話は前後するがリハの前に午後の検温があった。今日の担当は“卒後2年目の割に貫禄があると思われる
神奈川県民ナース”なのだが、入浴直後だったこともありBED柵につかまって正座の練習をしてみた。
かなり右側に傾いてはいるが、左踵部(カカト)と臀部の距離はナースの握り拳1つ+指2本だった。
そしてリハ直後に1階の長椅子に座っている所をこのナースが通りかかったので、長椅子を使って左足のみを正座のように曲げて見せた。
指2本が除かれて握り拳のみになっていた。リハをやるとこれだけでも違うのだろう。
今後は握り拳との戦いになるのだろうか?
しかし、この後PM4:30頃になって病室にやって来た本日の準夜ナースに同じ事をやってみせたのだが、
結果は散々で「握り拳2つ」になってしまった。条件によって自力曲げの角度に違いが出るというのが現実だ。

今日の準夜は私が“計測の☆★”と呼んでいる卒後2年目のナースである。
毎週水曜日は「スリルとサスペンスに満ちた体重測定日」なので、
リハが終わって放心状態の私がバッテリーを充電していたらその時間になった。
先週の58,50kgからわずかに減少して58,15kgになっていた。それをこのナースに伝えたら「増えていないからいいね」と言い、
かん高い声を更にかん高くして笑っていた。

[69]8/26(木) 
今日はあらかじめ予定していた外出して昼御飯を食べに行く日である。
AM11:00にはKママと僕ちゃんが向かえに来てくれるので、それまでにせめてCPM位は終わればいいな、と思っていた。
今日の担当は“夏休みをとって明らかに毒舌がpower-upした・自分とほぼ同じ年代と思われるナース”であるのだが、
外出を告げる前に絶妙のタイミングでAM9:30過ぎにCPMを持ってきてくれた。
時間になったらKママと僕ちゃんがこの病室に来たので、外出用紙を持って出かけた。
行き先は駅ビルの中にあるという「お好み焼き屋」である。
ここで少し早い昼食を食べ始めたのだが、約1時間位は座っていたと思う。
ママとマシンガントークをしている間、僕ちゃんはかわいそうな感じもした。
従って、同じ駅ビルの中にあるウルトラマンショップに立ち寄って“カブトムシ怪獣(僕ちゃんがそういう)”を買ってあげた。安いものだ。

そして第一勧銀に寄ってサマージャンボを換金して14,500円になったので、
そのうちの4000円でインスタントを買った。それからこの病院の近くの本屋と安売り店にも寄って、
ミネラルWATER等を買ってから病室に戻った。途中でKママが花を買ってくれたのでナースステーションで花瓶を借りてきてくれた。
外に出て食事とタベリングをするだけでも違うというのは、この前の日曜日にKちゃんと豚カツやケーキを食べた時と同じだが、
いずれにしてもKママには頭が上がらない。退院したら僕ちゃんと必死で遊ばなければ…。

本日の担当である“夏休みをとって明らかに毒舌がpower-upした・自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が体温計を置いていったので、
測定したら37,5℃と出た。別に何ともないので、そのままリハに降りていつもと同じメニューをこなしてから病室に戻った。
その後、すぐに2階へ降りて「洗髪」と「足浴」を自分で行っていた。
何もなければそのまま病室に帰るはずだったのだが、ここで登場したのが“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”である。
彼女の得意技である毒舌を披露していったのだ。足浴の為のお湯をバケツに入れていたら登場したのだが、
左膝を曲げて見せたら「何、それだけ?」と言う。正座までは横にした握り拳が3個分足りないらしい。
今日はPM4:30で一端帰宅して、PM11:30頃には再度出勤している「日勤・深夜」という勤務だというので、
明朝の検温時に握り拳を1つ分に減らしたら美味しいものを食べさせろと言う毒舌を、私が言ってやった。
返事はなかったが、薄ら笑いをしていたのを私が見逃すはずがないじゃないか!

そして私がPM1:30に測定した体温で37,5℃と微熱があったのに対して「何?この為(ナースに膝を曲げてみせる為)にあの熱?」という
何とも小憎らしい毒舌をかましてくれた。またしても“膝熱”という言葉を使い、
「明日(の朝)は熱で膝が腫れて曲がらないんだね」等と言っていた。これ以上、その場にいるとこのナースとのバトルで
“去年の千葉ロッテマリーンズのような記録的な連敗”をする事になるので、「よーし、明日の朝は見てろ!握り拳1つと指2本にしてやる」と
言い放って立ち去ろうとしたら、また毒舌が…。
「あれ、さっき(握り拳は)1つって言ったのに。自信がなくなったの?」という。うーん、やはりごまかされなかった。
私は1つと言い直して病室に帰ろうとしたら、「その膝、冷やしといた方がいいよ」と珍しくイキな言葉をかけてきたので、
従うことにした。

準夜で体温を再検したら37,0℃だったが、何ともないので準夜の“卒後1年目のとてもかわいいナース”に報告した。
言われれば少し頭痛があるような気もするが、左膝のそれに比べたら小さい…と言ったら笑っていた。
ただいまの時刻は19:57、またしてもいつもと同じ夜がやってきそうだ。

[70]8/27(金)
日付変更線が今日になる何分か前から、いわゆる寒気がしていたので電気毛布を借りて体温測定したら37,3℃だった。
これはヤバイ…と思ったのだが、電気毛布のスイッチを“最強”にして何時間か経過したら汗をかいたので、
たぶん熱は下がったのだろう。気がついた時は割と気持ちよく覚醒しており、時間はAM5:00となっていた。

今朝は“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が相手になっている「握り拳との戦い」である。
覚醒した時間がちょうどよかったので乾いたタオルで汗を拭き取り背伸びをしてから、戦いに備えての自主トレを開始した。
このナースとは随分前からバトルが繰り広げられているが、今回は「ナースが深夜明けの今日、朝の検温時に正座の格好をして、
左踵部と臀部の距離が握り拳1つ分になっている事」というものであった。昨日の所にも書いてあるのだが、
まるで去年の千葉ロッテマリーンズのように、このナースとの戦いに連敗中の私は秘かに闘志を燃やしていた。
いつまでも負け続けている訳にはいかない。

夜中に恐らく発熱したと思われるが、実際に計っていないのでわからない。
とにかくAM6:00には数種類の自主トレを終えて“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”がいつ検温に来ても
良いように「スタンバイOK」という状態にしておいた。AM6:30過ぎにこの病室にやって来た。
眠いのを我慢してメガネの間から私の様子を伺いつつ同室者の検温をしていたナースが、とうとう私のBED-SIDEにやってきた。
前夜の発熱がある為、体温計を差し出された私は無意識に受け取り、
半ば儀礼化している排泄回数を報告した後は、いよいよ本番だ。

ナースを目の前にして内心「今日は勝ってやるぞ」とほくそ笑んでいた。自らの勝利を確信していたのだ。そして、いざ勝負!
握り拳は1つだというナースの言葉に浮かれたのは、ほんの一瞬の出来事だったのだ。
次の瞬間、ナースの口から信じられないような言葉が出てきたのだ。そんな事は聞いてない…という
正に“予想外の展開”という表現がピッタリの一瞬だった。
「拳はいいけど、膝熱が出てるんじゃダメだね。減点だ」と言うのだ。エーーーーッ!!! と反論したのだが、時すでに遅し。
万事休すという感じかな。発熱が減点対象なんて言ってなかったじゃないか、とは言ってもあとの祭りである。
悔しいが仕方がないので、また午後のリハビリから頑張ろうと思う。

本日の担当は“卒後2年目の割には貫禄があると思われる神奈川県民ナース”である。午前中は忙しかったようで、
CPMを持ってきてくれた時以外は話らしい話をしなかった。午後の検温とリハが重なる事が多いので、
最近は「ただいまリハビリ中です」というメモを置いていくようにしているのだが、
それを見たこのナースは1階のリハビリ室付近までわざわざ降りてきたのだ。
私の為だけでなく同室者の検温もあったようだが。いつもと同じメニューを一通りこなしたのだが、
終了直後の一時的な放心状態から脱却するべく1階の長椅子に腰掛けていたら“卒後2年目の割に貫禄があると思われる
神奈川県民ナース”が検温にやって来た。
体温は36,0℃代だったし、血圧も問題ないとのことだ。早速、自力曲げをしてみせたら
「横にした握り拳にかすかに臀部が触れる程度」という!うーん、もう少しだ。

尚、リハのお姉さんに曲げられている時の「左踵部と臀部の距離」は指4本分だそうだ。
最高に痛くなったら「悲鳴ではなくうなり声」があがるのだが、その状況からほんの少し緩めたら指4本になるという。
差し引きする条件としては、他人の力で加減せずに曲げられている事だとのこと。
週末も自主トレをキッチリやり、このペースを落とさないようにしたい。

[71]8/28(土) 
今朝の検温は“卒後2年目と思われる神奈川県民ナース”だった。不覚にも起こされるまで寝ていたのだ。
前日の朝“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”から「今日だけじゃなく、毎日やらなくては」と言われていたので、
今朝も自主トレをやってから検温に臨む…という体勢を整えておきたかったのだが思うようにはいかなかった。

覚醒と同時に“抜き打ち正座(今朝のナースが自分で抜き打ちと言った)”をやってみたのだが、予想通り上手くいかなかった。
何日か前から感じてはいたが、左膝だけリウマチになってみたいなのだ。結果は散々なもので「握り拳2つ」だそうだ。
しかし…というべきか、一時期は覚醒時で自主トレを何もやっていないと30cmとか言われていたのだが、
それに比べると進歩はしていると思う。
この“卒後2年目と思われる神奈川県民ナース”は、私の臀部を軽く叩き拳が2つもある事に対して「おしおき」の意味をこめたようだ。
そして、朝一番で正座ですからね、と念を押してからこの病室をあとにした。

午前中に「自宅→ディスカウントショップ→コンビニ」という順番で1時間ほどの外出をしてきた。
病室に戻ったら、携帯の留守電にY武からメッセージが入っていた。
別に用事はなかったのだが、昨日の夜に経過報告の電話(留守録)を入れておいたので、
たまたま本日が休みなのでお見舞いに行く…という内容のものだった。
昼食直後にCPMをやっていたら終了間際になってやってきた。挨拶もそこそこにしてマシンガントークが開始された。
各々1時間半ずつは喋ったと思う。
病院外で食事をするのと違った感覚で気分転換が出来た。Y武の病院のことや私の病状のことだけでなく、
いろんな話題を次から次へと展開していった。気がついたらPM4:00を回っていたので、Y武は帰っていった。
交通の便が悪いのに来てくれて有り難いと思う。

今日の準夜は言わずとしれた“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”である。
PM7:30頃この病室の患者の様子伺いにやってきた。私との毒舌バトルは以下の展開を示した。
ナース:調子は?
私  :do…。
ナース:そこでサッと正座をする
私  :(正座の格好をしてみた)
ナース:これ(横にした握り拳)1個だね今日は膝熱も出てないしね。
私  :いつも出してちゃあ(バトルに)負けてばかりだしさ。戦いは勝たなきゃね。
    ●▽さん(卒後2年目と思われる神奈川県民ナース)は私とナースのやりとりをバトルと言ってたよ。
ナース:私はそんなつもりないけど。 
―――と言いつつ私の左膝に触れて“熱感が一時期よりはよくなった”というコメントを発表した。
自ら「今日は疲れている」と言うわりには相変わらずの毒舌だった。2,3の質問をしたのだがとても解りやすく教えてくれた。
何か眠いのでもう寝よう。

[72]8/29(日) 
今日は何もなかった1日だ。朝の検温まで寝ていたので自主トレを全くせずに正座をしてみたが、そんなに上手くいくはずがない。
昨日までと同じ「握り拳2個分」という結果だった。しかし日中にトレーニングをやれば、その“握り拳”が2個から1個へと減るのだけどね。
まあ仕方がないとしよう。明日の朝は、握り拳2個より増えていないといいと思っている。

午前中は曇っていたが昼過ぎには一端晴れた。しかし夕食後間もなくどしゃ降りの雨が降り出した。
ナイターを見ていたら画面の上に気象情報が出て、1時間に85ミリという大雨があったという情報があった。
しかし、どんなに大雨が降っていても私達入院患者には全く影響がないので「別に」という感覚しか湧いてこないないのが、
仕事中の時とは大きく違っている。ま、いいか。

順番は前後するが“私担当の卒後1年目のナース”が本日の深夜明けなのだが、
しばらく夏休みを取るので9/5(日)までいない…という申し出があった。
担当ナースが不在だからといって別に変化はないが、そうやって言ってきてくれたというのが嬉しいと感じている。
たまたまAM7:00頃に用があってナースステーションに行ったら「私、明日から5日まで夏休みなんですよ。
6日から出てくるんですけどね」と声をかけてきたのだ。私はリハビリの事を話題にして「ようし、じゃあ9/6迄に
“指4本”を3,5本か3本にしとくわ」と言ったのだが、このナースはニコッとしながら次のように私にプレッシャーをかけたのだ。
「えー、2本にしませんか?」と言うのだ!うーん、なかなかやるなぁ…という感じである。
具体的目標を与えようと思って言ったとは考えにくいが、この“私担当の卒後1年目のナース”が挑んできた
短期決戦に応じてみる決意を固めた。

[73]8/30(月) 
今朝の検温時に「覚醒とほぼ同時の正座」をやってみたのだが、昨日までと同様に“縦にした握り拳2つ分”だった。
拳の数が増えていないだけヨシとしよう。現状維持ということだ。

本日はタンミングよくCPMが午前中の早い時間に終わった。今日はこの病室の担当ではないのだが
何回か“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”と話をする時間があった。
…というよりナースが合間を見つけてやって来たというべきだろう。以下に記すような指摘&アドバイスがあった。

◎リハで最後の一押しを強めにやってもらってはどうか
◎入院期間をどの位にするつもりか
◎仕事は大丈夫なのか

これに関しては次のような自分の考えを述べた。リハに関しては担当のお姉さんに相談してみるとして、
長期入院はとっくに飽きているが、一生のうちの90日や100日なんて小さいと思える。
それより膝が曲がらない方が恐ろしいし、仕事だって出来ない。仕事に関しては労災だし、この入院で職を失うわけでもない。
勤務先だって休んだり出たり…というよりは、完全に治してからの方がいいと思う。


“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”に上記のように言われたから…という訳ではないが、
“私担当の卒後1年目のナース”との短期決戦のこともあるので、今日はリハのお姉さんに相談してみようとは思っていた。
正に絶妙のタイミングである。

そういう訳で今日からのリハは、曲げてもらう回数を増やしてもらうのと、曲げた状態でkeepしている時間を
長くしてもせらえないか…という事について相談した結果、可能な範囲でということになった。
結構、かなり、随分とキツかった。
しかし一瞬だが“指2本”までいったと担当のお姉さんは言っていた。keepするのに耐えかねて1回だけ「もう止めて」と言ってしまった。
今日は上半身にビッショリと汗をかき、額には冷や汗がにじみ、最後には涙出なくなり、鼻水だけになってしまった。
この事を“昭和41年生まれだと本人が言う・元気も体格も良いナース”に言ってみた。
そしたらニヤッとして「次は星が見えるかもね。鼻水じゃあまだダメ」と言われてしまった!
星が見えたらそれは「気絶」を意味するのではないか。
いやぁ、まいった。しかし戦いは既に第4コーナーを回っており、ラストスパートをかける為にも気絶する位にやらなくてはいけないのだろう。
このナースに対しては「とりあえず今週は“鼻水”にしといて来週から“星”にするわ」と答えてしまった。
とっさの事だったし、あまりキツ過ぎても最後に(リハ自体に)嫌気がしては元も子もないのでね。

[74]8/31(火) 
今日も特に変化のない1日になる予定だった。シャワーに入ったりCPMをやったりしていたら、いつの間にか昼食の配膳の時間になった。
午後の検温を済ませてからリハビリに降りた。もちろん数種類の自主トレを施行してから降りたのだが、
担当のお姉さんによる強制曲げは昨日と同じく「正座まであと2横指」だそうだ。とてもキツかったのだが何とか曲げてもらった。
お姉さんは「今週中には(左踵部と臀部が)つくと思います」と同時に、これだけ曲げられるので
もう曲がらなくなる事はないと思う…とも言っていた。

そしてリハを終えて1階の長椅子で休憩していたら、Dr.Oが通りかかっていきなり「今週の土曜日に退院にしよう。それまでに正座して」
と言うのだ。私はロフトベットであること、部屋の中のことを手伝ってくれる友達にも都合があること、
(退院を)考えていない訳ではないこと…等、いつ言われても良いようにあらかじめ考えておき、尚かつ現状に即した答えを話した。
Drはそれらの事に対して「入院の理由にはならない」と言っていたが、入院前にそこまで話をされていたという訳でもない。
退院準備としての各種のことを手伝ってくれるのか、と言ってやりたかったが無駄なので中止した。
かなり長期化しているので当然といえば当然の成り行きだろう。

それにしてもタイミングが良すぎる。
昨日の日中に“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”に「入院期間をどの位にするつもりなのか」と言われた所だったのだ。
私はてっきりこのナースが、Drが私の退院の話をしているのを小耳に挟んだのか、
あるいはナースの方からDrにこの話をしたのかと思っていた。余りのタイミングの良さなので、こう感じるのは自然のことだろうと思う。
いずれにしても“今日、言われて土曜日いきなり退院”という訳にはいかないので、まずはAちゃんの携帯にTELしてみた。
土曜日には来られるというので、とりあえず退院準備という名目で外出する事にしよう。形だけでもやっておけばいいだろうし、
部屋の中の片付けも少しは出来るだろう。

Drの言葉に惑わされないようにすることだ。
左膝に関しては、退院までに正座が出来なければ外来通院で診ていくという事になるだろうというのは、容易に予測出来ている。
そう言えば同室者が次のように言っていた。「先生が(退院しても)良いって言っても1週間や10日は後にした方が無難よ。
先生だってそれを見越して言ってるんだから」ごもっとも…という感じである。


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