第215回 そんな簡単なことさえできないの?

歩きながらスマートフォンの画面を見る
「歩きスマホ」を防止するアプリが開発されたと新聞の投書欄で知った。
歩きスマホをしていると「危険です」などと警告する画面が出て
スマホの操作ができなくなるとか。

投書の主は二十歳の男子大学生ですが、彼は
「歩きながら機械を使い、それをやめるためにまた機械の力を借りる。
現代人は 機械に頼り過ぎているのではないだろうか」
と述べていますが、もっともなご意見であると思う。
若い世代の人からこのような意見が出たことをうれしく思いました。

以前、わたしも「機械に牛耳られる人間のプライド」のタイトルで、
多くの場面でこの手の便利な装置が使われることを懸念した内容を書いている。

たとえば、車の車間距離を自動的に検知して危機回避を図る装置も話題になりましたが、
高速道路などで多発している多重衝突事故には有効に働きそうですが、
それを手放しで喜こんでよいものか考えました。

車の運転は車間距離の認識だけではなく左右の車はもちろん、
対人間への注意やら、あらゆる場面で運転者の総力が試されます。
その一部を機械に託すとなると、
結果とし て人間の注意力が殺がれることになりはしないか。

このようにして今は身の回りの生活面のさまざまな場面で
多くの部分をコンピューターに任せています。
その結果、能力の減退を各々がそれなりに感じているのではないのでしょうか。

話は逸れますが、世界の若者を対象にアレルギーの調査したところ、
日本は世界でも突出してアレルギー患者予備軍が多いとの結果が出ました。
その原因は「清潔好きな日本 人」の特性にあるようです。
もちろん清潔好きは不潔よりも歓迎ですが、
あまりに度を超すと弊害(?)にさえなることを、この調査結果が物語っています。

過去には除菌グッズが流行り、
同じ商品を除菌と謳っただけで製造が追いつかなくなる現象さえもあった。
今でもスーパーやドラッグストアーで除菌グッズはいろいろな種類を見かけますが、
リンゴはジーンズの尻でちょっとこすってかじりつく欧米人と、
きれいに洗ってから食べる日本人との違い。
他のアジアの国の人たちに見る生活スタイルなどで、その違いがわかります。

すこし乱暴な話ですが、あまり度を越した除菌は、
耐性という観点からするとあまり良いとは言えなくなり、
社会生活でも箱入りにしすぎて無菌状態で育った子どもは、
社会へ出てからうまく周囲になじめなかったりする面があるように、
痒いところに手が届くようなソフトの導入は、
危機管理能力、道徳や努力等の人間に必要な大切なものを
脅かす存在でもあると言えるのではないのでしょうか。

歩きスマホにしても、
歩きながらいじらないという道徳面の教育で変えていくことができるはず。
「それがうまくいかないからソフトを開発するんだ」と言う人がいるならば
人間の努力までも捨てろということになるようです。

歩きながらスマホはいじらない。

そんな簡単なことさえ機械に頼らなくてはできないの? と言いたいのです。


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