第41回  アルザスの怪盗アルセーヌ・ルパン

日本における美術展の盛況ぶりは目を見張るものがある。
あの人込みを頭に描くとわたしの出足は鈍ってしまう。
じっくり美術を鑑賞する雰囲気が感じられないから。

日本人は、美術展や美術品にことのほか敏感な国民なの?

本物に憧れ、お目にかかってみたい美術賛美派から、
とりあえず話題になったものは見ておき<話の種>の野次馬までが、
観客動員数を押し上げているようでもあります。

この手のニュースを聞くと、きまって思い出す新聞記事がある。
以前、読売に「アルザスのルパン」なる変わった記事が掲載された。

欧州各国の美術館で7年間にもわたり盗みを繰り返していた、
アルザス地方のシェンツィラー村に住む31歳の男が、
スイス警察で取り調べを受けていると言うもの。

男は巨匠の絵を含む2399点を盗んでいたが、
手口は大胆巧妙、誰にもけがをさせていないのが特徴。

だから<ルパン>の称号を与えたの?

普通、高価な美術品の盗難といえばほとんどが転売が目的であるが、
この男はすべてを自宅に持ち帰り、
自室に飾って壁の展示を定期的に変えては悦に入っていたとか。
傷んだ美術品の一部の修復を試みようとするなどして、
大切に扱っていたというから、彼は真の美術愛好家なのでしょう。

当初、男は取り調べに非協力的だったが、
美術品盗難専門の刑事が担当になると、にわかに自供を始めたと言う。
刑事と犯人の立場の違いを越え、美術愛好家同士の意気投合の観があった、
と関係者は述べている。

取り調べの間、同容疑者の一番の気がかりは、
盗んだ美術品がどうなったかであるが、
母親が絵画を細かく刻んで近くの運河に投棄したため、
大半が修復不可能になったことを知るとふさぎ込んでいたという。

男の気がかりは、証拠隠滅の疑いで逮捕された母親よりも、
自分の盗難コレクションがダメージを受けたことにあったようだから、
相当のコレクターぶりである。

損傷した美術品の総額は20億ユーロ(約2320億円)にものぼり
半端な額ではない。

しかし、以前に書いたコラム<豚に真珠>の中で、
「美術品の価値なんて誰が決めたの?」と疑問視している我が身には、
あまりピンとこない数字であるが、
その後の読売の記事でその思いはさらに強まった。

記事はローマ支局からであり、これまたユニークな内容のものである。

イタリア南部のシチリア島で行われた文学コンテストに、
地元大学生がノーベル賞受賞の詩人の作品で応募したところ
「凡庸」との理由で落選したというもの。

学生の真意は「審査員の能力のなさを証明するため」だったというが、
審査員は「優れた点が認められない」との判断を下していた。

してやったり!

これを読んだわたしは、コラムの<豚に真珠>に書いた疑問点の答えが、
このエピソードに凝縮されていると思ったものである。

ノーベル賞作家の作品を「凡庸」と評したことで、
シチリアの審査員の能力がないと学生は決めつけているが、
それは正当ではない気がする。

そもそも、ノーベル賞を選ぶ審査員はえらいときめつけているところに、
この問題の落とし穴があるのではないの?
つまり、先入観が大いに影響していると言えるのでは。

果たしてノーベル賞を選んだ審査員は優れていたのか。
優れていたとしたらその理由は?

他人の作品を評する場合に、審査をする人の感性や好みが
選ばれる作品に投影されるのはごく当り前であり、
この事実は世間でも知られている。
したがって、ノーベル賞の審査員と、シチリアの審査員の感性や好みが違っていた、
というだけのことに過ぎないのかもしれない。

この種の相違は、芥川賞をはじめとする様々な賞の分野の審査員同士の間でも、
しばしば取り沙太され、作品の価値をめぐって格好の話題になることがある。
最後は決戦投票か、その分野に影響力のある重鎮の意見が採用されるかであろう。

一方では優れた作品が、他方では駄作の評価を受ける。

作品が上記のような条件と経緯で選ばれる限り、
その作品の経歴を知らないとき(先入観なし)には、
シチリア島のような事件はいつどこで起きても不思議ではない。

それゆえ、美術品被害総額約2320億円と聞いても
「で、実際のところの価値は?」なんて思ってしまうのです。

やっぱり芸術作品の価値なんて、あって無いようなものなんじゃないの?


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