第62回 ワンチャンのウンチとAC公共広告

いつもお散歩をする河川敷をブラブラ3キロくらい歩くと、
子供連れや、寄り添って歩く若いカップルに混じって、
ワンチャンを散歩させる人の姿が多く見られる。

ある日、一匹のワンチャンが河川敷の土を猛然と掘りはじめ、
やがてそこへお尻をつけて気張りはじめたから、
ちょっと立ち止まってその様子を見ていた。

ワンチャンは上目遣いでわたしをチラリと一瞥したが、すぐに視線を伏せた。
その様子はいかにも「恥ずかしい」という風情を漂わせていたから、
動物でもウンチをする場面を見られるとはずかしいのね、と妙に感心した。

しかし、本当に感心したのはその後だった。

彼(?)はウンチの穴に向かって、また猛然と土をかけ始めた。
つまり、彼は自分の行為に対して最後まで責任を持ったのだ。

いつだったか、都心の公園のノラ猫ちゃんが、
コンクリート舗装の上をしきりに引っかいて、そこへウンチをした。
(HPのネコの写真集にあり)
彼女は見事にとぐろを巻いているウンチをなんとか埋めようと努力し、
コンクリートの舗装をまたガリガリ引っかいていたが、
その必死の姿があまりに哀れだったので
「もう、いいのよ」と、思わず声をかけたほどである。

つまり、畜生と言われるイキモノでさえ、
このように自分の後始末をきちんとつけることが出来る。

一方のニンゲンはどうなの。

最近は、同じ河川敷の草むらにはコンビニ弁当の空箱が捨てられ、
生ゴミを詰め込んだ白いビニール袋があちこちに捨てられている。
それを最初に見たときは、
浅瀬で餌をついばんでいる白サギと見誤ったほどである。

結局、ニンゲンは自分の始末をきちんとする度合いにおいては、
いまや畜生以下に成り下がってしまったということになる。

そのような世相を反映してか、いつのころからだろう、
AC公共広告機構なる名前のテレビコマーシャルを見かけるようになった。
その内容たるや、ニンゲンを畜生以下にさせないための御教育の
切なる手段のように思えてならない。

AC公共広告機構のHPによると
「広告のもつ強力な伝達力や説得機能を生かし、
 社会と公共の福祉に貢献することを目的として、
 1972年(昭和46年)「関西公共広告機構」として大阪で発足。
 1974年には社団法人の許可を受け、現在、全国に8つの本・支部を持ち
 活動を展開しています。いま、日本社会は変革期を迎え
 新しい秩序を模索しています。
 そうしたなかにあって市民社会の礎である公共意識の高揚を図り、
 社会の進歩と公共の福祉に寄与していくのが私たちの使命です」
とある。

組織としては、約1300社の企業を会員社(正会員)とし、
公的資金をいっさい受けず、会員社の会費で運営されているようだが、
その企業とは、毎日のテレビコマーシャルで必ず見るような
一流企業のほとんどが名前を連ねているから資金は潤沢なのか。

しかし、その豊富な資金をもっと有効に活用できないものなの?

少し前に東京で流されていたAC公共広告機構の啓発コマーシャルは
「江戸しぐさ」という公共マナー広告である。
東京で都市生活をおくる人を対象としたものであるが、
知らない同士が細い道ですれ違ってぶっつかりそうになったとき、
傘を少し傾けてちょっとした挨拶を交わすシーンをアニメで放映していた。

もう一遍は、お馴染みの乗り物の中で席を譲るというもの。
大人も子供もこの広告を見て「イキにマネしてくれることを願っている」
とのことである。

だが、席の譲り合いのお願いは、
車内放送ですでに騒音状態でタレ流され続けている。
世界でも類をみない日本独特の公共マナー教育である。

その上、さらに大金をかけて同じ内容の広告をテレビで流す必要があるの?
日本国民のマナーや常識はどん底まで落ち込んでしまっているようだが、
広告だけでマナー教育を済まそうとするのは無理があると、
そろそろ認識すべきではないの?

マナー教育は幼少時から、
家庭、学校、世の中の環境が一体となり実施してこそ実を結ぶものであり、
広告でインスタントにまなーを植えつけようとする姿勢が問題ではないの。

現在流されているAC公共広告機構のCMは、
臓器移植関連のキャンペーンのようですが、
これなら納得!


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