第82回  羨ましいことは羨ましいが・・・

昨年のリーマン・ショックに端を発した、
未曾有のあるいは100年に一度などと称されている不況に、
政治の世界は総選挙を睨んでの駆け引き一色である。
そこには国民の生活を思いやる姿勢はどこにも見られない。

国民のひとりとしてただ手をこまねいているだけの身に、
自分自身が腹立たしくなってくる。
国会前にでも座り込んで「国民を第一に考えろ!」と叫びたい心境でもある。

そのような時に思い出すのが韓国の国民性である。
日本人と顔の造作が似ているし、
九州からは高速船でもひとっ飛びという隣国だから、
韓国には日ごろから親近感を持っていた。

しかし、顔や文化が類似していても大いに非なるものがあると、
ニュース場面を見たり実際に訪韓した際に感ずることがある。
それを強く感じたのは、事件の例では韓国のお坊様の騒動である。

ニュース映像のそれは、韓国で最も古いと言われる名刹のお寺の欄干に、
片足をかけ太股をあらわにした血気盛んな様子のお坊様が、
さらに上半身裸になり、筋骨隆々としたその体に頭から灯油をザバッとかぶり、
己の身を焼いた場面である。

すごく迫力のある映像だった。

韓国宗教界の内紛で大いにもめていたそれは、
お坊様がお寺を占拠してたてこもるかなり世俗的な事件で、
ニュースには格好なネタだったせいか逐一取材され、
焼身自殺の衝撃場面もその過程で起きたものだった。

そのとき思ったのは、日本人のお坊様が同じ状況に陥った場合、
このような勇ましい場面がみられるのだろうかと感じたことである。
日本人の、特にお坊様(生グサは除外、本来の僧ではない)と言われる人たちが、
ここまでやるものだろうかと考えたとき、
日本人と韓国人の国民性の違いを感ずる。

韓国大統領の弾劾がらみで、韓国が大揺れに揺れたことがある。
韓国の盧武鉱(ノムヒョン)大統領が弾劾訴追を受け大統領権限が停止した件で、
国中が大変な騒ぎになった。

そんなある日の韓国国会の議場のニュース映像を見て唖然とした。
罵り合い、もみ合い、つかみ合い、殴り合い、馬のりや騎馬戦? まで。
ここまでならわが国のセンセイ方も負けてはいない。
同穴のナントカである。

しかし神聖であるはずの議場に、修学旅行生の旅館の部屋のような白いシーツの
寝具用の布団がそこかしこに敷きっぱなしになっている映像を見せられたときは、
我が目を疑った。
弾劾の議決の妨害を試みた議員たちが議場に布団を敷いて泊り込んだのであるが、
いかに堕落した日本の議員センセイ方でも、
神聖な議場に布団を敷いて泊り込むような愚挙は絶対にできないと信じている。
それが日本人たるゆえんとも思っている。

つまりどのように激しても、日本人はあと一歩を残して踏みとどまる理性が働く。
しかし韓国の人の激しさときたら、
理性の垣根をポンと取っ払ってしまうところがあるのではないの?

その激しさは良い意味での自己主張をいかんなく発揮する。
弾劾に抗議するデモ隊は首都に溢れ、そのうねりは国中に波及した。
日本で同じような状況が起きたとき、
このように国をあげての関心事として行動が巻き起るだろうか。
ニュース場面を見て羨ましいと思った所以である。

某評論家は「韓国人は日本人と違って愛国心が強い」と述べた。
その理由を次のように語った。
「ある年齢に達すれば2年間の兵役の義務がある。
 その中で愛国心を徹底的に叩き込まれるから」

果たしてそうだろうか。

あの唐辛子のような真っ赤でヒリヒリする激しさは、
やはりDNA発の国民性だと思っている。
ある意味ではすごく羨ましくもあり、
一方ではたまらないと感ずることもある。

それは日本人の国民性にしても同様であると思うが、
良いことばかりではないということに尽きる。

ほどほどに理性が働き、腐敗政治に怒りを燃やすときは徹底して激しく燃える。
なんとかおいしいところだけをミックスできないものでしょうか?

HOME TOP  NEXT