おもしろいコラム 詰め込み主義大いに賛成


第29回  詰め込み主義大いに賛成

今、日本では子どもたちの学力の低下が問題になっている。

しかし、学校現場の荒廃からこれまでの詰め込み教育の姿勢が問われ、
ゆとり教育への方針転換が実行されたけれど、
さらなる学力低下を招ねきかねないと危惧する声もある。

その結果、文部科学省という総本山が大揺れに揺れて、
未だに揺れ続けている。

しっかりして!

(このコラムを書いた当時の教育方針はゆとり一辺倒でしたが、
 その後風向きが変ってきた。最近になってまた学力見直しの声が聞かれる。
 ゆとり教育の提唱からわずかの間にまた教育方針の見直しとは、
 相変わらず総本山の揺れは収まらないようです)

今日の日本の繁栄は日本人の勤勉さにあったといえるでしょう。
特に戦後は、荒廃の中で豊かな欧米社会に憧れを募らせ、
それをバネに必死で勉強をし血の滲むような努力を重ねてきた。

さて、これからの日本はどうなるのでしょう?

学力の低下は、国際競争力の下においては致命的です。
その悪い例がITの教育の立ち遅れでしょうか。
日本はアジアにおいてもかなり遅れているのが実情のようです。

<詰め込みの勉強>といえば受験勉強の悪いイメージが想起されますが、
視点をかえれば猛勉強というものである。
アメリカの世界に冠たる大学の学生の猛勉強ぶりは、
日本の受験生の比ではないようです。

ただし、詰め込むにも決定的な違いがあるようです。

<大学合格のための知識を詰め込むだけ>の日本式と、
世界中からアメリカの大学に集まる学生の
<詰め込んだ知識とそれを活用する能力を養う>目的とでは、
明らかに違いがあります。

知識は活用してこそ意義があり、世のため人のためとなってきました。
詰め込むだけの知識では人のためどころか、
自身の人生を考えることさえできない大人になってしまう。

実際、詰め込むだけの勉強で終わってしまう日本の若者の中には、
そのような傾向が見られるのは否定できません。
人もうらやむ高学歴の若者たちが邪宗にのめりこみ、
高レベルの知識を人殺しのために使うなどはその典型でしょうか。

勉学は一生のものですが、
勉強だけに没頭できる学生時代は長い人生の中でもごく限られた期間でしかない。
その間に身につけた教養が、その後の人生を左右すると言っても過言ではない。

ごく限られたその期間に猛勉強するのは決して悪いことではないと思う。
<詰め込みの方法>さえ間違わなければ。

わたしはこの年になって学生時代を振り返り、
もっと勉強しておけばよかったと未だに後悔しています。

一体どのように過ごしていたか?

授業中は教科書立てて小説を読み漁っていた。
つまり教科書を立てた陰で、図書館から借りてきた本を読みまくっていたのです。

「ちゃんと勉強しないと、オバサンみたいになっちゃうから」

おっと、このセリフがいけなかったのですよね?
オバサンを違う言葉に置き換えてごらんあそばしませ。

いつもママが我が子に念仏のように聞かせているセリフと同じになっちゃう・・・


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