おもしろいコラム 付加価値の価値は?


第22回 付加価値の価値は?

高齢者が身につけている人生の付加価値は、
もっと大切に有効利用されるべきですが、
日本製品にやたらとくっついている付加価値には大いに憤慨している。

わたしの生活信条は、シンプルがイチバン!

製品の使用目的にかなうものであれば、いろいろ余計な機能をくっつけるよりも、
価格が安い方が望ましいと思っている。

しかし、他に選択肢が許されない場合は、自分では必要とはしない多機能を、
無理やりにセットにした商品を否応でも購入させられる羽目になるから、
商品価格に反映されている付加価値というムダな存在考えると非常に腹が立つ。

NTTドコモがヨーロッパで日本と同じようなコンテンツの
iモードサービスを開始したが思ったほど業績があがらなかった。
一方、台湾へのiモードサービスの開始も始めたが、
そちらは順調だったと仄聞している。

そのとき、やはりと思った。

合理的な精神を持ち合わせる欧米の消費者に、
日本式の付加価値主義は通用しないだろうと、わたしは常々思っていた。

家を立て替えたとき、家の備品についてあれこれ調べてみた。
洗面台、トイレ、キッチン、浴室等。

誰もが望むように、なるべく少ない予算で良い製品をとの思いからですが、
結果として、わたしのコンセプトに叶ったものはほとんどが外国製品だった。

外国製は多機能ではないけれど、
製品としての必要な機能はちゃんと満たしている上に、
無駄なものをくっつけないからデザインがシンプルで美しく、
しかも日本製品よりも価格が安いものが結構あった。

外国製と日本製の最大の特徴は
「いかに多機能」
「いかにシンプル」
のコンセプトの違いでしょうか?

どうして日本人はいろいろ余計にくっついているものを嬉しがる傾向があるの?
大人が、まるで子供がおもちゃを与えられたように喜び、
それを自慢の種にする風潮すら見られるから不思議に思っていますが、
日本はまだ未成熟な社会という証なのでしょうか?

いろいろな機能がくっついているということは、
それだけ使用方法も難しくなるということにほかならない。
高齢者にとってはありがたくないとの声をよく聞く。

テレビのリポートで、某トイレットメーカーがウオシュレット・トイレを
米国へ売り込む様子を伝えていた。
便器の横に大げさな装置がくっついた見栄えの悪い例の製品です。

そのデモンストレーションを眺めていたアメリカ人の反応は、
冷ややかでどこか軽蔑的でした。

「用を足すのに、そんなに面倒をするわけ?」
「やってられないよ」

ちなみにウオシュレット・トイレは米国が発祥の地ですが、
その母国での普及率はなんと1%! 一方日本では40%を越えている。

では、台湾での日本式多機能サービスが好調なのはなぜ?
たぶん、憧れからじゃないでしょうか?

はるか昔、文化は中国や朝鮮半島を経て渡来したが、
昨今では風俗文化は日本からアジアへ発信されている。
他のアジア諸国はともかく、中国、韓国、台湾、
日本人と面相の区別がつかないこれらの国々では、
それでも日本はまだ憧れの対象となっているようです。

その日本は、季節を問わない万年冬型の気圧配置と同じ「西高東低型」。
ブランドの狂奔ぶりや黄金の髪の色をごらんあそばしませ、
気恥ずかしいほどの西高をご披露しているではありませんか。

どうせ憧れるなら、シンプル・イズ・ザ・ベストの
生活スタイルの方にして欲しかったけれど、
日本社会が成熟するにはまだまだ時間がかかるようです。

そういうアンタは、
例のいろいろくっついている大袈裟なトイレを使っているじゃないの!

そうなんです。

建築業者との戦いに精も根も尽き果て「もう、どっちでも・・・」なんて
諦めてしまった結果、生活信条に反した製品を採用する羽目になった。

だから余計に腹立たしくて・・・



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