6/14(月) 入院
6/15(火) 左膝レントゲン
6/16(水) 呼吸機能
PM3:00過ぎに傷病手当の用紙を持って看護部長が来た。そして「手術迄に用紙を書いてもらえ」と訳の分からない事を言うが、
手術に臨むにあたり余計なことを考えたくないので、直接病棟婦長に手渡した。
6/17(木)
自宅まで外出して入浴、そして自分で剃毛する。病室に帰る前に上記の傷病手当の用紙を投函する。コピー済み。
6/18(金) 【当日】
予定していた腰椎麻酔から、説明なしに全身麻酔になる。エピドラも入れられていた。説明は何1つ無い。
麻酔から覚めて初めて「全身麻酔だった」と知る。吐き気はするし、のどが痛いし、患部ももちろん痛い。
訳の分からないうちに一晩が過ぎていたようだ。
[1]6/19(土)
BED上安静1日目。ICINGシステムなるものが始まっている。
抗生剤点滴1日2回 (25日まで) 痛い、何をやっても痛い。熱も出ている。
[2]6/20(日)
BED上安静2日目。もう何も言えない…。ほとんど水だけで生き延びている。痛みは変わらず、熱も下がらない。
昨日は痛すぎて気付かなかったが、右大・下腿の内側だけがしびれている。
ずっと安静にしている為、腰や背中が痛むのでそこからのものではないかとナースは言う。
オマケに第4腰椎をメインとした部位から等と言われると妙に納得してしまうが、自分では違うと思った。エピが妥当だと思った。
準夜の時間だったがちょうど当直医が整形のDrだし、それを申し出る数時間前にそのDrの診察を受けていたので
ナースを通じて「エピドラを抜いてもらいたい」と言ったが、その通りにはならなかった。
翌日は安静解除になるので、安静解除と同時にエピドラを抜き症状が消失したら
“右大腿内側のシビレの原因がどちらか分からなくなってしまう”と思ったのだが…。
そこで準夜と深夜の交代時間を狙って鎮痛処置をしてもらい「これであと2時間は誰も来ない」と言う時間を設定しておき、
自分でエピドラをロックして薬液が体内に注入されないようにした。結果は私が考えた通りだった。
尚、この件については翌日の朝検温に来たナースに自己申告した。そのナースは「知能犯ですね」と言いながら苦笑するしかなかったようだ。
まあ、こんなものでしょう。業界の人しか出来ない裏技ですな。
[3]6/21(月)
BED上安静3日目。朝の回診時に安静解除となった。松葉杖を使用してトイレに行き、自分でバルンを抜去した。
またこの日からCPM30度より開始になる。午後から装具屋さんが来て採寸していった。出来上がりは来週で8万円なり。
3日間水分だけで過ごしたのでフラフラするが、これはもう床上排泄をしたくないという一心からの
事なので仕方がない。バルンは入れといて正解だと思った。
[4]6/22(火)
ここの医事課・U氏より下記の如く伝言あり。
→勤務先が「労災にしてくれ」と言っている、とのこと。
上記のコピー(17日のもの)を見せ、勤務先にTELを依頼するがそれでも労災でよいと勤務先から 返事があったとのこと。
労災用紙はU氏宛に郵送してくるとのこと。
[5]6/23(水) 変化なし。相変わらず痛い。
[6]6/24(木)
朝の検温時に採血をした。日中には左膝のレントゲンも撮った。
レントゲンはDr.Oいわく「植骨した骨の固定はOKである。但し骨が柔らかかったので今後は週に1回のペースで撮っていく」とのコメントあり。
CPMが60度まで進んだ。
[7]6/25(金)
CPMが始まってから数日経過した。最初は1日10度ずつupする事を目標にしていたが、
前日の終了時からするとこの日は70度までということになる。
60度をしばらくやってから65度に上げるが、10分程度で止めて60度に戻した。膝を曲げて65度になると創部が裂けそうな感覚があるのだ。
「そんな事はない」と頭でわかっていてもダメだった。自分の中ではしばらく60度で続ける事に決めていた。
この日で抗生剤の点滴終了。26日より内服薬になる。
[8]6/26(土)
CPMを60度で続けようとしたが「5度でもupしておいた方が後で楽です」というナースのアドバイスあり。
結局、60度を20分、65度を40分施行。
又、今後のリハビリメニュー(荷重・筋トレ・CPM・ROM等)について質問した所、とても解りやすい説明だった。
この日、勤務先から郵便が送られてきた。労災(通勤災害)の用紙が入ったいたが、既に病院の公印を押印してあり
後は私が記入してここの医事課に提出すれば良いようになっていた。早速、記入した。
[9]6/27(日)
本日のCPMは65度から始め、最後は70度になった。
今の段階では70度が限界かという印象であるが、ナースに聞いたら同じような事「日数が9日目なら、そんなモンかもね」と言っていた。
午後からAちゃん(看護学校時代の同級生)が来たので、昨日の労災の用紙をコピーしてもらった。
昨日くらいから「暇な時間に何をしようか」という余裕のようなものが出てきたみたいだ。
OP直後に痛いときは、そんな事は考えもしなかった。良い傾向なのだろうか…。
まだまだこれから先が長いので、こんな事で喜んではいられない。
とりあえず、今日の所はこれでよしとしよう。今日が終わらなければ明日はないのだから。
[10]6/28(月)
本日のCPMは70度を20分、75度を40分施行した。1日につき5度でも…というアドバイスは適切だろう。
また今日は先週末に書いておいた「通勤災害の用紙」をここの医事課に提出したら、
5/21以降の分として6030円が現金で戻ってきた。PM3:00前後だったと思うが、
ドンジョイという名称の装具が出来てきた。業者に装着の仕方を教えてもらいつつ実際に装着してみたが、
左足全体の浮腫・腫脹が強く痛みを感じたり、わずかな時間だが痕が残ったりする。
この事を数名のナースに報告したら「神経障害が来ても困るし、浮腫・腫脹が強いうちは
こっち(ニーブレス)で良いと思う。詳しい事は明日にでもDr.Oに聞きましょう」というコメントだった。
某病院の整形外科に勤務していたのは今から5,6年前のことだし、新しい知識はないので従うことにした。
書き忘れる所だったが、朝早くTELしたにも関わらず専業主婦友達の「Kママ」が来てくれて、
労災(通勤災害)の用紙を買ってきてくれた。有り難いことである。
[11]6/29(火)
CPMは75度が限界のようだ。80度でも試したが膝蓋骨の上辺りが痛くなったので、10分位で中止して75度に戻した。
今回入院してから初めて診察を受けた整形外科部長氏・Dr.Yが言うには「無理をする必要はない」とのことである。
Dr.Oと同じ事を言っている。ビスを刺す時に骨が軟らかかったので…というのが理由らしい。
ま、手術までしたのだから焦る事はないだろう。労災にもなったので徹底的に治療してもらうことにしよう。
それとビスが入っているというので、何ヶ月かしたら抜かなくてはいけない、ということはまた手術というふうになるのだろう。
仕方ない。この膝に関しては“今年中に”ケリがつけば良いと思っている。
ジタバタしても始まらない。自分では大変だと思っているが、もっと大変な思いをしている人はたくさんいるのである。
去年、水が溜まった時の事を考えると見通しがつくだけでも良いとしよう。夕方4時頃、Dr.Oが廻ってきたので前日の装具のことを話した。
膝蓋骨を挟むようにしているパットのような物がキツイと感じるので、そこの部分を何とかしてくれたようだ。
又、Kママが午前中に来てくれて、昨日の労災の用紙を投函してくれた。
[12]6/30(水)
午前中の回診で創部の消毒と同時に2/3抜こうした。また「CPMは75度が限界だ」というのに対して
「無理をせずしばらく75度で続けてみて、少しずつupすればよい」というコメントがあった。
やはり骨がもろかったというのが影響しているのだろう。
そういう訳で本日のCPMは75度onlyで施行した。そして何日か前から出てきている口内炎がピークに
達してとても痛いので、ナースに報告したらデキサルチン軟膏が処方された。
後は特に変わった事はなかった。左下肢の浮腫・腫脹も段々とれてきて装具の装着具合も良いようだ。
[13]7/1(木)
当たり前の事であるが今日から7月である。
いつもよりかなり早いAM8:40頃の回診で、昨日の残りの抜こうをした。これで「全抜こう」となった。
CPMは75度で行った。やはり昨日と同じ部位が痛い…というか、ハッてくる感じがする。
ま、仕方がないか。CPMが終わる30分位前に「Kママ」が雑誌やなんかを持ってきてくれた。
そして何日か前から気になっていた装具屋への支払いがあるし、ボーナスも支給されているので通帳記入をしおきたかったのである。
そこで銀行への同行を依頼したら快く(?)引き受けてくれた。
いつもなら…というか元気な時なら“歩いて1分、走って30秒”という距離にあるのに往復で30分もかかった。銀行は遠かった!
それにしてもKママには感謝、感謝である。
午後からは勤務先にTELをしたり、売店に行ってカルシウムせんべいを買ってきたり…と結構活動的だった。
[14]7/2(金)
午前中の回診で創部をチェックした結果「入浴OK」となった。
洗濯を済ませてから昼前にお呼びがかかったので、早速2週間ぶりにシャワーを浴びた。
やはり気持ちが良かったが、よく考えるとこの先の方がまだまだ長い訳だし、そんなに大した事ではないように思う。
今日は午後からCPMを行った(先日までと同じく75度)。
そのCPM施行中に“ほぼ同じ年代と思われる1人のナース”と話をする時間があった。
ここに就職してまだ1年半位だという。何日か前からふざけた事を言ったりして遊んで(?)いたが、
この日は少し真面目に教育に関することを話した。こちらは患者で向こうは仕事中のナースという
立場はあるが、この先いつ終わるかわからない入院中に「機会があったら」同様のことを話してみたいと思った。
入院してまで教育のことが自分の口から出るとは思わなかった。ちょっと予想外であった。
毎週のことながら、面会時間を過ぎてAちゃんが来てくれた。カゼをひいていて声がかすれていながらも、
バイト先(健診の方)で「結核ではないかと疑われている」と怒っていた。
今、流行の病気である為、日曜日にバイト先の医院にレントゲンを持参して診断書を書いてもらうと言い、鼻息を荒くしていた。
又、準夜勤務のナースに「足、上がりますか?」と言われたので、左膝を伸ばしたままで上に上げてみたが
“踵部(カカト)が3cm位”しか上がらなかった。これは正に筋力低下だろう。気合いを入れてリハをやらなければ…。
尚、この日まで内服していた抗生物質が終了となった。明日からは消炎鎮痛剤と胃薬のみとなる。
採血及びレントゲンがあったが結果はまだ知らない。
[15]7/3(土)
朝から雨が降っている。
AM10:00前の回診で創の一部のかさぶたがとれていたので、そこを消毒した。Dr.Oいわく昨日のレントゲンは“合格”だそうだ。
CPMは75度だが慣れたような感じなので明日は後半に80度をやってみよう。
その他は…というと、朝っぱらからムカツク事があったが、夕食前にTとN(看護婦仲間)が来てくれた為か忘れたようだ。
Tは病室に入るなり笑っていた。Nも同じである。2人とも久しぶりである。
Nは何年ぶりだろう。入院のことは恐らくTから聞いたのだろう。来てくれただけでも有り難いと思う。
帰る前に「退院したら焼き肉を食べに行こう」という約束をした。
PM7:00から日テレの「電波少年&雷波少年の合同特別番組・雷電為右衛門」というのがあって見入ってしまった…。
話は前後するが午後から微熱があったので試しに1時間ほど膝のcoolingを止めてみたら、
やはり熱感が出てきたのでcoolingを再開した。ま、この程度は大したことがないと思う。
[16]7/4(日)
今日は朝から天気が良い。
CPMは昨日から考えていた通り「75度10分、80度50分」で施行した。75度を何日かやっていた為か、そんなにキツク感じなかった。
この程度で気を抜いてはいられない。リハの先は長い!
又、ナースの「もう動かす時期だから」というアドバイスがあり、膝のcoolingのうち氷枕の方をはずした。
そう言えば今週の金曜日から荷重が始まる。今日も昨日と同じく37,0'c代の微熱が続いている。
準夜勤務のナースが先週の金曜日(7/2)に施行した採血の結果を見てくれたが、
CRP(炎症反応)は±らしいし血算(白血球等)も異常なしとのことだった。
まさか最近流行の(?)結核ではないだろうが、今しばらく様子を見てみようと思う。
Aちゃんの携帯に連絡したらズ―――――――――ッと風邪をひいているらしい。
健診バイト先で疑われていた結核は否定されたが、気管支炎という診断がついて薬を処方されたとのこと。
そう言えば金曜日(7/2)に来てくれた時に咳をしていたし、現在は治まっているが汚い痰がたくさん出ていたというので、
もしかしたらAちゃんの風邪を少しもらったのかもしれない…。
私の場合は何と言っても左膝をOPしているので、可能性としてはそこからと考えるのが妥当であろうが、時期が遅いとも思える。
いずれにしてもここ数日様子を見てみよう。そんなに心配する事はないだろうと思う。
[17]7/5(月)
今日は特に変化がなく、CPMも80度で施行した。
同室者がいなかったが隣の部屋から腰痛の人が引っ越してきた。25才でヘルニアらしいとのこと。
年寄りでなくてよかった…。ホッ。
午後からKママが来てくれた。先週、持ってきてもらった醤油やふりかけがちょうどなくなりつつあったのだが、
絶妙のタイミングで補充しにきてくれたとのこと。買い物はないかというので、ミネラルウオーター等を頼んだ。数日のうちに届けてくれるらしい。
そう言えばかさぶたの1部がとれていたのを消毒してもらっていたが、明日で終わりになるだろうと思う。
回診時に診てOKならシャワーに入れるだろう。
入院して3週間程経過したが、この病棟は若いナースが多いようだ。
勝手なもので自分がとても具合が悪い時はそんな余裕はなかったのに、
ちょっと元気になると色々な事が「患者としてでなく同業者として」見えてくるものなのだと感じている。
まあ、これも新しい出会いといえばそんな気もする。同業者として見るのはいいが、彼女達は仕事中のナースであるし、
自分は“職業欄に看護婦と書いている1患者”であることに変化はない。
自分は同業者として見ていても、彼女達からすると私は患者なのである。
これからも折に触れて何かを感じたりする事もあろうが、その都度書きとめておきたいと思う。
1つの思い出にもなるだろうし、そこからまた新たな情報なんかがGET出来るかもしれないのである。
それが新たな交友関係につながれば「儲けもの」であるが、そうなるかどうかはともかく何だか楽しみになってきた。
そうでもしなければ「やってられない」って感じかな。
[18]7/6(火)
午前中の部長回診で再び入浴許可が出た。
但し「術後4〜8週目で再断裂を起こす可能性が1番高いので転ばないように・足をつかないように“特に”気を付けて下さい」という警告があった。
昼前に(風呂に)呼ばれたのでいつにも増して細心の注意をはらいつつシャワーに入った。
時間はかかったが1人で可能なことだ。しかしあなどってはいけない、Be
carefull !…という所だろう。
シャワーから出てくるとほぼ同時に昼御飯が来た。
まだ垢が3層くらいは残っている感じがするが、とても爽快な気分である。
今日になって初めて音楽を聞こうという気になったので、午後の検温までYumingのCDを聞いてウトウトしていようと思う。
そう言えばCPMは80度で続けようと思ったが、進めそうな感じがしたので「80度15分、85度45分」で行った。
これは午後の検温に来たナースにも報告した。そして“創の1部が固くなっているので時間を決めて冷やしたらどうか”という
アドバイスがあったので従うことにした。そう言われればそうかな…という感じである。
この人とはつい先日も教育に関する事を少し話した所だった。
今日は忙しそうだったので詳しい話は出来なかったが、“既存の組織で新しい事をやるのは大変”というのはほぼ一致した意見のようだ。
向こうは勤務時間中のナースであるので、今度また時間がある日にでもこういう種類の話が出来れば良いと思う。
今後の展開が楽しみであることに違いはない。
昨日、隣の部屋から引っ越してきた25才の腰痛のお姉さんは、午後から神経ブロック施行後に退院となるようだ。
苦痛がとれれば良いと思う。このお姉さんに対して、昨日の準夜のナースがTVカードを買いにいってあげていた。
本来はこういう事はしないのだがお姉さんは感謝していたので、今日になってそのナースに伝えたら嬉しそうにしていた。
この子(自分よりかなり若いのでこういう言い方になった)だけでなく、
「ナースが気持ちよく仕事が出来るように」1患者として協力はしていきたいと考えている。
[19]7/7(水)
今日は朝から天気が良い。久々にBLUE-SKYという感じである。
しかし昨日の準夜のナースから依頼された(?)七夕の飾りと称するものを夜遅くまでかかって作成していたので、
今朝の検温は何と返事をしたか記憶していない。
まあ患者は暇なので昼寝すればいいか…という感じである。
午前中にシャワーの順番がまわってきたので、昨日と同じく細心の注意を払いつつ、“それなりに急いで”入った。
気持ちが良いことに変わりはない。シャワーから出て昼御飯までに少し時間があったので、
ずっと気になっていたS先生(看護学校時代の担任)にTELをした。
先生に「昨日初めて音楽を聞こうと思った」というと、自分とほぼ同じ考えなのか
“そういう内面から出てくるものは人間本来の回復の兆しだろう”と言っていた。正にその通りだと思う。
自分の意志とは無関係の色々な出来事をすべて現実として直視しなければいけないと考えて『入院・手術』を決めたわけであるが、
昨日の「音楽」のような内面から自然に湧いてきたものも回復に関わる重要な材料であると思う。
又、S先生にも話したが、入院そのものは去年のような悲壮な感じはないので
“後は転倒に注意して上昇気流に乗るだけ”だと思う。細心かつ大胆に、ってとこかな。
午後からCPMを85度で施行した。やはり膝蓋骨の上辺りが張って痛いが、何日かこの角度で試してから90,95とupしていけば良いだろう。
CPMのあと体重と握力の測定を行ったが、装具を装着していたとはいえ体重が60kgにのっていた。ちょっとショックだった。ま、仕方ない。
これも数字が表す現実なのだからね。
そして昨日のナースのアドバイス通り“運動やCPMの後に”coolingをやる。
PM4:00頃、2人の若いナースがBED-SIDEにやってきた。目的はクリティカルパスという治療や看護の計画を一覧表にした物を持参し、
私に説明することのようだった。1人は私担当で「恐らく今年の国家試験に合格したのではないかと思われる」初々しいナースで、
もう1人は3,4年目位で「端から見ていても元気がよく、何をしてもオモシロイと感じているのではないかと思われる年代」のナースであった。
後者の子が新人を連れてきた…という印象である。
この一覧表に書かれてある事をそのまま説明していったが、これとほぼ同じ内容の事を何日か前にこの子(3,4年目の方)に自分から
「こういう事を教えてくれ」と言い、聞いてはいた。本来は入院時に行うべきものであろう。
これは患者が業界人かどうかは関係ないだろう。
一般の人がこのような説明を受ければ“不安が解消するか・増強するか”のどちらかだろうと思う。
しかし同じ疾患を何件も扱っている側からすると、個人差さえ考慮すればこんなにEASYな事はないだろうと思う。
[20]7/8(木)
今日も朝から天気が良い。午前中は「窓全開」にしておいたら心地よい風が入ってきた。
回診では問題がないとのことだったが、実際にレントゲンを見てみないと“明日からの1/3荷重”にOKは出せないと言う。
午前中にレントゲン撮影した結果、(荷重には)合格とのことだった!
これで少し進歩したことになるが焦ってはいけない。火曜日にDr.Yに言われたように「細心の注意を払いつつ」進んでいけば良いと思う。
CPMは85度onlyで施行した。施行中に膝蓋骨の下縁辺りが痛むので90度に上げることはしなかった。ま、いいだろう。
勤務先から労災の用紙に公印を押した物が届いたが、2,3問い合わせがあったのでTELした。
担当者が不在だったので伝言を依頼したが、午後からKママが絶妙のタイミングで来てくれたので投函等をお願いした。
投函は勤務先宛で前述の問い合わせの内容と装具の用紙である。夕飯が終わってからTELしようと思っていたのだが…。
うーん、今日は正に絶妙のタイミングというべきである。感謝、感謝。
そして郵便局での支払いをしてきてくれたKママが再度来た後、ほぼダブるような形で看護婦仲間のYTも来てくれた。
YTとKママは初対面だとばかり思っいてたが、2回目だという。私より当人達の方がよく覚えていた。ま、いいか。
YTは今月(7月)に入ってからOP室勤務だそうで、毎日日勤だと聞いていた。
夜勤をやっている者がeveryday日勤だと疲れるのはよく解っているので連絡しなかった。以前に依頼していた本を買ってきてくれたようだ。
夕飯前ではあったが、駅前で買ってきたというたこ焼きを一緒に食べながら少し話をした。
疲れているのは表情等を見ていると解った。
何を話したかはともかく、友達とは本当に有り難いものである。
月曜から金曜まで出張に行っているAちゃん、専業主婦のKママ、平成の始め大学病院で一緒に働いていたYT…、
この3人は私の自慢の友達である。決して自分に都合が良いことをしてくれるからではない。
この人達だけでなく、今回入院するにあたりお世話になった人は何人かいる。
そういう人達に直接何かを返せればいいのだが、そういう訳にもいかない。
従って、退院して元気になった時に患者という職務の対象でない“自分の目の前にいる具合の悪い人や人の手を必要としている人”に対して、
自分の出来る範囲で何かをしてあげられれば良いと思う。そうすれば回りまわって、きっとその人達に行きつくだろうと思っている。
何かとてもクサイ話になってきたが、本当にそう思うのである。
今日の準夜は忙しいのか消灯をしに来なかったので、どうせ3階は1人だし廊下と部屋を消灯しておいた。OP患者と入院があったようだ。
お疲れさま…っていう感じかな。
[21]7/9(金)
今日は朝から曇っていてこの私でもエアコンが不要だった。1日中「窓全開」だった。午前中に回診があり「荷重1/3」を確認した。
リハが午後からだというのでCPMを昼前に施行した。昨日と同じ85度だった。明日は90度にup出来るかも…。
なかなかリハに呼ばれないのでナースに聞いたが、伝票がなんとか言って訳がわからない。
リーダーと思われるナースが遅くなった事情説明にきた。結局、PM3:00を過ぎてから呼ばれた。
もう誰もいなくてほぼ全員の理学療法士に見られている感じがしており、とても嫌な感じだった。
忘れていたのならそう言えばいいのに!
2日前に体重測定したら60kgの大台にのっていたので、1/3となると20kgという解りやすい数字だった。
痛みはなく、いわゆる“膝が笑っている”という状態であるが、これで少しは普通に近付いたのだろう。
今朝は生理痛があったが鎮痛剤の使用により軽快していった。
しかし1日中、朝から晩まで眠かった。ズ――――ッと寝ていたような感覚である。
まあ、こんな事もあっていいか!とにかく眠くて仕方がない1日だった。
[22]7/10(土)
昨日から1/3とはいえ荷重が始まったので、朝食が終わってからしばらくして
本館1階のグレーの公衆電話の所までパソコンとモデム等一式を持っていき、Eメールをチェックしてきた。
ハッキリ言って疲れた。しかし、この程度で疲れたとは言えない為、ナースには黙っておこうと思う。
午前中にCPMを行うが、機械を持ってきてくれた時に「そろそろ(角度を)上げたら?」とナースは言った。
今日からupしようと思っていた矢先の事である。見事に見抜かれているという感じがする。
85度10分、90度50分で施行したが、やはり膝蓋骨の下縁と1番上の傷の近くのコリコリしている部分がとても痛かった。
今度は90度で何日か続けてみようと思う。
このナースはPM4:00からの申し送り寸前の時間に話をしにきてくれた。
たぶん暇を持て余している私を見抜いていたのだろう。午後の検温の時に「今日は楽しい話題がないから」と言ってしまったからねぇ…。
こういうちょっとした気遣いは案外うれしいものである。そう、“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”である。
今日は日勤を終えて一端帰宅した後、再度PM11:00過ぎには出勤している「日勤・深夜」という勤務だそうだ。
御老体にムチ打って毎度お疲れ様、っていう感じですな。
夕方…、PM5:00過ぎだったと思うがS先生が来てくれた。何日か前にTELをして話をした時「カルシウムが足りない」等と言ったら、
“カルシウムgoods”をたくさん持ってきてくれた。御礼に…という訳ではないが、最近ノートパソコンを買ったというので少しだが教えてあげた。
とは言ってもソフトの扱い方を見せるだけだけど。1時間弱遊んで(?)いたら夕食の配膳になったのでS先生は帰った。
準夜で検温に来たナースと話をしていたら、何故かナンバーズの話題になった。
興味を示したようだったのでマークシートの用紙と宝くじの説明書(小冊子)をあげた。
「今度、買ってみます」と言っていた。そして「何でもあるんですね。お家みたい」と言いつつ笑っていた。
是非とも当ててもらい、楽しい話題を提供してもらいたいものだ。
[23]7/11(日)
今日は朝から雨が降り続いている。実際は深夜のうちから降っているのだろうが、私が気付いたのが起床時だったという訳である。
天気予報によると関東地方には低気圧が近付いているらしく、この雨は数日間続くそうだ。
今日もまた…というべきか、CPMをやっている時と食事が来た時以外はとても眠い。
まあ別に何をしているという訳ではないのでいっこうに構わないとは思う。
そのCPMは90度で行ったが、痛む部位は昨日までと同じで膝蓋骨の下縁と1番上の傷の周囲のコリコリした部分である。
午後の検温は実にあっさりしたもので「体温・脈拍・食事量・CPMの角度」を事務的に聞いていったのみである。
その他の会話はなし。体温計が上がるのを待っている時間は無言だったし、その時間を入れても3分以下だった。それにしても暇である。
ここ1週間はほとんど個室状態であるがそれだけではない。
うちにいる時だって個室であるし、他人と接する機会が全くないかというと、
そうでもない。同じ暇でもどこが違うか…。
答えは案外簡単である。“日常生活のすべてが規制されているかどうか”という点と、
“身体の一部にでも不都合があり医療の管理下にいなければならないかどうか”という2点である。
うちにいる時は日常生活に規制なんてある訳がないし、
ちょっと位体調が悪くても「受診が必要かどうか」は自分で判断出来るのだが…。
まあ今は仕方がない。退屈を経験するのも1つの学習だ。このノートパソコンを持参しておいて正解だったと改めて感じている。
きっと手術後よりは苦痛な事が少なくなったからだろう。全く勝手なものである。
自分の意志とは無関係に起こるすべての出来事を現実として認識する事から始まり、
それらがもたらす結果においてもすべて「自己責任」であると考えて今回の入院・手術を決めた。
答えがどう出るかはまだ不明であるが、仮に自分にとっていい結果でなくてもそれはそれで別にかまわないと思っている。
だって自分で決めた事だからね。
準夜のナースが申し送り廃止について聞いてきたので話をしようと思ったが、忙しそうだったので自分の体験談を
ノートの切れっ端に書いて渡してあげた。
そしたら消灯後しばらくしてこの部屋にやってきて、少し質問をされたので自分なりの考えを述べておいた。
他人の意見を聞くだけなら誰にでも可能だが、この人はどうなんだろうか?
まあ一緒に働いている訳ではないので別にいいけれど少しは気になる。
又、この日卒後1年目のナースに今年の国家試験問題をもらった。
[24]7/12(月)
今日は朝から曇り空が続いている。起きた時は小雨が降っていたようだが、しばらくしてやんだらしい。
ニュースで天気予報を見たら、今週は雨の日が多くなると言っていた。梅雨明けはまだのようだ。
今日の回診はAM9:00過ぎに来てDr.Sが左膝を触り「この前より熱感がとれてきた」と言っていた。
その後、午前中にCPMを90度で施行した。やはり曲げると痛いがBed-upしている角度によっても違うという事に改めて気付いた。
当たり前と言えば当たり前なのだが…。
CPMが終わってからたまりまくっていた(?)洗濯をした。
「笑っていいとも」を見ていたら乾燥も終わっていた。乾燥機内のを取りに行く時、
ちょうど1階で出入りが同時になったナースに“2〜3m先を見るように”とすれ違う瞬間に言われた。
きっと歩くことに必死になっていたので下を向いていたのだろう。これも又絶妙のタイミングと言えよう。
午後から売店に行ったり自販機でジュースを買ったりして部屋に戻ったら、ちょうどタイミングよくKママと坊やが来てくれた。
買い物や何かの依頼ごとがあったので、毎度悪いなぁ…と思いつつお願いした。幼稚園が午前保育になったということだ。
労災の用紙のコピーや買い物を頼んだのだが、その中に毎週日曜日に放映されている
「電波少年」や「雷波少年」に出ている中国人・謝 昭仁の“チューヤン日本旅日記”という本も入っていた。
オモシロかったので数時間で読んでしまった。
今日もとても暇な1日だったが復帰したらそんな事は言ってられなくなるので、今のうちに楽しむことにしよう。
時間はあっても身体の一部が不自由では、そのうち精神面も不健康になってしまう事は目に見えているから、
そうならないように気を付けながら、ここのナース達と遊んで(?)みようと思う。
[25]7/13(火)
天気予報では明日まで雨が降り続くと言っていたが、昼過ぎには一端やんでいるようだ。とはいっても夕方にはまた降り出すんだと思うけど。
午前中に部長回診があり、ちょうどCPMをやっている最中だった。
どうですか…と聞かれたので「今は90度でやっているが曲げるとここ(左膝の少し上側のコリコリした部分)が張って痛い」と言った。
Dr.Yは「うーん、まだ90度かぁ。そこは筋膜をよせて縫ってビスを入れてあるので仕方がない。何とか頑張ってくれ」と言われた。
無理するなと言うから自分のペースでやっており“自分としては頑張って90度”なので、何と答えたら良いのだろうか?
とりあえず最後の5分程度を95度にupしてみたが痛さが増すだけなので、明日にでも再度90から95へとupするべくやってみようと思う。
ま、このDrは週に1回しか来ないし別にいいか!
PM4:30頃、2人の若いナースがこの部屋に遊びに(?)きた。
1人は日勤らしいがもう仕事が終わったのだろうか。もう1人は準夜のナースだった。
準夜の為に出勤する時に“(雨が)ザザ降りだった”と言っていた。
今日は天気予報が珍しく当たってしまい、終日雨のようだ。入院患者には天気など関係ないが、
こういう事でも気にかけていないと暇を持て余してしまうのだ。明日は久しぶりに同室者が出来るらしい。
話によると10代の若いお姉さんで両膝が悪いらしいが…。
Aちゃんから「仕事(健診のバイト)が早く終わったので今日は(面会に)行ける」というプチメールが携帯に入った。
面会時間ギリギリに来てくれたが、帰ったのがPM8:00を過ぎていた為か帰る寸前にナースに注意されてしまった。
規則を破ったのはこっちだし、まあ仕方がないとするか。Aちゃんだって週に1回来られるかどうかって所なんだからねぇ。
何も言わなくても郵便物を見たりしておいてくれたそうだ。
帰りに郵便物の投函を頼んだ。これは先日から勤務先と郵送でやりとりしていた労災の書類一式がすべて揃い、
その上コピーもすんだ為「労働基準監督署宛」に送るものである。先日からTELで確認しておいたのだが“郵送でもOK”ということだった。
7月からは給料としての支払いがなくなるので、休業補償の請求をしておかないといけないからである。
役所に関することは面倒だけど、1回やっておけば何かの時に役立つと思っている。
[26]7/14(水)
今朝、起きた時点では雨は降っていないが、天気予報は「降水確率70%」と言っている。
AM8:20にはシーツ交換が終わり、その約1時間後にはCPMが始まっていた。
今日は“昨日Dr.Yに言われたから”という訳ではなく、90度20分・95度40分で施行した。95度にupしてから間もなくDr.Oの回診があった。
「頑張って95度なんだけど」と言ったら、左膝を診ながら「正座が出来なければ退院は出来ないよ」とニヤッとしながらも念をおされた。
はい、わかっております…っていう感じ。朝1での角度upは少々キツイ気もするが、そんな事は言ってられない。
自分のペースを守りつつ、今度は何日か95度でやってみた後で100度にしていけばいいと思っている。
時間は有り余るほどあるのだし、せっかくOPまでやったのだから焦りは禁物である。
ちょうど回診の時に合わせて…と言うべきか、この部屋に入院患者があった。
18才の高校生らしい。明日の午後にOPをするとのこと。
アナムネ聴取には“昨日の準夜の卒後2年目と思われるナース”が
准看の学生(准看の免許を取得する為に学校に行っている生徒・要するに無資格者)を連れてきていたが、
“教えてもないし、勉強もしてきてない”のが聞いていてすぐに解った。
途中でこの生徒の担任と思われる先生らしき人が加わったが、挨拶も何もなく無言&無表情で突っ立っていた。
私は准看の生徒の実習に関わったことがないのでよく解らないが、まあ准看ならこの程度で良いのかなあ…という印象である。
高望みしても不可能なものは不可能なのだから。
しかし今は他人の事を気にするより、自分のこの左膝のことを気にしていなければいけないのだ。
良い意味で考えれば「他人の事を気にする余裕が出来た」というふうになり、悪い意味にとれば「余計なお節介」という事になるのだろう。
ナース達からすれば、このように受け取られるのは目に見えているので黙っていよう。
午後からは“水曜日恒例”の体重&握力測定があった。
先週の水曜日に体重が米俵(60kg)をわずか100gとはいえ越えてしまったので、その日の夕食からご飯の量を1/2にしてもらっていた。
その成果が出ているかどうか…という「スリルとサスペンスに満ちた体重測定」だったが、結果は約2kg減の58kg程度に戻っていた。
しかしここで油断しては元も子もなくなるので、ご飯の量は1/2のままで続けようと思っている。
カロリー消費する運動をほとんどしていないので、仕方がないと言えば仕方がないのだけど“60kgはちょっとねぇ”という感じなのである。
体重に関してはここからが本番なのだ(笑)。
[27]7/15(木)
朝からどんよりした曇り空であったり、時々晴れ間がのぞいたりしている変な天気である。スカッとした晴れではない。
AM9:00を少し過ぎた頃、Dr.Oの回診があった。
左膝を診察し「もう痛いのを我慢して曲げても大丈夫だと思う。
(OP後の血性のものの)溜まりもあるにはあるけどお皿(膝蓋骨)が段々ハッキリわかりだしたから、
減ってきているのだろう」というコメントがあった。ふーん…という感じであるが、午前中に左膝のレントゲンを撮るよう指示があった。
昨日入院した高校生のお姉さんが午後2時にOPと言っていたのが、30分早まってPM1:30からとなった。
この部屋の担当ナースは新人で少し慌てていた。しかし先輩ナースにhelpしてもらってどうにか仕事をこなしていた。
そういう訳で私のCPMは午後から施行した。
前述のようなDrのコメントもあったし、この新人のナースにも促された為“前半95度、後半100度で30分ずつ”やってみた。
痛いことは痛かったが、きっと(角度upしたと)意識が働いているからだろう。
それにしても「膝蓋骨の少し上のコリコリした部分がマジで裂けそうな感覚」があったが、今は何ともないのだから一時的なものだろうと思う。
現時点ではこのCPM以外は痛いと感じることをやっていないので、何とか極限まで我慢してみようと思う。
そうしないと退院目標である“朝1番の正座”は遠い未来の話になってしまうから。
CPMが終わってから髪の毛を洗った。
明日は運転免許の更新手続きの為、外出しなければいけないのでボサボサ頭で写真を撮るわけにはいかない。
それに今日のうちに出かける準備をしておき、明朝雨が降っていなかったらAM8:00前に出ようと思っている。
商店街に人通りが多くなってからでは危険なので、その前に一端自宅と銀行に寄ってからタクシーをひろわなければ。
ちょっとそこまで出かけるのに、こんなに気を使うなんて…。イカン、イカン。
今日の午後OPをした高校生のお姉さんは腰椎麻酔の影響と思われる“尿閉”が出現しているようだ。
最初は導尿だったみたいだが、2回目はバルンを入れてクランプしておくようだ。
自分が働いていても同じ処置をしたと思うが、患者としてチラリと横目で見た場合は必ず自分に置き換えて考えてしまう。
私の今回のOPは最初に外来で説明されていたのと違って、予告も説明もなくいきなり全身麻酔をかけられていたが、
腰椎麻酔でも全麻でも“バルンは入れといて正解だ”と密かに思っている。
バルンを留置される事自体は嫌だが、それよりも「導尿されているという感覚がわかる方がもっと嫌」なのである。
去年の11月11日に滑膜切除術を受けた時、意識も感覚もあるのに導尿せざるを得ない状況に陥ってしまった苦い経験がある。
こんなのはもう2度と御免である。
私は抜釘という手術を半年後に受けなければいけないのだが、
その時も必ずルンバールがかかって感覚がなくなってからバルンを入れてもらうように
希望しようと、カーテンの向こう側でバルンを入れられているお姉さんを気の毒に思いつつ、決定した。
お姉さんのバルンを入れたナースが23:00の巡視代わりに(?)カーテンの中でこの文章を作成しているとは知らず、
「お騒がせしました」と声をかけていった。
そのナースに対して「お疲れさん!」と小声で返答した自分が面白く感じた。へへへ。
明日は全勢力を使ってに出かけなければいけないので、この辺で終わりにしてもう眠ろうと思う。
[28]7/16(金)
日付変更線が変わって間もなく、目が覚めてしまった。
朝の検温の時にナースに言っておこうと考えている内容をノートに書いていたら、いつの間にかAM1:00の巡視の時間になったようだ。
深夜勤務のナースが起きている私に声をかけた為「朝の検温の時に寝ぼけてるといけないし、
外出にに行くのに気を取られて忘れてもいけないからメモを書いている」と答えた。
その内容は今日から始まる“筋トレに際して”のものであった。ほぼ書き上がっていたのでそのナースに見せた。
@事前に“どんな事をやるか”具体的にちゃんと説明すること
(全体の流れ・step-upする時・新しい事をやる時等)
⇒OP3病日(たぶん6/21)、松葉杖練習と称して下(リハ室)に行った時、その日から離床しCPMが始まったにも関わらず、
いきなり何の説明もなく腹臥位(うつ伏せ)にされ左膝を曲げられそうになった。何でも「やれば良い」というものではない。
同じ事が…とは考えにくいが、私は恐い。
A担当者制になっているのであれば、女性の理学療法士を希望する。
⇒先週1/3荷重がstartになった時、手違い(?)でとても遅く呼ばれた。
その時は既に外来・入院とも終了していたのか、リハ室内には数名の♂理学療法士がいたが、
平行棒内で練習している時、全員が腕を組んでジ――――ッと見ておりとても不愉快な気分だった。
又、1人の人に“ほら、先生はこうやって指示しているから”と言い、
Dr.Oが書いたと思われるリハの指示票を持ってきて見せられた(それも歩行練習中に)。
◎どんな事でも自分で納得・了解してからにしたい。そうでないと自分のことなのに「自己責任」がとれなくなる。
又、自分のペースを乱されるのは嫌である。
―――以上のような主旨の事を書いていた。巡視のナースは「これ貸して」と言い、ノートの切れっ端を持っていった。
私が申し送りに使うのか…と聞いたら「使わないけど私(ナース)が忘れると困るから」と言っていた。
しかしそれは守られていなかった。外出に行っている間に病棟婦長と、恐らくその日のリーダーナースが目を通していたようだ。
まあ別に知られて悪いような内容ではないので、こちらが余計なことを喋らなくていいだけマシかな。
昨日のレントゲンの結果を私もナースも聞いていないようだったので、本日から始まる予定だった筋トレは施行されなかった。
従って、病棟婦長は「私は(メモを)読みました。下(リハ)には伝えてあります」と言っていたのが、
本当に伝わっているかどうかは今日の段階ではわからない。
また伝わっていてもその通りになるかどうかは不明である。月曜日が楽しみである。
さあ次は外出時の話を書いておこう。
AM7:40頃にここを出て一端自宅に帰って1冊の本を取ってきた。
間もなくAM8:00になりそうだったので、10分もいることなく銀行に向かった。
銀行では T:勤務先への振り込み U:現金の引き出し V:通帳記入以上3つの用事があったがUのみ行った。
段差があったり、人がたくさんいたり、ドアが片手で開けられなかったり…と各種障害物と戦いながら、
何とか1台のタクシーをGETした。まるで“お金を持っているヒッチハイク”のようだ。
数分で運転免許試験場に到着した。さすがに松葉杖2本と装具は目立つようだ。
書類を書いて写真を撮影し、長蛇の列をなしている視力検査の所に並んで順番を待つことにした。
こりゃあ軽く1時間はかかるなぁ…なんて思っていたら、係員に声をかけられ別室に連れて行かれた。
2,3の質問をされたがその部屋で視力検査を受けた。並ばなくて良いなんて「超Lucky!」っていう感じ。
しかし、それだけでは終わらない所がさすがお役所仕事である。視力が終わればまた次があるのだ。
2階、3階へ上がるには階段という“大学入試並の難関”を突破せねばならない。
1階から2階へ、2階から3階へと上がる時、次のような事を思い出した。
昭和60年に上京してすぐ某大学病院の精神科病棟に勤務していた時のことである。
(当時はまだ准看だった)
精神科では「頑張って!」と「大丈夫?」は禁句とされていた。理由は患者さんが混乱して「何に対してどこまで頑張るのか」
そして「何がどういうふうになる事が大丈夫なのか」という事が分からなくなるからと教わった。
私が思うに、この「頑張って」と「大丈夫」は枕詞的・挨拶的な要素を含んでいるのではないだろうか。
そう短歌や俳句の母を表す“たらちねの”とか“もうかりまっか・ボチボチでんな”等と言うたぐいの物である。
試験場内で大丈夫かと声をかけてくれる人は何人も居たが、実際に手を出そうとする人はゼロだった。
その度に私は「はあ」とか「えぇ」とか言う日本人が好む曖昧な受け答えをしていた。
その中で1つオモシロかったのは試験場の職員に対して「大丈夫じゃなくても行かなくてはいけないんでしょう!?」と言ってみたら、
その人は1歩引いていた。本当に1歩引いていた。
そして何事もなかったように事務的態度に舞い戻っていた。さすが公務員ですわね。
松葉杖ついて左足に装具をつけて…、大丈夫なわけないじゃないか!ねぇ。
声をかけてきた何人かの中で1人、ダンディーとは言い難いが年齢的には初老期に入っていると思われるgentlemanが
「何かお手伝い出来ることはありますか」と言ってくれた人がいた。
これだ、と思った。大学病院ののプシコ(精神科)でもそう教わった。
ちょうど階段を上がる所だったし、バランスを崩しそうになっていたのでカバンを持って頂くことにした。
その人は3階から1階に降りる時も待っていてくれた。
何とか1階まで降りて体勢を整えた後、DJ-HONDAのCAPをとって「有り難うございました」と御礼を言ったら
ニコッとして「それじゃあ失礼します」と言い、クルッと身をひるがえして足早に去っていった。
このgentlemanの後ろ姿は“事件を解決した後の遠山の金さんの後ろ姿に匹敵する位”格好がよかった。
長島監督的言い方をすれば「うーん、niceなgentlemanですね」ってことになるのかな。世の中には親切な人もいるものだと感じた。
帰りは帰りで再びタクシーをGETしなければならない。
横断歩道をヨタヨタしながら渡って“2回目のお金を持っているヒッチハイク”を開始した所、10分程度でタクシーが停まった。
病院に帰るまでに1つの用事を済ませたのだが、その間待ってもらった。
御礼として1300円位だったが2000円渡してチップとした。この程度は良いだろう。
無事に病室に帰り着いたのは良いが、さすがの私もドッと疲れたようだ。
しかし帰院時間はAM11:00と予想より早かった。これは視力検査で大幅な時間短縮がなされたからだろう。
少しウトウトしていたら昼御飯が来たので全量摂取した。朝から何も食べていないので空腹だったのだ。
午後の検温を終えてからまた少しウトウトした。
風呂の順番も回ってきたのでシャワーに入った。この前、Aちゃんに垢落としのタオルを買ってきてもらってあるのでそれを使用したが、
垢は取り切れてないようだ。まだ2層くらいは残っている感じがする。明日の土曜日はシャワーに入れるのだろうか?
明日になったらナースに聞いてみよう。残りの垢を落とさなくては。
そんなこんなで本日のCPMはPM3:30を過ぎてから行った。
シャワーから出た後だし、ナースに「今なら100度いけるかも」とジョークを飛ばす余裕があったのだが、
それとは裏腹にとても・とてもとても…痛かった。角度は95度と昨日の終了時より低かったのに。
ナースに報告したら「歩いたからじゃない?」と軽くかわされた。ま、いいや。明日も95度でやってみよう。
夕飯を食べゴロゴロした後、このノートパソコンに向かってキーボードを叩いていたら、
確かPM8:00少し前だったと思うが1人のナースが「たった今、日勤が終わった」と言って油を売りに来た(笑)。
そして帰る前にこの油のことを“オリーブオイル”と言っていた。私はとりあえず笑うしかなかった。
別に大した用事はなかったようであるが、この「日記代わりの経過概要」の7/8(木)の最後の1/3位のクサイ話という部分を読んで
“これは私(自分とほぼ同じ年代と思われるナース)も同じ”と同感する姿勢を示していた。
そして“これ(この日記代わりの経過概要)、後で私にって置いていくんでしょう?”と訳の分からない事を言っていた。
“この際、医療(看護と言ったかも…)から離れて”という意味の発言もしていた。なかなか的を射ているではないかと思った。
しばらく前から感じてはいるが、何故かこの人には「大方のことを見抜かれている」ような感じがしてならない。YIさんやY沼さんのように。
もしかしたら自分とほぼ同じ年代と思っているのは私だけで、実際はかなり先輩なのかもしれない。
うーん、この際年齢はどうでもいいとするか!入院生活が少しでも楽しく過ごせれば良いのだからね。
[29]7/17(土)
今日はAM10:30頃にDr.Oの回診があった。ちょうどYumingのCDを聞きながらウトウトしていた所だったのだが、
左膝を曲げられた為「いいお目覚め」となった。
木曜日のレントゲンの結果はOKだそうで、月曜日(19日)からは“1/2荷重+筋トレ”が開始となる。
Dr.Oいわく「泣きながら曲げて」とのことだ。先が思いやられる。
午前中はシャワーの順番がきたので溜まっている垢をすり落としてきた。
昼御飯までに時間があったので売店に行ってお菓子を買ってきた。
検温までの間に洗濯をしておき、検温が終わってからCPMを施行した。
Dr.Oの言うように「泣きながら」…ではないが、95度10分・100度50分でやってみた。
やっている間はズッと痛かったが、今後のことを考えるとこの程度はまだ序の口なのかもしれない。
恐ろしい。くわばら、くわばら。
そう言えばDrが言っていたが、CPMでの角度と実際に(自力or他動で)曲がる角度は違うのだという。
CPMでは95度でも、Drが診察ついでに曲げてみたら75度位だとのこと。
そんなものなのだろうか…?
整形外科から遠ざかって何年にもなるし新しい知識がないので、
何事も説明を求めて自分の中で消化してからやってもらいたいと考えている。
特に理学療法に関しては強制的にやられるのは嫌だ。
痛いのは承知しているが、余りにも痛すぎるとリハをやる事自体が苦痛になってくると思うからだ。
これからの自分はリハがメインになるのだし、今回の入院に関しても徹底的にやってもらいたいと最初から考えていた。
ナースの話によると「2年くらい前まではよく泣いていた。
Dr.Yがリハに行って強制曲げをやったら若い人達はタオルにしがみついて泣いていた」とのことだ。そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
自分の意志と無関係に目の前に現れる事を受容する準備は出来ているが、
嫌だと拒否(意思表示)していても行われることまでは現実として見られない。
何としてもそれ(強制曲げ)だけは回避しなければならない。
前述のナースに「自分の膝のレントゲンを1回も見てないから見せて」と言って見せてもらった。
CPMをやっている時に痛む場所(左膝の少し上のコリコリした部分と膝蓋骨の下縁)には各々ビスが1本ずつ計2本入っていた。
これで“毎日同じことをやっている時に同じ場所が痛い理由”を自分の目で確認できたことになる。
しかしこれは抜釘するまで痛み続けるのだろうか?退院目標である朝1番の正座…、ここに行き着くまでの道のりは険しい。
強制曲げを回避するには・・・
1,そういう事はしないでくれと意思表示しておく
2,どうしてもやる必要があるのなら、腹臥位(うつ伏せ)でなく仰臥位(あお向け)でやるように依頼する(右足で反撃するチャンスを残しておく為に)
3,強制的に曲げられないように自主トレをしておく
この3点しか思い浮かばないが、とりあえずは月曜日からのリハを頑張ってみよう。何もしないで…というのはマズイから。
準夜のナースが来た時に「先週よりも(左膝が)腫れているような感じがする」という。
毎日見ていると判らないが、彼女は1週間ぶりに見てそう感じるらしい。
申し送りで私のCPMの角度を聞いて「まだ100度か」と感じたらしい。
仮に水が溜まっているとすると、それが邪魔をしてCPMが進まないのかも…という御意見である。ごもっともである。
昨夜、目覚めた時と今朝の回診後にマジマジと両膝を眺めていたら、何となく去年と似たような感覚を覚えたのだ。
うーん、こんな予感は当たらない方がいいのだけど。
とりあえず月曜日の回診(Dr.S)を待つことになった。何もなければいいが。
今更じたばたしても仕方がないけど、去年と同じ事を繰り返すのは勘弁して頂きたい。また先が見えなくなるのだろうか…?
去年の11/11に滑膜切除術をする時、Dr.Oが「OPをしたからと言って
水が溜まる可能性がゼロになる訳ではない」と言っていたのを思い出した。
いずれにしても溜まった物は“抜く”か“引けるのを待つ”しかないのだ。
それが今自分の目の前に用意されている現実なのである。仕方がない。
[30]7/18(日)
今日でOP後ちょうど1ヶ月となる。早いのか遅いのかもよく解らない。
昨夜は考えてしまいよく眠っていないが、これも仕方のない事である。しかし案外簡単に答が出た。
本当に水や血液がこの膝に溜まっているかどうかは不明だが、どちらにしても「なるようにしかならない」のだ。
これは現実派の利点でもあり欠点でもあると思う。
そういう訳で本日のCPMは泣きながら…とは言わないが、100度20分・105度40分で行った。
膝の上下が痛くて裂けそうだったが、裂けるハズがないのは解っている。半泣きという感じ。
ま、他人に強制的に曲げられるよりはいいとしよう。
午後の検温に来たナースに毎度の事ながらCPMのことを聞かれたので、
上記の如く報告したら「もう4週でしょう。120度前後はいってないと」と言っていた。
私にはよく解らないが複数のナースが同じような発言をしているので、個人差もあろうが当たらずとも遠からず…ということなのだろう。
無理しないでいいと言うからそのようにしてきたのだが、ペースがかなり遅かったのだろうか?
それとも「これからが大変だよ」と言う意味が込められているのだろうか…?
同じく午後の検温時に「溜まっているかもと言われると、去年のことがあるから気になる」と言うと、
誰に…Dr?と聞き返されたので「違う」と答えた。昨夜のナースは別に悪気があって言った訳ではなく、
自分も怪しいと感じていた所なので、この私の発言が昨夜のナースに影響しなければいいのだが。
明日は勤務だと言っていたので、それとなく聞いてみよう。
話は変わって―――――
ある1人のナース(午後の検温に来た自分と年代が近いと思われる)との短い会話再現
私:今日はお忙しゅうございますの?
ナース:熱が出ている人がいたり、足が痛い人がいたり
私:ふーん、オバサンは日勤・深夜か。
ナース:私は“お嬢さん”だから(笑)
私:ヘッ(笑)。今日はオリーブオイル売れないね。(7/16の最後の部分参照)
ナース:え、何?何か用なの?
私:ないよ!ない。(と言って布団をかぶる)
この「またしても見事に見抜かれたショートコント(?)」の後、少しと思って昼寝をしたらPM4:30を過ぎていた。
本日の準夜勤務のナースがPM4:40頃部屋に現れた。
1人1人と少しずつ話をしていったが、私に対しては「〇〇さん(私のこと)、CPMが105度いったそうですね」と言った。
私はカルシウムセンベイを食べなから「何て申し送りを受けたか知らないけど、私としては頑張って105度なんだよね」と
いう失礼な態度で答えたのに、この卒後間もないナースは“でも私(その卒後間もないナース)
が見た時(7/15を参照)は100度でしたから
うれしかったです”と言ってくれたのだ。
私は何の反応も出来なかったが、この一言はとてもうれしかった!
後で思い出すと涙がチョチョ切れそうになる位の一言である。
今回の入院に際して数冊の本を持参したが、その中の1冊に次のような事が書いてあったのでそのまま引用する。
『この広い空の下に我ひとりというのは誰に頼ることもできず泣きつくこともできないということではあるけれど、
見方を変えれば、何もかも自分が努力しさえすれば解決できるということなのだ。
責任の全てが自分にある以上、嬉しいときには笑い、悲しいときには泣くしかない』
非常にいいタイミングでこの文章を読んだ。
アンダーラインを引いてあるので以前にも同じ事を感じたのだろう。今、正に…という感じである。
いくら強気で攻めても、私も人間だし時々はトーンダウンすることもあるのだが、今は人の言葉に影響されているのだろう。
ここ数日はこの文章を呪文のように唱えつつ乗り切ろうと思っている。
そうしているうちにきっと何とかなるだろうし、WAVEが上昇曲線を描き出したら一気に乗ってしまえばいいのである。
それにしても今日のあの一言は本当にうれしかった。
[31]7/19(月)
今朝の検温はやたらとhigh-tentionの“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”だった。
朝からつまらないギャグを飛ばしたにも関わらずいつにも増して快適な目覚めである。
その証拠に起きて間もないのに、こうしてキーボードを叩いている私が居る。
明日の勤務が準夜である事を確認してから「よーし、見てろ。明日の準夜までには(CPMを)115度にしててやるから」と言ったのだが、
役者は向こう(ナース)の方が1枚上手だった。120度はいかなきゃ…だって!
「頭ではわかってんの!120度いったら何かやってくれんの?」と応酬したのだが、
話題を切り替えて「今日、(膝の)水を抜かれるんじゃないの?」と言った。
私が「せっかくその件に関しては(自分の中で)ケリをつけたのに」と答えたら、さすがに都合が悪くなったのかCPMの事を言い始めた。
再び「頭ではわかってんの!」と逆襲したら、後ろ姿になり足早に去っていった。
しまった。日勤・深夜、お疲れさん…っていうのを忘れた。ま、いいか。
ちなみに“朝1発目からのつまらないギャグ”とは、同室の高校生のお姉さんに対しての「恋愛相談引き受けます」というのと
「少子化対策指導(?)」らしき事をほのめかした瞬間のことである。
私も働いている時はそうなのだが、深夜明けはhigh-tentionにしておかないと睡魔に負けてしまうのである。その辺は同業者としてよく解る。
それにしても、普通に言われたらムカツクかもしれないような事を朝1番から指摘されたのに、
そんなに嫌な感じがしないのは何故だろう? それは
◎目覚めは良いと思っていても実はまだ眠い私
◎ナースのover high-tention
◎ナースの人徳
――この3つが考えられるが、たぶん最後のは違うだろう(^o^)。
最初の2つの混合と考えるのが妥当である。へへへ。
AM8:40には回診の放送があり、この部屋にはAM9:00前に御一行様がやってきた。
Dr.Sは私の顔を見るなり「水が溜まってるんだって?」と言い、左膝を見て「腫れてるねぇ」と一言言ってから診察を始めた。
「(水の溜まり具合は)抜けるか抜けないか位だね」という判断だった。
そして「曲げてみて」と言うので自力で曲げてみたが、DrやNsが期待・予想するのとは程遠い結果になっているようだ。
しかしこれが今の私に自力で可能な精一杯の膝曲げなのだから、致し方ないと思っている。
Dr.Sは「頑張って曲げて下さい」と言いつつ、同室者の診察を始めた。
水を抜かれなくて…というより、痛い思いをしなくてすんで良かった!
午後の検温を済ませてからリハに降りた。
先週のうちから言っておいた為か、担当者は女性だった。
まずは荷重を1/2にupする練習から入ったが、これは難なくクリアーした。
次は筋トレと称する訓練であるが、これも今日の所は大した事はやっていない。
腹臥位(いわゆるうつ伏せ)になって足首を押さえられた格好で、その抑えている力に逆行するように足首を上げる…というものである。
病室で可能なことはないかと聞いてみたが、今日の段階ではないらしい。荷重も筋トレも痛みやしびれを伴うものはなかった。
PM4:00をまわってから7/7(水)にクリティカルパスを持ってきて説明してくれた3,4年目と思われるナースに幾つか質問をした。
@前十字靱帯再建術を受けた患者のnormalな経過として、OP後4週目ではどの程度のCPMと自力屈曲が可能なものなのか
A数名のナースが“4週目だと(CPMは)120度位は…”という言い方をしたのだが、私の(今日現在の)105度は少ないのか。
そして自力曲げはもっと可能と期待しているのだろうか。
―――このナースはクリティカルパスの時もそうだったが、とても解りやすく説明してくれた。
もちろん知らない事は知らないと言うし、未経験の事は未経験と言っていた。
一般的には、という条件付きで『正座≒全荷重』となる場合が多いらしい。ハキハキしていて気持ちの良い応対であった。
私が「Drやナースが何処まで期待しているのか解らない。あらかじめ目標のようなものを設定(提示)してくれると解りやすいのだが」と言うと、
彼女が深夜明けだという7/21(水)にちょうどDr.Oの回診なので、話してみるようにとのアドバイスをくれた。
又、Drや他のナースにも伝わるようにしておきます…とのことだった。ここまで話をしたら外線が入ったと放送で呼び出されたので、おしまい。
[32]7/20(火)
昨日から今日への日付変更線を越えたあたりから、何とも言えず体調が悪かった。
AM1:20の巡視もわかっていたし、トイレに行った後廊下の長椅子に腰掛けていたらちょうどナースが階段を駆け上がってきた所だった。
身体の節々が痛くて熱があるような感じがすると言ったら、すぐに体温計を持ってきてくれた。38,1度もあった。
他人の38,1度は何ともないが自分のはこたえるものだ。当たり前か…。
ボルタレン坐薬50mg(解熱鎮痛剤)を持ってきてくれたので使用した。朝まで全く眠っていないが熱は下がっていた。
そんな訳で午前中は死んだように眠っていた。起きたらAM11:40だった。昼御飯を半分ほど食べてまたウトウトしていたら午後の検温になった。
たぶん37.6度だったと思う。その後にCPMを施行した。昨日の深夜明けのナースに言われていたし、
自分も大口を叩いていたので何としても115度までやろうと思ったが無理だった。結局、105度15分・110度45分というふうになった。
PM5:30をまわってから昨日のナースがお茶を配りにこの部屋にやってきた。
ふふっ…と鼻で笑いながら「なんだ、重病人になってるじゃん。意地になってやるからだよ。それ(熱のこと)膝からだよ」と言っていた。
うーん、そうかもしれない。
それはそうと準夜での体温は37,7度だったので氷枕を交換してもらった。私の左膝を見て「この大きい膝では(120度は)無理だ」という。
ありゃ?おかしいぞ。昨日は“もう4週目だから120はいってないと”と言っていたのだが。まあ、そんな事はどうでもいい。
今日は朝も・昼も・夜も寝ていたので背中が痛いのだ。後はどこも痛くない。
もしかしたらこのナースが言うように、本当に膝からの熱かもしれない。
余りにも背中が痛くて坐ったりしているうちに、同室者と話をする機会があった。
私は背中以外は苦痛がないので扇子を使いつつ、笑いながら話をした。そのせいか少し汗をかいたようなので熱も下がっていると思う。
原因が何だか解らないが、今日は夜中から引き続いて大変な1日だった。明日は今日よりましになってればいいな…。
[33]7/21(水)
朝1番でシーツ交換をしてもらい、午前中にDr.Oの回診があった。昨日の発熱に関しては「明日、採血をする」ということだった。
又、リハに関しても「さっきTELをして言っておいた。筋トレの時は装具を付けておくように。リハにも指示してあるから
指示通りやって下さい」というコメントがあった。CPM施行中のことだった。
そのCPMは昨日のナースにも“その膝じゃ110はきついよ”と指摘を受けていたし、自分でもきついと感じていた。
そして今日のナースにも「きつそうだよ」と言われたので、105度にしておいた。
Drに報告すると“お、100いったか”と言っていた。 しばらく105度で続けてみようと思う。
午後の検温後すぐにシャワーに入り、その後に体重&握力測定を行った。体重は装具とサンダル込で59,3kgだった。
これを考慮すれば先週の58kg代とほぼ同じとみなしてよいだろう。それからリハ室に行って筋トレとROMをやった。
今の所、ROMは甘く見て90度位だという。筋トレは3種類ほどやったが、その中で病室でも可能なものもあったので
砂嚢を借りて練習しようと思う。
リハの後で売店に行って買い物をしようとしたら、小児科外来の前にKママと坊やが予防接種に来ていた。
帰りに寄ろうと思っていたとのことで買い物を依頼した。
Kママに買い物を頼んで病室に帰る途中、思いがけず懐かしいナースにバッタリ出会った。
去年の11月に入院(この時は部屋がなかった為、産婦人科メインの混合病棟に入っていた)していた時のナースである。
向こうの方が先に私に気付いて声をかけてくれた。私のことを記憶しているようだった。OP予定表を見て知っていたという。
立ち話程度だったが、うれしいやらこっ恥ずかしいやら…で複雑な感じがした。
準夜のナースは私がOP室から廊下に出る寸前の場所で“私の顔の前にそのナースの顔があった人”である。
同室者と各々の手術体験談を話している時、その事を思い出してナースに聞いてみたらナースも記憶していたらしい。
私がストレッチャーの上で「◎☆さん?」と言ったのを覚えているかと聞いたら、それだけでなく他のことも色々覚えていた。
自分は記憶がないので恥ずかしい…というより、「へー、そうだったんだ」という感じである。
そう言えば、昨日は1日中37,0度代後半の微熱が続いていたが、今日は朝から平熱(36,0度代)である。
抗生物質等は使用していないし、1回だけボルタレン坐薬(解熱鎮痛剤)を使用したのみである。
原因は判らないが明日の早朝採血があるようなので、その結果を待つこととしよう。
抗生物質を使用していないので、左膝の炎症が原因ならCRP(炎症反応)やWBC(白血球数)は下がっていないかもしれない。
そして恐らく午前中にレントゲンに呼ばれるのだろう。
リハは筋トレよりROMの方が大変そうだ。なかなか曲がらないから…。
[34]7/22(木)
AM9:00過ぎに回診があった。ちょうどCPM施行中だったのだが、本日の担当ナースのアドバイスにより100度から始めていた。
Dr.Oがもう少し出来そうではないかという為、105度にした。最初から105度にしようと思ってはいたが…。
結局、100度20分・105度40分で施行した。
105度にするとやはり“左膝の上のコリコリした部分と膝蓋骨の下縁”が痛かったが、
角度を下げると再びupする時に大変なので「しばらく105度keep」にしようと思う。
110度にすると痛みが更に強くなるだけでなく、熱が出たら困るから(笑)。105度なら少し我慢すればいいから。
同室者と話したりしているうちに午前中が終わってしまったみたいだ。
昼御飯を食べてウトウトした後、少しだけ自主トレをしてからリハに降りた。最初はROMといって「要するに膝曲げ」から入ったのだが、
CPMだと105度でもこれ(ROM)だと90度あるかないかだという。そしてほぼ全員がROMはCPMより10-20度少ないという事を教わった。
昨日の自主トレ3種類に加え、CPMの前に膝蓋骨を動かすことも教わってきた。
これで自主トレ内容は次に記す4種となった。
1,腹臥位(うつ伏せ)で足首に1kgの砂袋をつけて膝を曲げる。
2,腹臥位で膝を伸ばしたまま上にあげる。(砂袋なし)
3,仰臥位(あお向け)で膝を少し曲げて、そのまま持ち上げる。
4,CPMの前に膝蓋骨をクリクリと動かす。
尚、「仰臥位で膝を伸ばしたまま上にあげる」というのは、返って前十字靱帯によくないとのアドバイスもあった。
リハから病室に帰って少し休憩したと思ったらレントゲンに呼ばれたので行って来た。
再度、病室に帰ってからしばらくして午後の検温があった。本日は4件のOPがあるとのことでナースはvery
busyのようだ。
朝から「今日は忙しいから話し相手になってあげられない」と言っていた。
話は前後するが、午前中のCPM後と午後の検温後(リハ後)に久しぶりに膝のcoolingを行った。ナースいわく“太った膝”とのことだ。
本日の準夜は昨日と同じナースだ。本人に聞くところによると昭和41年生まれだという。
この病棟内のナースの中では“管理職まではいかないがスタッフの中でのご意見番的存在”に見える人である。
そのナースに「7/18(日) 準夜の卒後1年目のナースの発言がとてもうれしかったので、機会があったら誉めてあげといて」と話をした。
上から誉められると嬉しいと思うし、気持ちよく仕事が出来ると思うから…と付け加えた。
そのナースは分かったと返事をした後で
「◇◆さん(同じく卒後1年目で私担当のナース・7/7にクリティカルパスを説明に来た)は何かない?
(私の看護計画立案等で)結構、頑張ってたよ」と聞いてきた。
私は「部屋担当でなくてもちょこちょこ来て“久しぶりなんで顔を見に来ました”とか言うし、
洗濯をする時に下で会うと声はかけてくれるよ」と答えたのだが、
私がこの人(昨日・今日と連日準夜のナース)の発言で注目するのは“2人の新人ナースを同じように見ていると思われる目”である。
さすが、という感じである。恐れ入りました。
[35]7/23(金)
いつものように午前中に回診があった。
Dr.Oだったので、こちらから聞かなくても昨日のレントゲンの結果はOKというコメントがあった。
これで予定通りの“荷重free”が可能となる。午前中はシャワーに呼ばれた以外は用事がなかった。
昼御飯を食べていたら、羽田沖で全日空機がハイジャックされたというニュースがあったが、
PM1:30過ぎからリハに降りていたら訓練中に「犯人逮捕のニュース」が流れていた。
リハは自主トレ以外のものをやったが、ROMではどうしても90度しか膝が曲がらない。
担当のお姉さんに他動的に曲げられても、バレー用のボールを使って自力で行っても同じだった。
これからの課題であることは間違いなさそうだ。そして1つ進歩したのは全荷重となったことだ。
平行棒の中で練習をしたのだが、同室者と同じく“ペンギン歩き”になってしまった。
従って、松葉杖は一気に外さず「まずは1本松葉」にすることにした。ここまで少しずつ進んだのに転倒しては大変だ。まだまだ先は長い。
リハを終えて病室に帰ってから午後の検温だった。
CPMがまだだったので施行した。本日は105度onlyでやったのだが、痛みが強かったので角度upはしなかった。
その後、同室者と話をしたりしていたら、確かPM4:00過ぎだったと思うが“自分とほぼ同じ年代と思われるナース”がしばらくぶりに油を売りに来た。
名目は「松葉杖の包帯巻き直し」である。全荷重になったことや、外出時にやろうと思っていることや、
車の運転…等を30分位(?)にわたって、包帯を巻き直しつつ話し相手になってくれたという感じである。
話し相手というと、何か「老人のボケ防止の為」という感覚がしないでもないのだが、まあ、別にいいとするか!
私もナースも“この時間は暇(空いている)”というのは、恐らく共通しているだろうから。
この「入院中の経過概要」の自分(ナース)が登場している所を読ませてあげたが、いつもと同じく「ニコッとしているのみ」だった。
そしてまた私の左膝のことを“デブ膝”と言っていた。デブ膝のCPMは通常より遅れるだろうと予想(?)していたし、
「余りやりすぎると“膝熱”が出る」と言いつつ笑っていた。
私の見解としては少なくとも3,4日は105度で施行し、来週の火曜か水曜からupしてみようという考えである。
もちろん痛み(特に左膝の上側のコリコリした部分)と相談しながらではあるが。Dr.Oも「これが気になるけどな」と
コリコリした部分のことを指して言っていたし、膝が原因と思われる熱が出て大変な思いをするのは自分なのだから無理と焦りは禁物である。
夕食を食べてからしばらくしてMY運転手にTELをして、全荷重になったことや松葉杖が2本から1本になったことを報告した。
そして車のエンジンをずっとかけていない事を話し、自分で運転出来ないが行きたい所(新橋)もあるし…等と言っていたら、
結局8/2の私の誕生日に“しゃぶしゃぶ”を食べに行くことになった。車のことを先に持ち出すとは、我ながら作戦勝ちだと思っている。
いずれにしても“新橋に宝くじを買いに行くこと”と“外出して食事をすること”、
そして“1ヶ月以上始動していないMY-CARのエンジンを動かしておくこと”…、この3つの目的は彼の協力によって達成されるであろう。
尚、同室者のアドバイスや準夜のナースの体験談を元に「誉め殺し作戦」を展開してみようと思っている。
基本は『気持ちよく奉仕させること』だという。健闘を祈る、っていう感じかな。
[36]7/24(土)
今日は朝から晩まで眠くて暇な1日だった。
リハもないしCPMも午後から施行したので、午前中はシャワーに入った位で他は同室者と話をしていたら昼食になっていた。
そのCPMは105度でやったが例のコリコリした部分が張り裂けそうだった。
この“デブな左膝”はいつになったら正座が出来るのだろうか?正座が出来なければ出所(退院)出来ないのである。
同室者のアドバイスでは「こんなに長く休める事は滅多にないだろうし、
中途半端で仕事しても迷惑がられるから思い切って半年くらい休みなさい」ということである。
さすがに年長者は含蓄のあることを言うものだと感じている。妙に納得してしまったし、これで少し吹っ切れたような感じもする。
今は“大きいものには飲まれ、長いものには巻かれている時期”なのかもしれない。
昼寝をしていたらアッという間に夕食の時間になり、準夜のナースがお茶を入れにきてくれた。
間もなく夕食が配膳され、気がついたら面会時間少し前にAちゃんが来ていた。
部屋のこととポストはやってきてから来てくれたので、新たに依頼するのは買い物のみである。
お盆までしばらく出張続きだという。帰りに正面玄関まで送っていったが疲れている様子で、
「もう病院には勤めないから」と言っていた。来週は静岡の山の中に出張だそうだ。
野球のオールスターを少しだけ見て、いつもと同じ夜がやってきた。
[37]7/25(日)
今日も特に変化のない1日だった。
午前中にシャワーに入ったのだが出てきたら間もなく昼食が配膳された。
高校生のお姉さんが昨日から外泊中だし、1人は自宅に入浴しに外出するというので2人だけとなった。
ナースが検温に来たのもつかの間で、3時間前後にわたって“マシンガントーク”が繰り広げられた。
それで昼寝をしなかった為かどうかは別として、夕飯の1時間くらい前からやたらと眠かった。
ウトウトしたと思ったら早くも…という感じで夕飯が配膳されてきた。
夕食を食べた後、準夜のナースが「御用聞き」に来たまでは記憶しているのだが、それ以降は知らない。
気付いたら消灯されており21:00を回っていた。
今週は同室者が1日に1人というペースで退院していくが、
同室者の人数に関わらず今後は恐らくこのような“暇で変化のない日々”が続くのだろう。
そう、朝1で正座が可能になるまでは。最後になったが本日のCPMは午後から105度で施行した。
痛む場所は同じであるが、明日か明後日から110度にしてみようかと思っている。
[38]7/26(月)
今朝はしばらくぶりの(?)Blue-skyである。気分が違う感じがする。
朝食後に少し空いた時間があったので、CPM前に…と思って筋トレを行っていたらちょうど回診の時間になった。
Dr.Sがやってきた。装具をはずして膝を曲げて見せたら「土曜日よりも少ないような…」と言っていたが、
婦長さんに角度計で測ってもらったら90度だった。この90度はリハのお姉さんに測ってもらったのと同じだったので、
曲がりの角度が減っているということはない。
それからCPMが来るのかと思っていたが、いつの間にか眠ってしまい気付いたら昼前になっていた。
昼食を食べた後PM1:00過ぎにリハに降りた。担当のお姉さんいわく「土日を挟んでいるので少し固くなっているかも」とのことだったが、
先週末よりは自力で曲げる角度がわずかだが上回っているらしい。ちょっとLuckyっていう感じかな。
しかしお姉さんに曲げてもらうと、とても痛くて右目だけ半泣き状態だった。
これをクリアーしないと正座は不可能であるし、何とか気合いを入れてやらなければ…。
今日の所は約1時間ほどで切り上げて病室に戻った。午後の検温は私担当の初々しい1年目のナースだった。
検温後にCPMを施行したが、今日の感じでは「明日辺りから110度にup出来そう」とナースに報告した。
ウトウトしていたらいつの間にか夕食の配膳があり、食べた後は正面玄関に行ってEメールの送受信を行った。
途中で同じようにノートパソコンから通信している女性がいた。その人は携帯を通じて行っていたので、少しだが話をしてみた。
今度の“誕生日(8/2)外出with MY運転手"の時に、携帯から通信できるgoodsを揃えておきたいので
「秋葉原に行けば良いかor携帯電話会社に行けば良いか」等を教えてもらった。
携帯から通信出来るgoodsを揃えておくと、いちいち正面玄関まで行かなくても済むのだ。
そして今後も使える物なので価格と相談して購入しようと思っている。今は価格の見当が全くつかないのでよく解らない。
消灯寸前にナースステーションへ行って、「足を置く枕のほつれている部分」を縫ってもらった。
針と糸を借りて自分でやろうと思ったが、ナースがやってくれるというので横に坐って待っていた。
そしたらこのナースの口から“全く予期せぬ言葉”が出てきた。
「〇〇さん(私のこと)の目から見てこの病棟のナースで誰が1番良いように見えるかな」だって!!
一体、何を目的としてこのような事を聞くのだろうか?
私は次のように答えた。
―――私は今“職業欄に看護婦と書いている1患者”であるので、患者として見る場合と同業者として見る場合とがある。
極端な事を言えば、とても具合の悪い時は自分のことしか考えてないので患者になりきっている。
しかし少し余裕のような物が出来ると業界人として見ている自分に気付いてはいる。
ここの16人のナース達にとっては、私がどのように見ていても「患者が言っている事として」とらえているだろうから、
それは関係ないと思う。個人名は出さないが、中には話のテンポ(内容でなくテンポ)が合うかな…と思う人も何人かはいる。
しかしその人達だって内容は合わせてくれていると思っている。なんたって私は(彼女達にとって)患者であるからね。
又、私は整形の専門家ではないから「知らないことや分からないこと」も幾つかはある。そういう質問をする時だけは、
悪いけど人(卒後年数)を見てからするようにしている。
ここまで答えたら縫い終わったので病室に戻った。このナースが期待する答えだったかどうかは不明であるが
個人名を出さなかったのは正解だと思っている。
何が目的でこのような質問をしたかは知らないが、この人に大切なことは聞けないし話せないと思った。
だって私からすると(婦長・主任はともかく)14人のうち誰が欠けても自分はここまで良くなってなかったと、本当にそう思っているから。
今は誕生日にMY運転手に連れていってもらう「買い物&食事」だけを楽しみに待つことにしよう。
[39]7/27(火)
午前中…とは言ってもAM11:00を過ぎてから部長回診があった。
「もう6週に入るのでそろそろ(リハの)ピッチを上げていきましょう」という意味のことを言われた。
しかし恐らく先週の火曜日に頑張りすぎて発熱したことを知らないと思ったので、
「先生は知らないと思うけど先週の火曜日にやりすぎて熱が出たんです」と答えた。
そしたらナースが「そうなんです。坐薬を使うほどの熱が」と言ってくれた。これに対してDrが何と答えたかは記憶していない。
まあ、この人は週に1回しか来ないから別に何ともない。そしてこの部長回診が終了すると同時に外出をした。
銀行まで行ってきただけなのだが、とてもとても疲れた。
知らない間に梅雨明けしており、夏の暑さのせいもあるのだろうか?とにかく疲れた。
順番は前後するが、部長回診の前にCPMをすませておいた。本日は105度20分・110度40分で行った。
外出から帰るとほぼ同時に昼食が配膳された。
全量摂取してからしばらく休憩して、PM1:00になると同時にリハに降りた。担当のお姉さんにあいさつをして早速始めてもらった。
今日は“辛いキムチを食べた時のような泣きが入った”という感じかな。お姉さんの手で曲げられている時、
とても痛かったので少し悲鳴をあげてしまった。でもこの程度で泣いてはいられない。気合いを入れなければ。
リハが終わって部屋に戻ろうとしたのだが、疲れていたので1階の長イスでしばらく座っていた。
そこを通りかかったナースが「何してんの?」と話しかけてきた。
私は「リハが終わったんだけど泣きが入って疲れたから休憩してんの」と答えたのだが、
ナースによると2階のナースステーションまで“悲鳴”が聞こえてないので「まだまだ」だそうだ…。
また別のナース(卒後1年目)にも同じことを聞かれたので同じように答えたら、
「じゃあ悲鳴が聞こえたら助けに行きますから頑張って下さい」と笑いながら言っていた。
この子は7/18(日)の準夜でとても嬉しいことを言ってくれたナースである。
その後は昼寝をしたり本を読んだりしていたら、いつの間にか夕方になっていた。
今日の準夜のナースはとてもかわいい…と言うか、私にクリティカルパスの説明に来たナースである。
いつもニコニコしており応対も好感が持てる。箸が転んでもオモシロイ世代なのだろう。
だからと言ってナースとしての技量がどの程度のものか、患者の私には分からない。
しかし今の私は患者なのだからその点は関係ない。こうやってkey-boadに向かっていると、いつもと同じ夜がやってきた。
[40]7/28(水)
いつもと同じ夜になるハズだったのだが、一昨日の準夜で言われた事が頭にこびりついて 離れないし、だんだん腹が立ってきた。
昨日の準夜のナースと本日の深夜明けのナースに犠牲になってもらった。
話を聞いてもらうのは友達やMY運転手にしようと思ったのだが、成り行きでそうなった。
3階担当の深夜のナースに“マシンガントーク”をしていたら、途中で頭を抱えてしまったのでもう1人のナースと替わってもらった。
交替(?)で3階の長椅子にやってきたのは、
しばらく前から「何かを見抜かれているような気がしている」自分とほぼ同じ年代と思われるナースであった。
この人は「確かに同業者だとやりにくい。自分も同じ事を言っていたかもしれない。
彼女(一昨日の準夜のナース)はそう思ってやっているんじゃないの?まあ相性っていうのもあるけどね」というのだ。
何も言い返す材料がない…というか、当たっているので言うことがなくなったのだ。今夜はもう寝ようと思った。
そのナースに「わかりました」と言い残して病室に入った。ナースは「何がわかったのか」と聞いてきたが返事をしなかった。
とても傷ついたのだが当たっているだけに何も言い返せなかったのだ。
まるでYIさんと話をしているみたいな感覚に陥った。教育のことで“言ってることが綺麗と思っちゃう”と指摘された時と同じだ。
その反感にも似た気持ちは数時間で私をfighterへと変化させた。
「よーし、今に見てろ。必ず正座をしてやる。正座できたら美味しいものを食べさせろ!」となったのである。
私がこういう反応を示すと予想して発言したかどうかは不明だが、なかなかやるなぁ…という感じである。本当に不思議な人だ。
いつの間にか朝御飯が終わって、同室者と話していたら次のように言われた。
1,「帰りたーい、帰れない」と笑って歌ってくれた人、
そして「居座って8月一杯入院してなさい」とも言ってくれた。
2,何回か入院歴があり「普段なら気にとめる間もない事なのに、なまじ時間があるから余計に気になっちゃうわよね。
分かるわ。誰かに喋っちゃいなさいよ」と言ってくれた人
―――これで救われたようだ。ふん!いつか必ず正座してやるからな!
その後、しばらくしてDr.Oの回診があり「今週はレントゲンなし。
以後は2週に1回のペースで撮っていく」というコメントがあった。そして左膝を曲げられ、悲鳴をあげてしまった。
Drが言うに95度だそうだ。昨日のリハでは確か90度だったような気がするが、それよりは良いではないか。
もう1度曲げようとしたので「リハでやるから」と言って逃げたら、回診に同行したナース達は笑っていた。
回診後、この病棟の主任が話を聞きに来たので、1時間ほど話をした。内容は夜間と同じ。
目をショボショボさせつつ昼食を待っていたら、先にシャワーに呼ばれた。シャワーから出たら昼食が配膳されていた。
そうそう、シャワー室と霊安室が同じ地下にあるのだが、シャワーから出たら霊安室の入り口が開いて中が見えていた。
電気が消えているのにエアコンが作動しており不気味な感じがしたので、ナースに報告しておいた。
私が報告したナースは「使ってた?」とジョークをかましてきた。
私も「使った形跡は感じなかったから、今から使うのかもね」と応酬した。
何日か前から感じてはいたのだが、リハとCPMの順序を考えた場合“リハの前にCPMをやっておくと
膝を曲げた時に痛み方が少し和らぐのではないか”と思っていた。
リハの担当のお姉さんが言うには「CPMは準備運動のようなものだから」とのことなので、
持ってきてくれるナースの都合もあるので何とも言えないが、なるべくCPMを先にやるようにしたいと思っている。
そういう訳でPM1:30過ぎからCPMを施行した。110度を1時間で行った。
痛む場所はコリコリした部分なのだが、少しずつ軽快しているようだ。
お姉さんに曲げられている時はとても痛くて、タオルを持参していてよかったと思う。泣きが入った…。
夕食の前に高校生のお姉さんがお母さんの迎えがあって退院した。
1ヶ月位はバレーボールをしないと言っていた。健闘を祈る。夕食後にしばらく同室者と話をしていたら、
昨日の準夜と2連チャンになるpretty-nurse(3,4年目)ナースがやってきた。
間を置かず今日の日勤リーダーナース(昭和41年生まれだそうで看護学校時代の同級生と一緒に働いていたらしい)もやってきた。
この病室の患者3名とナース2名の合計5名で、楽しい話をする時間があった。久しぶりに大笑いして良い気分だった。
前後するがCPMを初めてすぐ、病棟婦長さんと一昨日の準夜で問題発言をしたナースがBED-SIDEにやってきて謝罪した。
午前中に主任に話をしたのが効いたようだ。
この件に関してはこれで終わり!言うことを言ったら、今度は自分がやらなくては。
そう、1日も早く正座をすることだ。リハのお姉さん、お手柔らかにね。
[41]7/29(木)
昨日の記載事項に書き漏れがあった。体重測定があり58,45kgだった。順調に減量できているようだ。
今日はDrの都合で回診が午後からだという放送があり、リハビリ組は回診と重なるといけないので“なるべく午前中にリハを
やっておいて下さい”と言われた。
今日の担当ナースに「なるべくリハの前にCPMをやっておきたい」と伝えたら、間もなく持ってきてくれた。
110度onlyで行った。CPMが終わったら、リハのお姉さんと約束していたAM11:00になったので下に降りた。
CPM終了直後だと言ったら“強制曲げ”から始まった。今日の例えは“わさびてんこ盛り”の泣きが入った。
悲しくないのに涙が出る…という感じかな。それでも角度は95度だという。正座までの道のりは案外険しいかもしれない。
自分としては「超・頑張って95度」なんだけど。
リハを終えて病室に戻ったら、ちょうど昼食が配膳されたところだった。3分位でたいらげて昼寝を始めた。
気がついたらエアコンが停まっていたが間もなく回復した。それから何分か経ったら回診の放送があり、
Dr.Oが病室にやってきた。同室者も私もDrによる強制曲げがあったのだが、悲鳴をあげたのは私だけだった…。
Drは「泣きながら曲げて」と言いニヤッとしていた。
午前中に昨日までいた高校生と入れ替わりに、再び高校生が入院してきた。
昨日までいたのは3年生だが、今日入院のお姉さんは1年生だという。
両足関節の靱帯を2週間ごとにやるらしく、2ヶ月の入院生活だとのこと。
夏休みが終わったら病院から学校に通うのだという。このお姉さんよりは先に返りたいと思った。
PM3:00頃だったと思うがKママが来てくれた。
ちょうど売店に「軽石」を買いに行ったがなかったので、週刊誌と共に買い物を依頼した。
今日は僕チャンの予防接種を受けに来たのだという。毎度、有り難うございます。
今日はママだけでなく僕チャンから、装具にシールをもらった。買い物をしてきてもらってから30分くらい話をして帰っていった。
時間はPM4:00になっていた。2階に降りて頭と足を洗った。
シャンプーは自分で可能なことだった。足を洗って軽石で擦るという作業にはいると、
左足はひねるような格好になるので「それはいけない」とナースに言われた為、そのナースに手伝ってもらった。
卒後3,4年目くらいだと思うが、仕事や趣味の関係でモバイルを買おうと思っているという話を何日か前から聞いていた。
足を洗ってもらっている間、その話をしていた。
最初はモバイルと思っていたけれど「どうせ買うならノート型パソコンを」と思い始めたらしい。
ノート型は価格が高いと二の足を踏んでいたというが、上記のように変化してきていると言っていた。
夕食後には連日のように暇な時間がやってくるので、今持っている雑誌の中からリストを作っておいてあげようと思う。
足を洗ってもらった御礼としてこの位はしないとね。
今日は日勤・深夜だというので深夜に来る時間までにやっておいてあげれば、深夜の休憩中に読めるだろうから。
そう言えば、足を洗ってもらっている最中に“昨日の深夜明けで今日の準夜、自分とほぼ同じ年代と思われるナース”が通りかかった。
今日は3階担当ではないらしいが、私が「いつか必ず正座してやるからな。
正座が出来たら“おフランス料理”を食べさせろ!」と言ったら、「悔しかったらフラダンス踊ってみろ」と応酬してきた。
全く、口が減らない人だ(^o^)。
[42]7/30(金)
ここ数日とても暑い朝であるが今日も例にもれず暑かった。となりのBEDの人が退院予定である。
午前中の回診で「早めに退院してくれないか」と言われ家に電話していた。焦っていたというか、半分怒っていたようだ。
本人が予定していたのは家族の都合も兼ねて夕方だったのだが、そのように言われてから1時間くらいで迎えが来たので、
そのまま退院していった。日常ではよくあることだ。
自分は…と言うと、回診でDr.Oに強制曲げをやられて目が覚めた。Drがいうには「昨日より曲がっている」とのことだが。
回診後に40分程度の外出をして、携帯とノートパソコンを接続するキットを買ってきた。
同室の高校1年生のお姉さんが午後からOPなので、それなりの処置が行われている。高校生の割にはしっかりしているという印象である。
お姉さんがOP室に行った後、CPMを行った。PM2:00過ぎから30分だけやってから、私担当の卒後1年目のナースと一緒にリハへ降りた。
このナースが「どんな事をやっているのか、1度リハを見に行こうと思っていた」と言うので、見学となった次第である。
リハの担当者に強制曲げをやられている時はナースの練習がてら「角度」を測ってもらったら、何とCPMと同じ110度だという。
他の筋トレも全種類見学していった。実際にどれだけ筋肉の緊張があるか…、とかトレーニング別の目的などを教わったようだ。
リハが終わってから残りの30分CPMを行っていたら、午前中に退院した人の後に20才のお姉さんが転棟してきた。
かなり病院慣れしている印象があると思っていたら、4年間に6回の手術を受けたと言って自慢(?)というか、美徳化していた。
准看学校に通っている生徒らしい。
私も自分が看護婦であることを話したが、更に突っ込んだ話をするかどうかというのは数日観察してからにした方がよさそうな感じである。
夕食を食べた後、外出して買ってきた“携帯とノートパソコンを接続するキット”をインストールしていたが、
なかなか出来ないので途中で眠くなってしまった。消灯前から熟睡していたようで、準夜のナースに「お休み」と声をかけられるまで眠っていた。
もちろん消灯後も眠り続け、起きたら23:30をまわっていた。トイレに行った後ウーロン茶を飲み、廊下の長椅子で座っていたら、
準夜のナース達が勤務を終えて帰る場面に出会った。病室に入ってこの「経過概要」を書いてから朝までまた眠ろうと思う。
[43]7/31(土)
今朝は9:00前にシャワーの順番が回ってきた。午前中は他にやる事がなかった。
AM11:00頃、売店にお菓子を買いにいったのと入れ違いにCPMを持ってきてくれたようだ。
ナースにはちょっと悪いことをしたかな。
午後からはそのCPMを施行した。110度onlyで行ったが、やり始めの何分かは例のコリコリした部分がとても痛かったが、
終盤になってくると痛みもやわらいできたようだ。
検温前から確かに「暑いな」とは感じていたが、それは自分が暑いのでなく外気温が暑いのだと思っていた。
体温計をはさんだら38,2℃もあったのだが、やり直したら37,2℃だった。
ナースも首をかしげていたし、私もよく解らない。ま、いいか!
順番は前後するが午前中にDr.Oの回診があり、「自分でも泣きながら曲げて」と言っていた。
休みの間も曲げないと曲がらなくなってしまうという。ごもっとも。しかし自分でやるとどうしても加減してしまう。
それでもやらないよりはマシだと思ってやってみよう。
今日は午前の早い時間に同室のおばさんが退院した。これで残りは「一昨日入院して昨日OPをした高校1年生」と
「一昨日他の病棟でOPをして昨日になってこの部屋に引っ越してきた20才の准看学校の生徒」と私…、の合計3人になった。
しかし共通の話題がないので積極的な会話はない。今月の始めも11日間ほど“ほとんど個室状態”だったので何ともない。
ナースは定期的にやってくるので遊んでもらおう。
PM3:00頃にAちゃんがやってきた。来週は出張はなく、夜はうちに居るという。
次は土曜日に来れるか日曜日になるか、まだわからないとのこと。
準夜のナースが部屋に回ってきた時、念のため体温を測った。昼間に37,2℃と微熱があったからだが、準夜でも37,0℃だった。
何ともないのでcoolingが必要か聞かれたが不要だと答えた。
そしてそのナースが高校生のお姉さんに話しているのを小耳に挟んだ所によると、今夜はDr.Oが当直らしい。
何日か前からナースに言ってはあるのだが、明後日の誕生日に外出をしたいので許可をもらっておいてほしいと再度依頼した。
間もなくOKサインが出た。
PM7:00頃、MY運転手にTELをして「8/2,PM2:00に正面玄関」という確認はしたので、これで後は時間が過ぎるのを待つのみとなった。
この位は良いでしょう!?
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