第85回 裁判員制度は、大丈夫か

いよいよこの5月から、裁判員制度がスタートする。
この制度の導入を知ってからわたしはずっと
「日本のこれからの裁判は大丈夫なのだろうか」と
漠然とした不安を抱き続けてきた。

理由は国民の理解や制度の基礎作りの体制が整わないまま、
まずは「制度の導入あり」の様相で、
見切り発車のような印象を拭えなかったからで、
なにか重大な意図があるのではと勘繰ってしまったこと。

過去に「ゆとり教育の導入」の際に、果たして「ゆとり教育が必要なのか?」と、
当初にその不安をコラムに書いた覚えがあるが、それから数年後に見直しとなった。
教育は見直しで再生ができるが、裁判員制度による「判決」の見直しには後がない。
だからこそ余計に不安を覚えるが、すでに裁判員の選出作業もすすみ、
葉書を受領した人もいる。

裁判員制度についてはウイキペディアで解説しているのでそれを引用しながら、
もう一度この制度を見直してみたい。

導入の理由と背景は
司法制度改革の一環として死刑制度に反対する公明党主導で導入された。
国民が刑事裁判に参加することにより裁判が身近で分かりやすいものとなり、
司法に対する国民の信頼向上につながることが目的とされている。
対象事件としては、死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に関する事件、
例えば、外患誘致罪、殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、
通貨偽造罪などとある。

それゆえに重大事件においてこそ国民が裁判員として関わることになるが、
その過程で残酷な殺人の証拠写真や供述等を知ることにより、
疾病に陥る恐れもあると指摘するが裁判員には守秘義務があるため
裁判員になることで知りえた秘密を悩みとして他人に話すことができない)
裁判員の心的負担は相当なものになるはずであるが、
現体制では「導入」が精一杯で裁判員の心のケアまでは
とても手が回らない状況ではないかと推測している。

法務省のHPにある導入の理由は
「裁判が身近になり、国民のみなさんの司法に対する理解と信頼が深まることが
 期待されている」とあるが、理解できない。

専門の高等教育を受けた司法のプロが、
素人の参加を受けなければ「理解と信頼」を得られないものなの?
素人の力などに頼らずに「理解と信頼を得る」のがプロの仕事ではないの? 
これはプロとしての誇りを捨て素人の力に頼るということになる。

つい最近、江東区の女性誘拐、殺人、死体損壊、死体遺棄事件の判決が出た。

東京都江東区のマンションで被告が二部屋隣に住む女性を
自室に拉致した後殺害した事件でその残虐性が際立っていた。
女性を暴行する目的で自室に拉致し、その後喉を一突きにして遺体を切り刻み、
骨まで粉骨してトイレに流して証拠隠滅を図った。

裁判員制度のスタートを目前としたこの事件の判決で、
モデルケースとして今後このような残酷な遺体処理の証拠写真を、
裁判員に証拠物件として提示するかどうかが論議を呼んだ。
多くの識者があまりに残虐極まりない証拠写真を裁判員に見せるのは
精神上の理由から反対の立場を取った意見を寄せたが、
これも納得がいかなかった。

事件の残虐性を正しく伝えるためには、その方法が採用されなければ意味がない。
残虐だからと決め手になる証拠写真を覆い隠すのであれば、
それは事実を過少に伝える範囲での判決となり、まともな裁判とは言えない。

裁判員制度とは裁判員にそのような負荷をも与えるものだということを、
当初から覚悟したものでなければならないのではと思う。

裁判員の適用範囲として重大な刑事事件に限られているのは、
米国資本の日本進出にあたって米国の国益を守るために米国企業が対象となる
可能性の少ない殺人などの刑事事件に絞ったと指摘されているとのこと。

米国企業が外国企業と争う裁判で米国の陪審員が米国企業に
有利な判決を下すケースが多く、日本企業の多くが特許裁判などの米国の裁判で
米国民の陪審員に不利な判決を下され巨額の賠償金を取られてきたことから、
裁判員制度で日本においての米国企業が逆の目に遭うことを心配したとしている。

これが事実ならば、
日本の裁判員制度は他国の国益に配慮したものでもあると言えるだろう。

裁判員制度への国民意識について、2005年に内閣府が行った世論調査によれば、
参加したい(5,6%)、参加したくない(70.0%)で
国民の意識は圧倒的に否定的である。

それにもかかわらず、政府は判員制度導入に積極的な姿勢をとり、
それがタウンミーティングのやらせまでに繋がった。

法曹界は否定的見解として、
「国民にまだ(裁判員制度の導入や詳しい内容が)十分に浸透していないのに
時期尚早ではないのか」といった意見や
「裁判員制度を導入したところで、国民の負担が増えるだけで、
 政府が考えるほどの効果は得られない。廃止、凍結すべきだ」といった
反対意見が出ているとしている。

わたしが懸念していたのは、この反対意見の内容に全面的に重なる。
もっと慎重に検討してからでも導入は遅くはないと思うからである。

合議体の構成としては原則、裁判官3名、裁判員6名の計9名で構成するが、
裁判官3名と裁判員1名で犯罪は成立する。
裁判員5名が犯罪は成立しないと判断した場合、
犯罪の成否に関する事実については一部の例外を除いて犯罪の証明がないとして
無罪として扱うこととなるものと考えられる。

英米のように評決不能として裁判をやり直すわけではないというから、
重大事件の判決が素人の裁判員によってそのまま成立する可能性もあり得ることになり
恐ろしいと感じている。 
日本の安易なメディア操作が裁判の結果に重大な影響を与えかねないのも恐ろしい。

イギリスでは予断を与えるような事件報道は、
法廷侮辱罪により規制されているというが、
日本のメディアは野放し状態である。

松本サリン事件等でも実証済みであるが、
興味本位の報道で世論がマスコミやメディアによって操作される例も珍しくなく、
日本では「情報を評価・識別する能力」が確立されていない」という現状が、
裁判の公正性に影響があるのではないかと懸念する意見もある。

これらの多数の問題を孕んだまま、
多くの国民が反対する中で日本の裁判員制度はスタートする。

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