コラム 第244回 いろいろ納得の職務質問

以前、家から5分くらいのフィットネスジムに通ったことがある。
泳ぎを習うのが目的だったけれど、まだ覚えきらないうちの三ヶ月でやめた。
ほかにもいろいろ理由があったけれど、たいていのお稽古事がそのくらいだったから。

そのフィットネスの夜間会員は、8時から11時までであり
すこし遅めの夕飯を済ませ、洗い物をしてから出かけると、
ジムに着くのは、たいてい9時ころになる。
お風呂やシャワーを使ってジムをでるころには、すでに11時近くになっている。

ジムには、夕飯の片づけを済ませたそのままの格好で出かけ、
わざわざお化粧をして外出するときとはちがっている。
気分は軽いところがあるけれど、夜の住宅街の暗い夜道はとても気楽とは言えない。

最近は、理解に苦しむような事件がいきなり起こるから
生まれつきの臆病者は、ちょっと人影が見えるだけで、もうビクビクする。

ある夜も、そんな感じであった。

ジムの敷地を横切ってから通りに出ると、
薄暗い蛍光色の街灯の向こうに電車の踏切が見える。
その踏切の傍らで、男性らしいシルエットがふたつ、立ち話をしていた。
周囲が暗くて姿がはっきり見えなくても声が聞こえる。

(こんな夜中近くに、なぜ踏み切りの前でわざわざ立ち話をする必要があるの?)

ドキドキしながら、ほとんど小走りの早足で横を通り抜けるとき、
会話の内容を耳ではっきり捉えることが出来た。

「じゃあ、6年になるのか? それで、今は大学生か?」

あれ? と思ってチラッとそちらを見ると、
制服のオマワリさんと自転車の若い男性だった。

(あらぁ、ショクムシツモン? 聞きたぁーい)

そうは思っても、たった今小走りで過ぎた人が急に足の速度を落としたら
ショクムシツモンの矛先がこちらに向かってくるはず。
残念だけれど、諦めてそのまま通り過ぎた。

通りに沿った暗い歩道をしばらく歩いていると、脇をすっと自転車が通り過ぎた。
その髪型のシルエットは、先ほどの職質の青年のものである。
都会の住宅街の暗い路地を走り抜けて遠ざかる、青年の後姿がとても寂しそうに見えた。

故郷を離れて、都会でひとり暮しの大学生さんかしら?

なんで、オレが職質を受けなくちゃならないんだ!

今ごろ彼の胸中には、世の中に対する不条理が
カトリーヌ・ハリケーンのように渦巻いているかもしれない。

なんだかわたしの胸もちょっと湿っぽくなってきたとき
彼の自転車のライトがゆらゆらと 、走行に合わせてゆれているのに気がついた。

わたしの脳ミソにも、ポッとライトが点いた。

あらぁ、キミはもしかして、 自転車のライトを点けていなかったんじゃない?

このごろの青少年は、暗くなってもライトを点けないんだから、危なくって。
オマワリさんだって、理由もないのに職質するはずがないもの。
じゃあ、仕方がないわね、キミが法律を守らなかったんだもの。
法律にも、いろいろ気に入らないものがあると思うけれど、
悪法も法なりって、あの有名なソクラテスさんが言っているじゃない。

昔の人は気の利いたこと言うわね。

そうそう、トーマス・グレシャムの
悪貨は良貨を駆逐するなんてあったっけ。 

なんだか今の世相みたい。

最大多数の最大幸福はジェレミ・ベンサムだったかしら?

世の中はいつだって、最大多数が生かされていないように思うけれど。

でも、なぜ?

自分で作った朝食のメニューでさえ、夕方には思い出せないのに
ウン十年も前の学校で習った横文字の名前がスラスラ出てくるわけ?

心配になったので、さっそく夫に聞いてみた。

「ねぇ、今日の朝食のメニュー何だった? 覚えている?」

「知らん! そんなくだらんこと、いちいち覚えていられるか!」

そういうことだったのね。


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