第191回  縁の下のヒーロー

ある日のNHKの大自然スペシャルは、
氷原の王様ホッキョクグマに迫る有名動物写真家、
岩合光昭氏を追うドキュメンタリーだった。

岩合氏は北極に近い人口800人のチャールズという町で
400日に及ぶ撮影をした。

冬季は猛烈なブリザードが襲う極北の町で、
防寒具で完全武装した岩合氏のアップが画面に流れる。

ナレーションは気温マイナス45度、感温度はマイナス70度を告げている。
防寒具からのぞいているのはわずかに目の部分だけである。
完全武装で猛烈なブリザードの中、
じっとホッキョクグマを待ち続ける岩合氏。

そのとき夫が言った。

「この人は写真家だろ? じゃあこの記録画面は別の人が撮っているわけだ。
 その人は大変だなぁ」

めったに他人に同情したりしない人物がしみじみつぶやいた。

わたしは想像した。

じっとホッキョクグマを待ち続ける岩合氏。
それをじっと撮り続けるカメラマン氏。

ドキュメンタリーはホッキョクグマを酷寒のなかでじっと待ち続ける
有名カメラマン岩合氏の過酷さを前面に捕らえていたが、
しかし待っているだけでも大変なら、
それに付き合っている映像カメラマンは待っている上に
より素晴らしい映像を撮る任務も背負わされている。

じっと待ち続けるのが同じ身の上だとしたら、
その間にもベストな映像を心がけなければならない
映像カメラマンの大変さは押して知るべしである。

車の中で待機してじっと雪原を見つめて待つ岩合氏。
その姿を捕らえているのは猛吹雪の車外から撮影している
カメラワークである。

つまり暖房の効いた車の中の岩合氏と、体感温度マイナス70度の環境で
それを撮影する映像カメラマン氏という構図になる。

ドキュメンタリーの番組にはこのように、
ヒーローよりはるかに厳しい状況下で仕事を成し遂げている人たちがいる。

似たもの夫婦とはよく言ったものだが、夫が言うまでもなく、
実はわたしも以前から華々しい数々の映像記録の背後に、
それらをじっと追い続けるカメラマンの息遣いをいつも画面から感じていた。

だが数々の偉業を伝えるドキュメンタリー番組で、
賞賛されるのは偉業を達成した人物である。

わたしはへそ曲がりのせいか視点がいつもちょっと(すごく?)ズレているから
感動の方向が人とは違うようだ。

たしかに幾多の困難を乗り越えて偉業を成し遂げる人物は賞賛に値する。
しかしそのような人物には賞賛やら尊敬の念やら
さまざまな輝かしい場面がちゃんと用意されている。

だがその人物と同じように行動を供にし、
時に重いカメラ機材を抱えて偉業の人物の一歩前を行くような
すごい仕事を成し遂げたカメラマンはどうなのだろう?
あくまでも縁の下の力持ちだ。
番組の終わりのクレジットに名前が小さく刻まれていても
それに対してどれだけの人が注目するだろうか?

もちろん彼らは自分の仕事に誇りを持っていて
名声とは別の思いがあるに違いないが。

わたしが最初にそれを感じたのは、はるか昔に放映された
「マナスル登山隊の登頂」の記録だったろうか?

エベレスト、ヒマラヤ等その他数々の登頂記録も折りに触れて観た。

垂直に切り立った氷壁をよじ登り、
猛烈な吹雪で岸壁に宙吊りのままビバークする様子。
ニュースですでに登頂に成功したとわかっていても記録映像を見ていると、
下手なサスペンス映画よりもハラハラドキドキして手に汗を握り、
ときには「がんばって!」と画面に向かって声までかける。

氷壁を必死になって登るヒーロー。
彼は大変だ。

しかし身ひとつで登るだけでも大変な氷壁で、
カメラ機材を抱えて撮影するカメラマンの大変さや困難さは
ヒーローの苦労をはるかに上回るものであろうと、
素人の考えで多大な同情を寄せてしまう。

カメラマンはただ撮ればよいというわけにはいかない。
できる限りのベストショットを心がけながら、機材の調子にも気を配り、
同時に自分の身の危険にも配慮しなければならない。
登ることだけに集中しているヒーローよりも、
カメラマン氏はより多くの困難を抱えていると
わたしが思い込んでいる所以である。

時にはカメラマンはヒーローの登山者が
岸壁をよじ登ってくる様子を撮影しているから
ヒーローより先に岩場を登っていなければならないことになる。

これは何を意味するのだろう。
やはり映像カメラマンはすごい。

このように世の中には何事にも縁の下の力持ちがいて、
目立たないところでヒーローをしのぐほどの底力を発揮している。


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