第61回  画像のタレ流し公害

福島県会津若松市の17歳の県立高校の男子生徒による
母親の首を切断事件に日本中が震撼した。

その後の新聞でも三重県で15歳の無職少年と、
県立高校3年の17歳らによる少女の小指切り落としが報じられていた。
切断した指をカレー鍋の中に入れたとしているが、
青少年のあまりにおぞましい犯罪が増えている。

その背景を考えるとき、
青少年を取り巻く社会環境が影を落としていると思っているが、
大人たちはこれらに無関心すぎると感じている。

わたしは以前から残虐映像やポルノ画像が与える青少年への悪影響を懸念して、
商業メルマガのコラムで強く訴え続けてきた。

以前、42人の中学生が無人島で生き残りをかけ、
凄惨な殺戮を繰り返す「バトルロワイヤル」の上映に関して、
映倫(映倫管理委員会)は「R-15(15歳未満には見せられない)」に指定。

さらに国会での審議にまで発展したことがあるが、
その際、見せても良いとの意見も少なくなかったので、
なぜこのような映画を見せる必然性があるのかをコラムで問いました。

その際、中学生を持つ読者の母親から
「いやなものに蓋をするのはよくない。このようなことをしてはいけないという
 命の尊さを知るために、教訓的な意味で見せても良いではないか」

年ごろの子供を持つ母親はわたしのコラムに反対の立場を取ったが、
驚くより呆れた。
現状を把握していない無責任な内容だったからである。

実際、情報がどれほど人間生活に影響を与えるものなのか。
その母親の世代の女性たちを例にとってみても、
マスメディアに煽られ、やれヨンさま、ハンカチ王子さまと、
黄色い嬌声をあげている。
他にも情報に煽られた馬鹿げた現象が世間にはあり過ぎる。

年齢からすれば、精神的に自立していると思える世代さえこの有様で、
分別盛りの中高年が情報に振り回される様子は今では珍しくもない。
それを精神が発展途上の青少年にダイレクトに与えたら、
ひとたまりもないはず。

前述の事件にしても、その内容がアメリカのヘヴィイ・メタルバンドの
マリリン・マンソンのビデオの内容に酷似しているという。
ニュースでチラリと映像が流れたが、
白く塗られた腕が林立する気味の悪いものだった。
同じビデオに首を切断した映像もある。
母親の首を切り落とした少年は、
母親の腕を植木鉢に突き刺していたのではなかったか。

少し前に起きた、アメリカのコロラド州のコロンバイン高校銃乱射事件も
このグループのビデオに影響されたと報じられている。
青少年の陰惨事件に詳しい識者は
「青少年の起こすこれらの事件は学習的な犯罪が多い」と語っている。

団塊世代の別の識者は言う。
「我々の時代は本を読み想像したりしたが、
 今はそれをすることがないままいきなり事を成す」

思考が浅いゲーム時代の子供たちに、
残虐な映像やポルノ画像の刺激がダイレクトに伝わってしまうのだから、
その恐ろしい環境から子どもを守らなくてどうすると言いたい。

「子供にも見る権利がある」とは、
物分りの良い大人を装う無責任な大人の弁であるが、
この場合の子供の権利とは<見る権利>よりも、
悪環境から<守られるべき権利>ではないの。

日本がおかしくなったのは<行き過ぎた個人尊重主義>ではなかったか。
日本の個人尊重主義は西洋から取り入れたものであるが、
西洋では個人尊重と共に社会的責任も同時に教える。
「日本は都合の良い個人尊重主義だけを取り入れてしまったのが原因」
と分析する識者もいる。

折りしも数日前のニュースで、アメリカで映画の喫煙シーンの<R指定>が
論議されていると知った。
わたしでもそこまではと言える厳しさだが、
日本以外の先進諸国は子供を守る観点から、
映像のタレ流しには過剰なほど敏感に反応する。
日本ではほのぼのした「どらえもん」の内容さえも、
殴るシーンが暴力的と問題になるケースがあるほど。

たとえ単純に殴る程度の画像でも、真っ白な幼児がそれを真似するうちに、
気がついたら黒い暴力カラーに染まっていた。
それを懸念するからだろう。

それゆえ、日本でタレ流されている残虐画像をみたら、
日本で多発している陰惨事件は、それなりに納得することだろう。

ちなみにネット上の児童ポルノの画像は、
80%が日本発という恥ずかしい内容である。

なぜ日本は画像の規制に甘いのか。

マスコミは何かというと「表現の自由」を声高に叫ぶ。
自由には責任が伴うものであるが、
マスコミはその責任を果たしていると胸を張れるのだろうか?
残念ながらその片鱗も見えないのが現状である。

無責任な「表現の自由」に対して、
なぜ政府や行政はひるまずに対処できないのか。
他の先進諸国に見習えないのか。
というより、本来はお上の力を以ってするより前に、
マスコミの自浄努力が奮起すべきなのでしょう。

<社会の木鐸>を捨てて<諸悪の根源>に成り下がり、
拝金主義に手を貸しているマスメディアには、
今さら期待できそうにないけれど。


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