第223回 フィットネスの お・も・て・な・し

数年前、家の近くの住宅街の真ん中に、大学の体育館より大きな四階建ての建物が現れた。
フィットネスジムだったが、自分には縁がないものと思っていた。

ある日、散歩のついでにフラリと立ち寄り、見学させてもらいその場で気に入った。
すぐに入会したいと思ったのは、以前から泳ぎを覚えたいと思っていたからである。

初心者の水泳レッスンは木曜日の30分に限られていたが、
マシントレーニングのすべてや他の豊富なプログラムを毎日でも受けられると聞いて
興味が募った。

心配の種がひとつあった。

わたしはふくよかになりたい願望があるのに、
フットネスは盛んにダイエットばかりを宣伝していたから
水泳やマシンでエネルギーをフィットネスに献上してしまうのはいやだった。

さっそく担当者に質問した。

「使ったエネルギーを体は取り戻そうとしますから、筋肉は増えますが痩せることは
 ありません」

なるほど・・・(さすがによくご存知ね) と、入会手続きを済ませた。

マシン初心者は使い方をレクチャーされることになっていた。
インストラクターの外見は、いずれも20代と思われる男女である。

とは言うものの、みなさんはとても若く見えた。
胸板ばかりが目立つ坊主頭の小柄な方は、高校球児そのもの。
女性インストラクターは今どきのマセた中学生か、女子高のサッカー選手みたいな雰囲気で、
いずれもビジュアル的にはかなり幼い感じがする。

人は見かけによらないものだから、それはそれで納得したけれど、
納得できないものがあった。
マニュアル通りのかけ声とオクターブ高い、
つまり、甲高い声で絶えず話しかけてくることである
それは入会前日に館内見学を申し込んだ際に感じたことでもあった。

「イラッシャイマセェー!」

受付にずらりと並んでいた面々が
頭のてっぺんに突き抜けるような弾んだ声を一斉に発したから
「ここはファミレス?」と、わたしは一瞬びくっと身を引いた。

他のゲストが出入りする際も、もちろんこの挨拶の洗礼があるので
そのうるさいこと・・・ムクドリの集団みたい。

人の出入りはすごく厳しくチエックされ、ゲストのマナーも厳しくチエック。
掃除も行き届いて清潔、マシンやプログラムは充実、
ロッカールームやシャワー室は広くて使いやすく
さらに観光旅館のような岩風呂まで完備されている。

どれをとっても満足なのに、肝心のスタッフが・・・。

それはトレーニングを始めてから悩みに変わった。

わたしはヨガのように心身の鍛錬的なものに憧れていたので
たとえマシンのトレーニングでも吐く息、吸う息に集中し、
静かな瞑想スタイルで臨みたいと願っていた。

事実、その通りに励んでいた。

その横たわっている頭の上から、いきなり金属音の声が落下。

「ネット姫さーん、ジョウズジャないですかぁ」
「ネット姫さーん、すごくガンバッテますねぇー」

もうダメ・・・

張り詰めていたものがプッツンして全身の力が抜けてしまう。
インストラクターの仕事って、邪魔をすることなの?

なぜ力が抜け落ちてしまうのか?
それはひとえに彼らが発する不自然な声のトーンと言い方にあるようだ。

マシンのフロアには5人のインストラクターがいる。
彼らはあちこちフラフラしながらゲストのレッスン状況を矯正したり、
要望があれば教えたりする。

前日のトレーニングでは、高校球児風の彼に閉口した。

彼は、マシンルーム入ろうとしたわたしの姿をすばやくとらえて
肺活量を目いっぱいに使ったありったけの声量を投げつけてきた。

「ネット姫さあーん、コンニチワー!」

まあ、挨拶ですから・・・

(でも、わたしだけに聞こえれば充分ではないの? 軍隊じゃあないんだから)

次に腹筋の運動にトライ。

マシンの上に横たわり、タイツの足だけを空中に突き出し高く上げる
やや恥ずかしいスタイルを取っていたとき、
その頭の上から、にゅーっと高校球児の顔が現れた。

「ネット姫さあーん、お尻がちゃんと上がっているじゃないですかぁ、すごい!」

力が抜けた・・・黙って見守っていて欲しい。

胸筋のマシンにトライしていると、またしても彼がひょっこり。

「オッ、かっこいい! イイデスヨ、その姿勢。もう大分筋肉ついたでしょう」

(まだ始めて4日目なのにつくワケないでしょう、マジックじゃあるまいし、
 マニュアル通りに言っているのがバレバレよ)

背筋のマシンに励んでいると背後からまた・・・

「イイデスネェ、背筋が良く締まっていますよ、すごいなぁ、その調子」

(お願い、もういい加減にほっといて!)

締めは20分の自転車漕ぎを終わってハアハア息切れをしているとき訪れた。

「ネット姫さんはいつも夜しか来ないんですか?」
「ええ(ハアハア)、夜間会員ですから」
「夜遅くなって大変でしょう」
「いえ(ハアハア)、家まで5分とかかりませんから」
「じゃあ、大雨でも降らない限り毎日これますね、ハハハ」
「・・・(ハアハア・・・降っても来るかも!)」

他の高校娘風のインストラクターもトレーニング中に
代わる代わる頭のてっぺんから発する声をポンポン投げかけてくる。

「ネット姫さあーん、その調子、とってもイイデスヨォー」

もう彼らは完璧に騒音公害である。

しかし彼らは一生懸命マニュアル通りに仕事をこなしているのだから
悪気はないとわかっている。
それゆえにこのストレスをどこへ発散したらいいの?
フィットネスジムではストレスを発散できると聞いていたのに。

夫はわたしがフィットネスジムに通うと言い出したとき
「そのままの体型でいいんじゃないの。オンナの筋肉のつき過ぎはコワイよ」と
ちょっと否定的でしたが、わたしは筋肉をつけるのが目的ではありません。
憧れの水泳をマスターしたいだけ。

今はまだ泳ぎをマスターできていないので、マシンはあくまでつなぎと思いつつ
ジムに足を運ぶたびに、どうかインストラクターに見つかりませんようにと
隅っこでチマチマとやるようにしている。

この調子ではいつまで持つやら。

入会キャンペーンの特典がありその特典を受けるために
3ケ月間はやめないと誓約書を入れてあるので、
フィットネスの「お・も・て・な・し」はまだまだ続きそう。

オリンピックにも日本人特有の細やかな心配りの「お・も・て・な・し」が期待されていますが、
怖いのは、細やかな心配りが過剰の押しつけと紙一重の世界ということ。

エコエコと口を揃えるのは建前であるらしく、
一向に解消されていない、世界に類を見ない過剰包装大国ニッポン。

東京オリンピックの お・も・て・な・し は、
過剰好きな国民ゆえに、押しつけにならないように願っています。


HOME  TOP  NEXT