第179回 選ぶ人と選ばれる人の勘違い

かなり前に、テレビの報道でイタリアのナポリのゴミ騒動を見た。
それからかなりたったころ、イタリアを周遊ドライブすることになり
途中でナポリへ立ち寄った。

大きな通りの傍らにゴミのピラミッドが放置されているのをみて、
未だに解決していないのかと驚いた。
旅行から数年経ち、またしてもナポリのゴミの話題を耳にして、
まだ解決していないのかと呆れたが、日本でもナポリになりそうなゴミ問題が
東京のK市でも起きた。

3日前に衆議院議員選挙が終わったタイミングで、
過去の選挙の実態を思い起こした。
 
K市のゴミ問題は、独自のゴミ焼却場を持たないため
近隣の市町村にゴミの償却を依頼していたが、
昨年の市長選挙で当選した佐藤和雄市長(54)が選挙公約で
年間のゴミ焼却にかかる5億円の費用を「無駄遣いをやめさせる」と
決め付けたことにあった。

これまでゴミを引き受けてきた近隣の長が立腹し、
「無駄遣いなら、もうK市のゴミは引き受けない」となり、騒動に発展した。

結局、佐藤市長は自分では解決できないと辞職したが、
当選してからわずか半年後のことである。

佐藤市長は公約をいくつか揚げていたが、ふたを開けてみたら現実に目が覚めたのか、
どれもが実現不可能なものと早々に認識したようだ。
議会対応や市民対応についても、素人丸出しの迷走を続けた挙句、
自分の能力の限界を今更ながらわかったのか、懸案問題を放り出した辞職は、
辞職に名を借りた「逃亡」とも思える無責任なものだった。

ちなみに佐藤前市長の経歴は朝日新聞の元記者で市民活動家。
国政でもリアリズムにかけた市民運動家がやむなく辞任した例がある。

政権交代を高らかに掲げた民主党政権も早々と政権公約、
気取って表現するところのマニフェストやらの破たんを来たしたが、
市民運動家や理想主義者として、共通点が多いと思うのは偏見でしょうか。

さて、K市の市民はなぜこのような無責任な人物を選んでしまったのか。

辞任した佐藤市長は立候補の際に、元朝日新聞記者時代の駐米中に
特ダネを取ったことを盛んにアピールした。

つまり、記者としての手腕が有能だから政治的手腕もあるのだと、
自己の能力の高さをアピールした戦略かに思えるが、
市民も政治手腕に長けているとそのまま判断したのか。

国政レベルの政治家にも、ニュースキャスターやらマスコミ関係出身者が少なくないが、
そういう人の中に常識外れの発言をする人もいます。
特に要職に就くとそれが有権者の目に晒され、ボロリと皮がはがれるようだ。

そこでつらつら思うことは、ご本人にしても有権者にしても、
メディアに頻繁に登場して政治のことをしゃべると、
それで政治手腕があると勘違いしてしまうのか。

また、娘がプロゴルフで優秀な成績をおさめると、その父親が国会議員になれるのは
能力のある娘を育てた父親なら、きっと政治の場でもその手腕を発揮できると、
有権者は思い込んでしまうのか。

残念ながら、当の父親は国会議員の地位を利用して呆れた行状を繰り返し
血税の無駄遣いをしているが、任期満了までは高給と特権を保証され、居座ることができる。

優秀なスポーツ選手にしても同様。
スポーツ能力を政治手腕としてイメージしやすいのか、スポーツ界からの転身組も結構いる。
これに似たような事例はほかの業界でも多く見られるはず。

マスメディアで露出度が多い知名度の高い人は、政治能力がある人と見られるのか。

しかし、優秀な野球選手が優れた監督とは限らないように、
他の分野で能力を発揮したからと、政治能力に長けているとは限らない。
今、国会議員の中で真っ当にその責務を果たしている人がどれくらいいるのか。

選挙が終わったら、すぐに次の選挙を目指して頭を下げに故郷へ帰るような、
自分の選挙のための議員はもういらない。
メディアで見た有名候補者に手を握られて、舞いあがるような有権者がいるとは
信じたくないが、選挙結果を見れば毎回有名人の当選者が多い。

有権者は、耳に痛い政権公約でもそれを選ぶ勇気を持つべきである。

甘い囁きの政権公約が当選するための当たり前なら、
当選に不利な内容を掲げる候補者は、政治家として志があるからこそということになる。

わずか半年足らずで辞職したK市長の話題から、国政の縮図を見る思いがして、
いろいろ考えが及んだが、後任のk市長選挙関連がらみで、
元日刊ゲンダイ記者(なぜ記者が多いの?)橋詰雅博氏の興味深いコメントがあった。

橋詰氏は前々回の選挙でまったく無名だったにも関わらず、
当時現職の稲葉孝彦氏に僅差で敗れた。

その後の選挙で、稲葉氏、橋詰氏、佐藤氏の戦いとなり、佐藤氏に敗れた。
佐藤市長の辞任後の市長の空席を受け、次の選挙に立候補の意思があるかを問われた
橋詰氏は、「自分は行政も議会対応も素人でわからない。もっとわかる人がいい」と
コメントした。

では当初の立候補はなぜできたのかの疑問が残るが、
選挙の立候補者は自身の能力を早くから見極める重大な責任があり、
またそれを正しく見極める有権者にも、重大な責任があると思います。


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