ネット姫のつぶやき爆弾


第58回 クジラの勝手

みなさまは「クジラ」にどのようなイメージをお持ちですか?

「カワイッ!」

これがわたしのクジラへの気持ち。
あの巨体にもかかわらず・・・

テレビの画面に登場するこのごろの人は、
なにかにつけて「カワイッ!」を連発する。
「なんて語彙(ごい)のない人たち」と、
他人には厳しくても自分のこととなるとこの始末だから、
わたしもずいぶん勝手な人種です。

それはさておき、クジラは古来より日本を代表する食文化。

IWC下関会議推進協議会の鯨ポータルサイトによると、
クジラは太古から肉はもちろん皮や五臓六腑まで余すところなく利用され、
煮ても焼いても刺し身でもよしとされている。
日本のクジラ料理は世界にも例をみない素晴らしい食文化とある。

「やめて!クジラを食べちゃう話なんて」と声が聞こえてきそうですが、
クジラのお陰で、日本人は生き延びることができたとも言われている。
それほど深い繋がりがあるこの食文化が、世界を敵に回す原因ともなっている。
とくにアメリカからの風当たりが強いようである。

かなり古い話になるが、
1972年にストックホルムで開かれた第一回国連人間環境会議では、
アメリカが提案した商業捕鯨の10年間禁止の審議をすることになっていたが、
日本代表団が定刻に会場に着いたのに他の国は誰も来ていなかった。
事務局に問い合わせると翌日に延期されたとのことで、
奇妙な事に日本側だけが延期を知らされていなかったというから、
まるで子供じみている日本イジメではありませんか。
捕鯨問題に関しては、どこへ行っても非難と差別の嵐に遭遇して、
日本代表団の方々の心境はいかばかりかと、思いやられる。

インドでは牛が神聖なものとして大切にされている。
人や車は牛をよけて通り、彼らは都会でも悠々と道路上を闊歩しているから、
インド国民の感情からすれば、欧米のステーキ三昧(ざんまい)の生活は
とうてい許されないものであるはず。
それでもインドの人たちがアメリカに抗議をしたという話は聞いたことがない。
もちろんわたしたちだって「牛はよくて、なぜクジラはダメなんだ!」なんて、
報復抗議などした覚えはない。
それがお互いの食文化の相違を認め合い尊重することではないのだろうか。

以前、韓国で食用にされる犬たちを見かけた。
狭い檻に押し込められているたくさんの茶色の犬たち。
彼らは自分の運命を知っているのか、鳴き声ひとつたてずに悲しげな表情のまま、
お互いの身体を寄せ合ってじっとしていた。
その姿はとても正視できるものではなかった。
犬が大好きなわたしは、今思い出しても胸が潰れる思いがする。

食文化の違いはとても魅力的である反面、
摩擦や争い事の原因の種になることもあり、厄介でもあります。

その食文化にかかわる衝撃的な事実が最近になってわかった。
水産庁が毎年行ってきたクジラの調査結果であるが、
オキアミのような微細を主食としていると思われていたミンククジラが、
サンマやイワシ、イカなどを大量に食べていることがわかったという。
クジラが1年間に食べる魚の総量は、一部の種類のクジラの食欲でさえ、
全人類の漁獲量の3〜6倍に上るというから、彼らの胃袋は想像を絶する。

つまり、このままクジラが増え続けて魚を食べ続けたら、
人間の食べる分は、将来的にはなくなる運命となりそうである。

ちなみに鯨のポータルサイトによると、
2000頭のミンククジラを100年間獲り続けても
資源的にはなんら問題はないとのこと。
クジラは、地球人口の爆発的増加に伴い問題となる食料資源として、
注目されているとのこと。

増え過ぎたら殺す!

これが従来人間の行ってきた常套手段であるが、
じつに勝手だと思いませんか?
その良い例(悪い例?)が、
すこし前に話題になった<コアラ2万頭処分>論議。

オーストラリアのある島でコアラを保護した結果増え続けてしまい、
試算では2万頭を処分しなければ生態系が壊されるとのことで、
持ち上がった論議である。

オーストラリアから初めて日本に数頭のコアラがやってきたとき、
受け入れ側の動物園の飼育係の方の奮闘ぶりは涙ぐましいものだった。
その努力にもかかわらず、たしか1頭か2頭が死んでしまったと記憶している。
コアラ飼育の奮闘ドキュメンタリーを見ていたわたしは、
「あんなに苦労したんだもの」と、飼育係の方の労苦と心中を思いやったが、
オーストラリアの国民はちがっていたようだ。

「もう、絶対に日本にコアラを贈るな!」との声が、
国中から沸き起こったと聞いている。

1、2頭のコアラの死に怒った国の内から、2万頭の処分論議が起こるとは、
やはり人間って随分勝手じゃありませんか。
効率のよい殺し方をレクチャーする行政のサイトまであり、
それを読んだときの戸惑いを覚えている。

このままクジラが増え続けて魚を食べ続けたらどうなるのでしょう・・・

わたしはクジラにちょっとでも触れることができるなら、
一生分のシアワセの半分を使い切っても良いと思っているほどだから、
これから先のクジラの運命がとても気になる。

しかし、捕鯨に係わる方がたのご苦労や、
日本の食文化の伝統に思いを馳(は)せると、
なるべく事態を客観的にとらえるように努力をしなければと思っている。

悲しいことに、わたしの数ミリグラムの脳ミソでは、
この先も最良の解決策など思いつきそうにもありません。

グリンピースの活動家は、ことがクジラやイルカになると、
小さな船で捕鯨船に体当たりするほど過激になるようであるが、
クジラは可愛いいが、牛は食べられて当り前というのは、
ネット姫的やぶにらみ診断では、
人間にたとえたら美人と不美人を差別するのと同じようなものではないの?
グリンピースの奇異に映ることもある過激な行動目的は、
クジラ保護のほかに莫大な援助金にもあるのではと勘繰ってしまう。

イルカは頭が良いけれど、豚はお利口さんでないとなると、
秀才と鈍才を差別するようなもんじゃありませんか?と、
思考回路が短絡なわたしは思いこんでしまうのですが。

人間界では許されない差別が(実際にはときどき見られるが)
動物界では許されるなら、これも人間の勝手じゃないのかしらん。

クジラは人間たちの思惑を尻り目に、
今日も大海原を悠々と泳いでいることでしょう。
もしわたしが彼らにインタビューを許されるなら、
ひとつ聞いてみたい。

「みなさんはとても食欲が旺盛でいらっしゃいますが、
 そのせいで人間の漁獲量が危うくなっているようですが、
 それについてどのようにお考えですか?」

きっと彼らはこう答えるかも・・・

「そんなのクジラの勝手でしょ!」

・・・スミマセン・・・


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