第73回  ドーナツの行列に見る日本人の価値観

読売新聞に「人気のドーナツの仕掛け人」のタイトルで、
ある人物の紹介記事があった。

「なるほど、この人物なの」
やり手らしいその面相につくづく見入ってしまった。

このドーナツについては過去にテレビ番組で
「こーんなに行列が出来ています」と興奮した口調のレポーターが紹介していた。
ドーナツに並んだその長さは650メートルにも及んだ。
たかがドーナツを買うために? と思うと異常な光景だった。

一方で、日本人男性と結婚して東京の下町に住むアメリカ人のエッセイストの女性が、
ドーナツに並ぶ日本人を見て驚いた様子を書いていた。
米国にあるそのドーナツの店はごく普通のそこらにある店舗で、
もちろん行列もなく特別の人気店でも有名店でもないから、
どうして日本でこのように騒がれるのかわからないという内容だった。

銀座へ用事で出かけた際に有楽町駅近くのビルの地下レストラン街に入った。
階段を下った先の地下街に、長い行列が出来ていた。
行列の先を見るとガラス張りの奥でドーナツを揚げている様子が目に飛び込んできたから、
「どうして日本人は行列が好きなの?」と首をひねってしまった。

かつて米国から上陸した違う店舗のドーナツも、
当初はやはりこんな風ではなかったのか?

読売の「LOOKにっぽん」という連載記事がある。
外国に住んでいる日本人の目からみた日本や、
日本に住む外国人の目からみた日本、
つまり外からみた日本の様子を紹介しているものだが、
日本という国は「価値観」という点において、
かなり他国と異なっているといつも感ずる。

ベルギーに住んでいる33歳の女性が
「流行に流されずに子育て」を寄稿している。

ベルギーでは豊かな森や古い町並みがとても大切にされ、
周囲の目や流行に流されないしっかりした価値観があり、
子育てにもそれが感じられる。
親は「良い」「必要だ」と思わない限り
子供に余分なものを買い与えないようにする人が目立つ。
親たちの考えを反映してか、おもちゃは木のブロックやぬいぐるみなど、
昔ながらの物が多い印象を受ける。
お菓子も日本のように次々と新商品が開発されない。
コンピューターゲームが流行したり、
次々と新しいキャラクターが登場する日本では、
子供や親たちは流行に振り回されて大変なのではと考えてしまう。
ベルギーでの価値観のおかげでじっくり子供と向き合うことが出来るのは
良い点だと結んでいる。

わたしから見れば、日本では子供ばかりか大人までが、
キャラクター商品に振り回されているのが現状のように思える。

寄稿にはスエーデンからの留学生のものがあった。
日本に来て一番驚いたのはテレビでバラエティ番組が多いこと、
コメディーやクイズ形式でも同じようなものが多いと感じたとしているが、
外国人ならずとも、日本人であるわたしも大いに感じている。

また彼は、テレビの番組内で使われている製品や流れる歌、
登場するタレントが身につけているものがとても注目されるが、
日本人はテレビで流れているものにとても敏感でそれを手に入れようとするが、
スエーデンではテレビ番組が流行を作っていると感じることはないという。
人々の服装は比較的簡素で流行はそれほど話題になりませんと結んでいる。

これらを踏まえると、日本人は自分の頭で考えることを放棄して、
マスメディアの発信する情報に振り回されているのではと分析すると、
納得がいくような気がする。

日本人の異常なほどのブランド志向にどうにも理解できないものがあったが、
かなり前の新聞記事の内容に納得した覚えがある。

「日本人のブランド好きは、自分で価値観が持てないために、
 お墨付き(ブランド)に頼りたがる」

日本には水戸黄門の<印籠(お墨付き)>に頭を下げる歴史文化もある。

集団を大切にして右に倣え方式で培われた文化は、
<価値観の喪失>という欠陥をもたらしたが、
それではまずいと西洋式の<個人主義>を取り入れたら、
今度は<いびつな権利社会>が誕生してしまった。

事件の被害者よりも加害者の権利が尊重され、加害者の関係者の傍聴は許されるが、
被害者の肉親は自分の考えを述べることが、最近まで叶わなかった。

また判断を放棄した「個人情報」とやらで、
福祉関連や病院業務で必要な情報まで規制の枠に縛られ、
世の中がうまく立ち行かない場面が続出している。

自分で考える力の重要性がようやくわかってきたのか、
教育現場でも自分で考える能力の育成にようやく取り組み始めたようですが、
日本の再生のためにはぜひとも成功してほしいと願っています。


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