第182回 みっともないのは、どっちなのさ!

この数年、住宅街やお散歩の河川敷等で目につくようになった。
ゴミやペットボトルの散乱がとても気になる。
以前は住宅街も河川敷も公園にもチリひとつ落ちていないと形容できるほど
清潔で気持ちが良かった。

今はペットボトルやゴミのポイ捨てや
ゴミをいっぱいに詰め込んだビニール袋が
道路端の植え込みに突っ込んである。
以前とは違って見える街の印象にとてもショックを受けています。

ゴミが目につく住宅街を歩いていると、
以前より自分の気持ちが重くなっているのを感ずる。
このような光景を当たり前だと子供たちに思わせてはいけない、
子供たちの精神に悪影響を与え荒んだ気持ちになるのではと気になり、
ある日、路上に落ちていた牛乳の紙パックを拾ったのが運の尽き。

ついでに周囲の紙クズやタバコの吸い殻、ビニール袋などを拾うと、
路上が見違えるようにすっきり。
わたしの気持ちもすっきり。
良い気分になったけれど、困ったのは手にしたビニール袋入りのゴミ。

さて、どこに捨てようかと探してもゴミ箱が見当たらない。
紙クズの一つや二つなら、これまでコンビニのゴミのボックスにお世話になったが、
さすがにビニール袋入りは躊躇する。
とうとう自宅までお持ち帰り。

しかしわが市のゴミは有料であり、良い行為は高くつくものとわかった。
世間にはゴミ袋を持参して、お散歩のついでに拾い集める奇特な方もいらっしゃるが、
わたしはまだそこまでの境地に至っていないらしい。
路上や植え込みにはなぜか空のビニール袋が必ず落ちているから、
それをリサイクルしてゴミを詰め込むだけ。

一度ゴミを拾うと病みつきになるようです。
周囲の光景がスッキリする快感を味わいたくなるから、
もう麻薬と同じようなものだけど、これは良い麻薬?!

恥もたくさんかきます。
用事に出掛ける途中で、ついゴミを拾ってしまい、
時間を気にしながらゴミの捨て場を探して、焦ってウロウロ。
運よく工事現場で片づけ掃除をしていた人のよさそうなオジサマをとっつかまえて、
「すみません、これもついでにお願いできますか」と図々しさを発揮。

公園でサッカーや野球のボクちゃんたちには
「公園を使わせてもらっているのだから、帰るときは自分たちのゴミでなくても
 片つけて行ってね。ゴミはあそこに捨てて」と、
トイレの脇にある公園の管理納屋まで教えて指図する。

それにしても毎日のように拾うのに、
翌日同じ場所にもうポイしてあるのはなぜ?

きれいになった路上や公園を見て、
ポイ捨てした人が反省するのを期待しているのに
「片づけてくれる人がいるならちょうどいいや」と、
まさかの逆効果ではないでしょうね。
 
近くの大学の敷地内には数か所ゴミ箱があるのに、キャンパスはゴミだらけ。
ベンチの前にゴミ箱が口を開けて鎮座しているのに、
その周囲は弁当の空箱やらが散乱して、目も当てられない惨状。
数年前には見かけなかった光景です。

お散歩で構内を通り抜けるときは、拾ったゴミをゴミ箱に入れる。
その先でゴミを見つけるとまた戻って捨て
「今度落ちていても絶対に拾わない」とゴミを横目に通り過ぎるけれど、
落ち着かなくて、ゴミを拾ってまたゴミ箱まで戻るから、
お散歩の時間が以前の倍になっている。

バッカみたい、と思いつつ、ゴミがないキャンパスに気がついた学生さんたちが
心を入れ替えてくれることを願っていたけれど、かなり甘かった。

ゴミは一向に減らない。

とうとう受付窓口の守衛さんに
「学生さんたちに何かを通じて注意していただけませんか」とお願いした。
大いなるお節介とわかっていても、もうヤメラレナイの。

河川敷のゴミ拾いはラクチン。
落ちていたビニール袋にゴミをパンパンになるほど詰めたら、
橋桁の下部の隙間に置くだけ。
そこは川の管理の道具が隠すように置いてある場所であり、
川の管理をするのならゴミの始末もお願いというわけ。

最初は気になったが、次に捨てに行くとちゃんと前のものが片つけてあるので、
これは暗黙の了解なのね、と勝手に解釈している。

一日の出来事を逐一報告するクセがある、変わり者のオクサンにオットは言った。

「あまりみっともない真似をするなよ」

(みっともないのはどっちなのさ。平気でゴミをポイ捨てするヤツラの方が、
 よっぽどみっともないじゃん!)


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