第71回  料理も社会も匙加減が決め手

ある日の読売の記事のタイトルを見てギョッとした。
「3歳からの性教育・タブー視せず、親子で話そう」

あーあ、というのが記事を読んでの感想。

記事の要旨は以下である。
[子どもたちを性被害から守るために、幼児期から性について学び
親子で語り合える家庭環境を作ろうという機運が高まっている。
個人的な活動ながら各地で講座などが開かれており、
講師の養成をはじめたところもある」

具体的な例として、子どもへの暴力防止などの民間活動に取り組んでいる、
兵庫県西宮市に在住の47歳の女性の活動を紹介している。
カナダで出合った性教育に関連の看護師さんのプログラムに独自の改良を加えて、
2001年から関西の保育園や幼稚園、小学校等に出向いて出前授業をしているとか。
子どもと保護者に30分だけ話し、
その後大人だけを対象に1時間半ほど解説をするようだ。

子供向けの授業では、みんなで遊びながら体の様々な名称を教える。
次に「性器は自分だけの大切な場所だから見せてといわれたら
(いやだ)(やめて)と言いましょう」と、
被害に遭わないような対応をやさしく教えるようだ。
3歳児からの性教育は本当に必要なのだろうか?

誤解を招くといけないが、子どもへの性教育を否定しているのではない。
「3歳児から」という状況が、あまりにも早すぎると感じているだけ。

3歳児はちょうど知恵がつき始めた頃であると思う。
ようやく自我が芽生える時期に、いち早く性教育! 
ちょっと性急過ぎると思わないではいられない。
知恵がつき始めた大事な時期には、
もっと基本的な教えるべきことがたくさんあると思う。

子どもの性犯罪の犠牲者が多い昨今、親たちの心配は極度に募っている。
マスメディアが、ここぞとばかりに幼児からの性教育を取り上げる。
有名になった講師がテレビや雑誌に登場するのは時間の問題である。
あとはお馴染みの幼児性教育ブーム。

以前にも「男女平等論」のコラムでちょっと触れましたが、
山谷えり子氏(衆議院議員)が
「過激な性教育によりイージーなフリーセックス文化が
 子ども達を取り巻く環境で蔓延している」
「コンドームの付け方、性器が付いた人形を使った性教育は、
 明らかに学習指導要領を逸脱している」
と指摘し、子どもの性教育の現状に対し危機感を表明した。

それに基づき、石原東京都知事は都内の全学校を調査した。
その結果、かなり過激な性教育の実態が浮き彫りになった。

都内の学校では人形を使い、
女性性器を正面に向けて見せたりするなどの実践例が明らかになっている。
大阪府の某中学校では、
コンドームを男性性器の模型に装着実習させた実例が発覚。

性器を強調した人形を見せたり、コンドームの装着実習を行うといった、
学校現場での過激な性教育が問題となった。
これではコンドームを使えば安全と、
セックスを煽っているようだとの批判も聞かれた。

日本社会は「過剰反応」がキーワードのようだ。

「人権」に過剰に反応して本来の人権を見失い、
近年施行された「個人情報保護法」にも過剰反応で、
拡大解釈や意図的解釈で早くも「悪人をのさばらせる」環境を作り上げている。

一体、いつになったら日本社会は<匙加減>を上手く使いこなせるようになるの。
3歳児に性教育をする前に、ほかにするべき大切なことがあるのではないの。

今、小中学校で教えられている内容が性教育なら、
わたしは小中高と性教育は受けていないも同然。
中学校の保健体育の時間に女性生理についてちょっと触れただけである。
それでも、性は大切にしなければならないとなんとなく肌で感じていた。

それは当時の社会風潮である。
親からは折りに触れて口うるさく言われた。

「肌を露出しすぎた洋服を着ては駄目。安っぽい女として見られる。
 女は体を大事にしなければいけない」

その理由が具体的にはわからなくても
「そういうもの」としてわたしは大切にした。

今、躍起になって子どもに
「性器は大切な場所だから見せてはいけない」と教えても
社会環境を見れば説得力が皆無であるのは一目瞭然。
雑誌や映像、漫画等々、至るところで「大事な性器」を平気で露出している。
これらを野放し状態にして、他の諸問題と同様に
目先だけで辻褄を合わせようとしても無理がある。

3歳児からの性教育を考えるその前に、
大人に正しい性教育を施し社会環境を正すのが順序ではないの?

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