ネット姫のつぶやき爆弾 辛口コラム


第192回  網に引っ掛かるのも素敵じゃない?

ある日のニュースに、半期の間の高齢者の万引きが2万人とあった。
これは過去最悪だった前年のペースをさらに上回るもので、
19年連続して右肩上がりとなっているようだ。

連続上昇は高齢者数が増加している社会的構造も原因のひとつであると推察しているが、
昨今の世間の状況を見るにつけも、人生の先輩たちの道徳心の低下も否めない。
痴呆症が原因の万引きもあるようだけれど、
それでも高齢者の4人に1人が万引きの理由に「孤独」を理由にあげている。

他との繋がりを求めて万引きに走るとは安易過ぎるのではないのか。

もちろん同情すべき境遇の人がいるとしても、
やはり人とのつながりを「万引き」に求めるのは邪道であると思う。
高齢者はこれまで過ごしてきた人生そのものに価値があり、
その知恵を持ってしたら他との繋がりを「万引き」に求めるような安易な発想は
生まれないはずだと信じている。

そこにはやはり昨今の世間の風潮でもある甘えがどこかにあるのではないか。

その甘えとは周囲の誰かが手を差し伸べてくれることだけをひたすら待ち続け、
自分から周囲に働きかけることをしない。
寂しい、孤独と感じたときにそれを自分から周囲に伝え解決する努力をしただろうか?

最近では行政でもそういう人たちのための相談の場を設けている。
最近の新聞の読者欄にお茶の販売店を営んでいる69歳の方が
「毎朝シャッターを開けると、近所の独り暮らしの人や病院やスーパーの帰り道に立ち寄る人、
中には身の上相談を持ちかける人もいます」と、投書している。

つまり、求めればどこかにつながりの網が投げられていることが描かれているが
自らが動かなければその網には引っかからない。

実はわたしはこの網の最大の利用者かもしれない。

女性の友人関係は食事をしたり、趣味仲間のおしゃべり、観劇やイベントに
連れ立っていくことが多い。
出不精なわたしはそういう友人を増やしても付き合いきれないから
なるべく友人を作らないようにしている(?)

それでも毎日が家事とお散歩と夫の顔だけでは没世間になってしまい危機感を覚えるから、
いつしかお散歩の時間に他の人との繋がりが自然発生的に出来上がっている。

お散歩で顔を合わせた人とはその場だけの話であることが多いが、
時には「私、癌を患っています。でも毎日することがいっぱいで、
今日も習い事の帰りです」とその前向きな姿勢に教えられ、
その後の再会を楽しみにしたりしているが、
赤ちゃんから高齢者までわたしのテリトリーに制限はつけていない。

赤ちゃんを抱いた若いママには
「ちょっと頬に触れさせていただいてよいですか」と
状況を見ながらお願いすることもある。

しかし、赤ちゃんの手を故意に骨折させた女のニュースが流れてからは、
ママを心配させてはいけないと自粛するようになり、
遠い世間の事件がわが身にも繋がっていると実感する。

幼稚園児に同じ目線で接すると、彼らはこちらの気持ちを敏感に察知するようで、
とても素直に反応して多くのことを語ってくれる。
大人びた表現や知恵に驚かされたり、年相応の無邪気さに
抱きしめたいような気持ちになることもある。

生意気盛りの茶髪のツッパリ中高生も先入観を捨てて接すると、
意外なほど素直に注意や意見に反応してくれるから、
涙もろい人はうれしくてついホロリとする。

中高年女性とは猫繋がりが多い。

毎日のように顔を合わせる河川敷の猫の餌やりのオバアサマからは
栽培の野菜をいただいたり、こちらは旅行のお土産を届けたりの仲になっている。

80歳の独り暮らしのオバアサマは京都から定期コンサートで上京して来る
孫のようなイケメンのシャンソン歌手の追っかけをしている。
同じ河川敷のお散歩の人に誘われたのがきっかけだと言う。

わたしもオバアサマからお誘いを受けたけれど出不精なのでお断りしたら、
次にはイケメン歌手のCDを手渡され、さっそく帰ってから聴いた覚えがある。

おしゃべり仲間には70歳を過ぎたオカマさんもいる。

「アタシ、昔からお化粧をしたことがないの」という人は、
南国の島の人のような顔の色と、柔道部員のようないかつい体躯、
腰までの白髪を後ろで結っている。

スーパーや駅前の路上でいつも目ざとく「あら、〇〇さん」と、
ぼんやり歩いているわたしに先に声をかけてくださる。
ひとしゃべりする間、周囲の人たちが振り返って見ていくほど変わった感じが目立つ人だ。

「オカマは孤独なのよ」が口癖でケラケラ笑っているけれど、
わたしの胸中は複雑になる。
愛猫が死んでも「もうこの年では次は私が先だから飼えない」と、
自分の慰めよりも猫に筋を通しているのは天晴れだと思う。

怖い若者に説教をしたオジイサマに「勇気がありますね」と話しかけると
「もうこの年になれば怖いものはないからね」と笑った。
息子さんのお下がりだと言うジャケットとニット帽がとても素敵だったので
「とてもよくお似合いです」と褒めると、
別れ際に律儀に帽子をとってペコリと頭を下げられた。
薄闇の中でヘッドがピカッと光り、別人のような人が現れたのもご愛嬌である。

最近のお散歩では夕闇の住宅街の路上の広範囲に白いものが散らばっていたが、
ビニール袋から生ゴミが散乱したらしくひどい状態だった。
これを素手で拾うのかと迷っていたら、薄闇の端で小柄なオジイサマが箒で掃いていた。
「あら、ありがとうございます」と声をかけたついでに、ちょっとおしゃべり。

前のアパートの住人がゴミ置き場のネットをきちんとかけないので、
カラスがつついた仕業だという。
ネットをかける手間さえ惜しむとはどんな人なのだろう。

別れ際に「車のところの猫ちゃんはお宅の猫ちゃんですか?」と聞くと
「あれはノラ猫。ときどき遊びに来るの。
 猫は遊びに来るけれど女の子は来てくれないなぁ、ワハハ」

とても陽気なおジイサマに、わたしも思わずもらい笑い? 

あれもこれもわたしが黙って通り過ぎていたら繋がらなかったものばかり。

他人とのちょっとした会話に教えられ、励まされ、楽しくさせてもらっているが、
自分から飛び込まなければ成立しない世界です。
自分が努力しなければ周囲の状況も変わらない。

他との繋がりを求めるのに万引きが手段とは、やはり違うような気がしています。


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