第26回 ニンゲンとインゲンの違いは? わたしはこの年になるまで、 インゲンとサヤインゲン、エンドウ豆とグリンピースの違いが わからなかった。 子供のころエンドウ豆は家の前の畑で栽培していたので、 花もツルもよく覚えているけれど、 サヤを剥いた中身の豆を外来語でグリンピースと呼ぶのかと ずっと思い込んでいた。 このコラムを書くにあたり岩波書店の広辞苑を引いてみたところ、 別のものらしいとわかってショックを受けている。 さらにインターネットの威力を感じたのは、 インゲンとサヤインゲンの画像を検索して、 その違いが即座にわかったこと。 画像に登場したインゲン豆は昔から知っていたものであり、 子供のころ、大きなサヤの形の野菜が棚のあちこちにブラ下がっているのを、 興味を持って眺めた記憶がある。 甘い煮豆の好きなわたしは<フジッコのお豆さん>のフアンで、 大粒の黒い豆や白い豆が大好きだから、 いつもまとめ買いして切らさないように心がけている。 うっかりおやつを切らしたときなどは、 おやつ代わりにも登場するお気に入りの一品である、 その<白い大きなお豆>がつまりはインゲンだった。 以前、マメの種類も名前も知らないまま、 すごく手間をかけて自分でも煮た覚えがある。 サヤインゲンともなると夫の大好物である。 細くて柔らかい収穫期には、軽く茹でたものにショウガをすりおろし、 カツオブシをトッピングしたものに醤油をかけて食卓に添えれば、 夫はいつも上機嫌である。 手間がかからなくて、こちらも上機嫌。 ニンジンのグラッセと共にソテーして、ステーキの付け合わせでも大活躍。 すこしサヤが太くなると硬くなるので、 あらかじめ茹でたものを煮物の彩りとして最後にさっと入れる。 このようにいつもお世話になっていた。 これほどわたしの生活にお馴染みの深いインゲンについて、 読売新聞に非常に興味深い記事があった。 記事のタイトルは <インゲンのツル逆巻きにしたら緊張感で収穫2倍> 記事によると、インゲンのツルは本来は右巻きだけれど、 強制的に左巻きにして育てると収穫量が2倍になることが 名古屋大学大学院の手塚修文教授らの研究で解明されたという。 教授らが元来の右巻き、真っすぐに伸ばしたもの、左巻きの3タイプについて、 収穫したさやの数を比較したところ、 真っすぐは右巻きの1.55倍、左巻きは2倍の結果が出た。 つまり、ツルの巻き方を自然の状態と逆にするほど 収穫量が多くなることがわかったのである。 この仕組みについて手塚教授は、 「強制的な左巻きはストレス一歩手前の<心地よい緊張状態を生み出し・・・ 代謝系が活発化し・・・」 ・・・とどのつまりは、本能任せのお気楽な状態よりも、 ある程度の苦労を重ねて成長するのは、 人も植物も同じで、ニンゲンも苦労が必要ではと結んでいます。 端的に言うと、インゲンもニンゲンも本能の任せにしたら ロクな実が成らないよ、ということなのでしょうか。 あっ、痛! 人間界が堕落の一途を辿っているとはいえ、近ごろの子供への教育ぶりを、 まさか、お豆さんから教えてもらう羽目になるとは。 自信を失った親たちが腫れ物にでも接するように、 自分の子供に迎合しているうちに、 いつしか子供たちは本能任せのやりたい放題になった。 無重力ならぬ無気力状態で、 宇宙飛行士のように人生街道をフワリフワリと遊歩しているけれど、 凶悪な少年犯罪の事例が毎日のように更新されていく昨今の状況に、 この国の教育機能はまったく有効に作用していない。 それどころか、某幼稚園のお遊戯会では<さるかに合戦>で悪さをして みんなからお仕置きをされるおサルさんの登場はイジメにつながるからと、 伝統のある童話の筋書きを<みんな良い子>に書き替えてしまった。 さらに某小学校の運動会のリレーでは、着順を決めるのは差別につながると <みんな揃ってゴールイン>を実行したとか、 俄かに信じがたいこの手の事例は枚挙にいとまがありません。 成長過程に合わせてインゲンのツルを逆巻きにするのは、 とても手がかかる作業だそうです。 よりよい収穫を期待するならば、やはり手間ひまをかける必要がある、 ということなのでしょう。 人間界でいうなら、ツルを逆巻きにするやっかいな作業は親や大人の役目です。 その労力を負わされた人たちが都合の悪い場面をカットして、 手間ひまを惜しむようなやり方で実りを期待するとしたら、 あまりに勝手がすぎるというもの。 都合の悪い部分は、クリックひとつで削除する。 いくら時代がコンピューター全盛時代とは言え、 そのような簡便な方式を大切な子供の教育に反映させようとするならば、 結果は目に見えているとは思いませんか? 教育はあれこれ難しく考える必要はないと思っています。 マメにやってさえいれば・・・ HOME TOP NEXT |