第230回 オバサンには難しい問題だけれど

集団的自衛権問題で未だに揺れ続けている日本。
難しいことが苦手なフツーのオバサンは、あらためてウイキペディアのお世話になりました。

<集団的自衛権とは、他の国家が武力攻撃を受けた場合に
直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。
その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、
これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。
集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において
初めて明文化された権利である。
国連憲章第51条で加盟国に認められている自衛権の一>

集団的自衛権との関わりはともかく、日本人の性格を知るうえで、
折りに触れ思い出す出来事があります。

<1985年3月17日、イラン・イラク戦争でイラクのフセイン大統領は
48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると突然通告した。
世界中がパニックになり、イランに取り残された国民の救出にいずれの国も全力を注いだ。

イランの在留外国人は一斉に出国。在留邦人は脱出したくても、
各国の航空会社は自国民を優先して搭乗させていたため、
日本人はチケットを持っていても飛行機に搭乗させてもらえなかった。
日本政府は日本航空にチャーター便の派遣を依頼したが、
日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、
組合員の安全が保障されないことを理由にいずれもこの要請を拒絶。
自衛隊機の派遣は当時の社会党の「自衛隊を海外に出す事は、侵略戦争につながる」
という主張による反対で不可能だった。
日本航空は飛んでこないとの一報にイランにいる日本人は絶望の淵に沈んだ。

伊藤忠商事の森永堯氏は親しかったトルコのオザル首相に援助を願う電話をした。
トルコ人も600名取り残されていたが、オザル首相はこころよく引き受けた。
オザル首相の指示を受けたトルコ航空が救援のパイロットを募ったが、
その場にいた全員のパイロットが手を挙げた。
二機のトルコ航空は215名の日本人を乗せてタイムリミットギリギリに
イランの空港を飛び立った。

残されたトルコ人たちはトルコ大使館が用意した車に分乗、陸路でイランを脱出しトルコへ向った。
救援機に日本人を優先的に乗せるとしたトルコ政府の決断に、
国民から何の非難もでなかった。>

トルコの国民は1890年(明治23年)来日したオスマン帝国の軍艦エルトゥールルが、
台風で座礁した際の日本人の救護活動の恩義を未だに感じていて親日国家として知られていますが、
いつ撃ち落とされるかわからない他国民のための救援機であるのに、
パイロットの全員が志願の手を挙げたトルコ。
自国民よりも優先的に日本人を救っても、だれもトルコ政府に文句を言わなかったトルコ国民。

同様な状況が日本国内で持ち上がったとしたらどうなのでしょう。

これまでの諸々の事例を思い起こすと、
日本国民の性格として政府の対応を声高に非難するのは明らか。

多国籍軍関連で世界に発信した日本人のイメージは
「お金は出しても血を流さない国民」
「お金で安全を買う国」

莫大な拠出金を支払ったにもかかわらず「自分勝手な国」。
言いかえれば「自分の国さえよければそれでよし」の思いを見透かされました。

他国の航空会社のパイロットが自国民ではない人の救援に全員が手を上げ、
自国民の救援の要請にも応じなかった日本の航空会社。

この構図もわかりにくいけれど、オバサンには難しい集団自衛権の解釈は、
他国の飛行機が紛争地から日本人を救助して飛行中に、
もし攻撃されるようなことがあっても、日本は黙って眺めているだけとなると、分かりやすい。

日本人が自分の国や国民を守ろうとするごく当たり前の愛国心という思い。
世界中の主権国家で常識であることが、なぜ日本だけは許されないのか。
日本人の愛国心をなぜか即座に「先の大戦」に結び付けるもの、
「戦争」に直結するかのようなイメージや意識を日本国民に植え付けたものは?
洗脳したその意図は? 

日本人が愛国心を口にするとき、常に大きな力のコントロールを受け、
罪悪感を植え付けられている主権国家足り得ない日本。
オバサンの好奇心は今や全開。
その正体を知りたいのです。


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