第80回  機械に牛耳られる人間の屈辱とプライド

最近のニュースで現在行われている車の開発をレポートしていた。
それを見ていてなぜか気分がすっきりしなかった。

開発の内容は走行中の車の車間距離を一定に保つ装置で、
それを装着すると前の車との距離が近づきすぎると警告を発し、
それ以上は近づけないようになっている。

つまり、機械に走行中の自分の安全を託すということになりますが、
ついにここまで来たかとの思いがあった。

車間距離を一定に保って近づかなければ、
高速道路で起きるような多重追突事故は防げるので、
車の走行中の安全面では優れた装置と言える。
その一方で、人間の危険に対する管理能力を阻害することになりはしないの?

車の走行中に前車との車間に意識を注ぎながら運転をする行為は、
かなり集中力や注意力を要する。
その役目を機械が代用するようになれば、機械任せにしてはいけないとわかってはいても、
どこかで頼ってしまうのが人間である。

その結果、人間の意識や注意力がそがれてくるのは明白である。
文明の発達により自分が意識しないまま、
多くの能力が失われているような気がしてならない。

日本人は危険と思われる場所には看板を林立させ、
日本中の道路にはくまなくフェンスや鉄柵を張り巡らせ、
電車や巷では注意を喚起する放送を一日中タレ流し、
究極は列の並び方まで指導をする。
大人を幼稚園児並みに扱う超親切(お節介?)な国家である。

その果てが、自分の危機管理を他にお任せをする世界でも稀な民族となったようです。

それで事がすめば万事めでたしですが、
危険な場所にも看板やフェンスのないところはたくさんある。
その場合はどうするの?
自己責任が当たり前の国へ行った際の対応はどうするの?
危機に対する自己管理能力が急に芽生えるということはあり得ないから、
何事も日ごろの心構えが大切になる。

車の運転にしても横からの飛び出し、他車とすれ違う際の車幅間隔等々、
注意は前後の車間距離だけではすまないはず。
しかし車間の危険を機械に委ねた人間の能力の減退は、
総合的に見ると車の運転能力が落ちる結果につながらないだろうか。

このニュースの後日、別の車関連の装置をレポートしていた。
増加の一途をたどっている悪質な飲酒運転を阻止するための装置である。
装置に息を吹きかけなければエンジンがかからない。
アルコール分を検知したらエンジンがかからない仕組みである。

この装置をすでに義務づけている国もあれば、
今後生産する車に取り付けの義務を課する国もあるようですが、
日本ではNPOがトラックやバスにこの装置の義務付けをさせようと
活動しているようです。

最近、トラックやバス等の大型車両の運転手による飲酒運転事故が続いた。
運転手に酒を提供した飲食店主も逮捕された。
それを受けたテレビの特集番組で
日常化しているトラック運転手の飲酒運転の実態を放映していたが、
その内容は恐ろしいものだった。

アルコール検知器を装着するとなるとモラルも機械任せになり
人間としてはとても恥ずべきことになるが、
しかし車に取り付ける装置ならば、ぜひこちらを優先していただきたい。

外野から夫がタマを投げてきた。

「エンジンをかけたら携帯の電波が届かないようにする装置も取り付けろ!
 走行中の携帯電話の使用は一向に減っていないだろ!」

なるほど。

先日も前を行く車の様子がおかしいと思ったら、
携帯電話をかけながらの走行だった。

モラルも機械任せとなればとても情けないことになるが、
飲酒運転が引き起こす交通事故はあまりにも悲惨すぎる。

「飲んだら運転なんかさせないわよ!」
 
人間が機械に命令される屈辱はクスリになることでしょう。

この場合、飲酒ドライバーにそれを屈辱と思うだけのプライドがあるならばの
条件付ではありますが・・・ 
 

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