おもしろいコラム 危機一髪の日本語


第31回  危機一髪の日本語

フランスとドイツとの国境の町ストラスブールは、
グーテンベルグが世界で最初に印刷機を発明した町であり、
EUの議会があることでも名の通った町である。

その町の小さなスーパーでドライブ用のおやつを買い、レジに並んだときだった。
食料品をつめこんで一杯になった籠を下げてレジへ向かうと、
レジの中年の女性が支払いを済ませた老女と流暢なドイツ語でしゃべっていた。
彼女はその前の客にはフランス語で相手をしていた。

英語を習得するのに四苦八苦して(勉強しないので当たり前?)、
それでもまだうまくしゃべれない夫やわたしにとって、
この光景は驚嘆に値するものだった。
わたしが夫の顔を見て、いつも驚いたときにするように
眉をあげて肩をすくめると、夫も同じ仕種でそれに応えた。
ごく普通の市民が隣国の言葉を母国語のように使いこなすとは、
国境の町ならではと感心した。

日本には隣接する国がないから、国境が現実味を帯びなかったり、
その反動から特別な思いを抱いたりするけれど、
ストラスブールでは、ドイツは川をひとつ隔てただけであり、
川に架かる橋を渡って毎朝隣国へ通勤する人もいる。

ストラスブールは、何度もドイツ領シュトラスブルグになった歴史がある。
ドーデの小説「最後の授業」に描かれているように、
自国の言葉がしゃべれないことが一時的に現実になった町ですが、
ドイツ語を話しながら、フランス人の誇りを捨てなかったという。

夫やわたしがうらやましく思った光景も、
元をたどれば胸の痛む悲劇の産物だったのですが、
それでも他国語に堪能な彼らをうらやましく思うのは、
わたしたちが国境の悲劇を体験したことがない、平和な民族だからなのか。

一方、韓国や台湾を旅行すると年配者の多くが日本語を流暢に話す。
しかし、それらも日本の統治下にあった時代の悲劇の産物であり、
またそれによって今は日本人観光客を相手に生計を立てている人もいるのだから、
胸中は複雑になる。

我が日本国に於いても戦後の一時期に占領軍の政策により、
日本語が危機一髪の運命に晒されていたことを、
民放のテレビ番組「世界に眠る○○の未公開映像」の中で知り、ぞっとした。

占領軍は、オバケのような難しい漢字を覚える代わりに、
簡単なローマ字表記にしたらその時間により多くの民主主義を学べるという
趣旨のもとに、ローマ字表記の実験教育が検討されたというから、
漢字の運命は風前の灯火であったらしい。

もし、それが実行されていたらと思うと空恐ろしいばかりです。

外国人にはオバケのような漢字でも、
日本人にとってはひとつひとつに意味のある美しい文字である。
それこそ余計なお節介。

今は乱れに乱れている日本語ですが、
ローマ字表記になるくらいならまだ許せるかなと思ってしまいますが・・・


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