2003年3月 インテンシブ上級1
 

3月1日(土) タイの美輪明宏

はるみ先生は最近自分の個人ビジネスが忙しいみたいで授業中よく電話がかかってくる。そして「あ〜、仕事が忙しくて楽しいわ。仕事が楽しければ男なんていらないわよね、れいこ」って同意を求められた。なんでクラスメイトが他にもいるなか私にふるかな。まあ、いいけどさ。授業中最近のタイ人の若い子は失恋しただけで自殺しちゃうんだよって言う話になった時に先生は「愛情なんて言うのは例えば自分の中に愛が100%あったとしたら、異性を愛する愛はそのうちの30%だけでいいのよ。後の20%は親、50%は自分の為の愛なの」って愛について熱く語っていた。はるみ先生のお母さんも「結婚なんてそんなに好きでもない人とした方が続くのよ」と言っているらしい。この話を日本人の友達にしたら「はるみ先生はタイの美輪明宏だよ」ってコメントを頂いた。彼女は美輪明宏信奉者だからな。


3月2日(日) 2月と言う映画

グムパーパン(2月)というラブストーリーを見に行った。評判通りこてこてのラブストーリーだったけど結構楽しかった。外国、雪で遊ぶ、有名になるとかタイ人の理想の恋愛(私の想像)が要所要所に出て来ていた。主人公の女の子はかわいくなかった。でも悲しい話でさ、泣いちゃった。どっちかというとラブストーリーを女二人で見てることに泣けたのかもしれない。だって隣のカップルを見たらちゃっかり手をつないで仲良く見てるしさ。まいちゃんはこれを彼と見に行ったんだよね。でもその後の進展はないらしい。

この前日本に帰った友達がくれたスチューデントパスというBTSの学生用割引券を使っていたら改札で止められた。ガードマンにタイ語で「ちょっと来て下さい」って言われたからタイ語わかんないふりしてたらオフィスブースに連れて行かれてそこで英語で「学生?」って聞かれたので「チュラ大で勉強してます」って答えたら「いくつ?身分証明書か学生証を見せて」って言われた。学生割引券の条件は一応「23歳以下のタイ人学生」ってなっているので「23歳。でも今日は学生証もパスポートも持ってない(これは事実)」って言ったら「本当かよ」って顔してた。私もちょっと心の中で「この顔で23歳はありえない」って思ったけどさ。人の年齢を疑って失礼なって顔しながら言ったら「今回だけだよ」って通してくれた。普段はいいかげんなのに意外ときちんとしてるのね。でもそもそも日本人の友達にカードを売っている時点でおかしいんだけさ。


3月3日(月) ちょっとだれ気味

最近なにをやってもつまらない。授業もつまらない。授業内容自体はいいと思うので単なる自分自身のやる気の問題だと思う。私って飽きっぽいのよね。仕事も勉強も最初の頃は楽しくて仕方がないんだけどすぐに飽きてしまう。そして最近うざったいこともちょっと起こったし。面倒くさいな。

友達曰く「タイでは男の方がタイ語を学ぶのに有利だ」。その通り。ゴーゴーバとかディスコとかその他の場所であっても日本人やファランの男には黙っていてもタイの女が寄ってくるから実践的にタイ語を学ぶのにはちょうどいいみたい。この前友達がアメリカ人男、スウェーデン人男と3人で飲みにいったらそいつらがタイ人の女を連れて来たらしい。そして冒頭の台詞になるわけね。この国にいると男が本当に気持ち悪く見えてくる。でも今日道を渡る時ぼーっと渡ろうとしてたらバイクがちょうど曲がってきたら隣にいた背の高いタイ人の男の子が「危ない」って言ってかばう様に身を乗り出して制してくれたのでちょっと感激。しかもその子かっこよかったし。時にはいいこともあるもんだ。


3月4日(火) タニヤご飯

お昼休みにタニヤにご飯を食べに行った。タニヤまでは学校からはタクシーでワンメータぐらい。でも私にとってタニヤご飯はとっても贅沢なイメージがある。いままで憧れてはいたけど実際に行ったことはなかった。築地の寿司ランチをまた食べた。雰囲気もいいしおいしいので満足満足。「すっごく贅沢しちゃったよ」って気分だけど日本円で考えると交通費も含めて締めて500円ぐらいなんだよね。タイってこういうところが素敵。


3月5日(水) 電話線の調子が悪い

月曜日からアパートの電話線の調子が悪い。私の部屋の電話だけが調子悪いみたいで外にかけられない、外からかけて来れない、その上内線までかけられない。家での密かな楽しみのネットができない。下の食堂に御飯の注文もできない。昨日から何度も大家に文句言ってるんけど「今日の夕方修理が来るから」と言われたっきり進展がない。しかも大家に文句言うにも内線が通じないからいちいち1階まで降りていかなくてはいけないし。何度も訪ねていってたら「まあまあ落ち着いて」って言われて余計むっとした。こういう時はビバニッポンって思う。

昨日の夜は隣の部屋の住人が目覚ましをかけたまま出かけてしまって夜の11時頃から2時頃までずっと目覚ましがじりじり鳴り続けていたので眠れなかった。文句言うにも住人はいないしさ。悪いことは続くもんだ。先生に「目の下にくまができてるよ」って指摘された。そうよ。心身ともに疲れているんだもん。


3月6日(木) ようやく復帰

今日ようやく電話回線が復帰した。よかった、よかった。

昨日の夜も目覚ましがなっていた。いい加減にしてほしい。

人との距離をとれない人は疲れる。ちょっとでも仲良くなるとべたべたされてうざい。

友達にかりた「頭蓋骨のマントラ」という本が面白かった。今は私的第2次チベットブーム。


3月7日(金) 先生のテストその2

今日も放課後に先生の候補者2名の模擬授業をした。模擬授業にでるとお菓子とかジュースがあるから素敵なのよね。1人目の先生は女の人でフランスでタイ語を教えていたのでフランス語ばっかりでて困っちゃうといいながら流暢な英語で喋っていた。嫌み?雰囲気は楽しいしかわいかったのでまあいいけどタイ語に間する知識は少なかった。2人目は男の人で最初は暗くてつまんない雰囲気だなと思ったんだけど単に緊張していただけみたいでそのうちキャラが私のつぼにハマって結構面白かった。しかもタイ語の知識も今までの人の中で一番あったし、予習もちゃんとして来ていたみたいなので好印象。私は2番目の先生一押し。でもイラク人達は最初の先生の流暢な英語と女だと言うことにだまされていた。単純よね。

模擬授業の後ははるみ先生達と焼肉を食べに行ったけどいままでのなかで最高に面白くなったのでとっとと帰って来た。私の嫌いな人に久しぶりにあったら自分がどんなにそいつが嫌いだったかをまた思い出せた。収穫はそれだけ。


3月8日(土) ペッブリー

まいちゃん一家、まいちゃんのお姉ちゃんP'Mamの友達のオーストリア在住イラク人女、タイ人女P'Eeとペッブリーに行った。まいちゃんの運転する車に私とお母さん、P'Eeの運転する車に残りの人が乗り込んでいった。ペッブリーの有名なグアイティアウ屋さんでお昼を食べた後、一家の友達が支配人をしているFisherman's Villageというリゾートに行った。P'Mam組は月曜日までそこに滞在予定。新しくてすごく素敵なリゾートだった。部屋は全部コテージになっていてベットルームもシャワー室もきれい。スパとタイマッサージもあった。私とまいちゃんは浮かれてスパを予約しようとしたんだけど5時まで予約でいっぱいですと言われて断念。代わりにプールで泳いで遊んだ。その後は浜辺で遊んでいた。まいちゃんは「浜辺でヨガをしよう!」って張り切っていて私も一緒にやらされた。でも波の音を聞きながらのヨガは本当に素敵だった。夕方6時頃私とまいちゃん、お母さんは素敵なリゾートを引き上げてMKで夜ご飯を食べて帰った。

ご飯やガソリン代も全部払ってくれたので恐縮。


3月9日(日) アタックナンバーハーフ2

昨日調子にのってヨガをしていたせいで体中がいたい。更に調子にのって屋外で遊びまくっていたのでかなり日焼けしていた。ああ、色白れいちゃんが遠ざかっていく。

サトリーレック(邦題:アタックナンバーハーフ)の続編を見に行った。タイ人は結構楽しそうに見ていたし、公開3日目ですごく込んでいたけど面白くなかった。やっぱりコメディー系は笑いのつぼが違うだけにつらかった。その後日本人男と合流してワールドトレードのコカで食事をした。彼一押しのタイスキだっただけに美味しかった。帰りに歩いていたら約9か月前に買ったサンダルの鼻緒が切れてビッコを引いて帰って来た。199バーツにしてはかなりもったので満足。でも帰ってくるのが大変だった。途中でバイクに乗った二人組の警官にすれ違い様に「ははは、靴が壊れたのか?」って言われた。見ての通りです。声かけるぐらいなら乗せてよ。


3月10日(月) ランク付け

最近クラスでどうしょうもなくいらいらする水牛が2頭いる。発言がいちいちばかっぽいんだよね。そのうち水牛語録でも作ろうかな。その逆に最初はまったくもって眼中になかったんだけど最近株が急上昇している人もいる。見かけより知識もあるし、結構いいキャラしてる気がする。クラスが一緒だと結構個人個人の力量がじわじわと出てくるので面白い。

他人のことはとかくうらやましく見えるのは誰でも同じらしい。私もちょっと最近そんなことを感じて「ああ、人間がまだまだなってないわ」って思っていたらはるみ先生も人のことをうらやましく思うことがあるって感じてちょっと嬉しかった。あれもあんなだけど人間なんだなと。


3月11日(火) タクシン首相とプラチャイ副首相

タクシンとプラチャイの仲違いについてのニュースを読んだ。こういうニュース大好き。

背景。「プラチャイ副首相はバンコクのバーを深夜2時で閉める等の社会秩序政策を始める、汚職に関係していない等市民の間で清廉潔白な人柄(私にはどこまで本当かわからない)で人気のある人。彼は法務大臣時に法務省の腐敗問題に取り組んでいた。でも首相の義理の弟ソムチャイ法務省事務次官と対立し彼の画策によってタクシン首相は内閣改造をしてプラチャイ氏を法務大臣から閑職の副首相に追いやった。そのことについてプラチャイ副首相は不満を持っていてラジオで首相批判をした。」

本題。タクシン首相はそのラジオインタビューを聞いてINN(ニュースを配信したラジオ局)批判をしたのね。「在カンボジアタイ大使館襲撃事件のきっかけを作ったカンボジアの新聞と同じだ」=ニュースを捏造した。「でっちあげだ」「脳みそを何に使うかわかっていない」とかINNは証拠のテープを持っているからでっちあげじゃないことは確かなのに首相は感情に任せてアホな発言を繰り返したという話。

はるみ先生は「あの人はマハティールみたいな独裁者になりたいのよ。民主主義のタイでそんなことできる訳ないじゃない」と言っていた。タイが本当に民主主義かどうかは別として(だって言論の自由が制限されているでしょ?)タクシン首相の発言は結構自分の脳みそが足りないことをさらけ出している気がする。中国訪問した時に次期最高指導者胡錦濤国家副主席にお祝いを述べたことについて批判を受けて「そんなの言わない方がおかしい。」と逆切れした。マスコミがプラチャイ副首相のことをしつこく聞くので「これからは外交問題に間する質問しか受け付けない」と言った(後で撤回)。政府の麻薬撲滅戦争で1か月で1000人以上死者を出したことについて国連が人権問題の視察団を送るという報道に対して「国連は私の父親じゃないのだからいつでもくればいい」とか。ネタには事欠かない。はるみ先生はそういう報道について「テレビって首相のばかさ加減を国民にしかも何回もさらけ出すから楽しくって仕方ないわ」って喜んでいた。

体中がかゆく湿疹ぽかったので病院に行ったのに「あせもと遺伝です」ってわかったようなわかんないような説明をされたので薬だけもらって帰って来た。


3月12日(水) エジプト料理でお別れ会

日本に帰るチケットの値段を聞いて来た。1年オープンで帰ろうかな。

初級の頃クラスが一緒だった日本人男が日本に帰るのでエジプト料理店でお別れ会をした。いつもの通り知り合いの知り合いとか訳の分かんないメンバーが沢山来ていた。そこで私が昔初めてタイで働いていたのと同じ国際機関で働くことになった同じ大学の女の子と会った。まだ20歳だって。若いね。なかなかいい子だった。ちなみに私はその機関の事務局次長秘書初代なの。彼女は7代目。なんか懐かしくなってさ昔仲の良かった運転手さんに手紙を書いてしまった。


3月13日(木) 嵐のインテンシブ

またアパートの電話回線がおかしい。いいかげんにしてほしい。

今日のディスカッションのテーマは尊厳死。テーマ的には楽しかった。「もし両親のどちらかが意識不明で病院で治療を受けています。でもとても苦しんでいて助かる見込みはないだろうけど2、3か月はもつかもしれない。という状況の時に尊厳死を選びますか?」って言う質問をされた時に日本人の男が2人とも「もし本人の意志が確認できなかったら家族が一番その人のことを理解しているので家族が判断して尊厳死を選べると思う」みたいな主旨のことを言っていた。私はそれを聞いて「家族って言っても他人なのに本当にその人の意志が尊厳死を選びたかったて確信を持てるの?意識がなくなる前の意向もわからないのに勝手家族だからってだけで決めちゃうの?」って疑問に思った。

今日の初級は嵐だったらしい。私がちょっと遠因のような気もするので日本人の友達にちょっと申し訳ない。その嵐の結果わかったのは、アメリカ人男は尊大だ、彼はアジア人の女をある意味見下している。スウェーデン人男によると英語は国際語だからできないと頭の中身を疑われるらしい。オージーグループは意外と結束していた。日本人は最悪だ。全員じゃないけど大多数は陰口しか言わない。表舞台では嵐が過ぎるのをずっと待っているだけ。その上ファランの前だとへらへらしているだけだから本当は彼等にばかにされているのに気付いていない。もっと毅然としなよ。多国籍の場では黙ってたら「意見がないんだ」「どうせ俺らについて来るから意見なんて聞かなくてもいいよね」って思われるだけだよ。これって国際政治の場での日本政府と一緒だったりして。


3月14日(金) 大学の入学条件

タイの国立大学入学条件は変わっている。「独身」って言う条項があるんだって。未亡人とか離婚経験者でさえ駄目って言っていた。なんで?でも法律では結婚は親の承諾があれば女15歳以上、男18歳以上で結婚できることになっているんだよ。学問と独身と言うことに接点は全くもってないよね。先生もなんでかはわからないって言っていた。

夕方まいちゃんが一緒にご飯食べようと言うからワールドトレードで買い物&ご飯を食べた。相変わらず豪快に買い物をしていた。私はそんなまいちゃんを見学。最近本当に結婚したくなったみたいで「一緒に占い師に見てもらおうよ」って誘われた。昔は「占いなんて信じないわ」ぐらい言ってたくせに。


3月15日(土) 大学の先輩

この前知り合った7代目の知り合いの日本大使館の人の奥さんが同じ大学の卒業生だというのでずうずうしく私も便乗して合いに行った。All Seasons Placeというお馴染みまいちゃんのオフィスビルで中華料理とケーキをごちそうになってしまった。広い家に運転手つき車の生活はゴージャスで素敵だった。これなら日本帰りたくなくなるよな。奥さんは93年卒の人だった。私は97年。全くかぶってはいないんだけどやっぱり一緒の大学だった人って同じ場所で過ごしたことがあるので話を聞くだけで面白かった。私のいた頃は大学には冷房がない上に窓に網戸がなかった。しかも夏になると玉川上水の近くだったので蚊が大量発生してたんだよね。学生はうちわ&虫よけスプレーが必帯だった。私の友達は耐えかねて学生科に文句を言いに行ったら蚊取り線香を渡されて帰って来た。今はもちろん冷房入り。


3月16日(日) ルンピニナイトバザール

チャトチャックより快適だと言う噂のルンピニナイトバザールに行った。タクシーかバス以外交通手段がないのが面倒くさいけど素敵なところだった。区画整理がきちんとされていて通路も広い。まだお客さんもそんなにいないし夜なので涼しい。レストランとかもいい雰囲気だった。しかも売っているものはチャトチャックにあるものと一緒だし値段もほぼ一緒。お土産とかは絶対にこっちのほうがいい。洋服はまだまだチャトチャックの方がかわいいかな。

友達と話していて思ったのはタイ人女は外国人の男をちやほやし過ぎ。商売女だろうが普通の女だろうが外国人と見ると群がってキャーキャー甘える。学校でもファランの男には私的にそれはどうかなと思う男にまで女が群がっていて見ていて浅ましい。それは私が女だからそう感じるのか?スタバで休憩していたら顔見知りの店員とファランの客が「タイ語上手ね。」(私の心の声:そうか?)「本当にジョンはすごいのね」(再び私の心の声:なにが?)っていう会話が大声で必要以上にはっきりしたタイ語で繰り返されていて気持ち悪かった。それ以外にも女にハマって車や家を買ってやる男多し。何度も言うけどそれはあなたのお金がもてているんだからね。みんながみんなではないけどタイの女はチリで横領してもらった金で御殿を建てたあの女ぐらいしたたかよ。まあそれでいいならいいけどさ。


3月17日(月) 荷物を送る

昨夜は寝付けなくて結局寝たのは朝の4時だった。眠い。授業中も眠くて死にそうだった。しかも朝はいつもより早く起きて郵便局に船便を出しに行った。重いし眠いし超疲れた。教科書とかタイ語の本とか書籍だけ選抜したのに結局10kg以上した。船便で1870バーツだった。

帰りに戦勝記念塔のところでご飯を食べていたらもうすぐ帰る日本人男にあった。「これから友達にあっていらないものをもらってもらうんですよ」って言って暫くしたら戻って来た。友達っていうのは7代目だった。偶然。偶然。結局合流してご飯を一緒に食べた。日本人男も今日荷物を送ったらしいんだけど「僕は航空便で9kg2500バーツでした。」と言う話を聞いて大ショック。なんで私は船便なのに割高なの?しかも船便で2か月って言われたんだけど。この違いは何なんだろう。


3月18日(火) イラク対アメリカの戦争は起こるのか?

どうなんでしょうね。今日朝学校に行ったらイラク人男とはるみ先生が話していた。イラク人男はアメリカの攻撃は明日から始まると思うと言っていた。はるみ先生はアメリカは国連の承認がない限り戦争はしないと思うと言っていた。私はアメリカは安保理の承認がなくてもやる気まんまんだよと言ったら先生はアメリカが国連を無視してイラクを攻撃したら国連がイラク支援の為の軍隊をイラクに送るから承認なしの攻撃はあり得ないと言っていた。あり得ないって。国連は万能薬じゃないからね。

感情的に「イラクを攻撃したら罪のないイラク国民はがこんな目にあうのよ」って訴えられる方法は私は結構引いてしまう。人って他人が感情的になればなるほど引かない?私だけ?でもチュラでイラク人の友達ができて彼等のイメージが変わった。更に身近なアメリカ人を見ていてちょっと「お前はそんなに偉いのか?」と思ったのもある。でも個人的な理由だけじゃなくて普通に考えても今回(というか大学時代から結構)私は反アメリカ。だってイラク攻撃の理由自体がなんか言いがかりにしか聞こえないし、それなら国連の決議案を無視し続けてるイスラエルには何にも言わないの?って思うじゃない。


3月19日(水) イラク人達

夕方からネットで知り合った日本人の人と戦勝記念塔の焼き肉屋さんでご飯を食べた。食べ放題で69バーツだった。安いな。彼女からこれからについて色々アドバイスしてもらった。来週中にでもある場所に話を聞きに行こうかな。

多分戦争が明日にでも起こるである状況になってしまったのでとってもやりきれない。政治って結局無力なの?日本がこの話に関して少なくともタイでニュースを見ている限りまったくの存在感がないことが更にやりきれない。国連を無視して攻撃をするってことはこれまで国連の枠で一応動いて来た国際社会の枠組みってどうなるんだろう。日本政府は国連重視外交って言ってたでしょ。あれってどうなるんだろう。クラスのイラク人達はさすがに戦争が始まったらイラクに帰らなくてはいけないと思うと言っていた。でも本当は帰りたくない、タイで働きたいのにってすごく悔しそうだった。イラクの生活にはあまり帰りたくないみたい。そして私はそう言う彼等に対して無力であり続けるでしょ。悔しいな。


3月20日(木) 戦争と帰国

私は色々なことに憤りを感じている。

クラスメイトのイラク人男達は今日の3時にイラク大使館のお偉いさん達と一緒にイラクに帰ってしまった。帰国のニュースを聞いて電話した頃にはもう空港の中に入ってしまった後だった。あまりにも急なことだったのでびっくりした。つい泣いてしまったら「れいこ、なんで泣くんだよ。れいこが泣く必要ないでしょ?大丈夫だよ」って初級1からずっとクラスが一緒だったペアのイラク人男に慰められた。だってさ、彼等とはずっと初級から一緒に勉強して来たし、さ来週の休みには一緒に遊びに行こうよって話していたばっかりだったんだよ。何より彼等はイスラム社会やイラクに漠然とした不信感を抱いていた私のイメージを変えた人だったのよ。彼等がイラクに帰って無事なのかどうか、それよりもイラクまで無事に帰れるのか自体も心配だ。クラスに帰ったらはるみ先生は「強くなるのよ」って私に説教しながらも泣いていた。夜にテレビを見ていたらイラク人男達2人がバンコクの空港でインタビューを受けたり、携帯電話で話している(あ、私と!?)画像が流れて来て何か安心した。私とペアのイラク人男がいつものチェックのシャツを着てたのが何より日常性を感じられて嬉しかった。

私が憤りを感じているのは相も変わらず独善的でなんら正当性のない攻撃を仕掛けたブッシュ政権に対して。国民の意思を無視してそのブッシュの背中を金魚の糞みたいについていく日本政府に対して。戦争に反対しながらもどこか遠い世界で起こっている様にしか感じられない日本人に対して。独裁を続けるフセイン大統領に対して。そもそもの原因らしきものを作ったビンラディンのテロに対して。その原因を作ったアメリカの中東政策に対して。そのまた遠因の世界大戦中のイギリスの2枚舌外交に対して。まあ、突き詰めて考えていくととまらないんだけど。何よりも結局はこうやってのほほんとタイで暮らしている自分に対しても腹が立つ。何かできたのかな?それともこれから何かできるんだろうか?


3月21日(金) やる気ゼロ

もう勉強やるきゼロ。気力もゼロ。集中力もなし。タイ語を学ぶ意味ってあるのか?って考えていた時に今回の戦争。やりきれない。授業中もちゃんとトルコに着いたか、ビザなしでトルコに入国できたのか、難民キャンプに入れられないか(これははるみ先生に入れ知恵されて心配になった)心配でたまらないのでつい彼等のことを考えてしまうのよね。イラク人達は存在感抜群だったから彼等がいないことがすごく目立つ。初級のそんなに親しくないスウェーデン人男に呼び止められてなんだろうと思いながら行ったら「戦争の話聞いたよ。イラク人達大変だね」って慰められたのでついつい「アシム達が帰っちゃったの」って泣きながら訴えてしまった。よく考えるとアポっぽい。でもその心遣いに感動。はるみ先生もくさくさしていて一緒夕飯を食べに行った。先生は普段女は強くあれと説いている割には涙もろくてご飯を食べながらめそめそしていたので一緒にめそめそしてしまった。

昨日今日はとっても動揺していたので「(第1妻有りだから)ペアのイラク人の第2妻になります」ぐらいの勢いだったんだけどよく考えたら昔冗談で話していた時に「れいこは第4妻だな」って言われたのを思い出した。どういうこと?

はるみ先生はコネを通じてイラクの彼等の家族に電話して家族は無事だと言うことを確認できたと言っていた。よかった。イラク人達も無事にイスタンブールに着いたんだって。しばらくはイスタンブールに滞在するみたい。はるみ先生の予定では戦争が終わったらバグダットに行くらしいので私も一緒に行く。それにしても大きな流れの中で彼等の行く末が心配。

友達の話だと初級の一部のファランの中では「ブッシュは正しい」という意見が出てるんだって。何を根拠に国際法を破ってでさえも予防攻撃を仕掛けることに正当性があるのか教えてほしい。そう言う話を普通の世間話の様にする彼等に対してやっぱりみんなひとごとなんだなと思った。そしてやっぱりファランはファランなんだなと思った。誇り高きイラク人達の方がよっぽど立派だよ。


3月22日(土) 豪勢にビュッフェ

気持ちが沈んでいたので景気付けに豪勢にホテルのランチビュッフェに行った。(注:アメリカ資本のホテルではない。)700バーツもしたけどローストビーフのグレイビーソースかけ&ヨークシャープディングやお寿司、ケーキ、エビのカクテルとか食べて話を聞いてもらっていたら大部昨日までよりは落ち着いた。昨日まではしくしくしていたんだけどようやくそれを怒りに変えるパワーもでて来た。何かしないとと言う気持ちで今はいっぱい。

昨日までは動揺しまくりだったのでイラク人たちがタイ政府に強制出国させられた(ニュースで言っていた)と聞いて思わず先生に「え、彼等はイラクのスパイだったの?」って聞いたら「何ばかなこと言ってるの。昼間は学校に来て夜はゴーゴーバーで遊びまくってた人たちがいつ情報収集するのよ」って言われた。そりゃそうだよな。

あるファランの発言集。「イラクは悪だ。ブッシュを支持する。」「宗教や目に見えないものを信じるのはばかげている。」「今回の戦争はゲームみたいだ。」「黒人は嫌いだ。」「南京で日本人が中国人を大量虐殺をしたことさえ日本人は知らない。」さあ、ここから見えてくるものは何でしょう?中途半端な知識と帝国主義的白人優位主義と度量の狭さ。この人にとって今回の戦争はやっぱり十字軍なんだろうね。そんなにファランであることが偉いの?


3月23日(日) 友達の選抜

戦争と言う非日常的な出来事が起こると周りの人の本性をかいま見ることができる気がする。タイ人のある先生は別に今までいい先生だと思っていたけどイラク人達が去って行ったことに対して結構冷たい反応で且つあまり真剣に戦争のことを考えていないことがわかったので私の中でかなり評価が下がった。ある人はあまりにも無知なのでうんざりした。ファラン達は結局「白人が一番だ」と思ってるんだと悟った。はるみ先生はイラク人達の家族に連絡を取ったり、心配で夜眠れなくなったり、お寺にタンブンに行ったり心から心配していて、すばらしい人だと評価が更にあがった。先生は私の理想。まいちゃんは本当にいい友達だと再確認した。私は自分の無知さ加減と無神経さにうんざりした。


3月24日(月) さぼった

初めて学校をさぼってしまった。ちょっとね。息抜きも必要。さぼったついでにフアランポーング駅に友達が来た時に行く予定のチェンマイ行きのチケットを買いにいった。そのあとまいちゃんとヒルトンホテルの中にある新しくできたグワイティアオ屋さんにお昼を食べに行った。

夜ご飯を食べていたらはるみ先生から「どうしたの?具合悪いの?大丈夫?」って電話がかかって来た。ちょっと罪悪感。

タイ政府は公式にはアメリカに対する支持を表明していない。けど匿名でアメリカを支援している国の一つだと言われているし、アメリカの要請に従って(否定してるけど)国内のイラク人を強制出国させたでしょ。どっちに転んでもいい様に対応してるようにみえる。ここまでずうずうしくなった国が国際政治では勝者になるのかもね。日本は別の意味でいつも中途半端だけどね。


3月25日(火) またまた戦争とはるみ先生の話

最近の日記はどうもれいこの政治思想発表会になってしまっている気がするけどまあ許して。世界情勢に無関心なのよりいいでしょ。

テレビのニュースによるとタイ政府は在タイイラク大使館員達が出国したのはアメリカの要請に従ってタイ政府が追い出した訳ではないと発表した。ここまでしか私のタイ語力では聞き取れなかった。

はるみ先生は「テレビで日本人の戦争反対のピースウォークを見たけどなんで日本人のピースウォークってかわいいの?キティちゃんの帽子をかぶっていたわよ。」って言われた。何考えてんだろう。戦争と言う状況に対して現実味を感じていない気がする。これが北朝鮮で起きていることだったら悠長にキティちゃんの帽子をかぶる?キティちゃんの帽子をかぶっていた人には私には思い浮かばないようなすごいメッセージが込められているのかもしれないけどさ。

はるみ先生は昔オーストリアに留学していた時日本人、オーストリア人、アメリカ人で食事に行ったんだって。その時にフォークとナイフの順番は外からだよねって考えたり、左利きだからフォークとナイフの位置を入れ替えたりしてたらアメリカ人に「きちんとした西洋料理を食べるのに慣れてないんだ」って笑われたらしい。腹が立ったので「ごめんなさいね。私達アジアの料理って繊細だからテーブルで野蛮なナイフを使う必要がないのよ。私達がナイフを使うのはキッチンだけなの。だからナイフをテーブルで使うのに慣れていないの。ほんと、アジアの料理って繊細よね。」って嫌みったらしく言ったらみんなその後無言で食事をしていたらしい。おかしいね。私はそこまで頭が回らない。


3月26日(水) 変な天気

ここ一週間雨が毎日降っていて変な天気。まだマンゴーシャワーの季節じゃないのにって先生も言っていた。洗濯物が乾かなくて嫌だ。

はるみ先生が夜電話をして来た。先生はまたイラクの友達のイラク人達の家に電話したらしい。彼等は無事にバグダットに着いたんだって。ちょうど本人は出かけていたけど無事は確かめられたらしい。多分ジョルダンから陸路で入ったんだろうと先生は言っていた。彼等が再び家族と一緒になれたことは良かったと思う。でもバグダットにいたら余計危険だと思うから心配。いくら「非戦闘員は殺しませんよ」ってどこかの誰かさんが言ったって戦争なんだからゼロって訳ないでしょ。ますますこの戦争が人事ではなくなってしまった。ちなみに多分タイの警察が先生にイラクに電話した理由を取り調べに来ると思うって言っていた。なんかやっぱりやりきれないわ。

最近マイケルムーアというドキュメンタリー映画の監督に注目していた。"Bowling for Columbine"面白そうだなと思っていたら本屋で"Stupid White Men"という本も見つけて更に注目。まだどっちもみてないんだけどさ。アカデミー賞をもらって「授賞式で会場を騒然とさせた」って新聞に書いてあったから更に注目。


3月27日(木) ジムトンプソンカフェ

友達とジムトンプソンのカフェに行った。雰囲気も温度調節具合も音楽の音量も(選曲はいまいちだけど)素敵だった。そこで友達(匿名希望)が言ってそうだよなと思ったこと。「日本は北朝鮮の問題があるから今回アメリカを支持すると言う理論は、一つの戦争を避ける(まだ起こってもいないのに)為にもう一つの戦争は支持するってことでしょ。それって結局は矛盾してるよ。」


3月28日(金) 最終試験

私にとって最後の進級テストだった。朝は1時間半を聞き取りをした。政府の進める住宅プロジェクトとイラクの戦争についてのタイ人のアンケート結果のニュースを聞いた。難しかった。午後は穴埋めと長文読解だった。量も少なくこれは簡単だった。オーストラリア人も一緒に進級テストを受けていた。はるみ先生に「あの人上級2から入るの?」って聞いたら興奮した口調で「そうなのよ。しかもオーストラリアの公務員だって言うからどこの役所?って聞いたら国防省って言ってたの。ああ、びっくりした。」って言っていた。私もびっくりした。最近のインテンシブはすごいね。イラク人達が残っていたらどんな感じだったんだろう。微妙なディスカッションが繰り広げられたんだろうな。

先生達と写真を撮ってからはるみ先生、もう一人の上級の先生と一緒にカフェにお茶をしに行った。いざ辞めるとなるとちょっと寂しい。先生達は本当によかったからな。


3月29日(土) 本を売る

古本屋に本を売りに行った。日本語の雑誌&本は9冊で90バーツ、英語のペーパーバックは2冊で60バーツだった。大変な思いをして運んで行った割には安かった。バスに乗っている時にまいちゃんから電話があってヨガ教室の後一緒に買い物に行った。今日ZENというデパートはミッドナイトセールで夜12時までの営業だったのでついつい長居してしまった。私は何も買わなかったけどまいちゃんは「これは今度行くフアヒンとクラビ用のショートパンツ」「これは土日につけるブレスレット」とか言ってまた色々買っていた。

お昼にホテルのカフェで一人お茶をしていたら日本人観光客がファランの観光客にいいようにあしらわれていたのをみてどっちの側にも腹が立った。別に放っておけばいいんだけどついつい気になるのよね。


3月30日(日) 軍隊

まいちゃんはまったく政治の話に興味がなくて私が学校で習ったプラチャイ元法相の話とかしてもあまり知らなかった。つまんないの。そのついでに「日本は憲法で軍隊を持つことを禁止されているんだよ」って言ったら「ええ!軍隊がない国がどうやって独立を維持してるの?」ってなかなかいい質問をされてかなり答えに迷った。軍隊がなくてアメリカにおんぶにだっこの国は今度の戦争を機に憲法改正論や安全保障問題は盛り上がっているんでしょうか?それとも何もなかった様に今までみたいになあなあで済ますのかな。でもアメリカがいざと言う時そこまで信頼できる国だってどうして信じられるの?


3月31日(月) イミグレーション

ウ゛ィザの期限がちょうど今日できれてしまうので延長して来た。あともう少しなんだけどね。イミグレのオフィスはバスしか交通手段がないので行くのがめんどくさい。その後旅行会社に行って帰りのチケットを予約して来た。アパートにもようやく帰る日を告げた。

最近のおきに入りはホテルのカフェで日本語の新聞を読みながらコーヒーを飲むこと。実はスタバより安いんだよね。それに今スタバには行けないし。今日は隣の席が中国人のおばさん2人組だったんだけど何度もげっぷはするわ、大声で喋るはで落ち着けなかった。ホテルには読売しかないんだけど論調は「イラク人もフセイン政権の崩壊を望んでるんだよ」って感じでうんざりする。だから、イラク人が望んでいるからってアメリカがわざわざ出しゃばることないじゃない。しかも新聞ではもう戦争が終わった時のことばっかりなのね。みんなそうやって忘れて行くんだな。でも忘れない。今も現にイラク人達は爆撃を受けてるんだし。はるみ先生は先週は何回かけてもイラクに電話が通じなかったらしい。