辛口コラム 第249回 衣食足りて礼節を失った世代 ある日の新聞に「高齢者万引き2万人」のタイトルで、 その年の1月〜9月に万引きで摘発された65歳以上の高齢者が、 過去最悪だったペースの前年をさらに上回っているとありました。 20歳以下の万引きは前年より減っていますが、高齢者の万引きは19年連続で増えていると言う。 最近はこの世代が80代、90代の親を殺すニュースも続けてあり、 事件報道の年齢を見ると、若者世代より多くなっているような気がします。 高齢者の万引きの4割が<孤独>や<生きがい>のなさを理由に挙げているとありました。 これも時代の変化によるものなのでしょうか。 万引きの理由に生活困窮が挙げられた時代にはそれなりに納得ができましたが、 「衣食足りて礼節を知る」時代になり礼節が失われるとは、 すでに格言さえも及ばない複雑な社会になっている証拠なのでしょうか。 厳しいと言われるかもしれませんが、 若者にしても高齢者にしてもある種の甘えが気になっています。 本当に孤独や寂しさを感じたら、まずは自分から動くことに努力を払うべきではと思うからです。 他人の孤独や寂しさを積極的に見つけてくれる人などいないことを念頭に、 今は行政でもそのような境遇に対処する窓口を設けていますから、 まずは相談をすることも方策のうちであると思います。 生きがいなどは自分で見つけない限りあり得ないものです。 わたしは「あなたの生きがいは」と問われたら顔面蒼白。 思い当たりません。 もとより「毎日生きているだけでもありがたい」と感謝し、 世間の<生きがい見つけたい病>に伝染していないからだと思います。 寂しいのに「どうしたの?」と他人から声をかけてくれるのを待っているなら 考えを変える必要があると思います。 「自分から話しかけるなんてできない」と思っているならば、 それは本当に寂しくないか、傲慢かのどちらかではないでしょうか。 自分が変わらなくて、すべてを他人に任せて孤独や寂しさを取り除いてもらおうという考えは傲慢と言うべきかもしれません。 それぞれがみんな、それぞれの立場で生きることに懸命なのです。 たとえそれを日常的に感じなくても、生きていくこと自体がそういうものであると思っています。 わたしの宗教観は仏壇に毎日お線香をあげて手を合わせるくらいのものですが、 子どものころ本を読み漁ったときに、ついでに聖書も物語として読んだ記憶があります。 その中の一節「求めよ、さらば開かれん」的な言葉がありました。 なるほど、自分から求めなければなにも解決しないというのは真理だなぁと感心した覚えがあります。 ある日の読売新聞の<こころ>に、 今は亡き俳優三国連太郎さんがインタビューで「依存心を捨て、老いる」心境を述べていらっしゃる。 「人間の存在は<弧>だと思います。そこに気がつかないと妙な依存心を持ってしまう。 老いることで失うものについて、世間では老いると孤独になると言うけれど、 人間はオギャーと生まれた時から一人なんですね。 人を恨むことも自分を恨むこともない。ただ年月が過ぎていっただけのことです」と述べ、 老いることで得るものについて「何かを感じる時の感じ方の深さ」と語っていらっしゃいます。 人生に対する感じ方が似ていたので、とても共感できました。 一方、お散歩で顔なじみのオカマさん(ご自分でそうおっしゃるので)の言葉も身に沁みています。 いつも陽気な70歳を過ぎたオカマさんが珍しく 「オカマって孤独なのよ、年を取ったらなおさら」とため息交じりに言ったとき、 わたしは慰めのつもりで「人間はひとりで生まれ、死ぬときもひとりって言いますから」と、 日ごろ思っていたことを口にしました。 オカマさんは「アンタ、それは家族のいる人の言うことよ。本当にひとりになってごらん、さみしいものよ」と反論されました。 有名な芸能人の離婚会見の言葉も併せて思い出します。 「結婚して二人になりましたが、一人のときよりずっと寂しさを感じました」 人生の回答はひとつだけではありませんが、わたしは三国錬太郎さんの思いに共感しています。 年を取るということは、考える時間と機会をより多く持ってきたことにほかなりませんから、 高齢者が寂しさや孤独を感じたとき、万引きに走るエネルギーがあるならば、 これまで生かされてきたことへの感謝と共に、 まずは問題解決に向けて自らが努力をすることに振り向けて欲しいと願っています。 HOME TOP NEXT |