第187回  センセイ方「遺憾」は、イカンよ!

テレビの報道番組で、石破自民党幹事長がテレビ討論に出演した際の映像が流れた。
その中で NSCはどうのこうのと発言していた。
とっさにNSCの意味はわからなかったが、ニュース映像だったせいか、
画面の下部にNSC(国家安全保障会議)の字幕が流れたので意味を理解できた。
討論の場面では普通は字幕を流さないと思うが、視聴者はNSCの意味が分かったのだろうか。

安部首相が衆院選の際に「戦後レジュームからの脱却・・・」と口にしたが、
わたしにはその意味が分からなかった。
ネットで意味を調べてからようやく理解出来たが、
果たしてレジュームの意味をその場ですぐにわかった人が何人いるのだろう。

政治家が自分の考えを国民に伝えるのに、国民の多くが知り得ない言葉を漫然と使うのは、
配慮に欠けていると言わざるを得ないが、
ひょっとしたら、横文字の専門用語がカッコイイからみんなが使いたいたがるの? 

政治家が発する政治家特有の表現に、いつも違和感を持っている。

「遺憾」「であります」をはじめ、普段あまり聞かないような
独特な言い回しの耳障りなものが多いと思ったら「文章語表現」と知り、納得。

元首相の中曽根康弘さんは真の政治家らしい最後の人かもしれませんが、
その言葉に「演説は東大出の難しい話では駄目だ。中学三年生が聞いてもわかるように、
誰でもわかるような言葉で・・・」とあります。
演説だけでなく、国民に向けての政治家の発言は常にこれを心がけて欲しいと思う。

これは政治家だけの問題ではない。
専門家や有識者は己の知識をアピールしたいのか、
一般人にわかりやすい他の表現で言い変えられる用語を、
わざわざ専門用語や学術的用語でちりばめる人もいらっしゃる。

そういう人たちを見ていると「ははーん、この人は自分の知識をアピールしたいのか」
と、皮肉な目を持つことになる。
そういうものに囚われる専門家や有識者は、メディアで顔を売りたがるロクな人物がいないと、
厳しい判定を下すことになる。
この人はと思う方は、常にやさしくわかりやすい表現を使っていらっしゃるからだ。

政府の専門家会議が打ち出す提言におかしなものもあり、
その後見直されるケースがときおりみられるが、メンバーの顔ぶれをみると納得する。

構成メンバーに、メディアで名前の売れた専門家や有識者が多いと思うのはなぜか。

知名度と実績(知識の深さ)は別物のはずであるが、
有名人に弱い国民に向けての人気取りの人選なのか? 
それとも知名度の高い人をエライ人物と思い込み、漫然と選んでいるだけなのか?

真に深い知識のある昔の偉い人は言った。
「やさしいことを難しく表現するのはたやすいが、難しいことをやさしく表現するのは骨が折れる」

つまり、乏しい内容を難しい表現という見栄えの包装でごまかすのは簡単と言うわけ。

マスコミの表現に対する堕落もひどい。(もちろん他にもいろいろひどいけれど)
真面目な新聞記事のタイトルまでコミック調になり、ときおり意味不明か、
意味を間違えて解釈してしまうようなひどいものもある。

今、一番気になっているのは、政治家が日常的にタレ流している「遺憾」です。
なんにでも遺憾をくっつけて事を済ませてしまおうとする魂胆はいただけない。

ネットの辞書で調べた「遺憾」の意味は「心残り、残念である」とある。

<「遺憾」は「残念」と重なることが多いが「残念」よりも文章語的。
また、相手に対して、気の毒とか申しわけないとかいう気持ちをこめていうこともある>

中国船や偵察機が日本国の領海や領空を侵犯した際に、相手に対して気の毒や、
申し訳ない気持ちを表現することもある「遺憾(残念)」を使うのはどういう神経なのか。
国外で日本人が重大な事件に巻き込まれても「遺憾(残念)」では、紋切形でそぐわない。
その時々の事情や事態に即応した内容の言葉や発言があるべきではないの。

議員のセンセイ方、今、わたしは「イカンともし難い気持ちであります」

センセイ方には今後「遺憾使用禁止令」を発布し、一連のまやかし表現を封殺し、
ご自身の言葉を使い、内容に沿った的確な表現を発信していただきたい。


HOME  TOP  NEXT