第75回 日本版シェークスピア、禅寺へ行け!

NHKの英語番組を見た。
いつも夜遅い時刻に放映されているものらしい。
夫は時間があるとよく見ているようだけれど、
辛抱のないわたしは時間を決めてテレビを見る習慣は拷問に匹敵するから、
わたしにとっては初めての番組だった。

その日の内容は、
日本の文化や精神を学ぶために日本に居を移した外国人の取材記録。
舞台は京都。

番組の内容の深さと丁寧な取材から語学学習番組というよりは
上質の日本文化の紹介ドキュメンタリーの印象が強かった。

さて最初に登場したのは、独特の様式を持つ京都の町屋という古い家に住む
中年の米国人男性。
町屋とは隣家と接して家が建ち並び、
通り庭と称される土間が表から裏まで抜けている造りが特徴で、
住まいの中にある小さな庭<坪庭>も独特である。
夏には土間を吹き抜ける風が涼しいと言われているが、
盆地の夏は蒸し暑く、また底冷えのする冬場には隙間風が吹き込んで、
暮らしの面からするとかなり住みにくいと想像するが、
米国人はとても気に入っているらしい。

随所に自然を巧みに取り入れた日本の住まいに対する尊敬の念と、
そこに住まうことの満足感であろうかと想像した。
入居当時には洗濯機置き場になっていた坪庭と称する空間を元の形に戻しているが、
改造された部分のすべてを原型に戻すことに意義を感じているようだった。

町屋の玄関の格子戸は、夏場は風が通るように素通しのもの、
冬場はガラスを入れたものとを使い分けている。
その他にも生活の知恵が住まいに行き渡っていてそれが風雅も演出しているから、
テレビを見ているうちに「町屋に住みたい」と思うようになるのは必定である。 

現在は若者や芸術家の間で町屋に住むのがトレンドだと、
雑誌の特集や以前のテレビ番組でも見たことがある。

外国人の二番バッターは、
日本の精神を学びに来た筋骨隆々の30代から40代の男性。

彼は柔道、剣道、居合道等5種類くらいの武術を修練した後、
武道だけではバランスが悪いと考え、文武両道に長けたいと茶道を学んでいる。
その日は茶室で彼がお手前を披露しながらのロケだった。

茶道や華道等の日本の習い事はあまりにも決まりごとが多く、
つまりは形式に満ちているのでわたしの苦手の分野であり、
これまでは習う気持ちになれなかった。

しかし、武術家のイメージそのものの彼が、
墨染めの衣を日本人以上にぴたりと着こなし、
見事な手さばきでお手前を披露しながら言った。

「最初はあまりにも形式が多く疑問に思ったが、
 一通りの形式を習得した後に非常に自由を感じた。
 今はとても自由な気分ですが、これは武術と多くの共通点があります」

なるほど、と納得して心を打たれた。

「形式を取得した後の自由」

わたしは日本文化に対するこれまでの自分の認識誤りを悟り、
彼のそのひと言に深い意味を感じ取ることができたせいか、
この歳になってはじめて茶道をたしなみたいと心から思った。

三番バッターはロシアから禅の修業に来ている30代くらいの男性。
来日歴はすでに9年ほどになる。
厳しい禅の修業をなぜわざわざと思ったが、祖国の体制の崩壊と関係があった。
それまで絶対と信じていたものがあっけなく崩壊したとき、
自身の精神も崩壊しそうになり禅の修業は自分自身を見つめなおすためだった。

彼は禅の修業を通じて自分の心を見つめなおし、
今はとても平安で幸せを感じているように見えた。
心の平安を見つけた者だけが持つ屈託のない静かな笑顔で
「ずっと修行を続けたい」と答えた。

今は悩みを抱え、心の平安を忘失した青少年のなんと多いことだろう。
専門家や有識者は頭だけで考えた場当たり的な知恵を出し合い、
そのつど青少年たちを右往左往させ、ますます混迷に陥れる。

ハムレットはオフィーリアに「尼寺へ行け」と言い放ったが、
わたしなら青少年に「禅寺へ行け」と言いたくなった。
もちろんわたし自身も行きたいと思った。
自分が日本人でありながら外国人に日本文化とその精神を見せつけられ、
情けないやらうらやましいやら、実に複雑な思いに囚われた。

大金を投入してせっかく取材した良質の内容を、
大袈裟な語りや凝りすぎた音楽の挿入で台無しにしている
民放のドキュメンタリーの製作者には、
ぜひこの語学番組を参考にして欲しいと思った。

わたしとしては今のテレビ番組で楽しみなのは、
ニュースとドキュメンタリーしかないのだから。

以前から禅にとても興味があったが、
このコラムを書いた後で、やはり禅寺へ行ってみようとネットであれこれ検索し、
自分に合いそうなお寺をようやく探し出したが、
ネットの案内では2ヶ月前の予約制になっていて、すでに満杯。
まるで人気公演のチケットを取るような状況になっていたけれど、
それを繰り返して未だに実現していない。

すでに禅寺へ行っている人は思ったよりも多いようです。

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