 第195回 シンデレラの魔法がとけたオッサン わたしの主治医は32歳の独身のイケメン先生。 とても物腰が柔らかく、患者の質問には懇切丁寧に答えてくださる。 このような先生には、ご高齢の患者さんは 孫の話から身の上相談までしたくなるのではないのでしょうか。 診察室から付き添いの方と一緒に出てこられる高齢患者さんの表情は、 入室時とはうって変わって五月晴れのように輝いていらっしゃるが、 かつては診察が1時間という大記録もあった。 その日、なかなか診察が開始されなかった。 患者さんが診察室に入るところを見ていなかったので 先生が遅刻でもしていて診察が始められないのかと思い込んでいたわたしは、 家に帰ってから夫に、診察の順番がなかなかまわってこなかった原因について、 どうしてだと思う？ と質問した。 「メシでも喰いに行っていたんだろ」（患者をほったらかして？） 夫にまともな返事を期待したわたしが悪かったのでした。 ちゃんと診察室にいらした先生は、わたしの顔を見るなり言った。 「ネット姫さん、大変お待たせしてしまってすみませんでした」 「はい、センセ、とってもお待ちしました」 「いやぁー、ゴメンナサイ」 先生は外科医の腕はとても優秀ですが、ニンゲンの経験はわたしより浅いから、 人間には怒りの許容量というものが存在するのをご存知ないようである。 ニンゲンというものは、すぐに謝られると納得しないイキモノのであるようだ。 したがって、センセイがわたしの顔を見るなりすぐに謝ると わけもなくイジメたくなるのは、当然のことである。 たとえば、ファミレスなどでいい年のオッサンが おじょうちゃん従業員を相手に怒鳴りちらしている場面に遭遇する。 「おい、どうしてくれるんだ！ シャツにぶちまけたこのケチャップ」 「オキャクサマ、申し訳ございません」 「申し訳ない？ あやまればすむと思ってるのか？」 「本当に、申し訳ありませんでした。お許しください」 「申し訳ない？ 許せ？ 血糊のようなケチャップをぶちまけた挙句が申し訳ない？」 「あのう、クリーニング代の方は払わせていただきます」 「謝られたって、こっちも困るんだよ。こんな真っ赤なシャツで帰れるかよ！ クリーニング代を払ってごまかす気か！」 「そういうつもりは・・・では私はどうしたらよいのでしょう」 そもそも、ケチャップ振りまき事件の原因は、 オッサンが通路上に足を投げ出していて、それにつまずいたのが発端である。 マニュアル通りに対応していたおじょうちゃんの怒りは、爆発寸前。 堪忍袋の緒が切れかけてきた様子が、傍目にもわかる。 「まあ、アンタもまだ新米らしいから失敗は仕方がないよな。 なに？ クリーニング代？ いいよいいよ、そんなに気を遣わなくたって。 どうせ少ないアルバイト代から差し引かれるんだろ？」 急にオッサンが態度を変えたのは、おじょうちゃんが切れかけたからではない。 怒りをぶち込む器が満たされ、満杯状態になったので満足したのだ・・・と思う ニンゲンは、怒りの器が臨海状態になるまでは、 どんなに謝られても納得しないようである。 このオッサンだって、おじょーちゃんのケチャップは 自分の足が原因とわかっているはず。 それでも、怒りは臨界状態に達するまでくすぶっているのである。 しがないサラリーマン生活で、いつも周囲の顔色を窺ってばかりいる。 一度でいいから、ヤクザのように吠えてみたい・・・と思っていたのか？ ケチャップは、おあつらえ向きの道具立てにすぎない。 この際とばかりに、日ごろの鬱積した思いをついでにブチまいてしまったが、 もとよりたちが悪い方ではないから器が臨界状態になると、 ハッと我に返るようである。 シンデレラの魔法が解けるように、元来の気の小さいオッサンに戻る。 しかし、あやまり上手は相手が怒ってもすぐには謝らないようである。 その良い例が量販店の店長さんでしょうか？ 「なんだよ、ここの電気釜。うちのヤツがスイッチを入れたらショートしやがって」 「お客さま、ショートですか。それは大変でしたね。お怪我はありませんでしたか」 「なに？ 怪我があったらタダじゃすまないぜ。ウチのヤツはショックで 電気製品を見るとヘンになっちまう。どうしてくれるんだ」 「さようでございますか。オクサマはそれはショックでしたでしょう。 よーくわかります」 と、相手のセリフに便乗してダラダラと会話をつなぐ そして、相手の臨界状態の頃合を見計らって 「ところでお客さま、ショートした電気釜は私が責任を持って 引き取らせていただきます。ご迷惑をおかけして誠にスミマセンでした」 しめくくりの部分になってから、ようやくお詫びの言葉が出てくるようですね。 世の中は、すぐに謝ればコトが済むというわけでもなさそうですが、 わたしはなぜか間髪を入れずに謝っちゃいます。 でも、怒られる前に謝ったらますますいけないようです。 「バカにしてんのか！」 相手の怒りを誘うだけの場合もあるようですから注意いたしましょう。 世の中を渡るのは大変・・・ HOME TOP NEXT |