第38回  計算式の入力ミス?

以前NHKの衛星放送で1週間にわたり小津安二郎監督の作品を放映した。
小津監督の生誕100年記念番組である。

監督のフアンは、今でも日本と言わず世界中にいるようですが、
多くの賞を受けている有名な外国人監督の中にも、
小津監督独特のローアングルの信奉者が多いとか。
若い世代の彼らが氏の名前を口にすることがあるので、
もっと最近の人かと思っていました。

番組の放映スケジュールに、小津監督の代表作と言われる「東京物語」はなかった。
観ることができたのは原節子さん主演の「晩春」であり、
田中絹代さん高峰秀子さん共演の「宗像姉妹」である。

「宗像姉妹」は40年以上も前の1955年の白黒作品で、
フィルムの傷みは相当ひどかったが、その魅力は少しも衰えていなかった。
2本とも含蓄に富んだセリフが魅力的で、考えさせられる場面が多かった。

「宗像姉妹」は古風な考えの姉とそんな姉の生き方に反発する、
今で言うならイケイケドンドン娘の妹を軸にしたストーリーである。

姉夫婦と同居している妹は、
働かないで酒ばかり飲んでいる姉のインテリ夫が気に入らなくて仲が悪い。
妹はそんな夫のためにすべてを捧げて尽くしている姉の気持ちが理解できなくて
イライラしている。

(以下はセリフの引用。細かい部分は違っていると思いますが、大意をご理解ください)


「どうしてあんなお兄さんに我慢しているの。
 お姉さんの気持ちをちっともわかっていないじゃない」


「夫婦ってそんなものじゃないわよ。マリちゃんはわからないのよ。
 夫婦は 我慢しあって・・・」


「お姉さんは旧い! 旧い! そんな考えはマリコ嫌いよ」


「私は旧くならないことが新しいことだと思っているの。
 本当に新しいことは旧くならないの。あんたの言う新しいことは、 
 昨日の長いスカートが今日は短くなること? みんなが爪を赤く塗ること?
 それがあんたの新しいことね」


「だってみんながそうするんだもの。私みんなに遅れるのがイヤなの」
 
最後に、妹が姉との考えの違いに悩んで父親に悩みを相談にいく。

父親
「お前はお前のしたいようにすればいい。だが自分を大切にすることだね」

表面的には50年前と現在では世相は驚くほど変わってきていますが、
人間の考えの根幹は今も昔もあまり変わらないというのが感想です。

「晩春」は父親と二人暮しの娘の物語です。
ひとり暮らしになる父親を心配して、娘はなかなか結婚する気にはなれない。
それを察知している父親は、自分も結婚すると嘘をついて、娘に結婚を決意させる。
父親と娘のそれぞれの複雑な心境を描いた名作です。

結婚直前に父娘で京都旅行に出かけ、そこで父親が結婚を控えた娘に言う。

父親
「結婚って最初から幸せになれると思ったら間違いだよ。
 お母さんだって最初から幸せじゃあなかった。
 それでもよく我慢してついてきてくれた。
 結婚するから幸せじゃあないんだ。
 ひとつの夫婦がひとつの生活を作り出すことが幸せなんだ。
 それが5年かかるか10年になるか・・・」

つまり結婚して幸せになることとは、
ひとつひとつを積み重ねる足し算ということになりますね。

多くの人は「結婚して幸せになれる、なろう」と夢見ています。
もちろんそれはとても大切なことですが、
結婚は愛の頂点ではなくスタートだということ。

一般的に結婚をするときは
「愛の絶頂期」に設定されているのではないのでしょうか。
古くから言われている「アバタもエクボ」時代です。
アバタもエクボの愛の絶頂時を結婚生活の頂点に設定してしまうと、
あとは転がり落ちるだけ。

ひらたく言うと、嫌いになるか飽きるだけ。

離婚が当たり前の現在の風潮を見ると
「夫婦でひとつの家庭を作り出す」という肝心の共同作業を忘れ、
お互いが自分のわがままを増大させた結果?

つまり、積み重ねる努力を放棄して「結婚したら話が違うわ」と、
引き算ばかりに目を向けてしまっている。

・・・計算式の入力ミス?

それにしても当時の銀幕に登場する人たちの、
大人が大人たる風格と美しい言葉遣い、ゆったり流れる時間、家族の細やかな情愛。
どれを取ってみてもあまり豊かとはいえない時代が、
今よりはるかに豊かに感じられるのは何ゆえなのでしょう。

オマエはどうだって?

ホホホ、お陰さまで結婚当初より今の方がはるかに楽しいですワ。
結婚当初は、まだまだ相手の気持ちがわからないところがあって、
まごまごしたり途方にくれたりばかりで・・・
長く生活を共にしていますと、
相手が何を考えているのか容易に察知できるようになりました。
仕草や言葉遣い、会話のイントネーションやらいろいろと・・・

とっても、操縦しやすいですぅ。



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