辛口コラム 第246回 日本人のエコ意識はどこに?

昔に比べ日本のエコ意識が高まってきているのは事実でも、
わたしは疑問に思っています。
日本人はメディアが発するエコ意識の何かを読んだり聞いたりしながら、
一人ひとりが日常生活の中で真面目に取り組む。

一番わかりやすいのはペットボトルやトレイなどのリサイクル品。
わたしが利用するスーパーの入り口にも大きな回収ボックスが並び、
洗浄したトレイが各ボックスに溢れています。
その山を見るとき、一般的には日本人のエコ意識の高さを見ることになりますが、
皮肉にもわたしはそれに日本人のエコ意識の低さを見てしまう。

日本中に溢れている商品のトレイは本当に必要なものなのでしょうか。
日本に突出して見られるこの現象の代償は、
トレイ、ラップの無駄とその手間を産み、さらに各家庭での洗浄で水を無駄に使う。
その膨大なエネルギーと量を考えるとこれほどエコに逆行するものはないはずですが、
多くの人はトレイをきれいに洗ってリサイクルすることで
エコを完結しているように思えてならない。

それが原因なのかこの無駄だけは未だに改善されていません。

わたしの外国旅行の楽しみは異国の人々の生活や文化を肌で感じることであり、
市場やスーパーによく足を運ぶ。
それらの野菜や魚の形や大きさは個性的であるゆえに、
活きの良さを感じさせおいしそうに見えるから、
つい買いこんでホテルの部屋でトマトなどを食べている。

帰国後に近くのスーパーへ行くと野菜も魚も肉もトレイに収まり、
ラップで化粧をしている。
一店舗の毎日のトレイの量は驚くほどで、年間となると想像も出来ない。
さらに日本中の店舗の膨大な無駄を考えると、
日本人のエコ意識はどこにあるの? と疑問に思う。
この点は未だに手付かずのままであるから。

かなり前にスーパーの店長さんにトレイの排除をお願いしましたが、
願いが叶わなかったので買った品物のトレイを外すことにした。
それには勇気と根気を要した。
周囲からの好奇の視線に耐え、トレイのラップは二重で剥がすのに時間がかかり、
買い物の品目が多いときには泣きたい気分になった。

そんなある日、新聞の読者投稿欄に
スーパーでトレイを置き去りにする人への批判があり落ち込みましたが、
わたしと同様の考えの人がいると思うと励まされもしました。

その後、ある自治体がスーパーと協力してトレイ排除の試みをすると
ニュースで知りましたが、
スーパーにトレイを置き去りにする人が増えたのが理由とのこと。
ここに来てようやくスタート地点に立ったとの思いがしました。

トレイはそれ自体がエコに反するものですが、
さらに生産物の大小や形の規格を厳密に決めつける要素にもなります。
以前、ピラミッドのように高く積み上げた規格外の農産物が処分される様子を
テレビのドキュメンタリーで見ました。
外国の貧しい農家が苦労して育てた農産物を、
彼らの目の前で処分する様子はとても残酷で、
その労苦と無念を思うと正視に堪えられませんでした。
同時に馬鹿げた日本の規格品根性が恥ずかしくもあり、
日本人の無駄がエコだけではなく遠い国の人たちの悲しみまで消費していたことを痛切に感じました。

エコ意識は与えられた情報を課題にするだけでなく、
さらに一歩を踏み込んで自ら考える意識が大切ではないのでしょうか。


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