第65回 スーパーのスーパー教育

スーパーへは週に3回ほど買い物に行くが、
わざわざそのために足を運ぶのではなく、
大抵は散歩の帰りについでに立ち寄る。
そのころは空腹時のピークであり、
美味しそうな果物やお菓子が視野に入るとつい食べたくなるのが難点。

一過性のものとわかっているからちょっと我慢をして、
従来の買い物の品目である野菜類、魚類、肉類などを買い込む。
すると持参の袋がたちまちいっぱいになり両手に下げることになるが、
わたしの行きつけのスーパーはまことに不便で、
入口と出口が一方通行である。

つまり、入り口からは出られない。
当然のことながら出口からも入れない。

このスーパーは何を考えているの? と思ったのは、
買い物荷物のない時の入口は自動ドアで、
荷物を両手に抱えて利用する出口は自動ではないため、
客が手一杯の荷物に苦労しながら手動で押して出る。
普通は反対にするか、双方とも自動にするかのどちらかであるはず。
このようなスーパーの方式を他で見たことがない。

文句のひとつも言いたいが、近隣で評判になるほど商品が安いのに、
扱っている品物の品質管理も行き届いているから、
大目にみてあげましょうと、今のところは黙っている。

このスーパーはブランド食料品でも、
他店では考えられない安い価格設定にしてあるせいか、
遠方から車で買い付けにやってくる人もかなりいる。
そういう人たちのカートはアメリカのスーパーで見るような
大層な買い物で満杯になっているが、
これらを大きなダンボールに入れて出口を通り抜けるときは大変。

「なぜ出口の方を自動にしないの」

いつかは聞いてみたいと思っているけれど、
先日はあることを聞いてみたばかりである。

そのとき、わたしは会計に並んでいた。

キャッシャーは、女子高生のアルバイトのような若い感じの女の子。
わたしの会計の番が来たとき、次に並んでいた人の手の上に視線が落ちた。
中年の男性がお茶のボトルを一本だけ持っていたので、
すぐに「お先にどうぞ」と譲ったが、
男性は「いえいえ、結構です」と、遠慮した。

わたしの籠は満杯状態なので、男性をそのまま待たせるわけにはいかない。
キャッシャーの女の子に「こちらのお方を先にお願いします」と告げると、
彼女は、ちょっと鼻に抜けるような舌っ足らずの調子で
「アリガトウゴザイマス」とわたしに頭を下げた。
男性はお礼を言ってから、会計を先に済ませた。

わたしはかなり驚いた。

イマドキの若い女の子が、そこまで気を遣うとは信じ難かったので
「このスーパーでは、このような時にはお礼を言うように教育されているのかしら?」
と聞いた。

「はい、そういうように教育をサレテいます」と、彼女はニッコリ笑った。

(へー、驚いた。そこまで想定内の教育をしているとは、
 さすがにスーパーだけあって、スーパー教育だぁ) 

このスーパーの店員は平均年齢がとても若い。
例外的に会計にオバサマも見かけるが、
棚の商品の入れ替えや補充やらで飛び回っているのは、
ほとんどがアルバイトの学生と思えるような若い男の子であるが、
実に態度がキビキビしている。

このスーパーを何年も利用しているのに、商品の陳列棚をうまく覚えられないから、
そのようなときにはそばにいる店員さんを捕まえて聞くと、
即座に答えが返ってくるし、態度も好感が持てる。
さらに、断ってもわざわざその場所まで案内してくださるから、
かえって恐縮してしまう。

アルバイトとしか思えないような感じなのに、
どの店員さんに質問してもみな優等生である。
野菜売り場では野菜の知識に関しては何でも答えてくれる。
肉や魚の売り場にしても同様。
消費者としてはすごく助かるばかりか、商品管理も行き届いているから、
安心して利用できる。

そして、思う。

なぜ、そのようなスーパーの優等生が出口を手動にしているの。
数年かけてようやく覚えた商品の陳列棚の位置を、
どうして突然ガラリと変えてしまうの。 
商品を回転させるための戦略かもしれないが、
慣れ親しんだ消費者にはまことに不都合である。
店員がいないときはあちこちグルグル廻って探すが、
時間がないときは焦ってしまう。

店員にスーパー教育を施しながら、
店舗の管理姿勢がそれに伴わないミステリーは、
わたしの心に、ずっと引っかかっている。

次に行った時はこんどこそ聞いてみよう!


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